源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
上越新幹線物語1979
41uYvX_MQ_L__SX298_BO1,204,203,200_

上越新幹線物語1979 中山トンネル スピードダウンの謎

北川修三【著】
交通新聞社(交通新聞社新書)刊
2010(平成22)年6月発行

上越新幹線は東北新幹線に遅れること五か月、1982(昭和57)年11月に開業しました。本来なら同時開業の予定だつたのですが、種々の理由からそれは叶はなかつたのです。
この両新幹線は、常に「東北・上越」の順番に呼ばれ、何かと上越は東北の陰に隠れて不遇な扱ひを受けてきたと存じます。せめて開業は同時にしたかつたでせう。それを妨げた「種々の理由」のひとつが、本書で語られる「中山トンネル」であります。

本書『上越新幹線物語1979』の著者・北川修三氏は、鉄建公団の技術者として中山トンネルの工事に大いに関はつた人。中山トンネルとは、高崎駅と上毛高原駅の間にあり、小野子山と子持山の間をすり抜けるやうに掘られたトンネルであります。総延長は14,830メートルで、一万メートル級のトンネルが珍しくない現在、特段長い部類ではありません(まあ長いけど)。しかしその名を知らしめたのは、その長さではなく、史上稀に見る難工事ぶりで、二度にわたる大水没、それに伴ふルート変更などで、結局工期が伸びてしまつたのでした。
しかも単なるルート変更ではなく、二度目の変更はやむなく規定を超える半径曲線が生じてしまつた。それゆゑ、本来時速240キロで走り抜ける筈のトンネル内を、時速160キロに減速しなければならぬ箇所が発生したのであります。トンネル屋としては、真に悔しいことでせう。しかし本書を読めば、「その程度の変更でよくぞ開通したな」と感嘆するところです。

著者によると、上越新幹線の基本計画が決定したのが1971(昭和46)年の1月、建設開始は同年10月だと言ひます。素人目には、そんなに短い準備期間で大丈夫かと思ふところですが、実際短すぎたやうです。地質調査など十分な時間が取れず、結局工事の工程に禍根を残す事になつたと。東海道新幹線がわづか五年の建設期間で開業したのが、却つて後続の新幹線計画に悪影響を与へたのでせうか。

著者は自らの記憶と経験から本書をまとめました。当時の関係者などに特に取材などしなかつたさうです。本来なら「手抜きぢやないのか」とでも言はれさうなところですが、著者はノンフィクションライターではなく、当事者そのものであります。本来なら専門のライターが取材をする対象ご本人が執筆するのだから、それでいいのでせう。お陰で臨場感あふれる一冊となりました。水没しさうなエレベーターから危機一髪脱出する話などは、まるで映画みたいです。
また、地元の人たちとの折衝は重要な仕事でした。著者は自らは加害者であるといふ立場を崩さず対応したため、地元と険悪になることなく(小さなトラブルは色々あつたやうですが)、良好な関係を築いたといふことです。

本書が世に出なければ、恐らく埋もれたままの事実が多くあつたことでせう。労作でありますが、表題(書名)の付け方に問題があるのでは。本書は徹頭徹尾中山トンネルの工事に終始してゐます。しかも北川修三氏個人の視点から述べられてゐますので、上越新幹線の歴史を客観的に俯瞰した内容を期待して手にした人は、肩透かしを喰らふのでは。そこだけが心配と申せませう。
デハデハ。また逢ふ日まで。



スポンサーサイト
被差別部落の青春
51M2ADKJGXL__SX331_BO1,204,203,200_

被差別部落の青春

角岡伸彦【著】
講談社(講談社文庫)刊
2003(平成15)年7月発行

著者の角岡伸彦氏については、かつて『ホルモン奉行』なる愉快な一冊を読んだ事がありまして、ホルモン愛に満ち溢れた文章に魅了されたのであります。部落出身者であることも公言してゐて、部落関係の著書もあることが分かり、いづれ読んでみたいと思つてゐました。

