源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
原節子 あるがままに生きて
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原節子 あるがままに生きて
貴田庄【著】
朝日新聞出版(朝日文庫)刊
2010(平成22)年6月発行

一昨年9月に亡くなつた原節子。なぜこのタイミングで登場するのかといふと、先達て某ラジオ番組にて、彼女の評伝を書いたノンフィクション作家・石井妙子氏のインタヴューを聞いたからです。
原節子といへば小津安二郎監督作品に代表される、一歩引いた立ち位置のいかにも日本的な女性を演じてゐましたが、素顔の彼女は大きく異なるとか。石井氏によれば、原は小津作品における自分の役柄に満足してゐなかつたとか。ほほう。

原節子 あるがままに生きて』は、映画評論家の貴田庄氏による原節子の評伝(文庫カヴァーには「エッセイ」と書いてありますが)であります。ほぼ時系列で彼女の生涯を追つてゐます。
原が女学校を中退し映画界に入つたのは、どうやら経済的な理由らしい。義兄の熊谷久虎が日活で映画監督をしてゐた縁で、14歳で女優デビューするのでした。
当初は鳴かず飛ばずでしたが、たまたま日本に来てゐたドイツ人監督のアーノルド・ファンクの目に留まり、日独合作映画「新しき土」のヒロイン役として抜擢され、一躍注目を浴びるやうになります。

しかし原節子は当初、演技が拙いといふことで、何かと大根呼ばはりされるのです。まあ確かに巧くはなかつたかも知れませんが、さう取り立てて騒ぐほどの大根だつたか。彼女自身も、演技の未熟さを自覚しながら、反撥心もあつたやうです。
美男美女といふものは、やつかみも手伝つてか、何かと大根扱ひされるものです。長谷川一夫などは酷い言はれやうでした。
それが山中貞雄、成瀬巳喜男、黒澤明といつた名匠たちに揉まれてゆくうちに、さういふ誹謗は減少し、そして小津安二郎と組むに当つて大輪の花を咲かせた感じでせうか。

原節子本人は、「開かれた女性」だつたので、男性の添へ物的な役に飽き足らず、もつと女性が自らの意思で活動する役がしたかつたさうです。本書によれば、細川ガラシャを演じたかつたと語つたとか。
そして女優といふ職業を実に真面目に捉へてゐました。舞台挨拶を嫌ひ、水着撮影を拒否し、ラブシーンは撮らずと、彼女にとつて、映画女優には邪道と思ふ行為を避けてゐたのです。女優は映画における演技で勝負すべきで、素顔を見せたり私生活を曝したりするのはすべきではないと考へてゐました。
一見わがままのやうですが、むしろ現代の俳優さんたちに見習つていただきたいものです。人気商売ゆゑ、あまり頑ななのも問題ですが、CMのおちやらけた姿を見慣れた後で、映画やドラマのシリアスな演技を見せられても素直に鑑賞できないのであります。あ、わたくしの場合ですがね。異論もあるでせう。

そして42歳での引退。山口百恵さんのやうにことさらに引退を表明する訳でもなく、フェイドアウトするやうに消えたさうです。その後ほとんど公の場に姿を見せず、実に潔い身の引き方でした。
引退の理由については、健康説(目を悪くした)だとか小津監督の死去がきつかけだとか、色色言はれてゐますが、結局本人の真意は分かりません。本書では、実兄の会田吉男カメラマンの不慮の死も引金ではないかと推測してゐます。

本書の刊行時は当然、原節子さんは存命中でしたが、結局隠遁生活を全うしたまま、95歳の生涯を閉じたといふ訳です。見事な一生と申せませう。
すでに「伝説の女優」原節子に関する書籍は幾つも出てをりますが、この『原節子 あるがままに生きて』は、わたくしのやうな初心者にはまことに分かりやすく入門書として恰好の一冊と存じます。


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「ゴジラ」とわが映画人生
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「ゴジラ」とわが映画人生

