源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
銀河鉄道の夜
新編 銀河鉄道の夜 (新潮文庫)/宮沢 賢治

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銀河鉄道の夜
宮沢賢治【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1961(昭和36)年7月発行
1981(昭和56)年10月改版
1989(平成元)年4月改版
2012(平成24)年12月改版


銀河鉄道といへばカムパネルラ。カンパネルラ田野畑駅。
以下は個人的な回想。
田野畑駅には、残念ながら国鉄時代には訪問できず、三陸鉄道発足後の1988年に訪れてゐます。
2000年9月には再び北リアス線を訪問、十分に堪能したその夜、盛岡市内のホテルで名古屋の豪雨を知つたのであります。
風呂から出て寂しくなりはぢめた頭髪を乾燥させながら、部屋のテレビジョンを何気なく点けますと、名古屋を中心に記録的な豪雨になつてゐるとの報道であります。驚愕。

自分が気楽に旅に出てゐる間、地元ではとんでもないことになつてゐたのでした。のちに「東海豪雨」と呼ばれた災害であります。
家人も知人たちも、あの雨には恐怖を覚えたと述べてゐました。
鉄道も運休してゐるといふことで、予定通り帰れるのか不安でしたが、自分が帰る頃には何とか復旧してゐました。ダイヤはズタズタでしたが。
また、東海道線は運行再開してゐたものの、冠水した枇杷島駅とか清洲駅などは普通列車も通過で、その駅の利用者が豊橋駅ホームで駅員に喰つてかかつてゐました。駅員も「うるせいなあ、こいつ」てな感じで、まともに相手をしてゐませんでしたが。

宮沢賢治の人と作品が、あまりに理想化されてゐるので、あへてちよつと無関係な話をしてみました。現代日本語が未完成で未成熟な時代だからこそ滋味を感じさせる賢治の文章であります。だから学校の教科書に載せるのはやめてもらひたいと勘考する次第でございます。
いや、余計なことを申しました。もう休むことにします。晩安。



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ボトルネック
ボトルネック (新潮文庫)/米澤 穂信

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ボトルネック
米澤穂信【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2009(平成21)年10月発行


小学生の頃、とある偉人の伝記を読んでゐたら、その偉人が全体の3分の2くらゐのところで死んでしまつたのであります。
残る3分の1は、主役がゐなくなつた後のことが延々と述べられてゐました。
これはね、案外ショックなものです。年少の者は、その偉人に感情移入して読んでゐますから、まるで自分が死んでしまつたかのやうな不安定な心持になり、自分がゐなくなつた世界を想像できないのでした。
それ以降、幼いわたくしは、死といふものが誰にも等しく訪れるものだと知り、毎晩恐怖してゐました。世間の大人たちは、いづれ死ぬと分かつてゐるのに、なぜあんなに平気な顔をしてゐるのだらうと不思議にも思つたものです。

長ずるに及んで小説もどきを書くやうになつたわたくしは、「自分がいつも生活してゐる世界で、自分がゐない状況」を書いたのであります。
ちなみにタイトルは『アサッテ君の謎』としました。東海林さだおさんのファンだつたので。
あまりの下らなさに友人たちから褒められた記憶があります。

関係ない話をたうたうとしてしまひましたが、『ボトルネック』を読んでゐたら「ああ、わしの『アサッテ君の謎』と似てゐるな」と過ぎ去つた日々を想起したものですから。
むろん完成度とかは雲泥の差ですが。米澤ファンの人は怒らないやうに。

案外暗い世界を描いてゐるのに、最後に救ひが約束されてゐる訳でもないのに、読後は軽い感じですね。良い意味でこの著者の持ち味と申せませうか。

ところで文庫カヴァーには「青春ミステリの金字塔」とありますが、これはミステリなのでせうか。
在宅で死ぬということ
在宅で死ぬということ (文春文庫)/押川 真喜子

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在宅で死ぬということ
押川真喜子【著】
文藝春秋(文春文庫)刊
2005(平成17)年11月発行


毎日があつといふ間に過ぎて行くのであります。毎日忙しい忙しいでやり過ごしてゐますと、いづれは自分も死ぬのだといふことを忘れてしまひます。

押川真喜子さんの『在宅で死ぬということ』を読むと、自分は貴重な遺された時間を垂れ流すやうに浪費してはゐないか、と自責の念に苛まれてしまふのでした。
さらにわたくしなどは、死に際などはあまり考へず、たとへば近親者に看取られながら死ぬイメエヂはつかめないのであります。
落ちぶれて、どこかの橋の下で凍死か餓死するくらゐが自分に相応しいかな、とも思ひます。

それに比べたら、本書に登場する人たちの、何と強靭な精神であることでせうか。
もちろん家族の支へなしには到底不可能であります。それぞれの「覚悟」が求められます。
そして何より、押川さんたちのやうな訪問介護のメムバアがゐてこその在宅死であることだなあ。本日もどこかで誰かのために訪問介護は行はれてゐることでせう。頭が下がるのであります。

最終章に、著者自身の父君のケースが書かれてゐます。タイトルに「在宅医療の限界」とありますやうに、実際にはうまくいかないことが多いのでせう。
自らの死に際を考へるのに、早すぎるといふことはありますまい。誰もが自分の問題として捉へるべきものと申せませう。

鉄道旅行のたのしみ
鉄道旅行のたのしみ (角川文庫)/宮脇 俊三

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鉄道旅行のたのしみ
宮脇俊三【著】
角川書店(角川文庫)刊
2008(平成20)年11月発行


先月のダイヤ改正ではまたしても多くの別れがあり、テツと呼ばれる方々からは怨嗟に近い声が寄せられてをります。
即ち、夜行列車のさらなる削減や初代「のぞみ」300系の引退などであります。
「日本海」には何度か乗りましたが、愛知県在住のわたくしはいつも、新幹線と「しらさぎ」で敦賀まで出て、そこから乗つてゐました。一度くらゐ大阪から乗つてみたいと勘案してゐましたが、実現する前にのうなつてしまつた。

300系「のぞみ」はデビュウ時、早朝の1本が名古屋駅・京都駅を通過するとして話題になりました。新横浜に停車させたかつたことと、東京-大阪間2時間30分運転を実現したかつたからなのですが、この電車の限界をイキナリ見せ付けられたやうで悲哀を感じたものです。

テツ旅派からは、年々鉄道旅行の旅情が失はれてゐると嘆きの声が聞かれます。
しかし鉄道会社は、一部のテツのために車両を走らせてゐる訳ではないので、まあ詮無いことです。

さて宮脇俊三さんの『鉄道旅行のたのしみ』を読みますと、旅のたのしみは実に多様で、素養や嗜好が違ふ各人で千差万別であることが改めて分かるのであります。
一般に何となく「古いもの=興味津々」、「新しいもの=ツマラナイ」といふ図式があるのではないかと感じるのですが、宮脇氏の文章に魅せられた人は、どんな車両、いかなる路線に乗らうが愉悦を得られるでせう。

カッコイイと思つたのは、鉄道に乗つてゐて一番の楽しみは「居眠り」であるといふところ。中中言へない言葉であります。
知らぬ間にまどろんで、はつと気付くと汽車が走つてゐる。確かに最高の贅沢と申せませう。
鉄道マニアの代表みたいにいはれてゐた時期もありましたが、ひよつとしたら宮脇氏は、いはゆるテツとは対極に立つ人ではないでせうか。