源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
在日米軍司令部
在日米軍司令部 (新潮文庫)在日米軍司令部 (新潮文庫)
(2011/09/28)
春原 剛

商品詳細を見る

在日米軍司令部
春原剛【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2011(平成23)9月発行


冒頭に「在日米軍主要配置図」が掲載されてゐます。改めて見ますと、やはり多いですね。
うち沖縄には陸海空海兵隊すべてが配置されてゐて、常に「基地問題」でもめてゐます。
沖縄人は「本土の人間には我我の気持ちは分からない」としばしば口にしてゐますので、きつとわたくしにも分つてゐないのでせう。

実は北谷町に親戚がゐまして、二度ほど訪れたことがあります。嘉手納基地が近距離にある筈なのに、実に静かでした。
「たまたま今日は静かなのか?」と聞くと、「いつもこんな感じ。普段は特に近くに基地があるなんて意識してない」との返答でした。ふうん。実際に行つてみないと分からぬ事はあるものだなあ、と勘考する次第です。

といふやうなウェットな話は、本書『在日米軍司令部』ではほとんど出てきません。在日米軍のそもそもの成立ちからその位置付け、歴史、現状をリポートした一冊でございます。
その歴史はそのまま日米関係(日米同盟)の歴史であることが分かります。米軍が日本に駐在してゐなければ大変なことになる、と思はせます。著者の面目躍如たるものがありますな。わたくしも術中に陥る。

まあ著者の立場とか主張は別にしても、在日米軍をめぐり、日米双方で様様な外交官や司令官が我我の知らぬところで汗を流してゐた、といふ事実は知つてをいて損はありますまい。
本書を読めば、最近の安倍晋三首相の動きに「なるほど」と納得するのであります。意見は様様でせうが。

...腹が痛いので、これにてご無礼します。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村
スポンサーサイト
終着駅は始発駅
終着駅は始発駅終着駅は始発駅
(2007/03)
宮脇 俊三

商品詳細を見る

終着駅は始発駅

宮脇俊三【著】
グラフ社刊
2007(平成19)年3月発行

終着駅は始発駅。このタイトルには、二つの意味を込めたと著者は語ります。
一つは、終着駅に到達した列車は必ず折り返す。即ち始発駅としての顔を持つのであります。
今一つは、比喩的表現で、宮脇氏自身がサラリーマン人生の「終着駅」を迎へた時、同時にそれは紀行作家生活の始発駅であつたといふことらしい。

あとがきに「文章を書くようになってから、まだ四年にしかならないが」とあるやうに、極初期のエッセイ集で、内容は良く言へば多彩、悪く言へば雑多と申せませう。しかし心地の良い雑多さであります。赤い50系客車に乗つて揺られてゐるやうな恍惚感。

「東京駅 素顔の24時間」「東京の私鉄七社乗りくらべ」のやうなルポ作品もあり、その取材力の片鱗も見せてゐます。本来ならこの種のルポは、時が変ればその価値を減ずるものでありますが、宮脇作品の場合は貴重な記録となるところが追随者との差と言へませう。

そして名作の誉れ高い「山陰ストリップ特急」も収録されてゐます。一人旅を数多く重ねると色色な事象にぶちあたります。苦心も歩けば棒に当る。しかし、宮脇氏の山陰ストリップ特急は出来すぎであります。かういふ体験は望んでも中中出来ませんね。

念のために申しますが、当時の国鉄が、山陰ストリップなる特急を走らせてゐた訳では有りません...

