源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
古代史紀行
21YKDYY035L__BO1,204,203,200_

古代史紀行

宮脇俊三【著】
講談社(講談社文庫)刊
1994(平成6)年9月発行

宮脇俊三氏の最晩年のライフワーク、「日本通史の旅」であります。
もう鉄道紀行は日本全国色々な切り口から書き尽くし、海外もアジア・北南米・欧州と目ぼしいところは乗りまくつた。次いで「廃線紀行」を一つの主要ジャンルとして確立し、さらに宮脇氏の得意分野「歴史」をからめた紀行文が誕生した訳です。
宮脇氏はかつて『徳川家康歴史紀行5000キロ』なる著作を世に問ふた事があり、その際に「歴史紀行」の面白さに目覚めたのではないかと愚考してゐます。

従来の鉄道紀行とは違ひ、あくまでも歴史の流れに沿ふので、同じ土地を時代別に何度も訪れたり、かつては乗り鉄一辺倒だつたのが、名所旧跡を中心に回る旅になるのでした。歴史遺構が鉄道沿線にあるとは限らず、否むしろ駅から遠く離れた場所に点在することが珍しくないのです。
従つて移動手段には鉄道に拘らず、バスやタクシー、徒歩など様様であります。特にタクシー利用率は高く、長距離でも躊躇ふことなく乗りまくつてゐます。当つた運転手はさぞほくほくでせう。

文献に現れる最初の地として、まづ対馬から旅は始まります。むろん出雲や北九州など古代史ゆかりの場所も訪れますが、何と言つても畿内が中心となります。さらに百済国を訪ねて韓国へ、遣唐使を偲んで上海へ、海外へも出かけます。
著者も述べるやうに、古代史は史実と伝説がない交ぜになり、想像力を掻き立てられる余地が多く、素人でも議論に加はりやすい。事実が分かつてゐないのだから、言葉は悪いですが好き勝手な想像もできるのです。

本来ならサクッと終る筈だつた「日本通史の旅」ですが、予定外に長期連載となり、とりあへず奈良時代の終焉までを『古代史紀行』として刊行したのであります。読者としても、長く宮脇氏の文章を読めるのは望むところ。個人的には、せめて明治維新あたりまで続けて欲しかつたのですが......



スポンサーサイト
豪華列車はケープタウン行
518MJZDKVZL__SX325_BO1,204,203,200_

豪華列車はケープタウン行

宮脇俊三【著】
文藝春秋(文春文庫)刊
2001(平成13)年6月発行

おそらく宮脇氏最後の海外鉄道紀行と思はれます。国内を含めても、この後は廃線跡紀行とか、歴史紀行を残すのみなので、純粋な鉄道紀行としては最晩年の作品でせう。さう思ふと、じつくりと惜しむやうに読みたいものです。

収められたのは「台湾一周、全線開通」「ヴェトナム縦断列車、二泊三日」「豪華列車はケープタウン行」「ブラジル・ツアー日誌」「マレー半島のE&O急行」の五編。このうち「ブラジル」のみは宮脇氏自弁で参加のツアーであります。世界各地を訪れたが、ブラジルのみ未訪であるのが気にかかり、丁度いいツアー企画があつたので、夫妻で参加したといふことです。ゆゑに、この一編のみは観光ツアーで、鉄道紀行ではありません。

あとがきにもありますが、これら訪問国は途上国が中心で治安が悪い国が多い。宮脇氏も年齢を重ね、健康上の理由もあつて一人旅の自信がなかつたさうです。それで文藝春秋の編集者に同行してもらひ、夜は安全な宿に泊まる。危険が少ない分、旅に起伏が乏しくなる。そこを筆力で面白い読み物にするのが我らが宮脇氏であります。

以前わたくしは、宮脇氏の著作は古いものほど面白いと述べたことがありますが、晩年のそれがツマラヌといふ訳ではありません。
確かに諧謔調は薄くなり、重複表現が目立つなどはあります。宮脇氏が最重要視してゐた「推敲」に手が回らなかつたのか。しかしそれは最初期の奇跡的な傑作群と比較すれば、の話で、並の紀行作家の作品以上の水準であると申せませう。

