源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
国鉄を葬る人たちへの手紙
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国鉄を葬る人たちへの手紙 妻と子どもは訴える

人材活用センター全国連絡会【編】
教育史料出版会刊
1987(昭和62)年3月発行

先達ての『国鉄再建はこうなる』は、分割民営化推進の立場からの書物でしたが、こちらはそれを阻止したい国労の面面(の家族)の視点から刊行された一冊。
元元分割民営化の目的は国労つぶしにあると言はれ、のちに中曽根康弘元首相も認めてゐるさうです。国鉄問題=組合問題と言つても過言ではなかつたと申せませう。

国鉄改革で、最終的に4万を超える余剰人員が出ると試算され、その対象になつた人たちは、約80パーセントが国労であつたといふことです。悪評高い「人材活用センター」なる組織に異動させられ、仕事を取り上げられる。そして三年のうちに再就職を迫られるのであります。
まあ世間一般では当時、国鉄に対する同情も薄く、「まあ已むをえないよね」みたいな空気でしたが、実際に首切りにあふ本人はともかく、その家族は「なぜ?」と疑問に思ふことでせう。うちのお父ちやんは国鉄の為に一所懸命働いてきたのに、何も悪いことをしてゐないのに、どうして首切りにあふの? 

大ナタを振るふのはいいが、その方法が禍根を残したと申せませう。最終的に「人材活用センター」に配属されたのは2万1000人、全国1440箇所に設けられました。で、そこで何をやるかといふと、草むしりとか空き缶拾ひ、レールの文鎮作りなどをさせられてゐたとか。
文中で本人たちも述べるてゐるやうに、草むしりも必要な仕事で、それを卑しめる訳ではありません。しかしそれらの作業をさせる当局の目的は、それまで専門職として技術を身に付けその仕事に誇りを持つてゐた人たちの、人間としての尊厳といふかプライドをずたずたに引き裂き、自主退職へと追ひ込む事であります。

人権無視として国際的にも問題となり、最終的に「人材活用センター」は廃止されるのですが、実はより巧妙な形でそれは生き残つてゐました。何より「人材活用センター」は、その後の「日勤教育」や、民間企業における「追出し部屋」などのはしりとなつたと指摘されてをります。それが事実ならば、まことに罪深い存在であつたと申せませう。

度重なる運賃値上げ、たるんだ事故の続発、利用者無視のスト、客扱ひの対応のひどさ......「国鉄憎し」の大合唱の中で、孤独な戦ひを続けた人々のルポルタージュであります。粛々と国鉄改革が進む中、妻や子供たちがいかに奮闘してゐたのかを知るのも、悪いことではありますまい。


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原節子 あるがままに生きて
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原節子 あるがままに生きて
貴田庄【著】
朝日新聞出版(朝日文庫)刊
2010(平成22)年6月発行

一昨年9月に亡くなつた原節子。なぜこのタイミングで登場するのかといふと、先達て某ラジオ番組にて、彼女の評伝を書いたノンフィクション作家・石井妙子氏のインタヴューを聞いたからです。
原節子といへば小津安二郎監督作品に代表される、一歩引いた立ち位置のいかにも日本的な女性を演じてゐましたが、素顔の彼女は大きく異なるとか。石井氏によれば、原は小津作品における自分の役柄に満足してゐなかつたとか。ほほう。

原節子 あるがままに生きて』は、映画評論家の貴田庄氏による原節子の評伝(文庫カヴァーには「エッセイ」と書いてありますが)であります。ほぼ時系列で彼女の生涯を追つてゐます。
原が女学校を中退し映画界に入つたのは、どうやら経済的な理由らしい。義兄の熊谷久虎が日活で映画監督をしてゐた縁で、14歳で女優デビューするのでした。
当初は鳴かず飛ばずでしたが、たまたま日本に来てゐたドイツ人監督のアーノルド・ファンクの目に留まり、日独合作映画「新しき土」のヒロイン役として抜擢され、一躍注目を浴びるやうになります。

