源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
硝子戸の中
無題

硝子戸の中

夏目漱石【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1952(昭和27)年7月発行
1968(昭和43)年9月改版
2000(平成12)年11月改版
2011(平成23)年11月改版


硝子戸の中(がらすどのうち)とは、漱石が読書したり執筆活動を行ふ書斎のことであります。漱石は次のやうに述べてゐます。

「いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起つて来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離してゐるこの硝子戸の中へ、時々人が入つて来る。それが又私にとつて思ひ掛けない人で、私の思ひ掛けない事を云つたり為たりする。私は興味に充ちた眼をもつてそれ等の人を迎へたり送つたりした事さへある」「私はそんなものを少し書きつづけて見ようかと思ふ」


漱石はこんなものは他人には関係なくつまらないだらうとか、ここで自分が書けばより他人が興味を持つ記事が押し退けられるとか、いささか自虐的に言ひ訳してゐますが、恐らく内心は「俺が書く以上、下らぬ物は書くまい。読者よ、まあ期待してくれ」くらゐの自信はあるのでせう。勝手に忖度してゐますが。
掲載紙は『虞美人草』以降続いてゐる朝日新聞。順番で言ふと、『こころ』と『道草』の間に連載されたことになり、まあ晩年の作品の一つと申せませう。

漱石には「小品」などと呼ばれる一ジャンルがありますが、この『硝子戸の中』は小品と随筆の中間でせうか。「思ひ出す事など」に比べて肩の力が抜けて、洒脱さが増し、仄かなユウモワさへ感じられるのであります。

笑顔の写真を断る話、愛犬ヘクトーの話、相談に来た女に「それなら死なずに生きていらつしやい」と語る話、友人Oと再会した話、自分の書いたものを読んでほしいといふ女性に「正直にならなけば駄目ですよ」と諭す話(漱石はかういふ、見知らぬ人からの依頼になるたけ応へやうとしてゐます。真面目で律儀であります)、播州の岩崎なる困つた人の話(漱石は随分我慢をしてゐます)、若い女の珍妙な相談に乗る話、母の思ひ出話(漱石は実の父母を祖父母として育てられた)、「病気は継続中です」といふフレーズに欧州の戦争を想起する話、太田南畝の書物を25銭で買つたが、安すぎるから返してくれと頼まれる話(漱石は本のみ返して代金は受け取らなかつた)、世の中の人々との交渉について悩み考察する話、学生相手に講演した時の反応についての話(本当に漱石は誠実で真面目な人だなあと思ひます。かかる人だから胃弱になるのか)等等......漱石の筆にかかると、大して変哲のない硝子戸の中に於ける出来事も無限の広がりを見せます。

かと言つて、無理矢理本作に寓意を求める必要もございますまい。野暮といふものです。何より文章そのものを味はふのが一番であります。(多分意図的に)平易な語や言ひ廻しを採用し、当時の新聞読者に対する配慮がなされてゐますので、現代人が読んでも難解な事は全くございません。わたくしのお気に入りの一冊と申せませう。



スポンサーサイト
抱き人形殺人事件
51Ey9ciQqyL__SX378_BO1,204,203,200_

抱き人形殺人事件 キャスタードライバー事件簿

井口泰子【著】
集英社(集英社文庫コバルトシリーズ)刊
1981(昭和56)年3月発行


井口泰子さんが2011年に亡くなつてゐた事を知りました。享年74。1937年生まれなので、今年で生誕80年といふことになります。
彼女の作品といへばまづ、『フェアレディZの軌跡』でせうか。しかしここでは、『抱き人形殺人事件』であります。特に理由はありませんが、わたくしが所持する唯一のコバルト文庫といふことで。正確には、当時の名称は「集英社文庫コバルトシリーズ」と申しました。
ところで、このシリーズは、一般向けの「集英社文庫」から派生したと思はれがちですが、実はコバルトが先にあつて、後に一般向けに「集英社文庫」が創刊されました。わりとどうでもいい話。

サブタイトルにある「キャスタードライバー」とは何か。文中では「ところで、キャスタードライバーという仕事も、もうよく知られていると思うのだけれど、ミニFMカーを運転して走り回り、交通情報や、時どきの街の話題を拾ってレポートするドライバーのことである」と説明されてゐます。
さうか、良く知られてゐるのか、わたくしはあまり聞いたことがありませんでした。CBCのレポートドライバーみたいなものですかな。

そのキャスタードライバーの草深真子(くさふかしんこ)が、取材する予定だつた独居老婦人の自宅を訪れたところ、 何と彼女は死亡してゐました。どうやら他殺らしい。現場には、腹を引き裂かれた抱き人形が残されてゐました。これは、何を意味するか。
そして目撃された男性と失踪した少年を探して、真子は仕事上の相棒や妹・弟らを動員して真相を探しに東奔西走。担当刑事の柳くん(独身)に対する好奇心も手伝ひ、捜査に熱が入るのであります......といふ感じ。

