源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
城山三郎が娘に語った戦争
城山三郎が娘に語った戦争 (朝日文庫)城山三郎が娘に語った戦争 (朝日文庫)
(2009/07/07)
井上 紀子

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城山三郎が娘に語った戦争
井上紀子【著】
朝日新聞出版(朝日文庫)刊
2009(平成21)年7月発行


著者は故・城山三郎さんの次女であります。肉親でなければ書くことのできない、貴重なエピソオドが詰まつてゐます。
城山三郎さんは経済小説の作家、といふことになつてゐるが、井上紀子さんによると、原点は「戦争」であると言ひます。『大義の末』『一歩の距離』などが出発点だと、彼女は考へてゐるやうです。

しかし城山さんは子供たちに、実は戦争を語らなかつた。体験談を期待してゐた紀子さんでしたが、子供の頃に聞かせてもらふことは出来ませんでした。後年、城山さんが70歳を過ぎてから、初めて自分の戦争体験を語り始めたのださうです。意外な事実ですが、それまで語れなかつたのは「つらすぎて言えなかったんだよ」と。そして「話さなければいけないし、そのために生かされてきたのだと思う」といふ考へから、語り継ぐ必要性を感じたのださうです。
もう20年くらゐ前、当時60代の女性に戦争の話を聞かうとしたことがありますが、その時の彼女も、「つらすぎて、話せない」と言つてゐました。「戦争体験は語り継がなくちやいけない、とよく言ふけれど、私は嫌だ。思ひ出すだけでつらくなる」と。

城山さんはあの個人情報保護法にも反対してゐましたが、これも戦争中の悪法「治安維持法」につながるといふことで、国家による情報操作を恐れたのであります。
パチンコ屋から軍艦マーチが流れるだけで顔をしかめる城山さんが、カラオケでは軍歌しか歌へなかつたとか、一人レコードで軍歌を聴きながら「なぜ自分だけ生き残ったんだ」と嗚咽する場面とか、胸を突かれますね。あの流行作家がこんなに苦悩してゐたとは。

一方で、おそらく家庭内でしか見せない一面も披露されてゐます。集中しすぎて靴下を履いたまま風呂に入つたり、妻のカーディガンを間違えて着てゴルフへ行つたり、せつかく買つた携帯電話を常時充電器に置き、時計代わりにして「便利なんだよ」とすましてゐたり...微笑ましくなります。

案外作家さんといふのは、言行不一致の方が多いやうに見受けられますが、城山三郎さんは筋を通して79年の生涯を全うしました。かういふ方の遺志を継ぐ人が多くなれば、城山さんの訴へもますます意義が大きくならうといふものです。

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土俵の修羅
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土俵の修羅
石井代蔵【著】
新潮社(新潮文庫)
1985(昭和60)年11月発行


紛糾してゐる相撲界。名古屋場所の開催に何とか漕ぎ着けました。開催すべきではないとの意見が大勢を占めてゐるやうですが、まあ、いいぢやありませんか。
今日の朝日新聞には「識者の意見」として数名の方が意見を寄せてゐます。その中で、杉山邦博さん(厳罰は当然、さらなる処分も課すべきである。しかし場所は開くべき)と、天野祐吉さん(当事者たちは社会人としての意識がない。そこを改善するところから本当の改革が始まる。今後も問題を考え続けるならば場所をやればいい)のコメントに共感を覚えるものであります。

『土俵の修羅』を読みますと、角界の不祥事といふか閉鎖社会といふものは、今に始まつたことではないのが解ります。時津風部屋で17歳の取的を扱き殺した事件は記憶に新しいところですが、ああいふ暴力は日常茶飯事でありました。「かはいがる」なんて言つてね。八百長や賭博についても然りでせう。時代が変り、相撲界も社会の目を無視することができなくなつたといふところでせうね。相撲部屋の常識は世間の非常識と認識されるやうになつてきました。

