源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
怪獣人生 元祖ゴジラ俳優・中島春雄
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怪獣人生 元祖ゴジラ俳優・中島春雄

中島春雄【著】
洋泉社(洋泉社新書y)刊
2014(平成26)年8月発行

いはゆる新書といふものは、書下ろしで出版されるのが普通かと存じますが、本書『怪獣人生 元祖ゴジラ俳優・中島春雄』の場合はさうではなく、既に同社から単行本として発表されてゐたものを、一部加筆の上、廉価な新書版として再登場したものであります。これは有難い。
もつとも洋泉社新書yでは以前にも、宮脇俊三著『ローカルバスの終点へ』といふ前例がありましたがね(この場合はJTB単行本⇒新潮文庫⇒洋泉社新書yといふ順番)。

中島春雄氏といへば、東宝の大部屋俳優でしたが、何より怪獣映画のスーツアクタアとして海外でも有名な人。1954(昭和29)年の「ゴジラ」第一作以来、1972(昭和47)年の「地球攻撃命令ゴジラ対ガイガン」で引退するまで、怪獣のぬいぐるみの中に入り続けた鉄人であります。その彼が、自らの半生とゴジラとの関りを語つたのですから、痛快の極みだなむ。

円谷英二特技監督に請はれてゴジラの中に入つたのですが、当時のぬいぐるみの重さは150kgもあつたさうです。とても動けるものぢやない。しかし大部屋俳優にとつて、キツイ仕事ほどお金になるのでオイシイ。「できません」などと言へば忽ち外され、代役を立てられるだけであります。持ち前の怪力と若さで乗り切つたのでした。

むろんスタッフたちの努力もあり、中島氏の意見を参考にぬいぐるみは徐々に改善されていきます。遂には1965(昭和40)年の「怪獣大戦争」において、イヤミのギャグ「シェー」をぬいぐるみのまま演じるまでになりました。この「シェー」については賛否あり(まあ「否」が圧倒的に多いのですが)、中島氏も嫌々演じてゐるのだらうな、などと思つてゐました。しかし本書によれば、全ての事情を納得づくで芝居をしてゐたのであります。素晴らしいプロ根性と申しますか。

前述のごとく、中島氏は「ガイガン」を最後に現役引退しました。次作の「ゴジラ対メガロ」では、当然別の人がゴジラのぬいぐるみに入つてゐます。当時わたくしは子供でしたが、親に連れられて劇場で観てゐます。子供心に、「何だか今回のゴジラは動きが雑だなあ」とか「いかにも中に人がゐますといふ演技だなあ」と感じてゐました。むろんスーツアクタアが交代したなんてことは知りませんでした。つまり、子供が見ても違ひの分かるほど、中島氏のゴジラは完成されてゐたのだと申せませう。

円谷英二らと共に「ゴジラ」を創り上げてきたのだといふ自負からか、後進に対しては厳しい指摘をしてゐます。結局みんな、意識しなくても「中島春雄」を真似てしまつてゐるといふのです。中島氏のあの躍動感溢れる動きは、当然中島氏だから実現するのであつて、別の人が演じるなら、その人に一番相応しい動きがある筈だといふことでせう。それを模索する努力もなく、漫然と中島ゴジラを真似てゐてはダメだと。
流石に世界中からリスペクトされる中島氏、凡人とは一味も二味も違ひますなあ。爽快なる一冊でございます。


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さよなら国鉄 最長片道きっぷの旅
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さよなら国鉄 最長片道きっぷの旅

種村直樹【著】
実業之日本社刊
1987(昭和62)年4月発行

国鉄解体30周年シリーズ(?)の第三弾は種村直樹氏。レイルウェイ・ライターとして、国鉄最後の日々を記録しやうと、国鉄最長片道切符の旅を敢行します。
む、それなら宮脇俊三氏もやつてるよね、と思つた貴方、種村氏のそれは、もう一つスケイルアップしてゐます。即ち、国鉄バス路線も含めた、文字通りの国鉄最長切符に挑戦したわけであります。

鉄道線だけでも最長ルートを探るのは困難を極めるのに、バスまで含めるなんて尋常ではありません。この種の話に必ず出てくる眼科医の光畑茂氏といふ方がゐますが、種村氏はここでも彼の力を借ります。その結果、起点は佐賀県の竹下町(バス停)、終点を北海道の鵡川としました。鉄道線12012.4km、バス路線5655.5km、航路113.0km、総計で17870.9km、運賃230450円の壮大な片道切符であります。

なほ、宮脇氏の時代には本州と四国を結ぶ国鉄連絡船が「宇高」「仁堀」と二つ存在したため、四国も片道切符のルートに含まれたのですが、種村氏の時には既に「仁堀連絡船」は廃止となつてゐました。そのため一度四国に入れば戻れない(同じ宇高航路で戻れば片道切符ではなくなる)ので、四国は割愛されてゐます。もつとも、番外で四国篇も収録されてゐますが。

