源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
車輪の下
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車輪の下

ヘルマン・ヘッセ【著】
高橋健二【訳】
新潮社(新潮文庫)刊
1951(昭和26)年12月発行
1985(昭和60)年4月改版
2015(平成27)年6月改版


初めて読んだのは多分中学生の時分であります。その時の印象は、①主人公ハンスはいつも頭痛に悩まされてゐる。冴えない奴だ。②成績が落ちたのも、学校を辞めたのも、あんな最後になつたのも総て自己責任だぜ。周囲の大人の理解の無さに責任転嫁するんぢやないよ。
何しろ自分自身中学生だつたので、将来に対する展望が無限に広がつてゐる気がして、何の根拠もない自信に包まれてゐたのでせう。俺はあんな風にならないぜ、てな感じですかね。田山花袋『田舎教師』を読んだ時も似た読後感を持つたものです。

流石に今ではさう思ひません。自分が結局傑物でも何でも無いことが自他ともに曝け出された、といふ事もありますね。
周囲の期待を一身に背負つたハンス君にも相当な圧力がかかつた事でせう。父親もそれに輪をかけた期待ぶり。ハンス君は見事に応へ、神学校に2位の成績で入校します。内心、それならもつと頑張つて1位を取りたかつたと悔いるハンス。2位ぢや駄目なんですかbyレンホー。

しかし入学後、ハイルナーといふ詩人の卵と友人になつてから、彼に感化されて勉学に身が入らなくなります。ハイルナーはその行動が問題視され、不良生徒として放校扱ひになり、ハンスもノイローゼになつて学校を去ります。失意の中、父の元へ帰るハンス。
しばらくぶらぶらしてゐたハンスですが、父から書記か機械工にならないかと提案を受け、機械工を選択します。
当初は慣れぬ作業にヘロヘロになるハンス。しかし次第にさまになり、仲間とも打ち解けるやうになりました。
ある日、同僚で友人のアウグストに飲み会に誘はれます。父は許可するが、夕食までには帰宅するやうにと言ひつけるのでした。しかし、ハンスは夕食の時間になつても帰つて来なかつたのです......

作者ヘッセ自身の体験が色濃く反映されてゐるだけに、ハンスの心の動きは苦しくなるほど読者に伝はるのであります。結局車輪の下で潰されてしまつたハンスでありますが、悲劇が起きるまで車輪の存在に気付かぬもの。大人は、子供のためと称しながら実は自分の利害を優先して指導・教育をする。それが子供たちを圧し潰す車輪であることを意識せずに。
でも、最近は打たれ弱い子供が多いよね......なんて事を言ふと尾木ママに怒られますかな。
いづれにせよ、わたくしの意見としては、青春時代よりも社会で揉まれた後に読んだ方が理解しやすい作品であると存じます。学生時代に読んだがピンと来なかつた人は、今一度読んでみてはいかがですかな。
デハデハ、今日の日はさやうなら。



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彼方
無題

彼方

J-K・ユイスマンス【著】
田辺貞之助【訳】
東京創元社(創元推理文庫)刊
1975(昭和50)年3月発行


ユイスマンスが世を去つてから110年。代表作といへば『さかしま』、そしてこの『彼方』でせうか。
しかしなぜ『彼方』は、創元推理文庫に入つてゐるのか。いや、確かに同文庫には「怪奇と冒険」なる一ジャンルがあつて、その一冊として出版されてゐることは承知してゐるのですが、お陰で日本の読者には、本来の『彼方』が持つ味はひが伝つてゐないやうに思はれます。例へば白水社のUブックス辺りから出てゐるべき作品かと存じます。

まあそれは良い。ユイスマンスはその生涯に於いて、何度か文学的な転向(?)を重ねてゐます。
まづはゾラの影響下にある自然主義文学者として、次いでペシミズム漂ふデカダン派、そして悪魔的思想を背景に神秘主義に染まり(『彼方』は、この時代を象徴する作品)、最後はクリスト教に改宗してしまふ、といふ変遷を経てゐます。

主人公の作家デュルタルは、中世フランスの悪魔主義者・ジルドレー元帥の評伝をを物するために、現代でも生きている悪魔崇拝の数数を探求します。
ジルドレーとは、いかなる人物か。かつてはかのジャンヌダルクに協力して、オルレアンの戦ひにて戦果を挙げた功績などがあるものの、その後は錬金術や悪魔術に耽溺、果ては少年たちを拉致してはこれを凌辱・惨殺するといふ暴挙に出た人。被害者となつた少年の数は、800人ともいはれます。

