源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
牛をつないだ椿の木
牛をつないだ椿の木―童話集 (角川文庫)牛をつないだ椿の木―童話集 (角川文庫)
(1968/02)
新美 南吉

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牛をつないだ椿の木―童話集
新美南吉【著】
角川書店(角川文庫)刊
1968(昭和43)年2月発行
1991(平成3)年10月改版


愛知県半田市が誇るもの、それは「ミツカン」と新美南吉。などといふと、半田市民から「半田にはそれだけぢやない、もつと多くの魅力があるぞ」と叱られさうですが、まあ許してください。

おそらく誰もが幼少時に読んだ(読まされた)と思はれる「ごんきつね」「てぶくろを買いに」などで知られる新美南吉は今年で生誕101年。中途半端なタイミングですが、偶然読む機会がありましたのでちやつかりここで報告するものであります。

以下、いくつかの作品の感想。
「張紅倫」...戦前の時代に、敵国人を礼賛するとも受け止められかねない内容の作品を書いたこと自体、驚tきを隠せません。
「正坊とクロ」...人間と動物は結局分かり合へない結末の作品が多い中で、これはしつかりと交流が描かれてゐます。正坊とクロ、今後の新たな関係が示唆されて終ります。
「ごんぎつね」...子供の頃読んで泣きました。悪意を持つ人物・動物は結局ゐなかつたのだが、訪れる悲劇。
「手ぶくろを買いに」...かあさんぎつねの「ほんとうににんげんは、いいものかしら」といふつぶやきが本作を象徴してゐますね。子供の頃は単純に人間賛歌だと思つてゐましたが、実際はもつと複雑なやうです。
「病む子の祭」...切なくも美しい児童劇。わたくしはかういふのに弱いのです。
「久助君の話」...半田の岩滑(やなべ)といふ土地を舞台にした「久助君」シリーズ(?)は、幼い日に誰でもが味はつたであらう漠然とした不安や期待、子供ならではの人間関係が詰つてゐます。久助君はわたくしだと思ひました。

他にも、表題作「牛をつないだ椿の木」や代表作のひとつ「おじいさんのランプ」、人の善意にあふれた「花のき村と盗人たち」など、ツブ揃ひであります。
幸薄い人生を過ごした新美南吉ですが、その作品は今後も読まれ続けるのではないでせうか。
ここではたまたま角川文庫版ですが、他にも岩波文庫などから作品集が出てゐます。どれでも良いので、手に取つてみてはどうですかな。

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銀河鉄道の夜
新編 銀河鉄道の夜 (新潮文庫)/宮沢 賢治

¥452
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銀河鉄道の夜
宮沢賢治【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1961(昭和36)年7月発行
1981(昭和56)年10月改版
1989(平成元)年4月改版
2012(平成24)年12月改版


銀河鉄道といへばカムパネルラ。カンパネルラ田野畑駅。
以下は個人的な回想。
田野畑駅には、残念ながら国鉄時代には訪問できず、三陸鉄道発足後の1988年に訪れてゐます。
2000年9月には再び北リアス線を訪問、十分に堪能したその夜、盛岡市内のホテルで名古屋の豪雨を知つたのであります。
風呂から出て寂しくなりはぢめた頭髪を乾燥させながら、部屋のテレビジョンを何気なく点けますと、名古屋を中心に記録的な豪雨になつてゐるとの報道であります。驚愕。

自分が気楽に旅に出てゐる間、地元ではとんでもないことになつてゐたのでした。のちに「東海豪雨」と呼ばれた災害であります。
家人も知人たちも、あの雨には恐怖を覚えたと述べてゐました。
鉄道も運休してゐるといふことで、予定通り帰れるのか不安でしたが、自分が帰る頃には何とか復旧してゐました。ダイヤはズタズタでしたが。
また、東海道線は運行再開してゐたものの、冠水した枇杷島駅とか清洲駅などは普通列車も通過で、その駅の利用者が豊橋駅ホームで駅員に喰つてかかつてゐました。駅員も「うるせいなあ、こいつ」てな感じで、まともに相手をしてゐませんでしたが。

宮沢賢治の人と作品が、あまりに理想化されてゐるので、あへてちよつと無関係な話をしてみました。現代日本語が未完成で未成熟な時代だからこそ滋味を感じさせる賢治の文章であります。だから学校の教科書に載せるのはやめてもらひたいと勘考する次第でございます。
いや、余計なことを申しました。もう休むことにします。晩安。



チョコレート戦争
チョコレート戦争 (講談社文庫 お 16-1)チョコレート戦争 (講談社文庫 お 16-1)
(1977/06)
大石 真

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チョコレート戦争
大石真【著】
講談社(講談社文庫)刊
1977(昭和52)年6月発行


小学生4年生のころ、担任の先生が「大石真は先生の友達なのだ、えへん」と自慢してゐました。真偽のほどは分かりませんが、クラスの友人の間では「絶対ウソだよな」といふのが定説となつてゐました。かはいさうな先生。

その大石真さんが亡くなつてからもう20年にならうとしてゐます(1990年9月4日没)が、その創作童話のかずかずは今でも現役で読まれてゐます。『チョコレート戦争』は代表作と申せませう。

すずらん通りにある洋菓子屋「金泉堂」は町で大人気の美味しい店。子供たちのあこがれであります。店頭のショーウィンドウには、1メートル近くのチョコレートでできた城があつて、それは金泉堂の名物であります。
光一くんと明くんがそのチョコレートの城をうつとりとながめてゐたら、なぜか突然ショーウィンドウが割れたのです。金泉堂の主人はふたりの仕業であると決め付けます。
しかし光一くんは、濡れ衣を着せられたままでは収まりません。
戦うんだよ。あの、金泉堂のわからずや連中と、さいごまで、戦いぬくんだ
彼の宣戦布告とは、一体、どんなものでせうか...?

