源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
ゆうじょこう
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ゆうじょこう

村田喜代子【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2016(平成28)年2月発行


硫黄島の海女の娘・青井イチ。困窮する家を救ふために、熊本の郭に売られてしまひます。15歳。時代は明治中期くらゐでせうか。当時は貧しさゆゑに、娘を売る家は珍しくなかつたと聞きます。
イチが売られたのは、熊本一番の遊郭である「東雲楼」。楼主の羽島茂平は、大阪堂島の米相場を牛耳る実力者。
ここでイチをはじめとする娘たちは、各花魁に遊女としての教育を徹底して仕込まれるのであります。イチは「小鹿」なる源氏名を与へられました。
イチが預けられた花魁は、一番の稼ぎ頭である東雲さん。聖母のやうに、後輩たちを温かく見守ります。

当初のイチは、島ことば丸出しで、「けー、こー、こけー、こー」などと、ニワトリみたい。現在でもネイティヴの鹿児島弁は、耳で聴くだけでは理解出来ぬ事が多い。まして当時の、しかも島ことばになりますと、本土の人にとつては外国語そのものでしたらう。
郭には「学校」もあり、「女紅場(じょこうば)」といふ名前。ここで一人前の娼妓としての技能知識を身に付けるのです。先生に相当する「お師匠さん」は、赤江鐵子さんといふ中年女性。キリッとタスキをかけてゐます。
女紅場でイチが書く日記が面白い。島ことばで書くので、文字で見ても理解不能。それで標準語のルビが振つてあり、やうやく理解できるのであります。

鐵子さん自身も勉強家とお見受けしました。福沢諭吉の欺瞞を指摘する箇所などは、快哉を叫びたいところでした。さうなんですよ、著書を読めば分かるが、この福沢翁は、徹底した差別論者であります。しかも自身の自覚はどうやら無い。なぜ未だに神格化され、お札の顔なんかになつてゐるのか、わたくしには首肯しかねるのであります。まあいいけど。

女としても成長してゆく青井イチ。郭の中では様様な出来事が起き、その都度新しい発見や悲しみが。逃亡する女郎、妊娠する花魁、刃傷沙汰......そして天神(花魁に次ぐ位)の夕浪さんの一言をきつかけに、物語は大きく展開してゆくのです......
生々しい女だけの世界を描きながら、ドロドロした感じは全くなく、寧ろ爽やかな感動を呼ぶ長篇小説であります。面白いよ!



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室町戦国史紀行
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室町戦国史紀行

宮脇俊三【著】
講談社(講談社文庫)刊
2003(平成15)年12月発行


「日本通史の旅」もいよいよ最終巻。扱ふ時代は、南北朝・室町・安土桃山時代。関ヶ原の戦いで幕となります。
あくまでも歴史の流れに拘つて史跡巡りをしてきた宮脇氏ですが、流石に戦国時代となると各地の武将が群雄割拠、一筋縄では行きません。そこで戦国時代は各武将の動きや、合戦の跡を古戦場を巡つて歴史を辿るのです。それでもあつちこつち前後しますが。

三英傑が登場するので、我が愛知県近辺に出没するのが嬉しい。「清州と桶狭間」「小牧、墨俣、岐阜」「長篠の戦い」「小牧・長久手の戦い」など。特に秀吉関係の出来事が多いので、断片的な秀吉伝の趣きがあります。最後には宮脇氏もうんざりしたのか、「もう秀吉とつきあうのはイヤになってきた」(お土居と名護屋城跡)と嘆きます。確かに晩年の秀吉は、朝鮮出兵など常軌を逸したとしか思へぬ挙措が目立ち、一部では気がふれてゐたのではとさへ言はれてゐます。まともに付き合ひたくはないよね。

「鉄砲伝来」と「清州と桶狭間」の間で、四か月のブランクがあります。ブラジル旅行にて左足に悪性の菌が入り、入院と治療のため取材が出来なかつたとのこと。左足切断の危機だつたさうです。
この後の宮脇氏は体力が落ち、そのせいか筆力まで勢ひを失つたやうな気がします。本書の最後で、その辺の事情も語られるのです。関ヶ原の項で、松尾山山頂を目指しますが、途中で息切れ。

前回、私がこの地を訪れたときは、雨に降りこめられて、泥んこ道だった。探訪を諦め、「あらためてハイキング・シューズでもはいて出直したいと思っている」と書いた。けれども、あれから一八年も経てしまったきょうは、天気も道もよいのに、私は登ることができない


