源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
音楽入門
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音楽入門

伊福部昭【著】
KADOKAWA(角川ソフィア文庫)刊
2016(平成28)年6月発行

角川ソフィア文庫の新刊ですが、元元は1951(昭和26)年に出版された古い作品であります。帯に書いてある文字は、次の如し。「本能を震わすメロディの秘密。ゴジラ音楽の原点を明かす!」
ははあ、要するに「シン・ゴジラ」に便乗した商品ですな。しかし名著が安価な文庫版で手に入るのは恭賀すべきものがあります。と言つてもこの薄い本が821円とは、今さらながら文庫本も高くなつたと感じるのでした。

故・伊福部昭氏は21歳で「日本狂詩曲」にてチェレプニン賞を受賞して以来、独自の音楽世界で日本の音楽界を牽引し続けてきた人。教育者としても、黛敏郎氏や芥川也寸志氏らを輩出するなど、押しも押されもせぬ存在となりました。
映画音楽の世界に入つたのは、先に映画の仕事をしてゐた盟友・早坂文雄の勧めもありましたが、何よりも生活の為だつたさうです。最初の映画の仕事は、新人監督谷口千吉の「銀嶺の果て」。監督・音楽のみならず主演の三船敏郎さんもデビュー作と、実にフレッシュなメムバアによる山岳アクション映画となりました。

さて『音楽入門』ですが、かつては「音楽鑑賞の立場」なるサブタイトルが付されてゐました。今回の文庫版では、何故かサブタイトルは省略されてをります。どうでもいいけど。
執筆目的は、いはゆる芸術音楽(まあ、今でいふ「クラシック音楽」とほぼ同義でせうか)を鑑賞するにあたつて、ウブな初心者たちに「何も構へて聴くことはない、自分の直観に従つて愉しめば良いのです」と啓蒙せんが為ですかな。実に平易で優しい語り口なので、わたくしのやうな素人でも理解できます。

「はしがき」で、国立博物館を見学に来た中学生の話があります。先生に引率された彼らは、掲示された説明文や先生の解説を、新聞記者よろしく熱心にノートに取つてゐたさうです。しかし生徒たちは、肝心の陳列物を鑑賞することはつひに無かつたと。作品の背景や知識を仕入れることに精一杯で、これでは少年少女たちは、大人の芸術の鑑賞方法はかういふものであると学んでしまふでせう。

これと同様に、音楽も教科書的な知識や専門家の意見を鵜呑みにし、自分の耳で聴いた直観がそれと違ふ場合は「ああ、俺は音楽の素養が無いのだな」と思ひ込んでしまふ初心者が多いと指摘します。
伊福部氏はアンドレ・ジイドの「定評のあるもの、または、既に吟味され尽くしたものより外、美を認めようとしない人を、私は軽蔑する」といふ言葉を引き、かういふ陥穽から逃れるには、逆説のやうだが、同時代の教養と呼ばれるものを否定するくらゐの心構へが必要だと説きます。
むろん根拠のないいたづらな否定を推奨するわけではありません。その辺の事情は、本書を読むうちに追追分かつてくるのであります。

本書は1985年、2003年にそれぞれ改訂版、新装版が出てをりまして、その都度の跋文も収録されてゐます。内容の古さに忸怩たる思ひであると述べてゐますが、どうしてどうして、音楽といふジャンルのみならず、本書から啓発される部分は今でも多いのであります。
巻末には1975年に行はれたインタヴューも。いやあ、お徳用の一冊ですなあ。「シン・ゴジラ」に興味は無い人も勇気を貰へますよ。


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シャンソン・カンツォーネ・ラテン
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歌う歓び、生きるよろこび 
シャンソン・カンツォーネ・ラテン 永田文夫訳詩集


永田文夫【著】
アーバンプロ出版センター刊
2016(平成28)年5月発行(増補版)

先月亡くなつた永田文夫氏の訳詩集であります。訃報には大きなショックを受けたものです。
永田氏はシャンソンを中心とした、欧州や南米などの大衆音楽を日本に紹介し続けた人。この永田氏と、同じくシャンソンなどフランス文化を紹介してきた永瀧達治のふたりは、わたくしに大きな影響を与へました。彼らを知らなかつたら、仏文学を専攻しなかつたかも知れません。

特に永田文夫氏がDJを務めるレイッディオウー番組は、貪るやうに聴いたものであります。シャンソンではないけれど、フリオ・イグレシアスを日本で初めて紹介し、レコード会社に呼びかけてアルバムを発売してもらつたのも永田氏(本人談)。フリオが「ビギン・ザ・ビギン」で大ブレイクする数年前の事でした。
なほ、永田氏の文章を愛読するあまりわたくしも影響を受け、「~と申せましょう」とか、「(その成果は)如実に表れました」などのフレイズは現在も自分の文章の中に紛れ込んでゐます。