結末は全く意外な展開を見せます。読んでゐて幸せな気分になれる物語でした。義治あにいは影の主役とも言へませう。そして金泉堂のその後の対応は、真の勝者の条件といふものを教へてくれるのでした。45年前の作品ですが、現在の鑑賞にも十分堪へるものです。

講談社文庫版にはほかに「見えなくなったクロ」「星へのやくそく」「パパという虫」が収められてゐます。いづれも涙が出るくらゐいい話ですよ...といひながら、例によつて絶版のやうです。
しかし児童書出版の理論社からはフォア文庫版・フォア文庫愛蔵版・名作の愛蔵版と3種類出てゐますので、用途と予算によつて選ぶことが出来ます。贈り物にも可でございます。
お金をかけたくない人は、立ち読みでもすぐ読めちやふし、図書館で落ち着いても読むことも出来るのでした。

では今日はこんなところで。

小川未明童話集
小川未明童話集 (新潮文庫)小川未明童話集 (新潮文庫)
(1961/11/13)
小川 未明

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小川未明童話集 赤いろうそくと人魚
小川未明【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1951(昭和26)年11月発行
2003(平成15)年 5月改版


小川未明であります。我我が思ひ浮かべる童話とはいささか趣きが違ふのであります。
勧善懲悪とは無縁であり、従つて教訓的ではなく、寓意もあまり感じられません。
個人的に感じるのは、人間は何と手前勝手で他愛無い存在でありませうかといふことです。未明童話では人間は何だかどうしやうもない役回りが多く、動物や植物、時には無機質の物体が感情豊かに自己主張するのでした。

「飴チョコの天使」といふ作品があります。飴チョコの箱に描かれた天使の絵の話です。これらの天使はそれぞれの運命に従ひ、破つて捨てられたり、燃やされたり、泥濘の道に捨てられ荷車の轍に轢かれたりするのです。東京から田舎の店先で1年間売れなかつた3個の飴チョコは、東京の孫に送るからとお婆さんに買はれ、東京に戻ることになりました。さて、それから...
商品の箱や袋に描かれてゐる人物などが気になることはありませんか? 唐突ですが、私は「たわしの革命児キクロンの袋に描かれてゐる女の人がとても気になります。彼女はキクロンを手にしてゐますが、そのキクロンにも同じ女性がやはりキクロンを手に持つて...といふエンドレスになつてゐます。そんな私にとつて「飴チョコの天使」は、まことに心にフィットする物語でした。
それから「負傷した線路と月」。おほげさに言へば、この小編はこの世そのものを活写してゐます。まことにドラマチックで、愛情に飢ゑた人が読むとすすり泣くのではないか。「二度と通らない旅人」も私好みであります。

表題作「赤いろうそくと人魚」や「野ばら」、「金の輪」などは割と有名で語られる事も多いのですが、それ以外の作品も佳品揃ひと申せませう。ぜひ読んでくださいな。
では、おやすみなさい。

ぼくがぼくであること
ぼくがぼくであること (角川文庫 緑 417-1)ぼくがぼくであること (角川文庫 緑 417-1)
(1976/02)
山中 恒

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ぼくがぼくであること
山中恒【著】
角川書店(角川文庫)刊
1976(昭和51)年2月発行


児童文学の名作といはれてゐます。
学生時代に友人から薦められて購買だけはしたのですが、私は本については頑なに自分で選ぶのが好きで、人から推薦されるのはあまり読まない。それでそのまま放つてゐました。
で、最近本棚があまりに汚いので少し整理してゐたら、本書を再発見、何気なく読み始め、そのまま最後まで読了してしまつた。

主人公の平田秀一くんは小学6年生、5人兄弟の下から2番目であります。優秀な(と母親が思う)他の姉や兄、妹に比べて、秀一は1人出来が悪いといふことでお母さんに怒られてばかり。
話の弾みで家出をする羽目になりますが、それをきつかけに、とんでもない事に巻き込まれていくのでした...
少年向けなので、登場人物の性格付けも極端にはつきりと描いてゐます。特に母親は戯画化が激しい。かと言つて有り得ない設定かといふと、発表当時の世相を考へますと、この母親はいかにも実在しさうな感じを与へます。兄弟姉妹の中でも、出来の良い子供とさうでない子供に対する対応が明らかに違ふ親は珍しくなかつた。
もちろん親のいふ「出来の良い子」は、学校の勉強が良く出来て親や先生の言うことを良く聞く子供で、その逆は悪い子なのでありました。

家族の問題を通じて、自分とは何かを探す少年を描いてゐるのですが、まあそんなことはどうでもよろしい。もしこの本を大人が子供に与へるならば、余計なことを何も言はずに渡して欲しいですね。
何しろ読み物として、まことに面白く出来てゐます。一気に物語の世界に引きずり込む力を持つてゐます。さうして『ぼくがぼくであること』を読んだ少年は、必ず自力で次の本を選ぶことでせう。