源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
私の家は山の向こう
私の家は山の向こう―テレサ・テン十年目の真実 (文春文庫)/文藝春秋

¥560
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私の家は山の向こう―テレサ・テン十年目の真実
有田芳生【著】
文藝春秋(文春文庫)刊
2007(平成19)年3月発行


台湾の大スタアであつたテレサ・テンさんの評伝であります。
日本でも人気者でしたが、台湾における存在感はその比ではないと言はれてゐます。
中国と台湾、香港の間で「国際難民」(彼女自身の言葉)として翻弄された彼女の生涯は、まことにドラマティック。実際にドラマ化されて木村佳乃さんがテレサ役を演じました。

中国共産党の「精神汚染」キャンペーンにより、テレサ・テンの歌は大陸では取り締まりの対象になりました。理由は、あまりにも子供じみた、非論理的なものです。
曰く「扇情的」「反動的」「退廃的」「いかがはしい」「歌詞がポルノ的(!)」等々...
禁止されれば一層聞きたくなるのは人の常であります。こつそりと聴く人は多かつたとか。

楊逸さんの小説『時が滲む朝』の中で、民主化を夢見る中国の学生たちが、夜ひつそりと音量を下げてテレサ・テンの歌に聞き惚れる場面がありますが、かかる背景があつたからこその描写でした。

さういふテレサですから、タイのチェンマイで亡くなつた時も、いろいろな憶測が流れたものであります。中でもひどいのが軍のスパイであるといふ説。日本のマスコミも無責任に書きたてました。
著者の有田芳生氏は、情報源とされる男性に会ひ、事実はどうなのかを確かめるのですが...

テレサ・テンさんが健在なら、もうすぐ60歳といふことになります。きつと、若い時分にはなかつた魅力をファンに振りまいてくれたのでは...と詮無いことを考へながら、彼女のCDを聴いてゐるのであります。
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翻訳はどこまで可能か
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翻訳はどこまで可能か―日本語と英語のダイアローグ
中村保男【著】
ジャパンタイムズ刊
1983(昭和58)年7月発行


全3章構成で、第Ⅰ部「言葉と文化」、第Ⅱ部「言葉の諸相」は「スチューデント・タイムズ」に連載されたものをまとめてゐます。
第Ⅲ部「ケース・スタディあれこれ」では、「翻訳の世界」など他の雑誌に掲載したものを収録してあります。
そして巻末には福田恆存氏との対談が付されてゐます。実に充実した内容と申せませう。

英文和訳と翻訳の相違を、豊富な例文を用ゐて、独自の視点から解説してくれます。
例へば、英語と日本語の語順について。
よくいはれることですが、英語では最初に結論を述べるが、日本語では最後まで聞かなくては肯定文なのか否定文なのかさへ分からないといふ指摘があります。

しかし、著者に言はせると、これこそ英文和訳の弊害で、学校英語で「後から訳す」ことに慣れてしまつた結果だといふのです。
古来、日本語でも「...と孔子は言つた」ではなく「子曰く...」といふ語順であつたと。
定説といはれるものが、案外好い加減なものであることが分かるのであります。

そもそも、翻訳は本来不可能なものとして捉へてゐるやうで、だからこそ表題で「どこまで可能か」と問ふてゐるのでせう。
翻訳には、謙虚な姿勢で臨まないと、自らが恥をかくだけでなく、場合によつては社会に害毒を流すこともある、といふことでせうね。

翻訳はどこまで可能か―日本語と英語のダイアローグ/中村 保男

¥1,260
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阿Q正伝
阿Q正伝 (角川文庫)/魯迅

¥460
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阿Q正伝
魯迅【著】
増田渉【訳】
角川書店(角川文庫)刊
1961(昭和36)年4月発行


社用車のオイルを交換して貰はうと思ひ、馴染のガソリンスタンドへ行きました。時間がかかるので、店内で待てといふ。まあいつものことですが、今回はなぜか余計に時間がかかりました。
おかげで『阿Q正伝』を読む時間がたつぷりとあつたのであります。

