源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
二人が睦まじくいるためには
二人が睦まじくいるためには二人が睦まじくいるためには
(2003/10)
吉野 弘

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二人が睦まじくいるためには
吉野弘【著】
童話屋刊
2003(平成15)年10月発行


書名は、吉野弘さんの作品の中でも、最も有名と思はれる「祝婚歌」の冒頭部分から取られてゐます。
即ち。「二人が睦まじくいるためには/愚かであるほうがいい/立派すぎないほうがいい」
二人の門出に、かういはれると肩の力が抜けて、気取りや衒ひから解放されるやうな気がします。実に優しい言葉ではないでせうか。

吉野弘さんを知つたのは、20年くらゐ前でせうか、佐高信さんがやはり「祝婚歌」を紹介してゐたのを読んで興味を持つたのであります。
その後思潮社から出てゐる作品集を求め、さらに『感傷旅行』といふ詩集を偶然入手し、平易な言葉を駆使した人間賛歌に魅せられたわたくしであります。

佐高氏がしばしば引用してゐたのは、「正しいことを言うときは/少しひかえめにするほうがいい/正しいことを言うときは/相手を傷つけやすいものだと/気付いているほうがいい」といふくだりであります。
自分にとつて正しいと思はれたことが、相手にとつてもさうなのか、常に考へるやうになるきつかけになりました。
夫婦間のイザコザから国際的な外交問題まで、さういふ視点は基本ではないでせうか。

自分が気に入つた本があつても、他人に薦めることは滅多にないわたくしですが、本書は結構お薦めしてゐます。
今回は、新聞の紙面にひつそりと訃報が報じられた吉野弘さんの追悼の意を込めて取り上げました。
ご冥福を祈ります。

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駅は見ている
駅は見ている (角川文庫)駅は見ている (角川文庫)
(2001/10)
宮脇 俊三

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駅は見ている
宮脇俊三【著】
角川書店(角川文庫)刊
2001(平成13)年10月発行


20年以上も前に小学館から、全12巻からなる『JR・私鉄全線各駅停車』といふシリーズが刊行されました。
これは「路線」ではなく「駅」を中心に編纂されたシリーズで、駅のデータブックとしても使へるユニイクな読み物であります。
『駅は見ている』は、そのシリーズに連載された、宮脇俊三氏による駅のルポルタージュでございます。この『JR・私鉄全線各駅停車』は、当時わたくしも定期購読してゐたので愛読したものであります。
一冊にまとまると、また違ふ趣がありますな。なほ、連載分だけでは分量が足りないので、「車窓・駅・駅弁」「フリーきっぷの旅」が加へられてゐます。

駅の実態を活写するにあたり、『駅は見ている』とはまことに当を得たタイトルと申せませう。著者は「少しキザ」と謙遜してゐますが、そんなことはない。鉄道開通以来、駅は存在するわけですが、市井人の人生を一番見てきた舞台はやはり駅ではないかと思ふのであります。
宮脇氏はさういふ駅たちを愛情をもつて描写します。夕張や門司港のやうに、昔日の栄光に押しつぶされまいと頑張る駅とかは感情移入しますな。
東京駅では、日本各地から集まる「ごみ」の問題に特化して述べるなど、通り一遍の紹介に留まつてゐないところが宮脇氏らしい。

読後は、ふらりと近所の駅に立ち寄りたくなる。さういふ一冊であります。ぢや、おやすみ。

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すばらしい数学者たち
すばらしい数学者たち (新潮文庫 や 10-3)すばらしい数学者たち (新潮文庫 や 10-3)
(1980/04/25)
矢野 健太郎

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すばらしい数学者たち
矢野健太郎【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1980(昭和55)年4月発行


学生時代は、小中高を通じて算数・数学は苦手科目でありました。国語・社会は得意なのに、なぜ数学はだめなのか、毎年担任教師が代るたびに難詰されたものです。
その当時、数学に対する苦手意識を少しでも払拭し、親しみが持てるやうにと手に取つたのが矢野健太郎著『すばらしい数学者たち』であります。
学校で放課時間(授業と授業の間の休み時間のこと)に、本書を広げてゐますと、数学教師のW先生が「その本は先生も読んだ。あまり面白くなかつた」と言ひ放つたのであります。せつかく生徒が読んでゐるのに、水を差すやうな発言であることだなあ、と内心憤然としたことを覚えてゐます。

さて本書では、アーメス、ターレス、ピタゴラスからガロア、カントル、ヒルベルトまで20人以上の数学者とその功績を紹介してゐます。
示される計算式とかについていくのが大変で、メナイクモスやらアポロニュウスやらの円錐のところなんかは、恥づかしながら良く分かりませんでした。
それでも、数学の歴史を偉人の功績とともに辿るのは、まことに興味深く、門外漢だからこそ愉しめる内容になつてゐます。読後には、それぞれの偉人たちについて、より詳しい評伝を読みたいと思ふやうになるでせう。

おそらくW先生のレヴェルでは物足りない内容だつたのでせうね。

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考える人
考える人 (新潮文庫)考える人 (新潮文庫)
(2009/01/28)
坪内 祐三

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考える人
坪内祐三【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2009(平成21)年1月発行


『考える人』。実に大雑把かつ壮大なタイトルであります。
坪内祐三氏がいふ考へる人とはどんな人か。そもそもどんな人でも、深浅の相違こそあれど考へる人でせう。本書では、トップの小林秀雄からトリの福田恆存まで16名選抜して論じてゐます。

