源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
狐狗狸さんの秘密
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狐狗狸さんの秘密 君にも心霊能力を開発できる

中岡俊哉【著】
二見書房(サラブレッド・ブックス)刊
1984(昭和59)年8月発行

今月、中岡俊哉氏の生誕90年を迎へます。様々な超常現象を紹介してきた中岡氏ですが、本書『狐狗狸さんの秘密』は、いささか異色の一冊であります。
コックリさんですよ。狐狗狸は当て字ですな。しかしかういふ漢字を当てたせいで、動物霊(特にキツネ)が憑依するものと勘違ひする人が多い。

1970年代に、中高生を中心に大流行しました。専門的な知識もなく、遊び半分の軽い気持ちでやる子たちが多いので、各地でさまざまなトラブルが発生したのです。曰く、コックリさんが帰つてくれず取りつかれた。曰く、手が痺れて動かなくなつた。曰く、夜な夜な悪夢に苛まれる。曰く、幻聴幻覚に悩まされ日常生活が送れない。酷い場合は、精神科に強制的に入院させられ、霊障と信じて貰へずいつまで経つても退院できない人もゐたさうです。

漫画家つのだじろう氏は、危険だから絶対にやつてはいけないと作品上で厳しく警告しました。コックリさんといつても、それは自動書記による交霊術に他ならない。かかる簡単な装置で降りてくる霊などは、その辺をぶらついてゐるタチの悪い浮遊霊とか、よほど何かを訴へたい因縁霊か、曰くつきの霊魂であります。そんな霊が、一度呼び出された後、こちらの都合で「お帰りください」などと言はれても、簡単に「はいさうですか」と帰りません。一度呼んでしまへば、もう遅いのです。

ところが中岡氏の書きつぷりはどうでせうか。むしろ大いにやるべしとけしかけてゐるやうです。一応、巻末に「タブー集」など、注意する点を掲載してゐますが、実に簡単に済ませてゐます。やり方だけを知りたい子供なんかは、そんな箇所は読まないのではないでせうか。そしてこともあらうに、「狐狗狸さん占いは、神秘的ではあるが、あくまでも占いであり、ゲームであり、楽しく遊んでもらいたい」などと語るのです。ひよつとして、つのだ氏のいふコックリさんと、中岡氏のいふそれとは、違ふものかと思はせるほどです。そんな訳はないのですが。

コックリさんの各地のやり方の説明、海外のウィジャボードの解説、コックリさんの歴史などを手際よく記述し、そのメカニズムにも言及します。迷信なのか、心霊現象なのか?
そして心霊能力の開発方法まで開陳し、読者を煽つてをります。極めつけは、付録につけられたコックリの文字盤であります。あの、鳥居や五十音図が書かれてゐるアレです。さあこれを使つてみんなでやりませう......とでもいふのか。
正直怖いですな。この文字盤、何度燃やしてしまはうと思つたことか。しかしそれもまた怖い気がして、扱ひに困るのです。このまま古本屋に売るかな......

ここまで書いて、今の若人たちは「コックリさん」そのものを知らないのではないか、といふ疑念が湧いてきました。するとこの拙文は全く意味をなさないか。まあいいでせう。



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霊能力の秘法
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霊能力の秘法 チャクラをめざめさせ、異次元に入れ

本山博【著】
徳間書店(トクマブックス)刊
1982(昭和57)年6月発行

本山博氏が昨年9月に亡くなつてゐたことを知り、ここでその著書を取り上げんと欲するものです。享年89。それにしても迂闊なことでありました。ちやんと報道されたのかな。
本山博とは何者ですか? と問ふ人もゐるかも知れません。もつとも、『霊能力の秘法』なる表題を見れば大方の想像がつくでせうね。ユネスコも認めた超心理学者・霊能者であります。ここまで聞いて、いかにも興醒めだといふ顔付で「あ、さうなの」と呟き、口元に皮肉な微笑を浮かべる人がゐさうですね。まあ、それも仕方がない。