阿Qの正伝を書かうと発心した「私」ですが、彼の正確な名を知らない。人は阿Queiと発音してゐるが、どんな漢字を当てるのか分からないので、結局「阿Q」と表記する、と弁明してゐます。
この阿Qは、庶民の中でも最下層に属する存在として描かれてゐて、辛いのであります。まあ何かと虐げられる。読者の不快感を和らげるためか、文体は諧謔調で、ふざけてゐるとさへ言へませう。結局彼は(辛亥)革命の被害者と申せませう。

そのほか八編の短篇が収録されてゐます。第一作品集『吶喊』からの選が多い。
なかんづく「狂人日記」は衝撃的ですな。発表時の背景を以ると、当時の読者の反応のほどがしのばれます。
そのほか「藤野先生」「眉間尺」「孤独者」など。時代背景を予習して読むと、更に理解が深まる傑作群であります。
鉄道の未来学
鉄道の未来学 (角川oneテーマ21)/梅原 淳

¥760
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鉄道の未来学
梅原淳【著】
角川書店(角川ONEテーマ21)刊
2011(平成23)年9月発行


鉄道の未来は明るいのか? 梅原淳さんはどうやら厳しい将来を予測してゐるやうです。
まづ、やたらと長いプロローグ「日本の鉄道の現状」では冷静に現実を概観します。こんなに長いなら、もはやプロローグではなく、独立した一章とすれば好いのに。

続いて第一章「新幹線の未来」。建設中・予定の新幹線を紹介し、LCCに対抗するための方策を提言してゐます。本書の刊行後に増税法案が通り、直後に整備新幹線の建設にゴーサインが出ました。北陸と九州長崎ルートは要らないよね。一方、札幌までは早く開通させるべきだと愚考いたします。

第二章は「大都市の鉄道の未来」。少子化の影響はすでに出てゐますが、今後一層加速するでせう。通勤ラッシュがいつまでも解消しないのはなぜか、そして今後も解決しないだらう理由を述べてゐます。読みながら俯き加減になつてきます。

第三章は「幹線の鉄道の未来」です。JR各社の再編に言及してゐます。JR西が中国地方をJR四国に譲渡すれば、お互ひにとつてメリットがあると述べるのですが、さうですかね。
むしろ苦しい三島会社を本州会社が吸収合併の方が現実味があるやうな...
即ちJR東+北海道、JR西+四国。東海と九州は我が道を行くといふことで。

第四章では「超電導リニアの未来」。JR海が独自で作ると息巻いてをります。ライバルは高速道路とJR海は見てゐますが、著者はLCC対策を打たないと、このままでは「競争力はほとんどないに等しい」と指摘します。

最後の第五章は「2011年の鉄道とその未来」。震災を経験した後の鉄道はどうあるべきかを語ります。明るい話は少ないのであります。ますます前屈みになります。
地方交通線(いはゆるローカル線)に関する未来は書かれてゐません。未来はないといふことでせうか。LRTやDMVも救世主の役目を負はせるには、ちと荷が重いでせうね。

漠然と、日本の鉄道の将来は明るいなどと浮かれてはゐられないといふことですな。まづは足元を見つめて、現状認識を共有したいところであります。

檸檬
檸檬 (新潮文庫)/梶井 基次郎

¥452
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檸檬
梶井基次郎【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1967(昭和42)年12月発行
1978(昭和53)年2月改版
1985(昭和60)年7月改版
2003(平成15)年10月改版


愛知県のK市に、わたくしの知り合ひの不動産屋さんがあります。
ここの若旦那がですね、びつくりするくらゐの男前で、声も良く、信じられないほど紳士で、実にさはやかに常に微笑みながら顧客に接してくれるのであります。
そのさはやかさは、ぎりぎり不自然に感じない絶妙の匙加減なのです。即ち彼のファンは多い。
で、友人と語り合つたものです。「あのさはやかさは、ちよつとをかしいぞ。これはきつとなにかがある」と平仮名で議論しました。
そしてわたくしたちが下した結論。「きつと彼は、以前人を殺したことがあるに相違ない。さうでもなければ、あのさはやかさは説明がつかないぜ」