さて『シャンソン・カンツォーネ・ラテン』であります。永田文夫氏は訳詩も多く手掛けてをり、「愛の讃歌」は有名な岩谷時子訳と違ひ、原詩に忠実な背徳的な内容を含む歌詞となつてゐます。その他にも、競作となるほど有名なものから、未だに日本で紹介されないアーチストの作品など、幅広い選曲でございます。
訳詩は、CDの歌詞カードにおまけで付いてくる「対訳」とは違ひ、そのまま歌手が歌へる「歌詞」でなければなりません。即ち、作詞能力が求められます。日本のシャンソン歌手の多くが、「永田訳」を採用する事実を見ても、その作品の完成度は高いと申せませう。

ところで、本書の初版は2000(平成12)年。今回、このタイミングで増補版が出版されたのは、永田氏の追悼の意を込めての上梓であらうなどと考へてゐました(それにしては早すぎるとは思つたが)。
しかるに何ぞや、冒頭の永田氏本人による「はじめに」といふ文章の日付は、「2016年(平成28年)4月吉日」となつてゐるではありませんか。つまり予定通りの発行だつた訳ですね。
おそらく本書の刊行を見届けてからの逝去だつたのでせう。さう考へると、少し救はれた気がいたします......



伊福部昭 ゴジラの守護神・日本作曲界の巨匠
伊福部昭: ゴジラの守護神・日本作曲界の巨匠 (文藝別冊/KAWADE夢ムック)伊福部昭: ゴジラの守護神・日本作曲界の巨匠 (文藝別冊/KAWADE夢ムック)
(2014/05/31)
片山 杜秀

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伊福部昭 ゴジラの守護神・日本作曲界の巨匠
片山杜秀【責任編集】
河出書房新社(文藝別冊/KAWADE夢ムック)
2014(平成26)年5月発行

今年は伊福部昭氏の生誕100年といふことで、各メディアでも話題になつてゐます。先日も、我が家に毎日配達される新聞にもその記事が載つてゐました。「ほほう、きてるなあ」と思つたものです。
関連書籍も出るであらうと予測してゐましたが、果たせるかな幾つかの新刊が登場したやうです。
その中でも、もつとも一般的でビギナーにもお薦めなのが本書であります。ムック扱。(MOOK=MAGAZINE+BOOKの合成語。どうでもいい情報だが)

伊福部氏は現代日本音楽界の重鎮といふ存在であり、教育者としても芥川也寸志氏や黛敏郎氏など、多くの人材を輩出しました。わたくしもかつては『伊福部昭 音楽家の誕生』といふ書物を取り上げたことがあります。この本も良かつた。

しかし一般的には、伊福部氏は『ゴジラ』をはじめとする映画音楽の作家としての側面が語られることが多い、本書でも伊福部氏をリスペクトする人たちが寄稿したりインタビューに答へたりしてゐますが、その多くはやはり映画音楽からのアプローチだつたやうです。かくいふわたくしも同じですが。
本書の本人インタビューによると、かかる現象に伊福部氏本人は、当初はやはり本意ではなかつたやうです。映画の仕事は生活のために仕方なく始めたと。一歩先に映画の仕事をしてゐた盟友・早坂文雄の勧めもあり決心したさうです。

しぶしぶ始めた映画音楽でしたが、晩年には『ゴジラ』の伊福部と呼ばれることに抵抗は薄れてゐたやうです。インタビュー映像で「映画は300本以上やつてゐますので、映画音楽の作家と呼ばれてもしようがないと思つてゐます。シンフォニーは300も作つてゐませんから」と語つてゐましたのでね。

映画音楽で有名になりすぎたせいで、音楽家としての正当な評価が得られなかつた不幸な人なのか?
それとも『ゴジラ』を作曲したお陰で知名度が上がり、過去の純音楽も一般人に注目された幸運の持ち主なのか?
まあ、それは誰にも分かりますまい。

ただわたくしは東宝特撮映画の愛好家だつたお陰で伊福部氏を知り、キングレコードの伊福部氏の藝術シリーズCDを蒐集した一人に間違ひありません。
ストラヴィンスキー「春の祭典」を初めて聴いた時には衝撃を受けましたが、後に伊福部昭「日本組曲」「日本狂詩曲」でそれ以上の感銘を受けたのであります。
同様の体験を持つ人は多いのではないでせうかね。もし未体験の人がゐるなら、本書をガイドに、伊福部氏の純音楽にも触れて貰ひたいのであります。こんな大昔に、日本の青年がかくもカッコイイ音楽をモノしてゐたのかと。
で、気に入つたなら、わたくしと語り合ひませう。一升瓶提げて。