で、『被差別部落の青春』であります。そもそも平均的日本人は、同和問題をいつどのやうな形で知るのでせうか。わたくしは中学校の歴史の授業で、原田先生から聞いたのが最初ではないかと思ひます。「エタ非人」などといふ言葉も同時に知りました。あらゆる言葉を貪欲に覚えたいわたくしですが、これは知りたくなかつたなあ、と思ひました。「部落」といふ言葉は無論存じてゐましたが、単に山間部あたりの集落といふイメエヂしかありませんでした。東宝映画「大怪獣バラン」では、セリフに「岩屋部落」といふ言葉が連発されるのですが、わたくしが最初にビデオで観た時には、その部分は音声が消されてゐました。タブウだつたのですね。

角岡氏自身は、直接差別を受けたりしたことは無いさうです。角岡氏の両親も同様であると。では差別はもう無いのか? 同和政策が進んだ結果、見た目の衣食住は部落も非部落も変化は感じられぬとか。しかし逆に部落は優遇され過ぎだと逆差別を受ける場合もあるさうです。
一体現状はどうなのかを自身が取材し、レポートしたといふ訳です。
出自をとにかく隠す親と、あつけらかんと部落出身を語る子供。今なほ根強い結婚差別。これは意外なほど相手の親が世間体を気にして、「部落の血が一族に混じるぢやないか」と差別を隠しません。

そんな状況を知る人たちは、どうしても自分が部落出身であることを隠すのですね。少なくとも、自らカミングアウトするやうなことはしない。特に聞かれもしないし、わざわざ言つて、人間関係に影響したら......しかし黙つてゐるのは何となく罪悪感を(何も悪いことはしてゐないのに)感じる。心の負担になるのです。
食肉工場(屠殺場)に対する差別もあるさうで、根は深い。これは同和問題もさることながら、生命に対する教育がなつてゐない証拠ですね。もつともこれは世界的な傾向であります。クジラを殺すなといふキャンペインに通づる愚劣な思想と申せませう。あ、余計な事を申しました。

差別はもうないといふ楽観論と、今なほ激しい差別は存在すると主張する悲観論の両極端が聞かれる同和問題。著者は「その中間」はどうなつてゐるのかを知りたくて、どこにでもゐる普通の部落民の日常を取材したさうです。
また、この問題を扱ふ報道はどうしても暗く、重たいので、読んでゐても心が沈んでくるのですが、角岡氏は「それだけやないやろー。おもろい奴も、笑える話もあるで」と思ひ、持ち前の軽妙な文体で本書を世に問ふた訳です。
部落を語つた本で、これほど読後感爽やかなものも珍しいと言へませう。
ぢやあ、又。



大相撲の見かた
31A8HPBZ9TL__SX307_BO1,204,203,200_

大相撲の見かた

桑森真介【著】
平凡社(平凡社新書)刊
2013(平成25)年5月発行

先程稀勢の里の奉納土俵入りを見たところであります。今日はどのチャンネルを見てもキセノンキセノンキセノンですな。お前暇人だなと思ふかも知れませんが、偶々今日は午後時間が空いたのです。
まあそれはいい。

これほど期待を裏切り続けてきた力士も珍しいのですが、初場所前は特に「綱とり場所」として認識されてゐなかつた事が幸ひしたのではないでせうか。その実力については衆目の見る通りでありましたが、精神面が弱いのか、ここ一番で優勝を逃し続けてきました。若嶋津みたいに悲劇の大関で終るのかな、と考へてゐたら突然優勝したので吃驚しました。
しかし今場所は上位陣の休場が重なり、不戦勝も含まれたりとラッキイな面も有つて、綱とり場所は春場所になるのだらうと認識してゐたのです。

ところが一気に横綱昇進への動きが。今場所で昇進させるのは甘いとの非難もあります。「日本人横綱」が欲しいばかりに、昇進ありきの議論が進んでゐると。
まあその通りでせうね。自分も甘いとは思ひますが、問題は「二場所連続優勝、、またはそれに準ずる成績」といふ曖昧な昇進基準ですね。優勝に準ずる成績を、単に優勝力士の次の成績を挙げた力士とみるか、本割では優勝同点で、本割外の優勝決定戦に持ち込んだケースを差すのか。わたくしは後者だらうと思ふのですが、実際は前者の条件で昇進する人も多いやうです。特に物議を醸したのは、柏戸が直前三場所を10勝・11勝・12勝で昇進した時です。無論優勝は含まれてゐません。まるで関脇から大関に昇進する時の成績ですね。これは大鵬と同時昇進させたかつた協会の意向らしい。