ブラジルツアーで悪性の菌が入り、帰国後入院を余儀なくされた宮脇氏。これが原因で一気に体力を落とし、その後の執筆活動に大きな影響を与へました。それを考へると、本書を読みながら悲しくもあります。
デハ今日はこんなところで。



ヨーロッパ鉄道紀行
51X8H8D8ANL__SX330_BO1,204,203,200_

ヨーロッパ鉄道紀行

宮脇俊三【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2000(平成12)年2月発行

宮脇氏は若い頃からヨーロッパの鉄道にも頻繁に乗つてゐたさうです。しかしながら、本書を上梓するまで、一冊の欧州鉄道紀行を書いてゐません。
本人の弁によれば、アジアやアフリカ、中南米などと比較して、やはり先進国が集まるヨーロッパでは、元元鉄道が発達・進化してゐるため、実に快適で苦労がなく、トラブル遅延犯罪等に巻き込まれるやうな事も少ない為、執筆意欲が湧かないといふ事らしい。本来なら実に結構な事でありますが、さういふ障害の全くない旅行記などは、読者も読んで面白くないでせう。
そんなこんなで、今まで手を付けずにゐたヨーロッパですが、雑誌「旅」の編集部から勧められたこともあり、本書の誕生となりました。

三部構成で、まづは「1 高速新線の列車」。これに先立つて「宮脇俊三氏と行くスイス登山鉄道の旅」といふツアーが敢行されたさうですが、応募が殺到したため抽選に漏れた人が多く、さういふ人たちを救済するために、再度「ヨーロッパ鉄道旅行」のツアーが企画されました。その紙上再現がこの章に当ります。
さすがに安全安心のパックツアーですので、乗る列車も「ユーロスター」「ICE」「ベンドリーノ」「AVE」と一流、ホテルも一流、トラブルとは無縁の快適旅行であります。即ち紀行文としては、いささか緊張感に欠けるところです。まあ、しやうがないね。ユーロスターでドーヴァー海峡を潜るトンネルに入るまでは皆ワクワクしてゐたのに、いざトンネルに入ると、車窓は当然真ッ暗なので、忽ち退屈するのが面白いですね。

続く「2 地中海岸と南アルプスの列車」は、前章のツアーが解散した後、引き続き宮脇夫妻だけで続行した汽車旅です。もはやツアーではないので、ガイドも添乗員もゐません。乗車したのは、お馴染みの「タルゴ」や、「カラタン・タルゴ」など。スペインの「軌道可変列車」ですが、日本では中中実用化しません。ただし同じフリーゲージトレインでも、日本の新在直通列車で採用されるのとはかなり違ふ方式のやうです。

最後の「3 東欧と南イタリアの列車」では、元出版社勤務で現在文筆家の丹野顯氏との男二人旅。丹野氏は宮脇氏の恩人に当る人ださうで、恩返しのつもりで誘つたとか。丹野氏は海外旅行の経験は余りなく、海外も旅慣れてゐる宮脇氏が引率する筈が......
パリで若い女性数人によるひつたくり襲撃に遭ひ(被害はなし)、それ以降丹野氏は警戒を怠らず、宮脇氏が助けられる場面もあつて立場が逆転したところもあります。
やはり無責任な読者としては、旅人が難儀な目に遭つた方が面白い。芸人が想定外のハプニングをオイシイと感じるのに通づるものがありますね。
デハデハ。今日はこの辺でご無礼します。



韓国・サハリン鉄道紀行
無題

韓国・サハリン鉄道紀行

宮脇俊三【著】
文藝春秋(文春文庫)刊
1994(平成6)年8月発行

韓国とサハリンを並べられると、その気になればいつでも行ける韓国に対して、中中自由には渡航できぬサハリンの方により興味が湧くのは致し方のないことろであります。
鉄道事情に関しても、韓国はプロアマ問はず様々な人が紀行文を公にしてゐます。乗る列車も、たいがい「セマウル号」と相場が決つてをりますので、宮脇氏の「韓国鉄道紀行」もまあ似たやうなものかな、と若干高をくくつてゐたのであります。無礼な奴。