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チャイコフスキー・コンクール
チャイコフスキー・コンクール: ピアニストが聴く現代 (新潮文庫)チャイコフスキー・コンクール: ピアニストが聴く現代 (新潮文庫)
(2012/02/27)
中村 紘子

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チャイコフスキー・コンクール ピアニストが聴く現代
中村紘子【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2012(平成24)年2月発行


チャイコフスキー国際コンクールとは、四年毎にモスクワで開催される、まことに権威のある音楽コンクールであります。その権威の高さの割には歴史は案外新しく、第一回開催は1958(昭和33)年ださうです。開催国ソ連の威信をかけたコンクールで、その歴史はさまざまなエピソオドに事欠きません。

著者の中村紘子さんは、1982年の第七回コンクール以来、審査員として度々招かれてをります。本書は1986年、第八回コンクールの模様を、6月のモスクワに降り立つところから最終審査の結果が出るまで、著者の批評メモを織り交ぜながら、わたくしのやうな素人にも分かりやすく叙述されてゐるのであります。その内幕はまことに興味深い。

参加資格は案外ゆるく、年齢が17-32歳ならそれほど厳しい制約はないさうです。もつとも、それなりの自信と実績がないと、出ても恥をかくだけで、実際さういふ人も中にはゐるみたいです。出しちやふ師匠がいかんよね。
また、「ツーリスト」と呼ばれるパフォーマーもゐて、それは何かといふと、珍奇ないでたちで愛嬌をふりまき、肝心の演奏は噴飯物で、審査員たちも笑ひを噛殺すのに難儀する演奏者のことださうです。アメリカ人に多く、わが日本からもそれに次いで多いらしい。うーん。

また、現代のコンクール事情についての考察や、日本におけるクラシック音楽の問題点にも触れてゐます。
今時のコンクールの目的は、はふつてゐても勝手に出てくる神童や天才を期待するのではなく、「正常な才能のための定期的発掘装置とでもいうべきものなのだ」(本文より)
著者もいふ通り、何となく淋しい目的ではありますが、一般の音楽愛好家からすると、さういふ人材もやはり多く発掘してもらひたい喃。

日本はクラシック音楽の「鑑賞者」または「享受者」としては一流レヴェルに達しつつあるといっても、あくまでそれは消極的な意味であって、本来のよき「鑑賞者」としての積極性を残念ながらいまだ持つに至っていない、とでもいえよう。(本文より)

本書から30年近く経つのですが、日本はよき「鑑賞者」として変貌を遂げたのでせうか。
ま、わたくしなんぞは難しいことは考へずに、ただ聴くのみですがね...

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ボクの音楽武者修行
ボクの音楽武者修行 (新潮文庫)ボクの音楽武者修行 (新潮文庫)
(2002/11)
小澤 征爾

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ボクの音楽武者修行
小澤征爾【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1980(昭和55)年7月発行
2002(平成14)年11月改版


小澤征爾さんがまだ26歳の時に発表した手記であります。本書は各所で評判を取り、わたくしも読んでみたいと思ひつつ30年以上が経過してゐました。愚図愚図するにも程があらうといふものです。
読み始めると、たちまち夢中になり、あつといふ間に読み終へたのであります。口絵写真の若いことと言つたらないね。

小澤さんは24歳の時に、ヨーロッパへ「音楽武者修行」に出かけます。スクーターを入手したり、貨物船の乗船許可を得たりでは周囲の好意に甘える形になりますが、まあ偉人の快挙の影には大体かういふ援助があるものでせう。そのチャンスを見事に生かすところが凡人との相違と申せませう。

音楽家は概して文章が上手いですね。本書も例外ではなく、短めの文章がテムポ良く連発して、読者に心地良さをもたらすことであらう。



本日の夕方、名鉄豊田市駅の至近距離にある飲食店から出火し、周辺は大混乱でした。
丁度現場に居合はせたのですが、これほど間近で火事を見たのは初めてであります。土曜日の夕方といふこともあり、ただでさへ車の通行量が多いところへ、野次馬たちが蝟集し(スマホなぞで写真や動画を撮つてゐる)、ごつたがへしてゐました。
黒煙が空高く昇り、煙いのであります。消火活動は苦戦してゐるみたいで、中中煙は消えません。現場の北側に位置する年配女性向けの衣料店は、類焼を恐れシャッターを下ろし、営業を中止したやうです。
原因はまだ分からないけれど、最近豊田市内でも火事が多い。おそがいのであります...

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