本書で著者が主張するのは、平たく言へば「霊能力は一部の特別な人にだけ与へられたものではない。それは潜在的に誰でも持つてゐるが、皆気付かぬだけである。トレーニング次第でその能力を開花する事ができるので、読者の皆さんも是非チャレンジして卓袱台」といふ事だと思ひます。
「ある人のことを思ひ浮かべたら、たちまちその人が現れた」
「初めて来た筈の場所だが、以前も来たことがあるやうな気がする」
「夢で見たことが、現実に起きた」
「朝から何となく嫌だなあと気分がすぐれぬ日、事故に遭つたり、身近な人に不幸があつた」
「人と話してゐる最中に、その人が考へてゐることが手に取るやうに分かつた」
なんてことは、偶然ではなく、極初歩的ながら、霊能力を発揮したと考へられるのださうです。

第一章で霊能力がどんなものか解説し、第二章ではなぜこんな現象が起こるのかを説明してゐます。頭が冴えた状態ではなく、半覚醒状態といふか、あまり何も考へずにボーとしてゐる時に起こりやすいとか。
第三章「霊能力はこうして開発する」では、トレーニング方法が説明されてゐますが、その内容はヨガに通づる「健康法」ですな。しかし<トレーニングのときの注意>が16項目も並んでゐて、五月蝿いことこの上無いのであります。
第四章は「霊能力を身につけるこの方法」。前章のトレーニングは、いはばウォーミングアップで、これだけでは開発出来ぬらしい。引張るねえ。エネルギーを如何に取り入れ、体内にめぐらせるか。どうやらポイントは呼吸法・座法のやうですな。
最後の第五章「霊能力はチャクラでめざめる」では体内にある七箇所(眉間・尾骶骨・下腹部・腹部・心臓・喉・頭頂部)のチャクラと、そのめざめさせ方を解説してゐます。結局、「修行」レヴェルのストイックさが求められるのですね。

悪用すれば自らに厄災が降りかかる、と霊能力を使用する際の注意を述べてゐますが、割とあつさりとした忠告です。余程の覚悟を持つた人以外には勧めない方が良いと思ふのです。霊能が有る人には、色色なものが寄つてきますからなあ。これらの対処法も同時にしつかりと身に付けたいものです。わたくしも昔、トレーニングの真似事を始めた事が有りますが、次第に変なものを感じるやうになり、怖くなつてやめてしまひました。興味本位で首を突込まぬ方がいいと申せませう。

デハ又会ふ日まで。御機嫌よう。



不動心
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不動心 精神的スタミナをつくる本
尾関宗園【著】
徳間書店(トクマブックス)刊
1972(昭和47)年11月発行

お寺の住職さんの話を聞くのが好きなのであります。住持になるためには、話術の訓練もするのだらうか、と思はせるほど話が上手いのですね。声も大きく張りが有つて、ユウモワ巧みに、卑近な例を挙げて親しみを示す。
尾関宗園師ももちろんその一人で、その昔はテレビにもしばしば出演してゐたほどであります。覚えて御出でですかな。京都・大徳寺大仙院の名物和尚として人気者でございます。
奈良出身で、高校時代に仏門に入り、33歳にして早くも大仙院の住職を任された人。著書も多く、この『不動心』はその一冊といふわけです。

そもそも不動心とは何か。いかなる困難な事態に遭遇しても動じない、強い心の事でせうか? 自らを常に制動でき、苦しまず、恐れず、悲しまず、怒らず、嘆かず冷静に判断ができる心ですかな。うむ、そんなところだらう。
ところが、宗園師に言はせると、さういふ要素は「不動心」ではないさうです。へえ、をかしいですな。

宗園師は語ります。

私の「不動心」とは、まず、自分の足もとをしっかり見すえることである。そこからなにかを発見することだ。とくべつの修行はいらない。ありもしないものを求めるのでもない。ありもしないもの=「幽霊」を追い払うための「生き方」を示したのが、この本である。(「まえがき」より)


かう言はれると、何やら末香臭い内容ぢやないのか、どうも苦手だなあと仰る向きもおありでせう。しかし心配ご無用。
まるで読者の眼前で実際に講話してゐるかのやうに、具体例を挙げながら方向を示す。しかし方法は示しません。
例へば「争いは避けない」。売られた喧嘩は買へといふのです。争ひを回避したところで、それは何の解決策にもならない。とことん争へと。

