源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
神の棄てた裸体
神の棄てた裸体―イスラームの夜を歩く (新潮文庫)神の棄てた裸体―イスラームの夜を歩く (新潮文庫)
(2010/04/24)
石井 光太

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神の棄てた裸体―イスラームの夜を歩く
石井光太【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2011(平成22)年5月発行


PCの調子が悪いのです。
先日も「源氏川苦心の日々充実」の文章を入力してゐて、さて更新ボタンを押さうとしたその瞬間、「ちゆいーん...」といふ力のない音に続き突然PCの電源が落ちました。入力した内容がすべてパアであります。
世間にとつて役に立つものなら、ひとふんばりして再度入力するわけですが、かかる下らない読書日記をもう一度やり直すのはやるせないものがあります。で、予定と違ふ本を今日は取り上げます。

著者の石井光太氏は、イスラームの国々における性事情を取材する旅に出かけました。2006年のことであります。
イスラーム事情については、かなりの情報が出回るやうになりましたが、本書はメディアでは取り上げられない(今後もおそらくさうであらう)男女間の裏側をテエマにしたルポルタージュであります。

街娼の少女や身体を売る兄と弟、女として生きる男たち「ヒジュラ」の実態、一夫多妻制の本当の意味など、現地に住み込んで密着取材です。
時には日本人の感覚のまま振る舞つてしまひ、衝突も起きます。子供の写真を撮つただけで誘拐犯と誤解されたりもします。そして良かれと思つてした行動が、結局現地の人たちを傷つけたり困らせたり。無力さを感じる著者ですが、その行動力は一目を置かざるを得ないでせう。

わづか半年ほどの間に訪れた土地は、インドネシア・パキスタン・ヨルダン・レバノン・マレーシア・バングラデシュ・イラン・ミャンマー・アフガニスタン・インドに及びます。
このことから、本書の内容はフィクションではないのか?といふ疑問も一部にあるやうです。文章もまるで小説のやうであります。

しかし私としては、やはりこの新しい才能の出現を歓迎したいのであります。石井氏はさぞかし活力溢れる熱血漢に相違ないと勝手に考へてゐるのです。
本書の後も順調に作品を発表されてゐるやうです。注目しませう。

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水戸黄門になった男 影侍
水戸黄門になった男影侍 猫目剣法 (SP WIDE Pocket)水戸黄門になった男影侍 猫目剣法 (SP WIDE Pocket)
(2002/09/26)
さいとう たかを

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水戸黄門になった男 影侍
さいとう・たかを【著】
リイド社刊
2002(平成14)年8月発行


『傀儡』の改題再編集であります。もつとも私は『傀儡』を読んだことがないので初見ですが。
浪人者の日暮半九郎は天下の副将軍・水戸光圀の命を受け、諸国を旅して世にはびこる不正を糾し、悪を懲らしめる。講談の世界では、当然水戸黄門本人が全国行脚する訳ですが、本作では「影侍」がその役割をするのであります。
お供は「格さん」のみで、フルネームは渥美格之進ではなく、柳田格之介といふ人物。身分を隠すこともなく、侍として旅をするのであります。

この日暮半九郎、もう初老と呼んでもいいくらゐの年配で、白髪も交じる男なのですが、博打と酒と女が大好き。お目付け役の格さんが目を離すと好き勝手なことをしてゐます。また、格さんが眉を顰めるほどずぼらで怠け者、放つてをくといつまでも寝てゐます。
ところが剣の腕は並ではありません。いや、滅法強い。自分より強い相手に出くはすと、いち早くその力量を見抜き、頭脳戦を展開するのであります。

一方格さんは融通の利かない真面目男。怠けがちな半九郎の尻を叩いて仕事をさせ、光圀公にレポート報告をしてゐるやうです。世間知らずで半九郎によく馬鹿にされてゐます。
それでも半九郎と旅を続けるうちに感化されてくるやうで、「あんたもやる事がだんだんイキになってきたねえ!」といはれても、「おや? 私はもともとイキな人間ですが......?」なんて、しやあしやあと返します。
女郎として売られて行く女たちを助けた時は、当の女たちから「郷里へ帰つても餓死するだけ。余計なことをするな」と罵られ、「必要悪」といふものを知り、少しずつ世間を知つていくのでした。

劇画界の巨匠による「水戸黄門外伝」。文字通りの痛快娯楽活劇と申せませう。

普及版 世界文学全集 第Ⅱ期
普及版 世界文学全集〈第2期〉 (集英社文庫)普及版 世界文学全集〈第2期〉 (集英社文庫)
(1995/09)
清水 義範

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普及版 世界文学全集 第Ⅱ期
清水義範【著】
集英社(集英社文庫)刊
1995(平成7)年9月発行


「モルグ街の殺人」...某文庫から出てゐた翻訳を思ひだします。その翻訳はまことに大時代的な言辞を弄し、原文に忠実すぎて何を言つてゐるのか分かりにくく、高名な翻訳家から「欠陥翻訳」であると槍玉に挙がつてゐました。
清水氏の「モルグ街の殺人」は、そのまどろこしさまで感じられる作品になつてゐます。偶然かも知れませんが。

「三銃士」の樽谷安(たるたにあん)の物語も面白い。樽谷安の父は、作家を目指す息子に向つて訓示を与へます。

 「当節、作家は実入りのよい職業となり、その昔の貧乏文士はもはや伝説の存在、有名人よとおだてられ、望みとあればテレビに出まくり、小説に行きづまればエッセイと講演で何不自由なく暮してゆけるご身分なのだよ...