稀勢の里の場合は、この一年の安定感が評価された面もあります。その点、今回は吉葉山のケースに近いか。吉葉山は実力は認められながら、あと一歩で優勝を逃し中中横綱に届かなかつたのですが、遂に15戦全勝で初優勝、前場所は11勝止まりながら、安定感を買はれて「涙の横綱昇進」となり、優勝パレードは「雪の全勝行進」などと言はれました。
しかし吉葉山は横綱昇進が相撲人生のゴールとなつた感があり、横綱としては満足な成績を残せずわづか17場所(うち皆勤は9場所のみ)で引退となりました。キセノンにはまだまだ頑張つていただきたい。千代の富士は30歳を過ぎてから19回優勝してをります。

さて稀勢の里のお陰で俄ファンになつた方も、以前からのファンの方も楽しめる一冊『大相撲の見かた』であります。
第一章では相撲用語の解説。イラスト付きで分かりやすい。TVの実況や解説ではよく聞く言葉ながら、具体的にそれはどんな動作なの? といふこともあるでせう。こつそり本書を覗き、「ああさういふ事だつたのか!」と納得したら、得意気に友人との会話にさりげなく用語を駆使してみませう。
第二章では、実際の取組の攻防について解説します。漫然と大相撲中継を見てゐるだけでは気付かぬ、勝負のポイント、戦術の駆け引きなどを教へてくれます。
第三章は現役力士(ただし平成25年時点)の取り口などを紹介。対戦カード別の見所も解説。
第四章は「昭和・平成の名勝負」を連続写真で紹介。「千代の富士×隆の里」が無いぞー。

著者は学生時代、自ら相撲部に所属し学生相撲で活躍した人。肌で相撲を知る人だけに、その描写も説得力があります。立ち合ひで頭と頭がガーンと当る時、素人は「うわー痛さう」と思ふが、実は当り方により、それほど痛くはないとかね。
個人的には、第一章と第二章のみに特化して、より詳しい一冊を書いていただきたいと考へます。
デハまたお会ひしませう。



「ゴジラ」とわが映画人生
41kE_wbKo_L__SX307_BO1,204,203,200_

「ゴジラ」とわが映画人生

本多猪四郎【著】
ワニプラス(ワニブックス【PLUS】新書)刊
2010(平成22)年12月発行

1960年代を中心に量産された「明るく楽しい東宝映画」。その代表選手の一人が本多猪四郎監督であります。東宝、いや日本映画の良心を一手に引き受けたやうな作風。それでゐて抜群に面白い。
「ゴジラ」で世界に名を知られましたが、わたくしは本多監督ほど不遇な映画人はゐないと考へます。実力以上になぜか過大評価される監督が多い中、一方でこの人のシャシンが語られる時、ゴジラとか円谷英二の方が話題になる不本意な現象が起こるのです。

当の本多監督はどう考へてゐたのでせうか。本書『「ゴジラ」とわが映画人生』では、その思想の一端を垣間見ることができます。山本真吾氏のインタヴューに応へたものを編集した一冊なのです。
故郷山形での映画との出会ひから、忌はしい軍隊生活の経験。八年間も兵役にとられてゐた為、戦後東宝に復帰した時には、後輩が次々と(役職上)自分を追ひ越してゐました。山本嘉次郎門下生三人組(本多・黒澤明・谷口千吉)の中でも、一番先輩だつたのに監督デビューは最も遅れたのであります。こんなところにも、本多監督のツキのなさを感じます。

ところで、監督でも俳優でも、軍隊生活を経て戦後復帰した人の中には、兵隊に行く前とはまるで顔付、目付が変り、明るかつた性格もなりをひそめ、人間が変つてしまつたといふケースが多い。それほど戦争体験は恐ろしいものなのでせう。
しかし本多猪四郎氏は八年間耐へました。「戻つたら必ず映画を撮るんだ。その為に今の経験も無駄にすまい」との一念で、変にならずに済んだとのこと。お陰で、日本映画界は優れたヒューマニズムの映画作家を失はずに済みました。