さういふとんでもない奴の一代記を書くために、友人デゼルミーや鐘撞のカレー夫妻などと交流したり、シャントルーヴ夫人との不倫関係を利用して、現在に残る黒ミサを見学したりします。エコエコアザラク。それは黒井ミサか。
『さかしま』の主人公と違ひ、デュルタルはさういふ世界に首を突つ込んでも深入りはしません。あくまでもジルドレー伝記執筆のためと割り切つてゐるフシがあります。そのせいか、扱ふ主題の割には重苦しさや嫌悪感を感じず、悦楽と共に読み終へました。まあ個人的差異はあるでせうが。少なくともこの著者の作品中では、とつつきやすい一作と申せませう。

デハデハ、御機嫌よう。



黄色い部屋の謎
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黄色い部屋の謎

ガストン・ルルー【著】
宮﨑嶺雄【訳】
東京創元社(創元推理文庫)刊
1965(昭和40)年6月発行
2008(平成20)年1月改版


没後90年を迎へたガストン・ルルー。良く知られてゐる作品といへば、『オペラ座の怪人』、そしてこの『黄色い部屋の謎』でせうか。邦訳によつては『黄色い部屋の秘密』となつてゐるものもあるやうです。
冒頭の紹介文では―

通称ぶな屋敷と呼ばれるスタンガースン博士邸の「黄色い部屋」で、奇々怪々な事件が突発した。内部から完全に密閉された部屋の中から令嬢の悲鳴が聞こえ、救援にかけつけた一同がドアをこわしてとび込んだ時、血の海の中には令嬢が倒れているだけ―犯人は空中に消えてしまったのか、その姿はどこにも見あたらなかった。この驚くべき密室の秘密ととりくむのは、若冠(ママ)十八歳の新聞記者ルールタビーユ。密室犯罪と意外なる犯人に二大トリックを有する本編は、フランス本格派を代表する傑作として、世界ベスト・テンの上位に選ばれる名作中の名作。

となつてゐます。いやあ、面白さうだ。

語り手はサンクレールなる弁護士。彼の若き友人で《エポック》紙の記者・ルールタビーユの活躍を我々に報告してくれます。若さゆゑの自信過剰、生意気さも持ち合はせ、人間臭い面も表現されてゐます。しかし相棒の筈のサンクレールを少々莫迦扱ひしてゐるフシもあります。
彼と対峙する関係になるのが、パリ警視庁の敏腕探偵、フレデリック・ラルサン。大フレッドなどと称され、押しも押されもせぬ名探偵との誉れが高い。この二人の推理合戦の様相も見せ、読者の興味を引張ります。

密室トリックの古典的・記念碑的作品と言はれるだけあつて、黄色い部屋の謎の提示から展開、そしてアッと言はせるトリックと真犯人は中中のものであります。
ところで現代ミステリに慣れた人達が「大したことはない」「現在の眼で見たら噴飯もの」などと評する事がございます。それは当然でせう。もし今でも「スゴイ!」が通用する内容なら、その後のミステリ作家たちは一体何をしてゐたのか、といふ事になります。

そもそも今から50年以上前の1965年に書かれた中島河太郎氏の解説で、すでに「やや古色蒼然たる感じがするかもしれない」と指摘されてをります。ここではむしろ、その大時代的な、大仰な言ひ廻しを含めた「古色蒼然」さを愉しむのが正解ではないでせうか。
「ウルトラマン」は今観ても楽しい。今ではありふれたテーマだつたりチヤチな特撮だつたりを丸ごと楽しめるのであります。片岡千恵蔵の「多羅尾伴内」は今でもわくわくする。最後の「七つの顔の男ぢやよ......」「正義と真実の使徒、藤村大造だッ」は、まるで法廷でルールタビーユが勿体ぶつて謎解きをする場面ではありませんか。

ただし謎が謎のまま終つた点は感心しませんな。ルールタビーユが「黒衣婦人の香水」の話を引張るのは、次回作の宣伝と取られても仕方ありません。実際、読んでみたいと思つてしまふではありませんか。
さういふ、罪な点も含めて、古典好きは一読するとよろしい。期待外れでも責任は持ちませんが。

デハまた。



女帝エカテリーナ
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女帝エカテリーナ<上・下>

アンリ・トロワイヤ【著】
工藤庸子【訳】
中央公論社(中公文庫)刊
1985(昭和60)年10月発行


大尉の娘』からの流れで、『女帝エカテリーナ』。没後10年を迎へたアンリ・トロワイヤの登場であります。

エカテリーナ二世(最近の表記は「エカチェリーナ」が主流らしいが、ここでは本書の表記に従ふ。また原著では「カトリーヌ」になつてゐます)は、帝政ロシアの女帝。在位1762-1796。生誕名はゾフィー。ウルトラマンを助けに来る宇宙人とは無関係。

元元彼女はロシア人の血を全く受け継いでゐないし、特別な家柄でもなかつたのですが、伯父に当るカール・アウグストなる人物がかつてピョートル大帝の娘(後の女帝エリザヴェータ)と婚約者だつたといふ関係がありました。カール・アウグスト自身は直ぐに死去してしまひますが。
その縁で、エリザヴェータ女帝時代に、その後継者と目されたピョートル三世の嫁として白羽の矢が立つのでした。ゾフィーはエカテリーナとなり、ロシア正教に改宗します。しかしこの結婚生活は幸福なものではなかつた。

エリザヴェータの死後、夫のピョートル三世が即位しますが、彼はプロシアの方ばかり顔を向け、ロシアの国益を無視する政策ばかりだつたので、民衆の不満は爆発寸前。エカテリーナは世論に押されるやうな形でクーデターを敢行、自らエカテリーナ二世として即位するのでした......