人と人が争うのは、いいとかわるいとかの問題ではない。現実にそういう争いがあるということを、真正面から直視することだ。自分がその渦の中にあって、そこからなにを感じとったか、どういう人間の姿を見たか。それがだいじなのだ。(62ページ)


「いま、この世でとことん生き抜く」これが不動心なのか。恥の上に立ち、苦に親しみ、愚に徹し、動に動じない。悩むのは中途半端に生きてゐるからだ。全力で、その場で生ききれば解決策は必ず有ると勇気づけてくれます。

それから、印象的だつたのが「脊梁骨」の話。脊梁骨とは、「背骨の末端、つまり尻の骨である。長さ五、六センチほどの、何の変哲もない骨だ(54ページ)」さうです。ところがこの骨がピンと立つてゐるかぎり、人間には生命力があふれてゐるのだとか。重量挙げの選手がバーベルを持ち挙げるのも、火事場の馬鹿力で夢中でタンスを背負ふのも、ご飯を食べるのも本を読むのもこの脊梁骨がデンと構へてゐてくれるから可能であると。
そもそも座禅を組むのは、この脊梁骨の存在を知らしめ、あらゆる仕事をさせやうといふことだと、宗園師は語ります。さう言はれると、常に背筋をシャキッとして生活せねば、と思ひますよね。大体世間の人は猫背が多いらしい。

結局、不動心は、直面する問題に真向から取り組み、真剣に最善の道を考へ実行することから生れるのでせう。その結果、世間の常識とずれてしまつても仕方がない。宗園師は、将棋の中原誠名人の例を挙げてゐますが、だいたい大きな仕事をやつてのける人は、それまでの常識とは相容れないことをしてゐます。意表を突く発想とはそんなものではないか。

不動心は、何ものにも心を動かさない、ということではない。うれしいときには天まで昇る気持ちになり、悲しいときには身をよじって悲しむ。そのときその場でいっぱい、いっぱいに生きる。そのことが不動心なのだ。(232ページ)


人によつては、「でやんでい、そんな曖昧な話で結論付けるのか、もつと具体的にどうすれば良いのか教へやがれ」と毒づくかも知れません。しかし本書はハウツウ本ではないので仕方ありませんな。「どうすれば良いのか」ではなく、「どう生きれば良いのか」のヒントの一端を示してゐるに過ぎません。あとは読者がどう反応するかにかかつてゐます。
凡人のわたくしとしては、まづは「脊梁骨」を意識して、五体満足を感謝しながら過ごしていかうかなと。

ぢやあ、また。



『金縛り』の謎を見た!
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「金縛り」の謎を見た! (サラ・ブックス―恐怖シリーズ (411))
『金縛り』の謎を見た!

中岡俊哉【著】
二見書房(サラ・ブックス)刊
1985(昭和60)年12月発行


高校時代の恩師で国語教師のM先生はよく、自分は金縛りになるのだと半ば自慢気に語つてゐたものです。

M先生「あー、寝てゐる時も起きてゐる時もお構ひなしになるんですねえ。こんな時、刃物を持つた悪人がやつてきたらイチコロなので、怖いですねえ。でも私は金縛りになつても直ぐに解く術を体得しましてねえ、それ以来金縛りは怖くなくなりましたねえ」
源氏川苦心「それは一体どんな方法ですか?」
M先生「それは、教へないですけどねえ」
源氏川苦心「無慈悲な。ぜひ教へてくださいよ」
M先生「それより苦心君、先日の試験、全く勉強してませんね? 君にしてはかなり悪い出来ですよ」
源氏川苦心「ははあ」

話はそれきりで終ひとなりました。今でも気になるのですが、案外出まかせで発言したのかも知れません。
中岡俊哉著『「金縛り」の謎を見た!』によると、金縛りは元々、誰かが別の誰かに対してかける「術」として捉へられてゐたさうです。即ち、加害者と被害者が明確に存在してゐたと。
そしてもつとも「金縛り」といふ言葉が使はれてゐたのは桃山時代で、当時は「不動金縛り」と呼ばれてゐたさうです。凄味が増すネイミングであります。不動尊が悪い奴を懲らしめるために、身動きできないやうにかけた術といふ説が有力だとか。