本書所収の「桜の樹の下には」を読んで、そんなことを思ひ出しました。桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる! それは突飛なことではなく、精神の平衡を保つためには自然とさういふ思考に至るのであります。
しかしそれを口にしたり、ましてや文学作品にしてしまふのは梶井基次郎くらゐでせう。
表題作「檸檬」では、丸善に檸檬を置き去りにする。檸檬を爆弾に見立てて、それが爆発すれば気詰りな丸善も木葉みじんだらう...
おかげで丸善には檸檬を置く客が後を絶たないとか。迷惑な話ですが。

何かに行き詰まつた人や、疲れた人は一度読んでみませう。経年するほどに輝きを見せる作品群です。

クレージー映画大全
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クレージー映画大全―無責任グラフィティ
佐藤利明/町田心乱/鈴木啓之【編】
フィルムアート社刊
1997(平成9)年7月発行


桜井センリさんも逝つてしまひました。それにしても孤独死とは。一人暮らしだつたのですね。
クレージーのメムバアでは最年長でしたが、加入したのは一番最後でした。
元元ピアノ担当の石橋エータローさんが病気離脱した時のピンチヒッターだつたやうです。
しかし石橋さんが復帰した後も、リーダー・ハナ肇さんの一声で残留が決定し、クレージーはピアノ二人体制となつたのです。センリ婆さんは絶品でした。

これでメムバアで健在なのは、何と犬塚弘さん一人になつてしまつた。わたくしはドリフ世代に属すると思ひますが、一世代前のクレージー派でした。
そんなわたくしにとつて、報道で「クレイジーキャッツ」(長音記号を使つてゐない)とか「クレージー・キャッツ」(中黒がある)などと表記されるのがとても気になります。
以前どこかにも書きましたが、「ハナ肇とクレージーキャッツ」とちやんと書いて欲しいものであります。

さて本書は、クレージーの活動の中でも「東宝クレージー映画」を取り上げた一冊です。
松竹や大映でもクレージー映画はありますが、やはりその魅力を爆発させたのは東宝(といふか、古澤憲吾監督)と申せませう。
30本に及ぶ東宝クレージー映画をすべて紹介した決定版。映画の評価については礼賛一辺倒にならず、特に後年の作品は辛口の意見も述べられてゐます。無論愛情を込めて。

今週は我が家のライブラリイから、センリ出演映画を追悼上映する予定であります。その数は多い。

クレージー映画大全―無責任グラフィティ/著者不明

¥2,520
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ニュースキャスター
ニュースキャスター (集英社新書)/筑紫 哲也

¥693
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ニュースキャスター
筑紫哲也【著】
集英社(集英社新書)刊
2002(平成14)年6月発行


筑紫哲也氏が亡くなつたのが、四年前の本日(11月7日)でありました。
世間の褒貶が極端な人といふ印象でしたが、改めてその著書を開きますと、傾聴すべき提言が多いのです。

『ニュースキャスター』は、筑紫氏が長年メインキャスターを務めた番組「NEWS23」の舞台裏を中心に語られてゐます。
番組誕生のいきさつや、テーマ音楽への思ひ入れ、「多事争論」ができるまでの経緯、クリントン大統領(当時)の出演、オウム事件や神戸の震災...番組の変遷は、そのまま平成現代史の歩みと申せませう。

筑紫氏といへば、その発言がしばしば物議を醸したものです。しかし、それらは失言といふよりも、世間の意見を承知の上で、あへて述べるのが役割であると自身で思つてゐたのでせう。
本書にも(169頁)、「多事争論」で世論に逆らう少数意見を述べる予定の日は、スタッフに「今日は(抗議の電話が多く)来るぞ」と予告してスタジオ入りしてゐたと書かれてゐます。
くどいやうですが、公正中立な報道は有り得ません。必ず「偏向」してゐるものです。

他人の意見に惑はされないやうに心がけてゐるわたくしですが、判断に迷ふ時にいつも参考にしてゐたのは筑紫氏の言葉でした。頼るべき指針と申せませう。(あくまでもわたくし個人の場合です。)