本多猪四郎【著】
ワニプラス(ワニブックス【PLUS】新書)刊
2010(平成22)年12月発行

1960年代を中心に量産された「明るく楽しい東宝映画」。その代表選手の一人が本多猪四郎監督であります。東宝、いや日本映画の良心を一手に引き受けたやうな作風。それでゐて抜群に面白い。
「ゴジラ」で世界に名を知られましたが、わたくしは本多監督ほど不遇な映画人はゐないと考へます。実力以上になぜか過大評価される監督が多い中、一方でこの人のシャシンが語られる時、ゴジラとか円谷英二の方が話題になる不本意な現象が起こるのです。

当の本多監督はどう考へてゐたのでせうか。本書『「ゴジラ」とわが映画人生』では、その思想の一端を垣間見ることができます。山本真吾氏のインタヴューに応へたものを編集した一冊なのです。
故郷山形での映画との出会ひから、忌はしい軍隊生活の経験。八年間も兵役にとられてゐた為、戦後東宝に復帰した時には、後輩が次々と(役職上)自分を追ひ越してゐました。山本嘉次郎門下生三人組(本多・黒澤明・谷口千吉)の中でも、一番先輩だつたのに監督デビューは最も遅れたのであります。こんなところにも、本多監督のツキのなさを感じます。

ところで、監督でも俳優でも、軍隊生活を経て戦後復帰した人の中には、兵隊に行く前とはまるで顔付、目付が変り、明るかつた性格もなりをひそめ、人間が変つてしまつたといふケースが多い。それほど戦争体験は恐ろしいものなのでせう。
しかし本多猪四郎氏は八年間耐へました。「戻つたら必ず映画を撮るんだ。その為に今の経験も無駄にすまい」との一念で、変にならずに済んだとのこと。お陰で、日本映画界は優れたヒューマニズムの映画作家を失はずに済みました。

「結局、ぼくは本当の「悪」というものを描けないんですよ。本当の悪というのは、ぼくにはとても......」「ぼくは、どの作品でもそれ(やりたくない作品)はないですね」「大衆と共に楽しむ。それが私の心情だ」......最後の言葉は、「私の信条」全9条の第一番目のものです。ほかにも「主役の花を見に来た人々が、こんな処にこんな花がと見てくれる」とか、「右にかたよっても、左にかたよっても、権力につながるものには反撥する」などと、本多監督らしい言葉が並んでゐます。

インタヴューは、ほぼ時系列で本多氏の人生、映画作品について尋ねてゐます。しかし駆け足の印象が強く、一つの作品について、もう少し突込んだ話が聞きたいなあと思つたのですが、これは第一稿として概観を語つてもらひ、より詳しく各論に入る予定だつたさうです。しかし本多氏が他界し、それは叶ひませんでした。まことに残念。語りによる本多猪四郎自伝の完全版を読みたかつた喃。

巻末には子息の本多隆司氏のあとがきが付されてゐます。本多猪四郎監督といへば、万人が「穏やかな人柄」「怒つた姿を見たことがない」と評します。きつと家族には裏の姿(素の姿)を見せてゐたのではないか。実は家庭では暴言を吐いたりDV加害があつたりしたとか......
そんなことを思ひながら読みましたが、息子さんの言葉でも「“監督は優しくて、おおらかで、怒ったのを見た事が無い!”これが父の監督としての一般的な評価です。事実、その通りです」ああ、さうですか。さういへば夫人・本多きみ氏もさう述べてゐたつけ。

何はともあれ、名著を復刊してくれたワニブックスに感謝であります。



俺 勝新太郎
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俺 勝新太郎

勝新太郎【著】
廣済堂出版(廣済堂文庫)刊
1987(昭和62)年7月発行

CS放送の「映画・チャンネルNECO」にて、勝新太郎生誕85年を記念して「座頭市」シリーズなどの作品を放送してゐます。個人的にカツシンはあまり好きではないのですが、座頭市や悪名のシリーズは割かし好きで、全部観てゐるのでした。
そのカツシンが自らを語つた一冊。インタヴューをプロのライターが纏めたのか、あるいは本人の筆によるものか、何となく後者のやうな気がします。