金縛りの原因と考へられてゐるのは、
 ①精神的疲労が原因のもの
 ②肉体的疲労が原因のもの
 ③霊的作用が原因のもの
の三種類なのださうです。そして対処法も原因別に述べてゐますが、現実に金縛りになつた時に、「えーと今の金縛りは肉体的疲労かな、最近休日を取れてない上に残業続きだし。否、やつぱり精神的疲労だらうか」などと冷静に分析できないのではありますまいか。

著者がかつて某高等学校にて調査した結果では、③の霊的作用が原因のものは少なく、たいがい①か②、あるいはケシカラヌことに、目の前の困難(テスト勉強とか)から逃避したくて金縛りになつたと嘘をついてゐたケースもあるさうです。インチキな自称霊能者が、高額な報酬に目がくらみ霊的作用のためと偽ることもあり、こんな輩がゐるから少数ながら存在する、真に③が原因の人が迷惑をするのであります。

多忙な芸能人などは、①②が原因のことが多いらしい。本書でも金縛り経験者として、松岡きっこ・芦川よしみ・ジュディ オング・おすぎ・大川橋蔵・夏目雅子・江利チエミ・石原裕次郎・勝新太郎・宮城千賀子・岡田奈々・森進一など(敬称略)の体験が紹介されてゐます。

で、肝心のメカニズムについては、結局よく分かつてゐないのが事実のやうで、そもそも医者や科学者は、気のせいとから迷信だとかで片づける人が多く研究も進んでゐないといふことです。
確かに改めて書名を見ると「『金縛り』の謎を見た!」であつて、謎を解明したとは書いてゐませんね。
まあ学術書ではないから、良しとしますか。

さて、今から寝るのですが、寝る前に読む本ではありませんね。何事も起こらぬことを願ふものであることだなあ。

厄年
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厄年―避けられない人生の危機をいかにして切り抜ける
中岡俊哉【著】
二見書房(サラブレッド・ブックス)刊
1986(昭和61)年2月発行


中岡俊哉さんが亡くなつてから、早くも12年が経過しました。
プロフィールによると中岡さんは、馬賊を夢見て満州に渡つたのださうです。当時は馬賊つて憧れの対象だつたのでせうか。どうでもいいことですが、ちよつと気になつたのでね。

中岡さんといへば、心霊写真をはじめとする超常現象の著作で有名な方ですが、本書は、ずばり「厄年」がテエマでございます。
そんなの迷信ぢやないの...とのつぶやきも聞えてまゐります。まあきつとさうなのでせう。
その辺は曖昧なままでも良いので、とりあへず彼の「厄年論」を読んでみました。

まあひとことでいへば、厄といふのは「陰(マイナス)と陽(プラス)のパワー・バランスの崩れ」なのださうです。つまり陰陽道が元になつてゐる。詳しく書くときりがないので止めときますが、一応は体系化された理論のやうです。しかし、さう言はれても「なるほど!」と納得する人は少ないかもね。

そして、厄年に災難に遭遇した人たちの実例がこれでもか、といふくらゐ紹介されてゐます。一瞬「やつぱり厄年はあるのかなあ、さういへば俺も厄の時に散々な目にあつてゐたつけ」と考へかけるのですが、男女とも厄年は3回あり、しかも前厄・後厄と前後賞みたいにあるので、厄年は9年に及ぶのです。
それなら、災難がたまたま「厄年」に当つたとも考へられぬこともない。結局、謎の域を出ないといふ腰砕けの話になるのであります。

さはさりながら、読み物としては面白い本です。海外にもある「厄年」事情も分かり、雑学のネタにもなるでせう。問題は、入手できるかどうか...

厄年―避けられない人生の危機をいかに切り抜けるか (サラ・ブックス (417))厄年―避けられない人生の危機をいかに切り抜けるか (サラ・ブックス (417))
(1985/12)
中岡 俊哉

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