現在の作家と呼ばれる人たちを風刺してゐますが、思はずさうさうと頷き、具体的に二人三人顔も浮かんできます。小説家は小説を書くものといふ清水氏ならではの記述と申せませう。

「二十世紀の文学」といふ大いに壮大なタイトルの作品があります。カフカやサルトル、カミュや魯迅などからジョイスにいたるまで、文字通り二十世紀の世界文学大会であります。十分面白いけれども、やはり原典を知つてゐれば尚楽しめるでありませう。

ほかに「ファウスト」「嵐が丘」「白鯨」「ボヴァリー夫人」「罪と罰」を収む。

普及版 世界文学全集 第Ⅰ期
普及版 世界文学全集〈第1期〉 (集英社文庫)普及版 世界文学全集〈第1期〉 (集英社文庫)
(1995/08)
清水 義範

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普及版 世界文学全集 第Ⅰ期
清水義範【著】
集英社(集英社文庫)刊
1995(平成7)年8月発行


文学全集といふものが売れなくなつて久しいのであります。以前は応接間のインテアリアとしての用途もあつたやうですが、今ではそれも見かけませんな。
そもそも文学全集は新しいものが出てゐるのでせうか。「次回第○回配本は△△△です。ご期待ください」みたいな文句に胸躍らせた文学少年時代もあつたのですが...

さて清水義範氏は、世界文学全集をもパスティーシュしてしまひました。原典に申し訳程度の敬意を表しつつ茶化す作品群であります。
原典を知らなければ理解できないのではないか、といふ危惧に配慮して、原作を知らない読者でも楽しめるやうに配慮したと作者は語つてゐます。
無論原典を読んだことがあるならば、より愉快に楽しめるのであります。

たとへば私の場合、「シェイクスピア傑作選」は笑へました。
英文科の女子大生が書いた卒業論文の形をとつてゐます。題は「シェイクスピアって馬鹿?」。
石塚真由美と名乗るこの学生は、沙翁作品の設定や筋書き、人物造形のをかしな箇所を指摘して得意になつてゐます。確かに突つ込みどころ満載なんですけどね、沙翁つてのは。
いかにも自分の慧眼でもつて、それらの問題点(?)を指摘してゐるやうな気になつてゐる真由美さん。しかし次第に、語る彼女自身がどんどんボロを出してゐることに気付かないのが笑へます。

続けて、第Ⅱ期も読んでゐます。これは次回。

国鉄の戦後がわかる本 下巻
国鉄の戦後がわかる本〈下巻〉暗中模索の日々編―昭和四十四年‐六十二年国鉄の戦後がわかる本〈下巻〉暗中模索の日々編―昭和四十四年‐六十二年
(2000/03)
所沢 秀樹

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国鉄の戦後がわかる本<下巻> 暗中模索の日々編
所澤秀樹【著】
山海堂刊
2000(平成12)年3月発行


こちらは下巻。暗中模索の日々といふサブタイトルが示すやうに、明るい話題は少ないのです。
何しろ上巻の最後で「よんさんとお」といふ最高潮に達した国鉄。当然その後は落ちる一方であります。
それでも新幹線が1972年、1975年にそれぞれ岡山、博多へ延伸されるなど、明るい話題もありました。
しかし嵩む一方の赤字を埋めるための運賃値上げを毎年行つたり、ストをやつたりして、さういふ良い面は吹つ飛んでしまつた印象です。

1975(昭和50)年に「新幹線大爆破」といふ映画が東映で製作されたのですが、協力を要請された国鉄はこれを断りました。今やボロボロの国鉄にとつて、新幹線は残された唯一の希望だ。それを爆破する映画だと? 到底協力なぞ出来るわけがないぜ、といふことでした。そこで東映は仕方なくミニチュア特撮を駆使して撮影をするのですが、やはり作り物感は拭へませんでした。

政治の道具にされ、国鉄総裁は時の与党に都合の良い人物が送り込まれ、組合(国労や動労)との折衝にあたる。末期の国鉄問題は、まさに組合問題でした。多くの血も流れました。運賃値上は常態化し、たるみ事故が続発し、もうこの辺になると日本全体が「国鉄憎し」の大合唱となつて、分割・民営化は不可避の選択となるのでした。
読んでゐても辛い部分ですねえ。

ところで本書の版元・山海堂は倒産した出版社でした。
うつかりしてゐましたが、新品を入手するのは難しいでせうね。