「結局、ぼくは本当の「悪」というものを描けないんですよ。本当の悪というのは、ぼくにはとても......」「ぼくは、どの作品でもそれ(やりたくない作品)はないですね」「大衆と共に楽しむ。それが私の心情だ」......最後の言葉は、「私の信条」全9条の第一番目のものです。ほかにも「主役の花を見に来た人々が、こんな処にこんな花がと見てくれる」とか、「右にかたよっても、左にかたよっても、権力につながるものには反撥する」などと、本多監督らしい言葉が並んでゐます。

インタヴューは、ほぼ時系列で本多氏の人生、映画作品について尋ねてゐます。しかし駆け足の印象が強く、一つの作品について、もう少し突込んだ話が聞きたいなあと思つたのですが、これは第一稿として概観を語つてもらひ、より詳しく各論に入る予定だつたさうです。しかし本多氏が他界し、それは叶ひませんでした。まことに残念。語りによる本多猪四郎自伝の完全版を読みたかつた喃。

巻末には子息の本多隆司氏のあとがきが付されてゐます。本多猪四郎監督といへば、万人が「穏やかな人柄」「怒つた姿を見たことがない」と評します。きつと家族には裏の姿(素の姿)を見せてゐたのではないか。実は家庭では暴言を吐いたりDV加害があつたりしたとか......
そんなことを思ひながら読みましたが、息子さんの言葉でも「“監督は優しくて、おおらかで、怒ったのを見た事が無い!”これが父の監督としての一般的な評価です。事実、その通りです」ああ、さうですか。さういへば夫人・本多きみ氏もさう述べてゐたつけ。

何はともあれ、名著を復刊してくれたワニブックスに感謝であります。



鉄道と国家
31vUe9D17rL__SX298_BO1,204,203,200_

鉄道と国家 「我田引鉄」の近現代史

小牟田哲彦【著】
講談社(講談社現代新書)刊
2012(平成24)年4月発行

鉄道と国家。いささか堅いタイトルであります。サブタイトルにありますやうに、過去の鉄道敷設において、如何に政治が関はつてきたかを考察します。
表紙には「すべての路線は政治的につくられる!」との惹句(?)。まあこれは当たり前の話で、屡々言はれるやうに、本来鉄道は中央集権の象徴として敷設されてをります。ただ、力のある代議士などが、地元への利益誘導の一種として、強引に路線を迂回させておらが村に汽車を走らせやうとしたり、新たに中間駅を作らせたり、地元の駅に急行を停まらせたりといふのは困りますな。これを我田引鉄と称します。

特段に目新しい内容はありませんが、政治を絡めた鉄道史として、非テツの読者にとつては、恐らく新鮮な視点で読めるのではないでせうか。ああ、わたくしもテツではありませんが。
東海道新幹線に佐藤栄作が大きく関はつてゐて、本書では功労者として描いてゐます。島秀雄や十河信二の名前は直ぐに出てきますが、この佐藤こそ新幹線計画になくてはならなかつた人であると。この視点はわたくしには無かつたので、中中興味深く拝読いたしました。
また、未だに岐阜羽島駅は大野伴睦が強引に作らせた政治駅であるとの俗説が流布してゐます。本書ではその点も修正が入つてをります。まあ、駅前に大野夫妻の像が屹立してゐるのを見れば誤解する人も多いでせう。しかしなぜかかる像を立ててしまつたのか。しかも女房も一緒に!

さて最終章は「海外への日本鉄道進出」がテーマで、本書の中では若干異質な内容であります。今でこそ首相自らトップセールスで新幹線の海外売込をしてゐますが、かつては官民一体に程遠い状態で、海外勢に敗れ苦い汁を飲まされてきました。完成度の高いシステムとしての新幹線を海外で展開することで、その国のインフラ整備、雇用創出など国際貢献も出来ます。因みにこの著者、中国にはかなり毒を含んだ筆致ですね。まあ、ごもつともと頷くしかない。

鉄道をテエマにした「新書」は、今やウンザリするほど出てゐますが、著者の趣味的内容に留まる自己満足本が多いのです。新書として世に問ふならば、この『鉄道と国家』くらゐの力作を望むものであります。