紀行作家として、これほど無念なことはありますまい。読者もつらいのであります。で、「あとがき」で「日本通史の旅」終了宣言をするのです。

昨年(一九九九)六月、関ケ原を訪ねたとき、私には史跡めぐりをする力がないことを自覚しました。石段の上に目指すものがあっても登れないのです。(中略)『小説現代』編集部は、江戸時代まで書き続けよ、と仰言ってくださっていて、涙が出るほどありがたいのですが、これでお別れにさせてください。


まるで紀行作家引退宣言ともとれる、哀しい「あとがき」であります。実際、紀行作品としては本作が実質最後となつてしまつたのであります。
しかし宮脇氏が遺した作品は少なくありません。折に触れて読み返し、末永く愉しむことにしたいと思ひます。ぢやまた。


辛酸
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辛酸 田中正造と足尾鉱毒事件

城山三郎【著】
KADOKAWA(角川文庫)刊
1979(昭和54)年5月発行



城山三郎氏が世を去つて丁度十年が経過しました。今わたくしは「城山三郎氏」と書きましたが、本来物故者には敬称を略すものでせうね。
亡くなつたばかりの人、例へば今なら野際陽子さんとかなら、死んだからと言つて忽ち呼び捨てにすることは気が引ける。故・吉沢典男氏は(ここでも「氏」を付けちやふけど)、たとへ対象となる人が尊敬すべき人でも、その死後長い年月を経た歴史上の人物の場合は、敬語を用ゐることはしないのがルールである、と語つてゐました。
十年といふのは、「長い年月」なのか、城山氏は「歴史上の人物」なのか、どうなのでせうか。

まあそれはどうでもいい。ここでは『辛酸 田中正造と足尾鉱毒事件』を選びました。田中正造といへば、足尾銅山の開発によつて齎された公害を訴へた人。もと衆議院議員でしたが、その職を投げ出し、足尾の公害問題に生涯をささげました。運動には私財を投じ、死亡時にはほぼ無一文であつたさうです。
田中の評伝を書くなら、その生ひ立ちから、華華しい議員時代の活躍ぶりを活写したいところですが、城山氏はさうはしませんでした。

二部構成で、第一部「辛酸」では、既に議員を辞職した後、「谷中村」で苦闘する姿で登場します。国は渡良瀬川を中心とする公害について、企業の責任を認めず、それどころか渡良瀬川の貯水池を強引に作り、谷中村を無理矢理消滅させます。一部村民は谷中に残り、田中も共闘するのですが、権力の前には無力でした。
第二部「騒動」は、田中亡きあとの、村民たちの悲しい戦ひぶりが展開されます。谷中残留民のひとりである宗三郎くんが実質的な主人公となり、妥協を迫る官憲や寝返つた元村民、弁護士たちの圧力に抗ふのですが......

国は谷中を強制的に廃村にせんと、住民が残つてゐるにも拘らず村民たちの家屋などを破壊し、あまつさへその費用まで負担を村民に要求するといふ無茶苦茶ぶりであります。
足尾の銅山が公害の原因だと認めると、経済的に打撃になるので、目を瞑つたのですね。さういへば志賀直哉が父親と不仲になつた原因も足尾銅山だつたつけ。

本書を読んで、いやあ明治大正は何といふ封建的で野蛮な時代であつたことよ、と思ふかも知れませんが、多分その流れは現代も続いてゐますね。環境よりも経済を優先させ、実業人を太らせる政策。中国はそれが極端に進められ、かつての日本を上回る公害大国になつてゐます。米国のトランプなる御仁も、未だに環境と経済は対立するものといふ旧来の概念に囚はれて、時代に逆行した政策を打ち出してゐます。わが日本の原発政策なども、まさに同様の問題ですな。
かかる古くて新しい課題を、1961(昭和36)年といふ時代に提示した城山氏の慧眼も注目の、感動の一作と申せませう。

ところで、長らく貨物輸送を担つた国鉄足尾線は、現在第三セクターの「わたらせ渓谷鐵道」として生れ変り、トロッコ列車を走らせるなど観光客を集めてゐます。ここを訪れる皆様は、少しだけ田中正造と鉱毒事件に思ひを馳せていただきたいと存ずるものであります。
ぢや、おやすみ。


汽車旅放浪記
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汽車旅放浪記

関川夏央【著】
中央公論新社(中公文庫)刊
2016(平成28)年10月発行



関川夏央氏もテツであつた! さういへば原武史氏や酒井順子氏らと汽車旅の本を出してゐましたなあ。迂闊な事でした。
書名から、著者があちこちとテツ旅をする一冊かと思ふところですが、さにあらず。
文学史に名を残す作家たちが、その作品中でいかに鉄道を扱つたか、いかなる汽車旅をしたのかを探り、その旅を追体験してみやうといふ試みですかな。