ところが、韓国行のきつかけはそもそも鉄道ではなく、「日本通史の旅」の取材のためでした。韓国を訪れるのは実は初めてだつたさうです。だいたいこの人、海外は三十数か国も訪問してゐるのに、近隣の国ほど後回しにする傾向がありますな。
で、実際に訪韓しますと、史跡の他にも、韓国人やポン引きや、もちろん鉄道のことなどを書いてみたくなり、「鉄道紀行」が誕生したのださうです。
この時期の宮脇海外本の傾向として、編集者や現地ガイド、時にはカメラマンまで同行する、宮脇氏の表現を借りれば「大名旅行」が一般的になつてゐましたが、この韓国紀行はどうやら基本に立ち帰つて一人旅のやうです。少なくとも、一人旅の如く描写してゐます。同行者を肴にするのも良いですが、やはり一人旅が引き締まる。わたくしは勝手にさう思つてをります。

行程は本人が決めただけあつて、無駄がなく、かつ必要な要素は全て入つてゐます。ソウル-大田-公州-扶余-論山-全州-麗水-釜山-慶州-安東-ソウルといふルウトを一週間で廻る。韓国ひとめぐりの観光も兼ね、メインの史跡巡りは公州、扶余、慶州でたつぷり時間を取る。鉄道に関しては、四種の種別に全て乗るバランスのよさであります。
四種とは、①セマウル号(特急)、②ムグンファ号(急行)、③トンイル号(準急)、④ビドゥルギ号(各駅停車)。宮脇氏は海外ではいつも、特に庶民の臭いがする各駅停車に乗りたがるのでした。

一人旅とはいへ、道中様々な人たちに助けられます。特に慶州の仏国寺で声をかけられた初老の男性・尚さんは不思議なほど親切にしてくれます。日本で親切にされたから、恩返しと述べますが、それにしては過剰なもてなしぶりで、尚さんの家族は内心迷惑だつたのではと気遣ふほどでした。
また、ホテルのボーイ青年も親切でしたが、女の子を紹介するのに熱心すぎて、こちらはどうも好感が持てませんなあ。
再訪したいとの思ひを持ちつつ、「アンニョンヒケプシオ韓国」と締めるのでした。

サハリン鉄道紀行」は一転してツアーであります。冷戦時代などは、鉄道による観光ツアーなんて夢のまた夢でしたが、ゴルビーのペレストロイカ政策で、外貨獲得の目的もあり、門戸が開かれたといふことです。
しかし行程的には大いに不満で、全体の一部しか乗れないことになつてゐます。ユジノサハリンスク(豊原)を中心に行つたり来たりの、同じ路線を何度も走る無駄なルートであります。外国人観光客を迎へるには、かういふルートにならざるを得ないさうです。そとづらの良い面しか見せたくないのでせう。
しかもツアー料金が莫迦に高い。五泊六日で28万5000円。しかも東京発ではなく、稚内集合・解散であります。外貨欲しさが高じてソ連(当時)が日本人の足許を見たのでせうか。

と、何かと不満の多いツアーですが、とにかくこれに参加しないことにはサハリンの鉄道に乗れないのです。それにツアーならではのメリットもあります。
それは、同行者がテツばかりですので、気を遣ふこともなく、様々な情報交換の場にもなつてゐます。その面面は、竹島紀元氏、斎藤雅男氏、小池滋氏、徳田耕一氏と錚々たるメムバア。特に斎藤氏のコメントは目の付け所が違ひ、ユウモワもあります。そして我が宮脇氏は、お馴染み文藝春秋の加藤保栄氏(後の作家・中村彰彦氏)を同行。こんな人たちと旅をすれば、どこであらうと刺激的ですな。

戦前に日本が敷設した鉄道に、思ひを馳せる参加者。しかし最近のニュウスで、ロシアはサハリンに残る日本規格の鉄道を、ロシア規格に改修すると聞きました。むしろ、よくぞ今まで日本の狭軌規格で生き残つてゐたなあと。それだけサハリンは近代化から取り残されてきたのでせうか。
宮脇氏の感想で印象的だつたのが、夜の暗さ。ユジノサハリンスクのやうな大きな都市でも、夜の灯りが乏しく、実に暗いと。しかしこれが本来の夜で、日本の夜はケバケバしく明るすぎると指摘します。