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村
蟲 (角川ホラー文庫)蟲 (角川ホラー文庫)
(1994/04)
坂東 真砂子

商品詳細を見る


坂東眞砂子【著】
角川書店(角川ホラー文庫)刊
1994(平成6)年4月発行


先日55歳の若さで亡くなつた坂東眞砂子さん。所謂ホラア小説はあまり読まないこともあつて、彼女の小説は未読でありました。
今回、一丁読んでみませうと本屋に向ひ、代表作が何なのか分からぬので「第1回日本ホラー小説大賞佳作作品」と高らかに謳ふ『蟲』を選んでみました。

...本屋に勤めてゐた頃、著名人が亡くなるとその著書を買ひに求める客のことが理解できませんでした。一方の書店も「追悼フェア」なるものを催して、死者をネタに商売をする。何となくイヤでしたね。
ところが、現在は自分が同じ行動をしてゐるなあ。これはどういふことですかな。

タイトルは虫ではなくて蟲。三つも虫が重なると、うぞうぞとその辺を這ひずり回るイメエヂが強くなつて、まあいかにもホラー小説に相応しい。同じ字を三つ重ねる漢字は何かと迫力がありますな。「轟」とか。
さういへば、以前佐賀県で「焱の博覧会」なるイヴェントがありましたね。その時は「あれ、ホノオつてこんな漢字だつたつけ。火が三つもあるぞ」と面喰ひました。やはり「炎」よりも「焱」の方が凄みがある。

本題とは関係ないことを長々と失礼。
主人公はめぐみさんといふ主婦。出産を控へてゐます。ある時、夫が出張先の工事現場で拾つた、不思議な石の器を持ち帰りました。
それを家に置いた日から、めぐみに奇ッ怪な現象が次々と起こります。最初は気のせいだと思つてゐたが...

導入部は中中良い。これはちよつと面白さうだ。と期待して読み続けるのですが(以下略)。
視覚的なグロさに訴へる「ホラア」が巾を利かせてゐるのではないかといふ、常日頃わたくしが思つてゐる傾向が本書にも散見されます。
無論さういふのが好みの人も多いのでせうが、やはり、例へばつのだじろう氏の漫画のやうに、ストオリイ自体が怖いものは背中からゾワワーとして好きなのであります。うむ。

ぢや、また。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村
時代考証家に学ぶ時代劇の裏側
時代考証家に学ぶ時代劇の裏側 (講談社プラスアルファ文庫)時代考証家に学ぶ時代劇の裏側 (講談社プラスアルファ文庫)
(2010/11/19)
山田 順子

商品詳細を見る

時代考証家に学ぶ時代劇の裏側
山田順子【著】
講談社(講談社+α文庫)刊
2010(平成22)年11月発行


プラスアルファ文庫から「時代劇に学ぶ」などといふタイトルが付いた本が出てゐたので、これはビジネス書かなと思ひきや、時代考証家が明かしてくれるうんちく話でありました。

内容は五章で構成されてゐて、それぞれ「武田信玄と上杉謙信が主役の時代」「信長・秀吉・家康が主役の時代」「水戸黄門が主役の時代」「大石内蔵助と赤穂浪士が主役の時代」「徳川吉宗と大岡越前が主役の時代」と、時代順に並んでゐます。

著者の山田順子さんの本職は、放送作家だといふことです。あの『クイズ面白ゼミナール』のクイズ出題・構成もしてゐた人であります。「はい書きなさい!」
それ以降、クイズ番組や時代劇などの考証を務めてきたと。その山田さんが語る、時代劇制作における考証の裏話が楽しめます。
どうやら時代考証とは、必ずしも史実の裏づけを必要とするものではないのですね。単に「この時代にかういふものが存在するのはをかしい」とか、さういふ方面のチェックみたいです。

それでも、時代劇において既に定着してゐて、考証にこだはり過ぎると観客(視聴者)のイメエヂを損ねてしまふ場合は、時代考証家の意見も無力なのですな。例へば。

「忍者は黒づくめ衣装もまとはず、刀も背負つてはゐなかつた」
「日本人は古来より胡坐座りで、正座をするやうになつたのは徳川幕府以降」
「草鞋を履く時には白足袋をしない」
「水戸光圀公といふ呼び名は存在しない」
「大名屋敷に表札は存在しなかつた」
「赤穂浪士が討ち入り前に蕎麦屋に集まるが、元禄時代に蕎麦屋はなかつた」...等等枚挙に暇がないほどであります。しかし制作側は定着したイメエヂを優先するためか、せつかくの時代考証家の提言も採用されないのだな。
ま、メイニアックな人たちには常識なのでせうが。