では又お会ひしませう。


日本語の作法
日本語の作法 (新潮文庫)/外山 滋比古

¥452
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日本語の作法
外山滋比古【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2010(平成22)年5月発行


日本語の作法といふタイトルですが、内容は「作法」に力点が置かれてゐます。
雑誌「日経ビジネスアソシエ」に連載されたといふこともあり、ビジネス作法としての日本語の使ひ方に言及されてゐるのです。

内容のその多くは、いはゆる日本語の乱れを嘆くだけのものではなく、対人関係のヒントになる提言も含まれてゐて、読んでゐてはつとすることもしばしば。

『思考の整理学』などの読者にとつては、戸惑ふ内容かも知れません。「何だよ、うるせいなあ。時代遅れなんだよ」とかね。これを単なる繰り言と受け取るなら詰まらないでせう。
作法の向うにゐる相手に対する礼儀として、大人は如何なる日本語を駆使すれば良いのか。それを考へるヒントとして捕へたいものであります。

薄い本で、活字も大きい。たちまち読み終へてしまひました。本屋の店頭で読めちやふぞ。(わたくしは買ひましたよ。)




甲子園が割れた日
甲子園が割れた日―松井秀喜5連続敬遠の真実 (新潮文庫)/中村 計

¥500
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甲子園が割れた日-松井秀喜5連続敬遠の真実
中村計【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2010(平成22)年発行


もう一丁野球の本。特別野球好きではないのですが、たまたまです。

解説の最相葉月さんも書いてゐますが、この「松井5敬遠」を追跡取材した人がゐるのだなあといふのが、本書を手に取つた第一印象であります。
1992(平成4)年の夏の甲子園大会で、高知県の代表校だつた明徳義塾が、対戦校である石川県代表・星陵の4番打者、松井秀喜選手を全5打席とも敬遠した、といふ件であります。

何となく「敬遠を是とするや否や」といふ二者択一の議論で盛り上つてゐた記憶があります。
敬遠自体は、ちばあきお漫画でさへ結構行はれてゐたし、必要ならすれば好いけれど、どうみても第四打席はしなくても好いんぢやないかと思ひました。
巷間いはれるやうに、松井選手の株を上げただけでしたね。

著者は、明徳の選手が語つたとされる「甲子園なんてこなければよかった」といふ発言に触発されて、この件を取材する決心をしました。
焦点は、明徳の投手や野手たちは、本当は勝負したかつたのではないかといふところで、そこが著者が拘泥してゐた点であります。
内心「監督の指示で嫌嫌やつたのです。本当は敬遠したくなかつた」式の証言を得たかつたのでせう。
しかし著者がたどり着いた結論らしきものは...???

ひとつ言へることは、発言の有無や真意はとにかく、明徳義塾の野球観が世間一般のそれと乖離してゐたことが原因の一つらしい。
野球の質といふか、野球に求めるものが星陵高校側とは違ひすぎたと申せませう。

人間は、中中本音を吐かないものであります。
プロ野球 日本シリーズ名勝負物語
プロ野球 日本シリーズ名勝負物語 (PHP文庫)/近藤 唯之

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プロ野球 日本シリーズ名勝負物語
近藤唯之【著】
PHP研究所(PHP文庫)刊
1997(平成9)年4月発行


日本シリーズも終つてしまひましたね。聞くところによると、讀賣なんとかといふティームが勝つたさうです。いや、めでたいめでたい。
毎年日本シリーズには予期せぬドラマが生れます。大杉選手のホームランはファイルぢやないかと揉めたり、石ころ審判に打球が当つたせいで田尾選手がアウトになつたり、「巨人はロッテより弱」かつたり(しかし加藤投手は実際には「ロッテより弱い」と発言してゐない)...
さしづめ今年は、危険球捏造プレイの選手と、それにまんまと騙された審判がのちのち語り草となりさうですな。

『日本シリーズ 名勝負物語』は、さういふ過去の名試合名場面を、独特の近藤節で料理した一冊であります。ちよつと独特すぎるところもありますが。
例へば、オリックス仰木監督(当時)の作戦と忠臣蔵を関連づけるのは、無理があるやうな気がします。
まあしかし我我の日常にも通じる教訓も満載だし、野球好きなら愉しめる読み物と申せませう。