しかし原節子は当初、演技が拙いといふことで、何かと大根呼ばはりされるのです。まあ確かに巧くはなかつたかも知れませんが、さう取り立てて騒ぐほどの大根だつたか。彼女自身も、演技の未熟さを自覚しながら、反撥心もあつたやうです。
美男美女といふものは、やつかみも手伝つてか、何かと大根扱ひされるものです。長谷川一夫などは酷い言はれやうでした。
それが山中貞雄、成瀬巳喜男、黒澤明といつた名匠たちに揉まれてゆくうちに、さういふ誹謗は減少し、そして小津安二郎と組むに当つて大輪の花を咲かせた感じでせうか。

原節子本人は、「開かれた女性」だつたので、男性の添へ物的な役に飽き足らず、もつと女性が自らの意思で活動する役がしたかつたさうです。本書によれば、細川ガラシャを演じたかつたと語つたとか。
そして女優といふ職業を実に真面目に捉へてゐました。舞台挨拶を嫌ひ、水着撮影を拒否し、ラブシーンは撮らずと、彼女にとつて、映画女優には邪道と思ふ行為を避けてゐたのです。女優は映画における演技で勝負すべきで、素顔を見せたり私生活を曝したりするのはすべきではないと考へてゐました。
一見わがままのやうですが、むしろ現代の俳優さんたちに見習つていただきたいものです。人気商売ゆゑ、あまり頑ななのも問題ですが、CMのおちやらけた姿を見慣れた後で、映画やドラマのシリアスな演技を見せられても素直に鑑賞できないのであります。あ、わたくしの場合ですがね。異論もあるでせう。

そして42歳での引退。山口百恵さんのやうにことさらに引退を表明する訳でもなく、フェイドアウトするやうに消えたさうです。その後ほとんど公の場に姿を見せず、実に潔い身の引き方でした。
引退の理由については、健康説(目を悪くした)だとか小津監督の死去がきつかけだとか、色色言はれてゐますが、結局本人の真意は分かりません。本書では、実兄の会田吉男カメラマンの不慮の死も引金ではないかと推測してゐます。

本書の刊行時は当然、原節子さんは存命中でしたが、結局隠遁生活を全うしたまま、95歳の生涯を閉じたといふ訳です。見事な一生と申せませう。
すでに「伝説の女優」原節子に関する書籍は幾つも出てをりますが、この『原節子 あるがままに生きて』は、わたくしのやうな初心者にはまことに分かりやすく入門書として恰好の一冊と存じます。


上越新幹線物語1979
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上越新幹線物語1979 中山トンネル スピードダウンの謎

北川修三【著】
交通新聞社(交通新聞社新書)刊
2010(平成22)年6月発行

上越新幹線は東北新幹線に遅れること五か月、1982(昭和57)年11月に開業しました。本来なら同時開業の予定だつたのですが、種々の理由からそれは叶はなかつたのです。
この両新幹線は、常に「東北・上越」の順番に呼ばれ、何かと上越は東北の陰に隠れて不遇な扱ひを受けてきたと存じます。せめて開業は同時にしたかつたでせう。それを妨げた「種々の理由」のひとつが、本書で語られる「中山トンネル」であります。

本書『上越新幹線物語1979』の著者・北川修三氏は、鉄建公団の技術者として中山トンネルの工事に大いに関はつた人。中山トンネルとは、高崎駅と上毛高原駅の間にあり、小野子山と子持山の間をすり抜けるやうに掘られたトンネルであります。総延長は14,830メートルで、一万メートル級のトンネルが珍しくない現在、特段長い部類ではありません(まあ長いけど)。しかしその名を知らしめたのは、その長さではなく、史上稀に見る難工事ぶりで、二度にわたる大水没、それに伴ふルート変更などで、結局工期が伸びてしまつたのでした。
しかも単なるルート変更ではなく、二度目の変更はやむなく規定を超える半径曲線が生じてしまつた。それゆゑ、本来時速240キロで走り抜ける筈のトンネル内を、時速160キロに減速しなければならぬ箇所が発生したのであります。トンネル屋としては、真に悔しいことでせう。しかし本書を読めば、「その程度の変更でよくぞ開通したな」と感嘆するところです。

著者によると、上越新幹線の基本計画が決定したのが1971(昭和46)年の1月、建設開始は同年10月だと言ひます。素人目には、そんなに短い準備期間で大丈夫かと思ふところですが、実際短すぎたやうです。地質調査など十分な時間が取れず、結局工事の工程に禍根を残す事になつたと。東海道新幹線がわづか五年の建設期間で開業したのが、却つて後続の新幹線計画に悪影響を与へたのでせうか。