本書に「生きている八百長」なる章があります。この種の本には珍しく、八百長は厳然とした事実であるといふ立場であります。八百長問題は裁判になつても実証ができないとも言はれます。しかし著者によると八百長は証明できるといひます。かつて「八百長仲介業」をしてゐた元十両力士の話は、衝撃です。元十両といつても、ほぼ万年幕下で、財をなせる状態ではなかつた筈なのに、「現役時代から女房とたくさんの子供に囲まれて、引退後は自宅で立派なチャンコ屋を経営する。応接間にいくと贈物のナポレオン、ヘネシー、ジョニーウォーカーなどの一級品がずらりと飾られている。それもそのはず、自分の相撲よりも人の相撲で稼ぎあげた。
彼の存在が「生きている八百長」の動かぬ証拠であつたといふ。本書では当時の四股名や本名も明かされてゐますが、すでに関係者が過去の人物ばかりだからでせう。相撲協会には自浄能力がないといはれてゐます。私もさう思ふ。不正をネタに食つてゐる人物がゐますと、根絶は難しいのでせう。

暗い話になりましたね。ご無礼しました。

東京ステーションホテル物語
東京ステーションホテル物語 (集英社文庫)東京ステーションホテル物語 (集英社文庫)
(1999/08)
種村 直樹

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東京ステーションホテル物語
種村直樹【著】
集英社(集英社文庫)刊
1999(平成11)年8月発行


東京ステーションホテル80周年を記念して、レイルウェイ・ライターの種村直樹さんが書き下した1冊であります。単行本発行時が1995(平成7)年なので、今年で95周年といふことになります。現在は工事中で営業を休止してゐるさうです。重要文化財に指定されてしまつた関係のやうですね。営業再開は再来年の予定と聞いてゐます。

太平洋戦争前は帝国ホテルと並び立つ存在で、数々の賓客を迎えた。戦争末期に米軍機の爆撃を受け駅舎もろとも炎上しているが、被災前に近い姿で復興した。リニューアルの遅れによって一時荒れ果てた時期もあったが、足場が良いので、常連客と旅行者に支えられ、今日に至った。顧客の一人は、「一流ではないが名門」と評したそうで、言い得て妙である。」(「赤レンガの異色空間」より)

二部構成になつてゐまして、第一部は、当ホテルに係つてきた関係者や有名常連客の話などをからめて東京ステーションホテルを案内する「東京ステーションホテルへの誘い」
何しろ東京駅構内といふ絶好の立地なので、作家などが缶詰になるには都合が良かつたさうです。松本清張『点と線』との係りは有名ですね。209号室が「松本清張の部屋」とされてゐます。『点と線』は交通公社(今のJTB)の雑誌「旅」に連載されたのですが、当時の編集委員だつた岡田喜秋(のち作家に転身)によりますと、清張は当初、『縄』といふタイトルで執筆するつもりだつたやうです。クロフツ『樽』が念頭にあつたかも知れぬが、『縄』ではちよつとまづい(抽象的すぎて読者が意味を理解できない)と岡田さんが提言した結果、『点と線』になつたさうです。
ほかに207号室「森瑤子の部屋」、216・218号室「江戸川乱歩の部屋」、317号室「川端康成の部屋」、322号室「内田百の部屋」、ミニロビー「夏樹静子の世界」など、作家たちに好まれた宿であることがわかります。

第二部は「東京駅と共に歩んだ八〇年」。このホテルの歴史を辿るのですが、それはまさに日本の近現代史とそのまま重なるのであります。日本鉄道の黎明期の話、主要幹線のルート決定にまつはる話など、興味深い。
種村直樹氏の筆ですから、当然鉄道好きも満足する内容でありますが、歴史好き、文学好きが読んでも良いでせう。

夕鶴・彦市ばなし
夕鶴・彦市ばなし (新潮文庫)夕鶴・彦市ばなし (新潮文庫)
(1954/05/24)
木下 順二

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夕鶴・彦市ばなし
木下順二【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1954(昭和29)年5月発行
1966(昭和41)年5月改版
1988(昭和63)年12月改版


中学生の時分に山本安英さんの「夕鶴」を見せてもらつた事があります。何といふか迫力に圧倒された記憶がありますが、中学生にその本領が理解できたか疑問であります。もう少し大人になつてから再度鑑賞したいと勘案してゐましたが、叶ひませんでした。

「つう」は命の恩人「与ひょう」に恩返しをすべく女房になるのですが、「与ひょう」は周囲の欲深な仲間にそそのかされて「つう」に布を織つてくれと頼みます。お金を得て、都見物に行きたいといふのです。
「おかね」の話をする人たちの言葉が「つう」には分かりません。最初は普通に通じてゐた「与ひょう」の言葉も段段理解不能になつてゆきます。
「与ひょう、あたしの大事な与ひょう、あんたはどうしたの?」に始まる「つう」の台詞。泣かせますが、その思ひは結局「与ひょう」に届かないのであります。それにしても美しく、悲しい台詞であります。男としては、「与ひょう」の馬鹿たれ!と罵りたい気分でございます。
「もう一枚だけ」といふことで布を織つてもらふ「与ひょう」。しかし機を織つてゐるときは決して覗いてはいけないといふ約束を破つてしまふのです。そして結局「つう」との別れを招くのでした。愚かな男。