ただ、ツアーが終り稚内へ着くや「やはり日本の方がいい」と、ネオン街へ繰り出し、冷えたビールを飲んだといふことです。こちらも本音でせう。



インド鉄道紀行
無題

インド鉄道紀行

宮脇俊三【著】
角川書店(角川文庫)刊
1993(平成5)年3月発行

インドもまた、鉄道王国であります。アジアで一番最初に開通し、それは日本より19年も早いのであります。宮脇氏の取材時(1988年)には、総延長は約62000キロに及んでゐました。ざつと日本の三倍くらゐでせうか。まあ国土の広さが全く違ふので、一概に比較はできませんが。
そんな「鉄道の国」インドですが、宮脇氏が訪れるのはかなり遅くなつてからです。既に35か国に渡航しながら、インドはまだ手付かずだつたのです。本人の弁では、「大切に温存してきた、「とっておき」の国」だとか。
しかし齢を重ね、元気なうちに行かねば永遠に機会を失ふ恐れもあり、意を決して行くことしたさうです。

紀行作家・宮脇俊三が行くからには、当然その旅行記を残すことが大前提であります。インド旅行記は角川書店の「野生時代」に連載することになり、宮脇氏はシベリアや中国でお馴染みになつた「ヒルさん」こと中西千明氏の同行を希望したのですが、中西氏はすでにエライ人に出世してしまひ、多忙にてお伴は出来ないとのこと。読者も残念であります。
代つて宮脇先生のお伴をするのは、若い編集部員の高柳良一氏。この名前にピンと来た人は、映画通かも知れません。かつて「時をかける少女」「天国にいちばん近い島」などの映画で、主演の原田知世さんの相手役として抜擢された元俳優でした。
しかしこの高柳氏、実に物静かで寡黙な人のやうで、宮脇氏が話しかけても「......」と反応が無かつたりします。これでは宮脇氏も肴にできませんなあ。その代りといふか、現地ガイドのポール氏が良い味出してゐます。実に親切で、有能なガイドさんであります。

訪れた主要な土地は、ニューデリー、デリー、カルカッタ、アグラ、ボンベイ、デカン高原など。何処へ行つてもインドらしさが満載であります。喧噪、混沌、貧困(スラム街が多く、しつこい物乞ひの少年少女がどこにでもゐる)。治安も良くないやうです。宮脇氏は一流ホテルだけではなく、庶民の泊まる大衆宿にも投宿したい旨を旅行会社に伝へてゐましたが、無謀とのことで却下されてゐます。
乗つた列車は、「ラジダーニ特急」「エアコン急行」「世紀急行」「ウディヤン急行」など。と言はれてもイメエヂが湧きませんね。「エアコン急行」とは妙な名前ですが、文字通りエアコンが完備されてゐる急行列車ださうです。インドは暑い国なのに、鉄道の冷房化率は低く、冷房付きの列車はかなりグレードが高い扱ひなのですね。当然料金にも差があります。

宮脇氏が残念に思つたことが二点ほど。一つは今回の旅は旅行会社主導でスケジュールが決つた為、暑い時期に訪れたかつたインドなのに健康を気遣はれて11月末の出発になつたこと。
もう一つ。インドの鉄道は線路の軌間の種類がいくつかありまして、特にナローと呼ばれる762mmとか610mmの狭い区間が結構多くて宮脇氏はこれらの列車にも乗りたかつたのですが、実際には1676mmの幹線区間にしか乗れなかつたこと。

この二点が心残りで、宮脇氏は結局翌年6月にインドを再訪します。ポール氏との再会も果たし、念願のナロー区間のひとつである「シムラ軽便鉄道」に乗車するのでした。もう思ひ残す事はないでせう。
経済成長著しい2016年現在のインドは、宮脇氏が訪れた時とは大きく異なるのでせう。しかし(それだからこそ、かな)本書の価値が減じることはありますまい。