さて実際に旅が始まると、予想通りバス路線での苦難が続きます。一日数本しかない路線はざらですが、さうかといつて短区間のバスに乗るために一日を無駄には出来ません。他社バスがある場合は代行乗車をしたり、タクシーで代行したり。あるいは季節運転の路線がルートに含まれてゐて、丸丸カットするケースも。
沿線風景をルポする取材ならともかく、今回は国鉄の姿を記録するのが目的であります。ならば他社バスに乗つても意味がないのではないかと思ひました。タクシー代行など、太川陽介さんが聞いたら激怒しさうです。やはり無理せず鉄道のみの最長切符で良かつたのでは。
そして極めつけに残念なのは、実は種村氏が辿つたルートは、最長ではなかつたといふ衝撃の事実。旅行後に判明したのですが、起点を竹下町ではなく、福岡県の姪浜にすれば、さらに12.6km長かつたさうです。ああ何たること。

とまあ色々残念なことはありますが、国鉄を見つめる種村氏の眼は確かであります。鉄道メイニアではなく、一利用者の観点からの辛口批評ですので説得力があるのです。まあ中には個人的不満の表明もありますが。
宮脇氏のそれが鉄道紀行文学作品となつてゐるのに対して、種村氏の作品はあくまでも記者の視点から国鉄の現状を記録してゐて、ここでも両者の違ひがくつきりと表れてゐるのが面白いですね。

さて随分久しぶりの更新で、いささか疲れました。おやすみなさいませ。




塩狩峠
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塩狩峠

三浦綾子【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1973(昭和48)年5月発行

永野信夫くんは、厳格な祖母と温厚な父と一緒に暮してゐました。母親は信夫を生んですぐに亡くなつたと聞かされてゐます。やがて、思ひがけなく祖母が急死し、同時に見知らぬ女性と女の子が家にやつてきました。実の母と妹であります。
実は母はクリスト教徒で、ヤソを嫌ふ祖母に家から追ひ出されてゐたのでした。信仰を捨てる事は出来ず、夫と息子との別居生活を選んだのであります。しかしその祖母が急逝したため、戻つて来た訳ですな。

祖母の影響もあつて、信夫は中中クリスト教に馴染むことができません。食事の時、父・母・妹がお祈りをするのに、自分だけしないので、疎外感を抱いたりします。しかし、成長するに従ひ、様々な人たちとの出会ひもあつて、クリスト教への抵抗感は徐々に薄れていくやうに見えました。

友人吉川の後を追ふやうに、信夫は北海道へ渡ります。鉄道職員として活躍する一方、吉川の妹ふじ子への愛情を募らせるのであります。上司から娘を貰つてくれと頼まれ断るのですが、それをきつかけに、ふじ子を愛してゐたことを認識するのです。病弱だつたふじ子ですが、信夫の看病の甲斐もあり病状は好転し、二人は結納の日取りを決める段階まできたのですが、運命は残酷でありました......

クリスト教徒向けの雑誌に連載されたこともあり、初めて読んだ時には「クリスト教の宣伝小説かな」と思つたものです。祖母がいかにも愚かしく悪い存在に書かれてゐるやうな気がして、それも違和感があつたのです。
しかし再読しますと、畢竟人は如何に生きるかを問ふ物語だと感じた次第であります。信仰はひとつの道具とでも言ひますか。まあわたくしは、自分に危害を加へる人物の事を「彼をお許しください」などとは思はないし、右の頬を打たれたら左を差し出す度量もございませんがね。

モデルとなつた長野政雄氏の自己犠牲は、信仰の為の結果かどうかは分かりませんが、これはノンフィクションではなく、あくまでも実際の事件を基にした純然たる小説であります。長野氏の死を美化するなといふ批判があるさうですが、自殺説、操作ミス説、覚悟の死説のいづれが事実であるにせよ、警察の捜査ではないのですから、小説の設定は作者に委ねられて当然と申せませう。

感動する人は感動するし、辟易する人はやはり辟易する。人付き合ひも読書も同様ですな。



国鉄を葬る人たちへの手紙
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国鉄を葬る人たちへの手紙 妻と子どもは訴える

人材活用センター全国連絡会【編】
教育史料出版会刊
1987(昭和62)年3月発行

先達ての『国鉄再建はこうなる』は、分割民営化推進の立場からの書物でしたが、こちらはそれを阻止したい国労の面面(の家族)の視点から刊行された一冊。
元元分割民営化の目的は国労つぶしにあると言はれ、のちに中曽根康弘元首相も認めてゐるさうです。国鉄問題=組合問題と言つても過言ではなかつたと申せませう。

国鉄改革で、最終的に4万を超える余剰人員が出ると試算され、その対象になつた人たちは、約80パーセントが国労であつたといふことです。悪評高い「人材活用センター」なる組織に異動させられ、仕事を取り上げられる。そして三年のうちに再就職を迫られるのであります。
まあ世間一般では当時、国鉄に対する同情も薄く、「まあ已むをえないよね」みたいな空気でしたが、実際に首切りにあふ本人はともかく、その家族は「なぜ?」と疑問に思ふことでせう。うちのお父ちやんは国鉄の為に一所懸命働いてきたのに、何も悪いことをしてゐないのに、どうして首切りにあふの? 

