源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
検事失格
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検事失格

市川寛【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2015(平成27)年2月発行


佐賀市農協背任事件(2001年)にて、著者市川寛氏は当時、当該事件の主任検事を担当してゐました。取り調べ中に暴言(「ぶつ殺すぞ!」など)を吐いたなどとして、後に証言台に立たされる事になります。
検察の不当捜査からなる冤罪事件として、当時は結構な話題になりました。しかし、なぜかういふ事件は起きるのでせうか。
市川氏も検事を志した時には、まさか冤罪事件に手を染めるとは思つてゐなかつたでせう。「ダイバージョン」といふ制度に魅せられ、それを実践できるのは検事だけとしてこの道を選んだと語ります。

ところが、実務修習の時点ですでに理想と現実のギャップに悩まされます。取り調べの要領は、「被疑者が有罪だと確信して取り調べるやうに」すべしだといふのです。他にも「やくざと外国人には人権は無い」とか「新任には否認事件を担当させない(無罪判決が出ると検事にとつて傷になるらしい)」とか。
昔は千枚通しなどを駆使して拷問が普通に行はれてゐたさうです。古い体質の検事なら、今でもそれに近い事はやつてゐさうです。取り調べの完全可視化を拒否する理由も想像がつきますね。

どんな手段を駆使してでも、調書を取るのが「優秀」らしい。やつてもゐない事を縷々作文し、被疑者にサインを強要する。拒否する被疑者に対する「テクニック」も上司は自慢気に教へてくれます。世間の常識とは程遠い世界ですね。
とにかく「割れ(自白させろ)!」「立てろ(起訴しろ)!」と指導されるのが検察庁。冤罪が無くならないのは当然と申せませう。

著者はさういふ「上からの指示」に、内心抵抗を感じながらも、異議を挟むことが出来ずに、心身ともに壊れてしまひます。本人も自らを、をかしいことはをかしいと言へない弱虫検事だと評し、本来検事になるべき人物ではなかつたと自責します。それを無理して続けた結果、佐賀地検でのあの事件に遭遇するのでした。著者の話を信用するならば、当時の検事正と次席はとんでもない奴であります。歴とした犯罪者でせう。彼ら側からの言ひ分も聞きたいところです。

確かに本書には言ひ訳が多いとも言へます。実際批判も多い。本書によつて彼の罪が免罪される訳でもありますまい。
しかしそれでも、相も変らぬ検察庁の暗部を世間に知らしめるといふ面では、意味のある一冊でせう。
さういへば冒頭にも前田恒彦元検事(厚生労働省局長の冤罪事件)の話が出てきます。この人の場合も、構図は同じではないでせうか。「起訴」以外の選択肢の無い状態で取り調べ、調書の作成を強要されたのでは。

なほ、冤罪被害者の「組合長さん」の息子さんが、被害者側からの視点で『いつか春が―父が逮捕された「佐賀市農協背任事件」』といふ本を出してゐます。こちらも読んでみたいと存じます。



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にほんのうた
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にほんのうた 戦後歌謡曲史

北中正和【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1995(平成7)年8月発行


わたくしは日本の「歌謡曲」といふものが好きでしてね。今ではJ-POPとか称して何でも一緒くたにされてゐるやうですが、CD屋(めつきり営業店が少なくなりました)なんかの分類では「歌謡曲」は「演歌」の仲間に入れられてゐるケイスが多いやうです。
わたくしが子供の頃はバリバリのアイドルだつた人も、今では演歌扱ひです。つまりこれはジャンル分けといふよりも「年配の人たちが好んで聴くコアナアだよ」と宣言してゐるのでは。即ち、若者たちに「あ、ここは君たちの聴くやうな音楽はないからね、スルーしていいよ」とでも言つてゐるやうで、何となく不愉快であります。

一方で昭和30~40年代には「流行歌」なるものがありました。まだ発売したばかりの新譜も「流行歌」と称され、それは変ぢやないかと思はれるでせうが、これは「流行歌」なる名称の一ジャンルだつたのであります。
で、結局「歌謡曲」の定義とは何かを考へても、良く分からないのでした。

北中正和著『にほんのうた』は、かつて音楽雑誌を手掛け、現在は音楽評論家として日本の大衆音楽を俯瞰してきた著者による、戦後日本歌謡曲史であります。
本書を読めば、歌謡曲の定義なぞはどうでもいいではないかと思はれてきます。何しろ、歌謡曲史第一章は「ジャズ」から始まるのですから。
その後も、洋楽の影響を常に受け続けてゐることが分かります。マンボ・タンゴ、ハワイアン、ウェスタン、シャンソン、ロカビリー......なんでもござれ。日本人がそれらをカバーすれば、まぎれもなく「歌謡曲」になるのですから。
そしてそれらの流行と流行の間では、思ひ出したやうに伝統回帰、リバイバルの時代が挿入されるといふ塩梅であります。