当時の若者の風俗や流行、時代世相が色濃く反映されてゐて、中中興味深いのであります。作家の中には、後世に作品を残す事を意識して、故意に執筆時の時代を感じさせぬやうにする人がゐますが、わたくしには寧ろかかる記述がある方が愉しい。獅子文六や源氏鶏太なんかは、今でもたまに読むのです。



拙ブログにて4月24日に取り上げた、ゴジラ俳優の中島春雄さんが亡くなりました。
88歳とのことで、いつかはこの日が来ることは覚悟してゐましたが、やはり残念であります。
円谷英二が範とした「キングコング」は、アニメの手法で表現されてゐますが、予算も時間もない日本では、役者がゴジラのぬいぐるみの中に入る方式をとりました。そこで中島春雄さんに声がかかります。ぬいぐるみは当時100キロを超す重量で、他の人が入ると全く動けなかつたのが、中島さんは「10メートル歩けた」といふことで、その後の運命が決まつたのでした......
今週は追悼週間として、「ゴジラ」や「ガイラ」などを我家で上映してをります。合掌。



ゆうじょこう
51mKbUv6hXL__SX349_BO1,204,203,200_

ゆうじょこう

村田喜代子【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2016(平成28)年2月発行


硫黄島の海女の娘・青井イチ。困窮する家を救ふために、熊本の郭に売られてしまひます。15歳。時代は明治中期くらゐでせうか。当時は貧しさゆゑに、娘を売る家は珍しくなかつたと聞きます。
イチが売られたのは、熊本一番の遊郭である「東雲楼」。楼主の羽島茂平は、大阪堂島の米相場を牛耳る実力者。
ここでイチをはじめとする娘たちは、各花魁に遊女としての教育を徹底して仕込まれるのであります。イチは「小鹿」なる源氏名を与へられました。
イチが預けられた花魁は、一番の稼ぎ頭である東雲さん。聖母のやうに、後輩たちを温かく見守ります。

当初のイチは、島ことば丸出しで、「けー、こー、こけー、こー」などと、ニワトリみたい。現在でもネイティヴの鹿児島弁は、耳で聴くだけでは理解出来ぬ事が多い。まして当時の、しかも島ことばになりますと、本土の人にとつては外国語そのものでしたらう。
郭には「学校」もあり、「女紅場(じょこうば)」といふ名前。ここで一人前の娼妓としての技能知識を身に付けるのです。先生に相当する「お師匠さん」は、赤江鐵子さんといふ中年女性。キリッとタスキをかけてゐます。
女紅場でイチが書く日記が面白い。島ことばで書くので、文字で見ても理解不能。それで標準語のルビが振つてあり、やうやく理解できるのであります。

鐵子さん自身も勉強家とお見受けしました。福沢諭吉の欺瞞を指摘する箇所などは、快哉を叫びたいところでした。さうなんですよ、著書を読めば分かるが、この福沢翁は、徹底した差別論者であります。しかも自身の自覚はどうやら無い。なぜ未だに神格化され、お札の顔なんかになつてゐるのか、わたくしには首肯しかねるのであります。まあいいけど。

女としても成長してゆく青井イチ。郭の中では様様な出来事が起き、その都度新しい発見や悲しみが。逃亡する女郎、妊娠する花魁、刃傷沙汰......そして天神(花魁に次ぐ位)の夕浪さんの一言をきつかけに、物語は大きく展開してゆくのです......
生々しい女だけの世界を描きながら、ドロドロした感じは全くなく、寧ろ爽やかな感動を呼ぶ長篇小説であります。面白いよ!



室町戦国史紀行
51GGSTKZ6AL__SX335_BO1,204,203,200_

室町戦国史紀行

宮脇俊三【著】
講談社(講談社文庫)刊
2003(平成15)年12月発行


「日本通史の旅」もいよいよ最終巻。扱ふ時代は、南北朝・室町・安土桃山時代。関ヶ原の戦いで幕となります。
あくまでも歴史の流れに拘つて史跡巡りをしてきた宮脇氏ですが、流石に戦国時代となると各地の武将が群雄割拠、一筋縄では行きません。そこで戦国時代は各武将の動きや、合戦の跡を古戦場を巡つて歴史を辿るのです。それでもあつちこつち前後しますが。

三英傑が登場するので、我が愛知県近辺に出没するのが嬉しい。「清州と桶狭間」「小牧、墨俣、岐阜」「長篠の戦い」「小牧・長久手の戦い」など。特に秀吉関係の出来事が多いので、断片的な秀吉伝の趣きがあります。最後には宮脇氏もうんざりしたのか、「もう秀吉とつきあうのはイヤになってきた」(お土居と名護屋城跡)と嘆きます。確かに晩年の秀吉は、朝鮮出兵など常軌を逸したとしか思へぬ挙措が目立ち、一部では気がふれてゐたのではとさへ言はれてゐます。まともに付き合ひたくはないよね。