大ナタを振るふのはいいが、その方法が禍根を残したと申せませう。最終的に「人材活用センター」に配属されたのは2万1000人、全国1440箇所に設けられました。で、そこで何をやるかといふと、草むしりとか空き缶拾ひ、レールの文鎮作りなどをさせられてゐたとか。
文中で本人たちも述べるてゐるやうに、草むしりも必要な仕事で、それを卑しめる訳ではありません。しかしそれらの作業をさせる当局の目的は、それまで専門職として技術を身に付けその仕事に誇りを持つてゐた人たちの、人間としての尊厳といふかプライドをずたずたに引き裂き、自主退職へと追ひ込む事であります。

人権無視として国際的にも問題となり、最終的に「人材活用センター」は廃止されるのですが、実はより巧妙な形でそれは生き残つてゐました。何より「人材活用センター」は、その後の「日勤教育」や、民間企業における「追出し部屋」などのはしりとなつたと指摘されてをります。それが事実ならば、まことに罪深い存在であつたと申せませう。

度重なる運賃値上げ、たるんだ事故の続発、利用者無視のスト、客扱ひの対応のひどさ......「国鉄憎し」の大合唱の中で、孤独な戦ひを続けた人々のルポルタージュであります。粛々と国鉄改革が進む中、妻や子供たちがいかに奮闘してゐたのかを知るのも、悪いことではありますまい。


原節子 あるがままに生きて
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原節子 あるがままに生きて
貴田庄【著】
朝日新聞出版(朝日文庫)刊
2010(平成22)年6月発行

一昨年9月に亡くなつた原節子。なぜこのタイミングで登場するのかといふと、先達て某ラジオ番組にて、彼女の評伝を書いたノンフィクション作家・石井妙子氏のインタヴューを聞いたからです。
原節子といへば小津安二郎監督作品に代表される、一歩引いた立ち位置のいかにも日本的な女性を演じてゐましたが、素顔の彼女は大きく異なるとか。石井氏によれば、原は小津作品における自分の役柄に満足してゐなかつたとか。ほほう。

原節子 あるがままに生きて』は、映画評論家の貴田庄氏による原節子の評伝(文庫カヴァーには「エッセイ」と書いてありますが)であります。ほぼ時系列で彼女の生涯を追つてゐます。
原が女学校を中退し映画界に入つたのは、どうやら経済的な理由らしい。義兄の熊谷久虎が日活で映画監督をしてゐた縁で、14歳で女優デビューするのでした。
当初は鳴かず飛ばずでしたが、たまたま日本に来てゐたドイツ人監督のアーノルド・ファンクの目に留まり、日独合作映画「新しき土」のヒロイン役として抜擢され、一躍注目を浴びるやうになります。

しかし原節子は当初、演技が拙いといふことで、何かと大根呼ばはりされるのです。まあ確かに巧くはなかつたかも知れませんが、さう取り立てて騒ぐほどの大根だつたか。彼女自身も、演技の未熟さを自覚しながら、反撥心もあつたやうです。
美男美女といふものは、やつかみも手伝つてか、何かと大根扱ひされるものです。長谷川一夫などは酷い言はれやうでした。
それが山中貞雄、成瀬巳喜男、黒澤明といつた名匠たちに揉まれてゆくうちに、さういふ誹謗は減少し、そして小津安二郎と組むに当つて大輪の花を咲かせた感じでせうか。

原節子本人は、「開かれた女性」だつたので、男性の添へ物的な役に飽き足らず、もつと女性が自らの意思で活動する役がしたかつたさうです。本書によれば、細川ガラシャを演じたかつたと語つたとか。
そして女優といふ職業を実に真面目に捉へてゐました。舞台挨拶を嫌ひ、水着撮影を拒否し、ラブシーンは撮らずと、彼女にとつて、映画女優には邪道と思ふ行為を避けてゐたのです。女優は映画における演技で勝負すべきで、素顔を見せたり私生活を曝したりするのはすべきではないと考へてゐました。
一見わがままのやうですが、むしろ現代の俳優さんたちに見習つていただきたいものです。人気商売ゆゑ、あまり頑ななのも問題ですが、CMのおちやらけた姿を見慣れた後で、映画やドラマのシリアスな演技を見せられても素直に鑑賞できないのであります。あ、わたくしの場合ですがね。異論もあるでせう。

そして42歳での引退。山口百恵さんのやうにことさらに引退を表明する訳でもなく、フェイドアウトするやうに消えたさうです。その後ほとんど公の場に姿を見せず、実に潔い身の引き方でした。
引退の理由については、健康説(目を悪くした)だとか小津監督の死去がきつかけだとか、色色言はれてゐますが、結局本人の真意は分かりません。本書では、実兄の会田吉男カメラマンの不慮の死も引金ではないかと推測してゐます。

本書の刊行時は当然、原節子さんは存命中でしたが、結局隠遁生活を全うしたまま、95歳の生涯を閉じたといふ訳です。見事な一生と申せませう。
すでに「伝説の女優」原節子に関する書籍は幾つも出てをりますが、この『原節子 あるがままに生きて』は、わたくしのやうな初心者にはまことに分かりやすく入門書として恰好の一冊と存じます。