変化が起きるのは、ニューミュージックといふ安直なネイミングの一派が伸してきた頃でせうか。この分野の歌ひ手の多くは、シンガーソングライターと呼ばれる人たちで、それまでの作詞・作曲・編曲・演奏・歌の分業体制を変へてしまひました。
それこそが新しい歌謡曲であると主張する人もゐたり、否、歌謡曲といふものは既に役割を終へたものであると述べる方々もゐます。どちらかといふと、わたくしは後者の意見に賛同するものですが、まあそれもあまり意味がない。
本書を片手に、その時代時代を代表する歌手やヒット曲の数数を交へながら、「にほんのうた」を概観するだけでも実に愉快な事であります。
まあ、さういふわけだ。



昭和の鉄道
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昭和の鉄道 近代鉄道の基盤づくり

須田寛【著】
交通新聞社(交通新聞社新書)刊
2011(平成23)年4月発行


平成も31年4月で終了することが決まり、昭和は愈々遠くなりさうな感じです。そんな昭和の鉄道史を振り返つてみませう。
著者はJR海の初代社長にして、現在は同社の相談役の須田寛氏であります。この方は物凄い人なんですが、まあここでは経歴は省略。今年で86歳とのことですが、先日もTVに出演してゐるのを拝見し、まだまだお元気であることが分かり愉快になりました。

昭和の鉄道』は、文字通り昭和時代の日本鉄道史を概観する一冊。国鉄が解体されてJRグループが発足したのが昭和62年なので、まあ昭和の鉄道史はずばり国鉄(官鉄)の歴史とも申せませう。
更に本書では「前史」として、明治期と大正期の鉄道史に、それぞれ一章を設けてゐますので、そのまま「日本鉄道史」の体裁を整へてゐます。

章割は「昭和の鉄道Ⅰ」~「昭和の鉄道Ⅴ」に分けられ、それぞれの章で「国鉄旅客運輸の動向」「貨物運輸の動向」「民鉄の動向」について触れます。
この種の本は、どうしても国鉄の旅客事情に偏りがちですが、さういふことのないやうにとの、著者の律儀な面が出てゐます。まるで学術論文みたい。

国鉄~JRにかけて常にその中枢で活躍してきた著者だけに、「鉄道と乗客(大衆)」の距離感について敏感な記述が目立ちます。両者の距離が極めて近かつた戦前の黄金期、次第に乖離が見られる戦中輸送事情、車両不足が殺人的混雑に拍車をかけた戦後直後の、サービス以前の時代、そして復興とともに再び近くなる距離感、しかし国鉄末期の度重なる値上げやストによる「国鉄離れ」......単なるテツが書いた本とは違ふな、と思はせるところです。

逆に、身内だからといふ訳ではありますまいが、事故・事件や不祥事についてはあまり触れられてゐません。特に下山事件をはじめとする国鉄三大事件などは、どこにも記述がありません。せめて年表くらゐには載せればいいのに。
しかし全体としては、その長い歴史をまことにコムパクトに纏めた好著ではないかと思ひます。こんな感じで、『平成の鉄道』も執筆して頂きたい喃。



時の魔法使い
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時の魔法使い

原田知世【著】
角川書店(角川文庫)刊
1984(昭和59)年11月発行


一昨日11月28日は、原田知世さんの50回目の誕生日でした。あの知世ちやんが50歳とは、信じられぬ感じがします。
なぜそんなことを知つてゐるかといふと、彼女がデビュウした頃、わたくしは相当なファンであつたからです。毎年11月28日に出る「バースデイ・アルバム」は必ず購買してゐたものです。

本業の映画も、近所の「グランド中央(現在の「トヨタグランド」。どうでもいい情報ですが)」にて鑑賞したものであります。ただ、当時彼女の映画の併映が、大体薬師丸ひろ子さんの映画で、そちらの方が面白いといふ困つた事態もありました。
ウム、角川三人娘といひながら、①薬師丸ひろ子②原田知世③渡辺典子といふ序列は明らかでした。丁度日活で①石原裕次郎②小林旭③赤木圭一郎の順番で、金と力の入れやうに差が付いてゐたのと同様ですな。

他にも、カレンダーとか写真集とか、入手できるものは概ね購買したものです。そしてエッセイ集を出すとなれば、それも買ひました。それが本書『時の魔法使い』であります。彼女は当時、まだ17歳。
友人たちからは「実際に本人が書いたと思つてゐるの? 商策に乗せられた情けない奴!」などと莫迦にされました。