「鉄砲伝来」と「清州と桶狭間」の間で、四か月のブランクがあります。ブラジル旅行にて左足に悪性の菌が入り、入院と治療のため取材が出来なかつたとのこと。左足切断の危機だつたさうです。
この後の宮脇氏は体力が落ち、そのせいか筆力まで勢ひを失つたやうな気がします。本書の最後で、その辺の事情も語られるのです。関ヶ原の項で、松尾山山頂を目指しますが、途中で息切れ。

前回、私がこの地を訪れたときは、雨に降りこめられて、泥んこ道だった。探訪を諦め、「あらためてハイキング・シューズでもはいて出直したいと思っている」と書いた。けれども、あれから一八年も経てしまったきょうは、天気も道もよいのに、私は登ることができない


紀行作家として、これほど無念なことはありますまい。読者もつらいのであります。で、「あとがき」で「日本通史の旅」終了宣言をするのです。

昨年(一九九九)六月、関ケ原を訪ねたとき、私には史跡めぐりをする力がないことを自覚しました。石段の上に目指すものがあっても登れないのです。(中略)『小説現代』編集部は、江戸時代まで書き続けよ、と仰言ってくださっていて、涙が出るほどありがたいのですが、これでお別れにさせてください。


まるで紀行作家引退宣言ともとれる、哀しい「あとがき」であります。実際、紀行作品としては本作が実質最後となつてしまつたのであります。
しかし宮脇氏が遺した作品は少なくありません。折に触れて読み返し、末永く愉しむことにしたいと思ひます。ぢやまた。


辛酸
41Bdfg27kqL__SX353_BO1,204,203,200_

辛酸 田中正造と足尾鉱毒事件

城山三郎【著】
KADOKAWA(角川文庫)刊
1979(昭和54)年5月発行



城山三郎氏が世を去つて丁度十年が経過しました。今わたくしは「城山三郎氏」と書きましたが、本来物故者には敬称を略すものでせうね。
亡くなつたばかりの人、例へば今なら野際陽子さんとかなら、死んだからと言つて忽ち呼び捨てにすることは気が引ける。故・吉沢典男氏は(ここでも「氏」を付けちやふけど)、たとへ対象となる人が尊敬すべき人でも、その死後長い年月を経た歴史上の人物の場合は、敬語を用ゐることはしないのがルールである、と語つてゐました。
十年といふのは、「長い年月」なのか、城山氏は「歴史上の人物」なのか、どうなのでせうか。

まあそれはどうでもいい。ここでは『辛酸 田中正造と足尾鉱毒事件』を選びました。田中正造といへば、足尾銅山の開発によつて齎された公害を訴へた人。もと衆議院議員でしたが、その職を投げ出し、足尾の公害問題に生涯をささげました。運動には私財を投じ、死亡時にはほぼ無一文であつたさうです。
田中の評伝を書くなら、その生ひ立ちから、華華しい議員時代の活躍ぶりを活写したいところですが、城山氏はさうはしませんでした。

二部構成で、第一部「辛酸」では、既に議員を辞職した後、「谷中村」で苦闘する姿で登場します。国は渡良瀬川を中心とする公害について、企業の責任を認めず、それどころか渡良瀬川の貯水池を強引に作り、谷中村を無理矢理消滅させます。一部村民は谷中に残り、田中も共闘するのですが、権力の前には無力でした。
第二部「騒動」は、田中亡きあとの、村民たちの悲しい戦ひぶりが展開されます。谷中残留民のひとりである宗三郎くんが実質的な主人公となり、妥協を迫る官憲や寝返つた元村民、弁護士たちの圧力に抗ふのですが......

国は谷中を強制的に廃村にせんと、住民が残つてゐるにも拘らず村民たちの家屋などを破壊し、あまつさへその費用まで負担を村民に要求するといふ無茶苦茶ぶりであります。
足尾の銅山が公害の原因だと認めると、経済的に打撃になるので、目を瞑つたのですね。さういへば志賀直哉が父親と不仲になつた原因も足尾銅山だつたつけ。

本書を読んで、いやあ明治大正は何といふ封建的で野蛮な時代であつたことよ、と思ふかも知れませんが、多分その流れは現代も続いてゐますね。環境よりも経済を優先させ、実業人を太らせる政策。中国はそれが極端に進められ、かつての日本を上回る公害大国になつてゐます。米国のトランプなる御仁も、未だに環境と経済は対立するものといふ旧来の概念に囚はれて、時代に逆行した政策を打ち出してゐます。わが日本の原発政策なども、まさに同様の問題ですな。
かかる古くて新しい課題を、1961(昭和36)年といふ時代に提示した城山氏の慧眼も注目の、感動の一作と申せませう。

ところで、長らく貨物輸送を担つた国鉄足尾線は、現在第三セクターの「わたらせ渓谷鐵道」として生れ変り、トロッコ列車を走らせるなど観光客を集めてゐます。ここを訪れる皆様は、少しだけ田中正造と鉱毒事件に思ひを馳せていただきたいと存ずるものであります。
ぢや、おやすみ。