他の収録作品。「三年寝太郎」は教科書で読みましたね。シャックリの擬音は「ギョッ」であることを知りました。「聴耳頭巾」を使つた藤六は成功に味を占めることなく、「この頭巾もあんまり使うもんではねえな」と達観してゐます。「木竜うるし」における藤六(同じ名前だ)のやうな人物は、ひとつの理想型であると存じます。「わらしべ長者」の男は、昔話のやうに、「わらスボ」に結いつけた虻をもとに甘いことを考へてゐます。衝撃の結末。「瓜子姫とアマンジャク」これは傑作! さらに「彦市ばなし」「絵姿女房」。
これらの作品群は音読したいものです。カッコイイ日本語。ある高名な作家が、木下順二のやうな美しい日本語を書ける人が標準語で芝居を書かないのは残念だ、といふ意味の事を書いてゐましたが、これはこれで良いぢやないですか...

自動車絶望工場
自動車絶望工場 (講談社文庫)自動車絶望工場 (講談社文庫)
(1983/09/08)
鎌田 慧

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自動車絶望工場 ある季節工の日記
鎌田慧【著】
講談社(講談社文庫)刊
1983(昭和53)年9月発行


明日の見えない労働とはまさにこのことでありませうか。例へば「今、この時期を乗り越えれば楽になる」とか、「将来楽に仕事ができるために、現在一時的に仕事がキツイ」といふのは未来があります。さういふ仕事なら希望が持てるでせう。
しかし、鎌田慧さんが季節工として潜入したトヨタ自動車におけるベルトコンベアの作業は、全く人間性を無視したものでありました。(現在、トヨタでは「季節工」はゐない。)
生産第一の思想から、現場の実態は見て見ぬふりをされ、ただでさへ人員不足なのに増産を迫られます。ベルトのスピードは上がる一方であります。当然危険度は増し、事実重大な事故も続発しました。死者さへ出てゐます。鎌田さんによると、さういふ事故は何故か公表されない(記事にならない)のださうです。

ここでは人間が機械の一部になり、思考よりも身体が無条件に機械に合せて動くやうになることが要求されます。私はトヨタ本体の工場見学は、小学生時代のイベントを除いて経験がありませんが、下請け孫請けの工場でいくつかベルトコンベアを見ました。たまに日本語を教へたりする中国人女性たちに、就職の手伝ひをすることがあります。言葉がまだ不十分なので、不利な条件で契約しないやうについて行くのですが、その時工場見学をさせてくれます。手馴れた工員たちの見事な動き。鮮やかな手つきを見て、彼女たちは「これなら出来さう」と思ふのですが、いざ試しに自分がやつてみると、あまりのハードさに、無理です、と悲鳴をあげるのです。まさに見てゐるのと、実際に自分がやるのとでは大違ひ。工場の班長や課長は「大丈夫大丈夫、すぐに慣れるよ」と甘いことを言ふのですが。
中には、お金のために頑張つてみます、と入社する女性もゐます。慣れるまでは大変だし、残業も2-3時間は当り前(リーマンショックの前の話)で、へとへとになつて帰つて来るのです。

ここから先は、私の複雑な内面のつぶやき。『自動車絶望工場』は、日本経済を世界有数の地位に押し上げる原動力となつた労働者たちの実態の貴重な記録であり、記念碑的作品であることは間違ひないでせう。しかし豊田市民の私としては、企業はともかく、豊田といふ土地の悪口まで言はなくても良いぢやないかと少し不貞腐れるのであります。例へば「街は荒野のように荒涼として、人影もまばらで、ただ車だけが狂ったように走り回っている」(補章より)なんて表現は、明らかに悪意を含んでゐます。ま、豊田市は何かと嫌はれるから慣れてゐるけれど。