さういふアイドルの身辺手記なので、まあまともな読書子なら眉を顰め、とても読書の対象となる一冊ではありませんが、まあ好いぢやん。それに、本書で初めて知つたモノもあります。
それは「名古屋の隠れ名物・天むす」の話。今でこそ有名な天むすですが、当時は名古屋でも知らぬ人が多かつた。それを当時の彼女は、名古屋へ行くたびに食すると語り、その味を大絶賛してゐます。いつもお土産に十二個入りを二箱買つてゐたさうです。思ひ出しただけで「なまつばゴクリ」なんだとか。
スーパーとかで普通に売られ始めるのは、その後しばらくしてからなので、先見の明があつたと申せませう。

といふ事で、今回はまことに懐かしい一冊でした。ぢやまた。



サンダカン八番娼館
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サンダカン八番娼館

山崎朋子【著】
文藝春秋(文春文庫)刊
2008(平成20)年1月発行


昔兵庫県三田(さんだ)市に、「サンダカン」といふパチンコ屋があつたと思ふのですが、記憶違ひかも知れない。何だか不謹慎だなと思つた記憶があります。
なぜさう思つたのか。サンダカンはマレーシアの一都市なのですが、どうしてもそのイメエヂが強すぎる「からゆきさん」とセットで語られる事が多いからでせう。「アウシュビッツ」とか「チェルノブイリ」とか、負のイメエヂが定着してしまつた都市は不幸であります。

山崎朋子さんは、女性史研究家として、エリート女性ではなく底辺女性の視点から「からゆきさん」の実態を探らんとします。「からゆきさん」の出身地は多くが九州の島原や天草だと言ひます。そこで山崎さんは天草を訪れ、出来れば元からゆきさんを密着取材したいと考へました。
しかし天草に到着して、すぐに壁にぶつかります。何しろ「からゆきさん」は、地元にとつては名誉なことではなく、隠蔽したい黒歴史なのであります。山崎さんが「からゆきさん」といふ言葉を発しただけで島民は警戒感を持ち、口を噤むのでした。

途方に暮れる山崎さんでしたが、偶々食事をしに入つた店で「おサキさん」なる老婆と出会ひ、話をする内に「彼女は元からゆきさんに相違ない」といふ確信を得ます。目的を隠したまま、おサキさんの家を訪問することに成功しますが、その家は凄まじい状態でした。
「荒壁はところどころ崩れ落ち、襖と障子はあらかた骨ばかりになっている」「座敷の畳はほぼ完全に腐りきっているとみえ、すすめられるままにわたしが上がると、たんぼの土を踏んだときのように足が沈み、はだしの足裏にはじっとりとした湿り気が残るばかりか、観念して座ったわたしの膝へ、しばらくすると何匹もの百足が這い上がって来るので、気味悪さのあまり瞳を凝らしてよく見ると、何とその畳が、百足どもの恰好の巣になっていたのである」

しかし山崎さんは取材の為に、おサキさんの家に住み込むのであります。おサキさんは目的を告げられぬのに、不審の念を表に出さず、山崎さんを全面的に受け入れるのでした。そして次第に、ぽつりぽつりと体験を語り始めます......
おサキさんの家での居候生活は三週間に及び、その間におフミさんやおシモさん、女衒の太郎造どん、女傑の木下クニに関する聞き取りにも成功します。著者としては完全に満足のいく結果ではなかつたかも知れませんが。

そして東京へ帰る前日、山崎さんはおサキさんに別れを告げるのですが......この時のおサキさんの態度が素晴らしい! 極貧の家に生れ、僅か九歳で外国へ売られていつたおサキさんはまともな教育を受けてゐる訳もなく、完全な文盲なのですが、どんな偉人にも負けぬ程の「人格者」でした。ここではちよつと泣いてしまつたよ。

本書には、表題作『サンダカン八番娼館』の続篇といふか姉妹篇の『サンダカンの墓』も収録されてゐます。熊井啓監督による映画「サンダカン八番娼館 望郷」では、上記二冊を原作としてゐますので、まことに親切な編集と申せませう。田中絹代さんも高橋洋子さんも栗原小巻さんも皆良かつた。

最後に「東南アジアと日本」と題する一文があります。御維新以来、富国強兵を目指した日本が、東南アジアに於いてしてきた、いはば暗黒の歴史について触れられてゐます。最近の風潮では、拒否反応を示す人が多いだらうなあと考へます。日本が外国でしてきたとされるさまざまな事は、全て捏造であるなどと、相当に社会的立場の高い人たちまでが述べたりしてゐますからな。異を唱へる人は「反日」と呼ばれ排斥される。本書もきつと現代の焚書坑儒の対象になりさうで、いささか不安な日々なのです。
あ、また余計な事を書いてしまつた。

ぢやあまた、今夜はこれにてご無礼します。