登場する主な作家は、以下の通り。
高村光太郎・川端康成・坂口安吾・志賀直哉・上林暁・岩野泡鳴・葛西善蔵・中野重治・山本周五郎・松本清張・林芙美子・太宰治・宮沢賢治・宮脇俊三・夏目漱石・内田百閒。
特に宮脇俊三に関しては、一章丸ごと充てるなどして、かなりの熱の入れやうです。『時刻表昭和史』における、今泉駅での終戦体験について熱く語る。確かに名著の誉れ高い同著の中でも、もつとも感動を呼ぶ場面でした。堂々たる「宮脇俊三論」となつてゐます。

漱石は汽車嫌ひだつたと繰り返し述べてゐます。本人もさういふ旨の発言をしてゐるさうです。しかし作品中にはやたらと汽車が登場するのです。描写も的確で、さすがに良く観察してゐると感心するのです。
漱石は猫嫌ひか否かとの論争もありますが、同時に鉄道嫌ひかどうかも専門家の間で論じていただきたい。『坊っちゃん』や『三四郎』などにおいては特に、汽車が重要な役割を果たします。さうさう、『それから』のラストシーンでも、代助が電車に乗りながら周囲が真赤に染まるといふ印象的な場面がありました。内心、実は鉄道好きではないのかと思はせるのです。

書名から、テツ向けの内容かと勘違ひする向きがあるかも知れませんが、本書は鉄道情報を提供する書物ではありません。鉄道をダシにして文学を語るエッセイといふ感じでせうか。まことに愉快な一冊であります。ただし文学趣味の無い人が読むとツマラナイかも知れません。
(ところで、JR西の路線「三江線」は、「さんごうせん」と態々フリガナを振つてゐますが、これは「さんこうせん」でせうね。江津や江川の連想から「さんごうせん」だと思つたのでせうか)



道草
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道草

夏目漱石【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1951(昭和26)年11月発行
1969(昭和44)年2月改版
2011(平成23)年3月改版

いやはや又もや間が空いてしまひました。
さて、昨年(2016年)は漱石の没後100年といふことで盛り上がつてゐましたが、今年は生誕150年に当るのでした。二年続けての漱石イヤーなので、わたくしも『道草』を開いた次第であります。

』『こころ』などと同様に夫婦の問題が描かれてゐます。しかし『道草』がそれらと違ふのは、ほぼ漱石自身の体験を綴つた「自伝的小説」であるといふところですね。主人公の健三が即ち漱石本人がモデルであります。妻のお住が鏡子夫人、さらに金をたかる島田のモデルは養父の塩原昌之助となつてゐます。

ロンドン留学から帰国した漱石。英国では精神的にまいつたやうで、神経衰弱になつて、いはば志半ばで帰国する訳です。その後漱石は『吾輩は猫である』で世に出て、朝日新聞社の専属小説家となります。本作の冒頭に「健三が遠い所から帰つてきて」とあるのは、漱石がロンドンから帰国した事を指してをります。
本作の後は絶筆となつた『明暗』を残すのみで、漱石としては最後期に属する作品。もうこの時期になると、初期に見られた諧謔調は姿を消し、重苦しい雰囲気で物語が進むのであります。

夫婦関係はきくしやくしてゐます。夫は空疎な理屈を振り回す思ひやりのない変人として描かれ、妻は怠惰で夫の仕事にあまり協力的ではないやうに見えます。現在の目から見ると、お住は特段の悪妻とも思はれませんが、毎日夫よりも遅く起きるなど、明治の世では非難されるべき一面があつたのでせう。
しかし後にお住が出産する際には、何だかんだ言つて夫婦の結び付きを感じさせる場面もあり、ちよつと安心します。

序盤で島田に出遭つてから、後の色々な面倒(金をたかられる)を示唆するところなどは、読者の興味を誘ひぐいぐい引張ります。そして徐々に島田が接近する様子は、まるでサスペンス小説のやうであり、読者はどきどきしながら先を急ぐのであります。漱石はまるでエンタメ作家ですね、好い意味で。
それにしても「島田」がかういふ卑しい人物に描かれて、モデルの塩原昌之助の子孫の方は、この小説をどう感じるのでせうか。

漱石を余裕派と呼び揶揄してきた自然主義派が、『道草』で初めて漱石を認めたとの話もありますが、あくまでも自伝的小説であつて、従来の作風を変へてはゐないと存じます。小説作法の上手であるだけの話です。
「世の中に片付くなんてことは殆どありやしない......ただ色々な形に変るから他(ひと)にも自分にも解らなくなるだけの事さ」