なほ、文中で「トヨタ自動車工業」「トヨタ自動車販売」といふ会社名が出てきますが、当時のトヨタは2社体制だつたのであります。現在は両者がひとつになつてゐます。地元では、いまだに年配者は親しみを込めて「自工さん」と呼ぶのであります。
ルポルタージュの古典ともいふべき本作品、豊田市民以外にはお勧めです。

霊人の証明
霊人の証明―続々丹波哲郎の死者の書霊人の証明―続々丹波哲郎の死者の書
(1983/03)
丹波 哲郎

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霊人の証明―続々丹波哲郎の死者の書
丹波哲郎【著】
中央アート出版社刊
1983(昭和58)年3月発行


丹波哲郎さんは「霊界の宣伝マン」を自任してゐました。
結果的に俳優といふ職業に就いたのも、霊界の存在を皆に広めるために都合の良い環境を自分の守護霊団が整へてくれたのだらうと考へてゐたのです。自分の使命と考へ、死後の世界を語り書物を世に問ひ、映画も作りました。心霊科学といふ学問なのですが、世間一般では疑ひの目で見る向きも少なくありません。あまりに想像力に欠けると申せませう。

本書『霊人の証明』は、明治期に活動してゐた霊能者である長南年恵のルポであります。長南年恵。ご存知でせうか。丹波氏は、この女性霊媒者の霊能力を証明してみせることで、霊界の存在も同時に証明ができると考へたやうです。
記録に残つてゐる「事実」としては、次のやうなものがあります。

・つねに絶食状態で、排泄などの生理現象がなかつた。
・20歳の容貌を保ち、40過ぎてもその変化はなかつた。
・風呂に入らなくても垢や汗がない、髪は艶艶してゐて、芳香を放つてゐた。
・男たちと力比べをしても負けない怪力の持ち主であつた。
・降神状態の時、どこからともなく音楽が聞こえてくる。等等。

そして降神状態の時、「霊水」なる水を空の容器に満たし、それを病人に与へてゐたさうです。ところが、時の官憲はこれをインチキと断じ、2度も投獄します。霊能者や心霊科学者の迫害といふのは、いつの時代にもあるものです。無知と偏見。結局官憲立ち会ひの元で「霊水」を出してみせ、ただちに釈放されるのですが。
年恵の弟・雄吉は学究肌の人物で、姉のさまざまな奇跡の評判を、最初は眉唾で聞いてゐました。それで、半ば実体を暴いてやらうとの気持ちから姉の生態を観察し始めるのでした。ところが、調べれば調べるほど、姉・年恵の霊能力は本物であることを証明するばかりだつたのです。

丹波氏は年恵の故郷である山形・庄内地方や、彼女が一時期滞在してゐた大阪へも取材に出向きます。残念ながら長南年恵と直接会つたことのある人物にはつひに出会へませんでした。年月が経ち過ぎてゐたのです。従つて伝聞証言や資料を駆使しての執筆となりました。これ以上の調査は一俳優には難しいと思はれます。
さはさりながら、この半ば忘れられてゐた(当時の話)長南年恵を、一般人に紹介した功績は高いのであります。今後さらに研究が進み、本格的な評伝が登場するのを待つ私でございます。

なほ角川文庫版もありますが、いづれも絶版でございます。

素晴らしき特撮人生
素晴らしき特撮人生素晴らしき特撮人生
(2005/08)
佐原 健二

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素晴らしき特撮人生
佐原健二【著】
小学館刊
2005(平成17)年8月発行


池田駿介さんが亡くなつてしまひ、また一人特撮の顔といふべき俳優が姿を消してしまひました。
池田さんの南隊員、良かつたですね。まさに頼れる兄貴といふ感じで。念のためにいふと、『帰ってきたウルトラマン』の話ですよ。主役の郷秀樹隊員(団次郎さん)が、西田健さんの岸田隊員にいぢめられるのをまあまあと庇ひながら、チームワークを崩さない役どころは、まさに池田駿介さんそのものでありました。

さて、特撮俳優の代表といへば、誰の名前が挙がるでせうか。故・平田昭彦さんは存在感抜群だが屈折してゐるし、土屋嘉男さんはキハモノに走り勝ちであります。すると、さうですね、やはり佐原健二さんを措いて他にないでせう。
何よりスター性があります。あの爽やかな笑顔で登場すると、場面の空気ががらりと変るのです。

『素晴らしき特撮人生』は、佐原健二さんが初めて語る半生の書であります。
第1・2章は代表作『ウルトラQ』をはじめとする円谷プロでの話が中心になつてゐます。主役の万城目淳役を告げられた時のシーンは良いですね。本多猪四郎監督と円谷英二特技監督が二人揃つてロケ先のハワイまでやつてきて、佐原さんに直接出演依頼をしたさうな。これは誰でも感激することでせう。しかし東宝での撮影と違ひ、予算的に苦しかつたやうです。

第3・4章は俳優になつたいきさつから、東宝特撮映画の顔となるまでが語られてゐます。「本多組」の愛すべき面々、役作りのために歯を抜いた『マタンゴ』、悪役に挑んだ『モスラ対ゴジラ』...