この人が自分を語るのだから、さぞかし過去の豪快な歴史を露悪的に披露して、どうだい俺はこんな悪い奴さ、などと自慢する内容だらうかと想像したのですが、さういふ面はあまりありません。麻薬不法所持の件も、案外さらりと書いてあります。
それよりも、本道である芸について語つた諸諸が興味深い。専門の長唄は勿論ですが、歌舞伎については「俺と同年代ぐらいの俳優で、歌舞伎の話をできる俳優は少ないと思う」と語るだけあつて、六代目菊五郎、先代吉右衛門、十五世市村羽左衛門などについては、無知なわたくしにも伝はるやうに、独特の表現で論じてをります。

一俳優の枠に収まりきらず、個性的な演出家としても有名なカツシン。従来の、脚本に雁字搦めの演技を嫌ひ、俳優がこの後、自分が驚くことが分つてゐるのはをかしい、といふ。「偶然=完全」と称し、NGぎりぎりの演技が理想だとか。今までの予定調和の中で作られたドラマが、いかに退屈なものだつたかを、観衆(視聴者)に悟らせなくてはいけない。まあそれは分かるが、監督の顔も立てずに現場を混乱させるのはよろしくないね。こんな人が黒澤明監督の映画(「影武者」)に参加しても、衝突はあらかじめ分かつてゐたではありませんか。黒澤から首を言ひ渡されるのは当然と申せませう。
わたくしも実は、TV版「座頭市」の後半とか、「警視-K」みたいな前衛映像はあまり好まない。一般的に、観客を愉しませることよりも、自分が撮りたい映像を優先させる姿勢は、いかに能力が有つても、それは才能の浪費ではないでせうか。

関はつた俳優仲間たちとの交友も、控へ目ながら触れてゐます。裕次郎からは「きょうらい」と呼ばれてゐたとか、東京で成功した田宮二郎が高級車を自慢するとか。俳優ぢやないけれど、谷川徹三との交友は意外であります。カツシンも泣いたといふ谷川先生の奥方の話は、わたくしもしんみりしました。
それにしても、まだ生誕85年。改めて早すぎる死を惜しむのであります。



ウルトラマンがいた時代
無題

ウルトラマンがいた時代

小谷野敦【著】
ベストセラーズ(ベスト新書)刊
2013(平成25)年4月発行

わたくしも世間の大勢に倣つて、本はネットで買ふ事が多いのですが、たまにはリアル大型書店に行かねばとも思つてゐます。先達て立ち寄つた書店では、ベスト新書を全点(まあ、若干の切れはあるでせうが)揃へてゐました。稀有な品揃へ。
早速『ウルトラマンがいた時代』を見つけ、ほほう、こんな本があつたのかと手に取り、レヂへ向かひました。どこからか、これは小谷野敦氏の著書だぞ、良いのか?との声も聞こえてきましたが、何せウルトラ好きなので購買してしまつた。いつぞやは、『ウルトラマンのすすめ』といふ本をよく確認もせずにレヂへ持つて行き、清算の直前で、改めて見たら実は『ウルトラマラソンのすすめ』であつたことに気付き、書棚へ回れ右したこともあります。

で、本書ですが、ウルトラのファンにはまことに評判が悪いやうです。事実誤認とかが多く、後日版元から正誤表が発行されるといふ事態になつたさうです。わたくしが購買したものは版を重ねたものだつたので、概ね誤りは修正されてゐたやうですが、それでも小林夕岐子さんがキラアク星人を演じたことになつてゐるなど、完全ではないみたいです。
また、特撮物出身で、のちに一般俳優としても出世したのは「藤岡弘・柴俊夫・篠田三郎」くらゐだといふのはどうか。今ふつと思ひついただけでも、長谷川初範・村上弘明・オダギリジョーといつた人の名が浮かびますが。