著者は自らの記憶と経験から本書をまとめました。当時の関係者などに特に取材などしなかつたさうです。本来なら「手抜きぢやないのか」とでも言はれさうなところですが、著者はノンフィクションライターではなく、当事者そのものであります。本来なら専門のライターが取材をする対象ご本人が執筆するのだから、それでいいのでせう。お陰で臨場感あふれる一冊となりました。水没しさうなエレベーターから危機一髪脱出する話などは、まるで映画みたいです。
また、地元の人たちとの折衝は重要な仕事でした。著者は自らは加害者であるといふ立場を崩さず対応したため、地元と険悪になることなく(小さなトラブルは色々あつたやうですが)、良好な関係を築いたといふことです。

本書が世に出なければ、恐らく埋もれたままの事実が多くあつたことでせう。労作でありますが、表題(書名)の付け方に問題があるのでは。本書は徹頭徹尾中山トンネルの工事に終始してゐます。しかも北川修三氏個人の視点から述べられてゐますので、上越新幹線の歴史を客観的に俯瞰した内容を期待して手にした人は、肩透かしを喰らふのでは。そこだけが心配と申せませう。
デハデハ。また逢ふ日まで。



被差別部落の青春
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被差別部落の青春

角岡伸彦【著】
講談社(講談社文庫)刊
2003(平成15)年7月発行

著者の角岡伸彦氏については、かつて『ホルモン奉行』なる愉快な一冊を読んだ事がありまして、ホルモン愛に満ち溢れた文章に魅了されたのであります。部落出身者であることも公言してゐて、部落関係の著書もあることが分かり、いづれ読んでみたいと思つてゐました。

で、『被差別部落の青春』であります。そもそも平均的日本人は、同和問題をいつどのやうな形で知るのでせうか。わたくしは中学校の歴史の授業で、原田先生から聞いたのが最初ではないかと思ひます。「エタ非人」などといふ言葉も同時に知りました。あらゆる言葉を貪欲に覚えたいわたくしですが、これは知りたくなかつたなあ、と思ひました。「部落」といふ言葉は無論存じてゐましたが、単に山間部あたりの集落といふイメエヂしかありませんでした。東宝映画「大怪獣バラン」では、セリフに「岩屋部落」といふ言葉が連発されるのですが、わたくしが最初にビデオで観た時には、その部分は音声が消されてゐました。タブウだつたのですね。

角岡氏自身は、直接差別を受けたりしたことは無いさうです。角岡氏の両親も同様であると。では差別はもう無いのか? 同和政策が進んだ結果、見た目の衣食住は部落も非部落も変化は感じられぬとか。しかし逆に部落は優遇され過ぎだと逆差別を受ける場合もあるさうです。
一体現状はどうなのかを自身が取材し、レポートしたといふ訳です。
出自をとにかく隠す親と、あつけらかんと部落出身を語る子供。今なほ根強い結婚差別。これは意外なほど相手の親が世間体を気にして、「部落の血が一族に混じるぢやないか」と差別を隠しません。

そんな状況を知る人たちは、どうしても自分が部落出身であることを隠すのですね。少なくとも、自らカミングアウトするやうなことはしない。特に聞かれもしないし、わざわざ言つて、人間関係に影響したら......しかし黙つてゐるのは何となく罪悪感を(何も悪いことはしてゐないのに)感じる。心の負担になるのです。
食肉工場(屠殺場)に対する差別もあるさうで、根は深い。これは同和問題もさることながら、生命に対する教育がなつてゐない証拠ですね。もつともこれは世界的な傾向であります。クジラを殺すなといふキャンペインに通づる愚劣な思想と申せませう。あ、余計な事を申しました。

差別はもうないといふ楽観論と、今なほ激しい差別は存在すると主張する悲観論の両極端が聞かれる同和問題。著者は「その中間」はどうなつてゐるのかを知りたくて、どこにでもゐる普通の部落民の日常を取材したさうです。
また、この問題を扱ふ報道はどうしても暗く、重たいので、読んでゐても心が沈んでくるのですが、角岡氏は「それだけやないやろー。おもろい奴も、笑える話もあるで」と思ひ、持ち前の軽妙な文体で本書を世に問ふた訳です。
部落を語つた本で、これほど読後感爽やかなものも珍しいと言へませう。
ぢやあ、又。