夫婦で行く豪華寝台列車の旅
夫婦で行く豪華寝台列車の旅 (角川oneテーマ21)/川島 令三

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夫婦で行く豪華寝台列車の旅
川島令三【著】
角川書店(角川oneテーマ21)刊
2007(平成19)年2月発行


「夫婦で行く」といふのがポイントですな。
かつては「~すべきである」「~しないのはどうかしている」などと辛口評論の印象が強かつた著者ですが、近年はかういふ一般向けのガイド本も執筆してゐます。

日本で豪華寝台列車といへば、まづ「カシオペア」、それに「トワイライトエクスプレス」「北斗星」ですかな。このうちわたくしは「カシオペア」にまだ乗つたことがありません。理由は、すべて2人用個室で編成されてゐるからです。テツは一人旅を好む。
しかしやはり「カシオペア」には乗りたい。すると同席するのは、やはり配偶者が適任と申せませう。

内容は、実に親切なアドヴァイスに満ちてゐます。
経済的な切符の買い方、プラチナチケットを得るためのノウハウ、車中で飲む酒のつまみの調達法、食堂車の賢い利用法、2人用個室がない列車での寝台券の取り方、シャワー室の使い方、サロンカーでの過ごし方等等等...

著者は本当に汽車旅が好きで、この面白さをあなたも奥様と一緒に満喫してください、とばかりに情報を提供してくれるのです。
残念なのは、本書の発行後に廃止となつた寝台列車が多いといふこと。後悔しないためにも、川島氏を信じて夫婦で乗つてみませう。
でっちあげ
でっちあげ―福岡「殺人教師」事件の真相 (新潮文庫)/福田 ますみ

¥578
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でっちあげ-福岡「殺人教師」事件の真相
福田ますみ【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2010(平成22)年1月発行


2003年に起きた「殺人教師」事件。警察官でも日常的に犯罪を犯す昨今、かういふ教師もゐるのだらうなと思つてゐました。むろん報道を通しての知識しかありません。
著者の福田ますみ氏も当初は同じ認識だつたやうですが、自ら取材を続けるうちに、これはをかしいぞ、と考へるやうになつたと述べてゐます。

被害児童の両親が、今でいふモンスター・ペアレンツであり、彼らの事実ではない発言を報道が一方的に鵜呑みにしたといふのです。
実際には無かつた(あるいは軽微な)体罰やいぢめを、家庭側の抗議により教師本人に認めさせやうとする校長の対応は、現在の学校と親の関係を如実に示してゐると申せませう。
まるで教師をサービス業の店員、校長を店長と同列に見てゐるやうです。つまり、親側には自分はお客様であるとの認識が有るのではないでせうか。

思へばわたくしが小中学生の頃、学校の教師は恐い存在でありました。暴力教師はごく普通に存在し、「職員室へ来い!」とどやされ、煙草のケムリいつぱいの教員室へ行き、グウで殴られる。オソガイものでした。
ま、そんな時代は過去のものになつて当然ですが、現在では逆に先生たちが親に怯える風潮のやうです。これもをかしい。

本書への批判として、教師側からの一方的な見方であるとの意見も聞きます。が、元来報道は偏向してゐるものです。客観的な報道は有り得ません。
従前親側からのみの報道一辺倒だつた事件を、新たに被告側からの視点で語ることは、ジャアナリストとしてまことに健全だと思ひます。むろん、事実の歪曲などはもつてのほかですが。

ただ、結果としてどつちつかずの判決が出たのは、藪の中となつてゐる部分が多いからでせう。例へば教師が最初に家庭訪問をした時の母親との会話は、立ち会つた人はゐない訳で、双方の証言が食ひ違うならば、その再現は残念ながら推測の域を出ません。
それでもなほ、ひとつの大きな意思が動く時、でつちあげは容易に起こり得ることを認識させた点で、本書の存在価値はあると考へるのでした。

では、今日はこれで。