第5章は『ゴジラ』シリーズに関してあれこれ。ここで驚いたのが、平田昭彦さんが、実は『ウルトラQ』の万城目淳役をやりたがつてゐて、本多猪四郎監督にも「なぜ自分ではないのか」と直談判したことがあるといふのです。ちなみに本多監督の答へは、平田さんと佐原さんをそれぞれ「陰」と「陽」で分けて考へてゐる、といふことでした。従つて万城目淳は佐原健二だと...しかし平田版の万城目淳も想像すると、夢が膨らむのであります。

第6章は近年の出来事が中心。『ゴジラ ファイナルウォーズ』で使用した小道具(IDカード)を手に入れるくだりは、微笑ましい。

佐原さんは『空の大怪獣ラドン』以来、主演が中心だつたのですが、次第に脇に回ることが多くなります。そのあたりの心境を、「あとがき」で正直に告白してゐます。しかし本多猪四郎監督のアドバイスで、結果的にプライドを得ることができたと語るのです。本多監督、さすがですね。

当時の映画界・TV界の実情についても、貴重な証言が多くあります。佐原健二さんを知らなくても、特撮ファンでなくても興味深い1冊と申せませう。

ヘタな人生論より徒然草
ヘタな人生論より徒然草 (河出文庫)ヘタな人生論より徒然草 (河出文庫)
(2006/10/05)
荻野 文子

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ヘタな人生論より徒然草
荻野文子【著】
河出書房新社(河出文庫)刊
2006(平成18)年10月発行

著者は有名な予備校の先生であります。この場合、「有名な」は予備校にかかるのか、先生にかかるのか。ま、両方でせうな。
本屋で働いてゐた頃から、古典の参考書コーナーでは「マドンナ古文」が幅を利かせてゐました。この世界も人気商売、長年第一線であり続けるのは簡単ではありますまい。本書を読むと、人気があるのもうなづけるのであります。

若い頃は「人生論」が嫌ひで「徒然草」が嫌ひだつたといふ著者。そんな人が『ヘタな人生論より徒然草』を書くとは愉快であります。なぜそんな気になつたのか。不惑を越えて惑ふことが多くなり(とても共感します)判断基準を示すものを求めた結果であることがひとつ、そして本職の古文教師として「徒然草」は避けられず、全段読む必要があり、さうすると以前と違ふイメエヂになつてきたことがもうひとつの理由ださうです。

確かに「徒然草」には、天邪鬼の頑固爺といふ印象が強いですね。しかし荻野先生の実体験を中心とした解説を読みますと、現代に通づるメッセージがたくさん含まれてゐることが分かります。虚心坦懐。
即ち、
「けっきょく騙される多数派、人の本質を見抜く少数派」(第一九四段)
「何もしない批評より、偽善でも行動を」(第八五段)
「人を質す愚かさ、わが身を正す大切さ」(第二三三段)
「無責任な飼い主は、ペットも他人も傷つける」(第一二一段)
「一生は一瞬の積み重ね、ひたすら今を大切に」(第一〇八段)

等等は、若い頃でも言葉では理解出来るやうな気がするものの、実体験の乏しい観念的な捉え方になりがちであります。私のやうな凡人は実際に経験しないと真に身につかぬもので、その時はもう手遅れだつたりします。悲しいなあ。
入手は簡単なので、一度読んでみては如何。私ももう一度「徒然草」を読んでみたくなりました...