読後に時代劇が一層面白く鑑賞できるのか、それとも不満がたまるのか微妙なところと申せませう。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村
哲学者かく笑えり
哲学者かく笑えり (講談社文庫)哲学者かく笑えり (講談社文庫)
(2001/12/14)
土屋 賢二

商品詳細を見る

哲学者かく笑えり
土屋賢二【著】
講談社(講談社文庫)刊
2001(平成13)年12月発行


某誌に連載中の「ツチヤの口車」なるものは屡読んでゐましたが、一冊まるごと土屋教授の本を読むのは実は初めてであります。まあ何と言ひますか。
私事になりますが、かつて人前で話をしたり、文章を書いたりする際には、なるべく意味の無いことを発表したいと考へてゐました。こんな下らぬ人間が立派なことを発言するのは恥づかしいと思想してゐたのです。内容は無いのに、聴衆や読者には「ほほう!」と唸られたい。これが理想でした。しかし当然のことながら、これが難しい。

そんなわたくしにとつて、土屋教授の一連の作品は、かなりの変化球とはいへ理想的と申せませう。人を喰つた文章ながら、一見起承転結を完成させると見せてをいて、結局何も残らない。実に潔いではありませんか。

などと真面目に語るのも照れ臭くなつてきたので、最近見聞した事件を開陳しませう。否、事件でもないけれど。
豊田市の主要国道248号線沿いを歩く、京都弁の三人の女性がゐました。それぞれ70代・40代・10代と思はれ、10代の子からすれば母と祖母でせう。スカイホール豊田から名鉄豊田市駅へ向ふやうです。

すると、沿道にある地元のふとん屋さんを通りかかると、その店名は何と読むかで論争が始まりました。
娘「ねたまん、だつて。変な名前」
祖母「あれは『わたまん』でせう」
娘「えーさうかな。だつてふとんだから「寝た」まんぢやないの?」
母「私も『ねたまん』だと思つた」
祖母「ふとんだから「綿」まんなのよ、きつと」

そのあとも論争は続きましたが、彼女らの間では結論が出ず、気まづくなつてゐました。三人の後を付かず離れず歩いてゐたわたくしは、地元民として真実を伝へるか否か逡巡しましたが、結局勇気を出せず...

watanman

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村
カップヌードルをぶっつぶせ!
カップヌードルをぶっつぶせ!―創業者を激怒させた二代目社長のマーケティング流儀 (中公文庫)カップヌードルをぶっつぶせ!―創業者を激怒させた二代目社長のマーケティング流儀 (中公文庫)
(2010/11/20)
安藤 宏基

商品詳細を見る

カップヌードルをぶっつぶせ!―創業者を激怒させた二代目社長のマーケティング流儀
安藤宏基【著】
中央公論新社(中公文庫)刊
2010(平成22)年10月発行


書名を見て、カップヌードルの商売敵の本かと思ふかも知れませんが、実はカップヌードルを開発したその会社、日清食品の二代目社長の本であります。
日清食品の創業者は、立志伝中の人・安藤百福氏。チキンラーメンとカップヌードルで世界を驚嘆させた人物であります。この二つで、袋即席めんとカップめんの最終形態をイキナリ創り上げてしまつたのであります。

かかるスゴイ物を開発した創業者の後を継ぐのは、並大抵の覚悟では務まらないでせう。宏基氏が会社の経営を受け継いだ時、社内にはセクショナリズムや官僚主義が跋扈してゐたと言ひます。商品開発も停滞してゐて、革新的な新商品が生まれるやうな雰囲気ではなかつたさうです。
その原因は、カップヌードルといふ絶対的なトップブランドに依存する「甘えの構造」だつたと宏基氏は指摘してゐます。

「創業者の開発商品であるカップヌードルは、みだりに触れてはならない聖域であり、ましてや、そのブランドイメージに傷をつけたり、シェアーを奪うような新製品を発売するわけにはいかない。誰もがそう信じていた」(第一章より)