大相撲の見かた
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大相撲の見かた

桑森真介【著】
平凡社(平凡社新書)刊
2013(平成25)年5月発行

先程稀勢の里の奉納土俵入りを見たところであります。今日はどのチャンネルを見てもキセノンキセノンキセノンですな。お前暇人だなと思ふかも知れませんが、偶々今日は午後時間が空いたのです。
まあそれはいい。

これほど期待を裏切り続けてきた力士も珍しいのですが、初場所前は特に「綱とり場所」として認識されてゐなかつた事が幸ひしたのではないでせうか。その実力については衆目の見る通りでありましたが、精神面が弱いのか、ここ一番で優勝を逃し続けてきました。若嶋津みたいに悲劇の大関で終るのかな、と考へてゐたら突然優勝したので吃驚しました。
しかし今場所は上位陣の休場が重なり、不戦勝も含まれたりとラッキイな面も有つて、綱とり場所は春場所になるのだらうと認識してゐたのです。

ところが一気に横綱昇進への動きが。今場所で昇進させるのは甘いとの非難もあります。「日本人横綱」が欲しいばかりに、昇進ありきの議論が進んでゐると。
まあその通りでせうね。自分も甘いとは思ひますが、問題は「二場所連続優勝、、またはそれに準ずる成績」といふ曖昧な昇進基準ですね。優勝に準ずる成績を、単に優勝力士の次の成績を挙げた力士とみるか、本割では優勝同点で、本割外の優勝決定戦に持ち込んだケースを差すのか。わたくしは後者だらうと思ふのですが、実際は前者の条件で昇進する人も多いやうです。特に物議を醸したのは、柏戸が直前三場所を10勝・11勝・12勝で昇進した時です。無論優勝は含まれてゐません。まるで関脇から大関に昇進する時の成績ですね。これは大鵬と同時昇進させたかつた協会の意向らしい。

稀勢の里の場合は、この一年の安定感が評価された面もあります。その点、今回は吉葉山のケースに近いか。吉葉山は実力は認められながら、あと一歩で優勝を逃し中中横綱に届かなかつたのですが、遂に15戦全勝で初優勝、前場所は11勝止まりながら、安定感を買はれて「涙の横綱昇進」となり、優勝パレードは「雪の全勝行進」などと言はれました。
しかし吉葉山は横綱昇進が相撲人生のゴールとなつた感があり、横綱としては満足な成績を残せずわづか17場所(うち皆勤は9場所のみ)で引退となりました。キセノンにはまだまだ頑張つていただきたい。千代の富士は30歳を過ぎてから19回優勝してをります。

さて稀勢の里のお陰で俄ファンになつた方も、以前からのファンの方も楽しめる一冊『大相撲の見かた』であります。
第一章では相撲用語の解説。イラスト付きで分かりやすい。TVの実況や解説ではよく聞く言葉ながら、具体的にそれはどんな動作なの? といふこともあるでせう。こつそり本書を覗き、「ああさういふ事だつたのか!」と納得したら、得意気に友人との会話にさりげなく用語を駆使してみませう。
第二章では、実際の取組の攻防について解説します。漫然と大相撲中継を見てゐるだけでは気付かぬ、勝負のポイント、戦術の駆け引きなどを教へてくれます。
第三章は現役力士(ただし平成25年時点)の取り口などを紹介。対戦カード別の見所も解説。
第四章は「昭和・平成の名勝負」を連続写真で紹介。「千代の富士×隆の里」が無いぞー。

著者は学生時代、自ら相撲部に所属し学生相撲で活躍した人。肌で相撲を知る人だけに、その描写も説得力があります。立ち合ひで頭と頭がガーンと当る時、素人は「うわー痛さう」と思ふが、実は当り方により、それほど痛くはないとかね。
個人的には、第一章と第二章のみに特化して、より詳しい一冊を書いていただきたいと考へます。
デハまたお会ひしませう。