まあ、ネガチブな話はそのくらゐにしませう。本書は、著者小谷野氏の「特撮派宣言」といふことで、堅苦しい「論」は封印して雑談ふうに自身と特撮の関りを語つてゐます。しかも新マンとその時代を大きく扱つてゐるのがいい。なぜかといふと、わたくしが初めて(再放送ではなく)リアルタイムで観たウルトラマンが「新マン」だつたのです。ちなみに新マンを「ジャック」などと呼称して違和感を抱かぬ人とは、あまり近づきにはなりたくありませんな。ああ、元元お呼びではないですか。さうですか。

無論色々と意見の違ふところはありますが、それは当然と申せませう。丁度旧友と再会して、酒宴をしながら幼い頃のヒーロー談義を楽しむのと同種の愉悦があります。「いや、違ふ違ふ違ふ、君、それは違ふぞ」などと口角泡を飛ばしたりして。実際にわたくしが特撮を語れば、とても一晩では足りませんがね。
あまり細かい所に拘泥せず、愉しんでは如何ですかな。



ザ・ベストテン
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ザ・ベストテン

山田修爾【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2012(平成24)年1月発行

現在はテレビが複数台ある家庭が多いと存じますが、かつては一家に一台、家族の団欒の場所に鎮座してゐました。兄弟姉妹の多い時代で、チャンネル争ひも熾烈を極めてゐたと言ひます(我が家では、さういふことは無かつたが)。個人的な感覚では1970年代の10年間がその時代ではないかと。
当然、家族の皆が同じ番組を視聴してゐた訳で、興味の有無に関係なく、共通の話題となり得たのでした。
日本中の庶民がそんな感じだから、子供たちは翌日学校で、例へば昨夜放送されたドリフの番組の話題で盛り上がることができたのであります。

また当時は、「歌番組」も全盛時代でして、各局が競つて流行歌手を登場させてゐました。人気歌手は多忙を極め、バラエティ番組なんかでも、必ず歌手が持ち歌を披露するコオナアがありました。さういへば、当時は繁華街を歩いてゐても、どこかしらからヒット曲が流れてきたものです。ゆゑに、自分の好みの曲でなくても、贔屓の歌手の唄でなくても、ヒット曲は皆が認識してゐました。ウチの父なんぞは、自分の嫌ひな歌手の唄が流れてくると、「何でこんなくだらん歌が流行るんだ」と苦虫顔で毒づく一方、その歌を平気で口ずさむのでした。

「ザ・ベストテン」は、さういふ時代が最後の輝きを見せてゐた時期に始まつた歌番組であります。前例のない「ランキング形式」を採用したことや、司会に黒柳徹子さんと久米宏さんを起用したことなどが功を奏して、大人気番組となりました。
やらせのないランキングを、といふことを重視したため、たとへ山口百恵さんでも11位なら出演できず、逆にテレビ出演拒否が分かつてゐる歌手でも、ランキングにあげた上で「欠席」としてゐました。そのたび久米宏さんが律儀に視聴者に謝罪してゐたのが印象的です。

本書『ザ・ベストテン』の著者・山田修爾氏は、この番組の誕生から終了まで一部始終に関つたディレクター、プロデューサーといふことです。誕生時の苦しみ、ベテランと若手の確執、生番組ならでは事故の数々、スタア歌手との意外な交流など、本人でなければ書けない裏話が満載であります。著者と黒柳徹子さんとの特別対談も収録。さらに巻末には、全603回分の「ベストテンランキング一覧」が。これを見ると、わたくしの場合、70年代まではほとんどの曲を知つてゐるのに対し、80年代以降は、自分の贔屓歌手以外の曲はほとんど知らない。このあたりから核家族化とか、テレビは一人に一台の時代とかに突入するのでせうかね。
「ザ・ベストテン」をリアルタイムで観てゐた人にとつては、丸ごと楽しめる一冊ではないでせうか。