この状況を打開すべく、カップヌードルを超える商品を開発せんとしてぶちまけたスローガンが、本書のタイトルとなつてゐるのでした。
確かにカップヌードルは強いねえ。以前某会社でお菓子とカップめんのバイヤーをしてゐた頃、やはり圧倒的な人気はカップヌードルでありました。各社から新商品が出ると、問屋から山のやうな試食用サンプルが送られてくる。嬉しがつたのは最初だけで、仕事としての試食がかくもつらいものとは思ひませんでした。美味しいものばかりではないしね。
で、やはりカップヌードルのシンプルさに勝るものは中中無いといふのが実感であります。

宏基氏はカニバリ(共食ひのこと。ここでは社内間競合かな)大いに結構と、カップヌードルを越える商品開発を進めるのでした。ブランド・マネジャー制度を立ち上げるなど、社内改革を次々と打ち出していきます。父である創業者との衝突は日常茶飯事でありますが、この息子も大したもので負けてゐませんでした。まあ百福氏と喧嘩できるのは、ほかにゐないでせうからね。
結果、「やきそばUFO」や「どん兵衛」などのベストセラー、ロングセラーを生み出し、日清食品の黄金時代を実現させたのであります。
創業者は異能の人、二代目は普通の人と著者は言ひますが、宏基氏は十分異能の人と申せませう。

また、社会的貢献にも触れてゐますが、成功する経営者はたいていこの視点を持つてゐるやうです。会社経営なんて結局金儲け一番さと思ふ人もゐるかも知れませんが、そんな会社は早晩消えてゐるみたいだね。さういへば先日、日清食品が賞味期限を延長するといふニュースがありましたが、これも本書内に「飢餓と飽食」問題として挙げられてゐました。やるなあ。

世の経営者の参考に...といふよりビジネス読み物としてまことに面白い一冊であります。読後わたくしは「やきそばUFO」が久しぶりに食べたくなり、近所のアピタで購買しましたことをご報告申し上げます。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村
どらン猫小鉄
どらン猫(こ)小鉄 (アクション・コミックス)どらン猫(こ)小鉄 (アクション・コミックス)
(1992/01)
はるき 悦巳

商品詳細を見る

どらン猫小鉄
はるき悦巳【著】
双葉社(アクションコミックス)刊
1984(昭和59)年12月発行
1992(平成4)年1月復刊


大物声優の永井一郎さんが亡くなつたといふことで、各地から追悼の声が上がつてをります。
まだまだ元気だと思つたのに、まことに残念なことであります。
巷では波平さんのことばかり話題になりますが、もちろんほかにも多くの名キャラクタアの声を当ててゐます。
その一つが『じゃりン子チエ』に登場する猫の「小鉄」であります。

小鉄は、チエの家の飼猫ですが、人間以上に人間臭い。言葉が通じないことを除けば、大体のことは出来るのであります。魚釣りも野球も出来る猫なのです。喧嘩も滅法強く、あの暴れん坊・テツ(チエの父親)でさへ恐れる存在でした。
そんな小鉄にも知られざる過去がありました。チエちゃんの家に来る前は、「雷蔵」と名乗つてゐたのです。
『どらン猫小鉄』は、その雷蔵時代の武勇伝なのであります。

雷蔵がふらりとたどり着いた、とある猫の町。ここではヤクザ(もちろん、猫ですよ)の抗争が絶えない「三途の猫町」と呼ばれる恐ろしい場所だつた。ここの猫は、会話の語尾に必ず「どってん」か「ばってん」を付けるのが特徴だが、その使ひ分けは難しく、結局雷蔵には最後まで分からなかつた。
対立するヤクザ二派を相打ちさせ、猫町の大掃除を図つた雷蔵だつたが―

とまあ、要するに黒澤監督『用心棒』の猫版ですな。小鉄を求めて、一気に再読したわたくしであります。
さらば小鉄。永井一郎さんには、お疲れ様でしたと申し上げ、寝ることにします...

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村