戦後性風俗大系 わが女神たち
戦後性風俗大系―わが女神たち (小学館文庫)戦後性風俗大系―わが女神たち (小学館文庫)
(2007/03)
広岡 敬一

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戦後性風俗大系 わが女神たち
広岡敬一【著】
小学館(小学館文庫)刊
2007(平成19)年3月発行


広岡敬一さんは、風俗記者として戦後の性風俗と接し続けた人であります。この世界には、内側の人間と外側の人間の区別が厳然としてゐたさうですが、広岡さんは早くから「内側」の人物として認められ、一般人が知り得ぬ情報を得てゐたといふことです。何よりも彼は、風俗女性たちを蔑まなかつた。それどころか畏敬の念を抱いてゐたやうです。
「私は、そんな女性たちに寄生して食っていた」(「はじめに」より)
等身大の人間として扱はれた女性たちは、広岡さんに心を許して全てを語つたのでせう。

今はアイドルなみに人気のあるAV女優もゐる時代ですが、当時の彼女たちは完全に日陰の存在。一人ひとりが明日も分からぬ自分の境遇に慄きながらも、我儘勝手な男どもを喜ばせてゐたのであります。広岡さんが彼女たちを「わが女神たち」と呼ぶのも頷けるではありませんか。
しかし、時代が移るにつれて、女神たちの意識も変つてきたと広岡さんは言ひます。家族の生活苦を救うために、わが身を犠牲にするなどといふのはもはや昔話ですね。
時代や世相が性産業も変へてゆく。性風俗史は、戦後史のサイドストーリーと言へませう。

その象徴的な話。『「小町園」のメアリー』によると、1945(昭和20)年、敗戦後わづか10日後に、RAAなる団体が「駐屯軍慰安の大事業に参加する新日本女性求む」と募集広告を出したのですが、これが実は進駐軍専用の娼婦を求めてゐたのであります。RAAとは「特殊慰安婦設備協会」の略で、当時の内務省の政策によるもの。つまり、戦後性風俗史は、国策から始まつたのであります。
各章の頭には、貴重な年表が付されてゐます。通史として概観でき、まことに親切であります。

残念ながら、広岡さんは2004年に亡くなられたさうです。しかし本書を書いたことで、実に大きな足跡を残したと私は勘考するものであります。本書を手に取るきつかけは助平根性だとしても、一読すれば「これは只者ではない」と分かるでせう。敢へて言ふ。万人必読の、感動のノンフィクションであります。

私の途中下車人生
私の途中下車人生 (角川文庫)私の途中下車人生 (角川文庫)
(2010/02/25)
宮脇 俊三

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私の途中下車人生
宮脇俊三【著】
2010(平成22)年2月刊
角川学芸出版(角川文庫)

『私の途中下車人生』は、宮脇俊三氏の著作で私が唯一入手してゐないものでした(絵本除く)。1986(昭和61)年に講談社から発売されたのですが、その後絶版となり、文庫化もされず、角川書店の『宮脇俊三鉄道紀行全集』にも収録されず(全集ではないぢやん)、なかば幻の作品となつてゐたのです。
それが今年になつて、角川文庫の1冊として復活したのであります。それでやうやく手に入れることができました。

本書は他の著作と違ひ、聞き手に対して宮脇氏が語る形式であります。語り下ろしなどと呼ぶやうです。
宮脇俊三さんが自分の事を綴る文章は今までにもありましたが、かういふ編年体といふか時系列で語る自伝は、他にないでせう。『時刻表昭和史』は終戦の時点で終つてゐるし。従つて終戦から、中央公論社を退社するあたりまでの事情は、一番詳しい書物といふことになります。

宮脇氏は戦後、東大を卒業したのちに中央公論社へ入社、定年前に紀行作家への華麗なる転身― といふ印象なので、途中下車人生ではなく、順風満帆そのものの人生ではないかと思ひながら読み始めたのですが、私の知らぬ事実が次々に明らかになり、なるほど看板に偽りはないと考へ直しました。
東大の西洋史学科を卒業してゐますが、それ以前に地質学科に入学してゐたとか、「中央公論」「婦人公論」編集長時代には、実績を残せず閑職にまはされたとか。
それでもやはり中公時代は、華やかな活躍の方が印象に残ります。北杜夫『どくとるマンボウ航海記』をベストセラーにし、『世界の歴史』シリーズを大成功させ、中公新書を創刊したのは、誰あらう宮脇さんなのであります。中公新書のラインナップに歴史関係の本が多いのも、宮脇俊三さんの影響であります。

本書を読みながら、まるで目の前で宮脇さんが例のぼそぼそした口調で、低く聞き取りにくい声で語つてゐるかのやうな錯覚に陥る書物であります。愉快な1冊。