いやあ、やはり評伝小説は面白い。可憐な少女時代から、権力の凡てを握るまで、エカテリーナはぶれません。目的のためには、あらゆる権謀術数も厭わない。しかし表面上は汚れ役から距離を置き傍観者を演じます。しかし愛人関係はだらしない。
特に息子のパーヴェル夫妻に対する態度は、かつてエリザヴェータ女帝から自身に向けられた仕打ちそのもので、歴史は繰り返すとはよく言つたものであります。
孫のアレクサンドルに権力の座を継がせる目的を達せないまま、自身は力尽きますが、死後数年経つて結局大望を実現してしまふところは、まるでドラマのやうな展開と申せませう。

改めて、アンリ・トロワイヤは良い意味の通俗小説家だと勘考します。工藤庸子さんの翻訳も素晴らしい。否、別に原書と突き合はせて読んだ訳ではありませんがね、多分素晴らしいのです。うむ。




大尉の娘
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大尉の娘

アレクサンドル・プーシキン【著】
中村白葉【訳】
新潮社(新潮文庫)刊
1954(昭和29)年8月発行



ロシアでは他国に比して、文学の近代化が遅れてゐました。後の豊穣なるロシア文学世界を思ふと、意外な感じがします。
そんな中で、ロシア近代文学の祖とも呼ばれるのがプーシキンであり、その代表作が本書『大尉の娘』といふ訳。
歴史上の事件である「プガチョフの乱」(本書の表記では「プガチョーフ」)を背景に物語が進みます。世界史の授業中に居眠りをしてゐた人でも、その名前くらゐは覚えてゐるのではないでせうか。

主人公はピョートル・アンドレーイチ・グリニョフなる、少年から青年への成長期の若者。名が長すぎるので、わたくしは読みながら脳内で、勝手に「安藤玲一」などと読み替へてゐました。
この人に限らず、登場人物の名が長いので、覚えるのに一苦労であります。しかも会話文でさへ、「アヴドーチヤ・ワシーリエヴナ、ペトルーシャは幾つだつたかな?」などと、夫が妻に自分たちの息子の年齢を確認するだけでこんな調子なので、読み慣れないと頭がくらくらします。

そのグリニョフの父は、息子を士官として一人立ちさせんが為に、態々辺境の要塞に派遣させます。そこで出逢つたのが、「大尉の娘」マーシャことマーリヤ・イヴァーナヴナ・ミローナヴァであります。
二人は恋仲となりますが、結婚の許可を父に手紙で願い出たところ、「許さん」との返事。落ち込む二人でしたが、そんな中、コサックたちの反乱がこの要塞にも累を及ぼすことになります。所謂「プガチョーフの乱」であります。
コサックの頭領・プガチョーフは破壊、略奪、虐殺の限りを尽くし、若い二人の運命もこれまでかと思はれましたが......

いやいや、面白い。文学史的にも重要な作品なのでせうが、そんなことは忘れていいです。立志・恋愛・友情・対立・悲劇・活劇と全ての要素が詰まつた、感動的物語であります。古典作品も侮れません。
ところで、本書はわたくしが学生時代に購買したものですが、どうやら現在は絶版で、岩波文庫版(神西清訳)が入手容易らしい。しかしながらこの中村白葉訳も捨てがたいので、あへて新潮文庫版を挙げておきます。いささか古風で、促音も廃した表記ですがね。

蛇足ながら、忠実なる部下のアルヒープ・サヴェーリイチは、東映時代劇の堺駿二を連想させました。どうでもいいですが。



ロングセラアのお菓子「カール」が、東日本では発売を取りやめるとしてニュウスになりました。その境目は中部地方と近畿地方の境界線かと思つたら、三重県も「東日本」に含まれてゐました。近畿地方を名乗りながら、ちやつかり「東海三県」の一員になる三重県。関西圏からすると、「普段名古屋の方ばかり顔を向けてゐる報ひだ、はッはッは」といふところでせうか。
たつた今近所のスーパーにて「カール」売場を確認したら、見事に全種類が売切れで、棚がすつからかんでした。同じことを皆考へるやうで、「ああ、売切れだねえ」と嘆く人たちが群がり、幼児を連れた若いお母さんも「カール売切れだよ、もう、前買つたのはお父さんが全部食べちやつたからねえ」と残念がつてゐました。カールを求めて人々は西へ、となるのでせうか。