この16人の中には、ちよつとわたくしが苦手な(ありていに言へば嫌ひな)人物も混じつてゐますが、さういふ人でも坪内氏の筆にかかれば、なんだか魅力的に思へてきて「いつちよう、今度読み直してみますかな」と思はせるに十分なのであります。
今わたくしは「筆にかかれば」と書いてしまひましたが、坪内氏は実際には恐らく「筆」は駆使してゐないのではないかなあ、とも思ひます。もとより比喩表現としての「筆」ではありますが、きつとこれも福田恆存氏の非難する、良くない紋切り表現の一例なのでせう。

印象的な部分をひとつ上げますと、武田百合子氏にとつての「考へること」が、「見ること」と繋がつてゐるといふくだりであります。『日日雑記』を例にとり、「動物的な反射神経のよさ」を指摘しました。ほほう。一見好き放題に書いてゐるやうですがね。

わたくしが読んだことがある作家の作品も、本書の視点からもう一度読むと、新しい発見がありさうです。



今年も成人式の季節がやつてきました。わが豊田市内も、着飾つた男女の新成人が街を闊歩してをります。
全国各地で、毎年阿房な新成人がいろいろ騒ぎを起してマスコミの好餌となるのであります。幸ひ豊田市ではいまのところさういふ恥づかしい事例は無いやうでなにより。
若者の質的低下を問ふ声は昔からあるけれど、わたくしがこの数年感じるのは、今の若人たちは平均して行儀が良いといふこと。良い意味でね。若いのに分別があるといふか。それに比べたら我我中高年世代や、その上のぢぢい世代の方が余程「世間知らず」で、困つた人が多いと感じます。ま、かういふ人たちの運営してきた我が国ですからね...

おつと余計な事を申しました。ではご無礼します。

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熱き心に
熱き心に熱き心に
(2004/11)
小林 旭

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熱き心に
小林旭【著】
双葉社刊
2004(平成16)年11月発行


年末に大瀧詠一さんが亡くなり、衝撃を受けた方も多いのではないでせうか。まあ、その反応は当然世代によつて相違があるやうで。
この正月は新年会ほか色色な集まりがあり、その席で大瀧氏の話題も出たのですが、やはり若い人人にとつては、「ふうん、誰それ?」とか「名前は聞いたことはあるけど...」てな反応が目立ちました。一方でわたくしと同世代くらゐの人たち(まあ要するに、おつさんですね)は、慨嘆することしきり。

何か関連書籍を取り上げやうかと思つたのですが、手許に見当たらぬので、かなりこじつけ気味ながら『熱き心に』を登場させる次第であります。
タイトルは、勿論大瀧氏がマイトガイに提供した楽曲から採つてゐます(作詞は阿久悠さん)。大瀧詠一さんは大のマイトガイファンとしても有名で、小林旭さんのCDのプロデュースなんかもやつてゐるのです。「多羅尾伴内楽団」も、マイトガイが多羅尾伴内を演じたからこその命名と存じます。

さて本書『熱き心に』は、『さすらい』以来二冊目となる語り本。面白いねえ。
前作に比して、歌手としての活動に関する言及が多くなつてゐる印象であります。遠藤実氏の歌唱指導は、無駄ではないでせうか。
あとは、やはり人間関係。裕次郎がやたらと人の頭をたたくといふのはあまり良くない趣味だな。しかも三船敏郎氏や萬屋錦之介氏には手を出さなかつたといふ。
また、暴力団との関りを持つた訳が赤裸裸に綴られてゐます。金遣いが荒くなると駄目だね。

極力、前作との重複を避けやうとの編集方針が見られて、好もしいのであります。二番煎じか、などと言はずに読んでみるとよろしからう。
なほ、大瀧さんの話は、140頁にちよこつと出てきます...

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私は作中の人物である
私は作中の人物である (講談社文庫)私は作中の人物である (講談社文庫)
(1996/06)
清水 義範

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私は作中の人物である
清水義範【著】
講談社(講談社文庫)刊
1996(平成8)年6月発行


新たな年の幕開けでございます。あけましておめでたうございます。
年賀状をチェックして、不義理のないやうに全てを出し終へたのが今朝早く。遅いのであります。しかし3日になつて届くのがあるのでしかたがない。
こちらとしては、今年は何人「A Happy New Year」と書いてゐるかを確認し、ふふふと腹の中で笑ふ愉しみはあるのですが。

正月といへば条件反射のごとく清水義範氏が登場するのであります。
清水氏の作品タイトルには変てこなものが多いですが、『私は作中の人物である』も「何何?」と手に取らせるイムパクトがあります。

小説の登場人物は、三人称で語られやうが、一人称だらうが、作者の創作した人物であることを読者は承知であります。
日本には私小説の伝統があつて、まるで随筆みたいな小説もありますが、小説と銘打つてゐる限り、作者の分身みたいなものでも、それは創作されたキャラクタアであり、事実を元に語られる出来事でも、あくまでも小説上のフィクションと受け取られるのであります。
『私は作中の人物である』は、さういふ小説の約束事をおちよくつた作品であると申せませう。これも広義のパスティーシュですかな。

表題作ほか、全十篇が収められてゐる短篇集ですが、中でも特筆ものは、『船が洲を上へ行く』といふ作品。ジェイムズ・ジョイス作・柳瀬尚紀訳の「フィネガンズ・ウェイク」をパスティーシュしたやつで、解説はその柳瀬氏が書いてゐます。
柳瀬氏によると、したがつて読み方は「フネガスヲウエエイク」ださうです。
まあよくもかかるものを書かうと思つたものだ、と感心したり呆れたり。

十篇の中には、完成度において濃淡の差がありますが、もはや正月の縁起物として読めばよろしい。
では今年もよろしくお願い申し上げます。

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