源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
時刻表おくのほそ道
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時刻表おくのほそ道
宮脇俊三【著】
文藝春秋(文春文庫)刊
1984(昭和59)年1月発行


「地方の片隅で、貧しく汚く、しかし、赤字に堪えて頑張っている小さな鉄道に乗って、その尻を撫でさすってきましょう」
と私は上機嫌で言った。
「助平なんですね」
「誰だってそうでしょう」
「そりゃそうですね」
と彼は言った。

(本文より)

上記は、本書『時刻表おくのほそ道』の概念とは何かを端的に示す部分と申せませう。文中の「私」とは宮脇氏、「彼」は文藝春秋の編集者であるところの名取昭氏であります。
宮脇氏は言ふまでもなく時刻表の愛読者。時刻表を読むと、乗りに行きたくなるのです。

しかし時刻表はJR線を中心に編集されてゐて、私鉄線は巻末に追ひやられ、しかも抄録なのです。その私鉄線の中でも、大手ではない地方の零細私鉄にいたつては、始発と終電のみの掲載で、「この間約○分毎」などと簡単に片付けられてゐるのでした。ああ可哀想に。

そんな状況ですから、冒頭の宮脇氏の発言も首肯できるところなのです。本書に収録された地方鉄道は27社、いづれも経営が厳しく、2014年現在はざつとその半数が姿を消してゐると思はれます。したがつて今となつては貴重なルポなのです。
本作品で特筆すべきは、同行する編集者の存在でせう。元来宮脇氏は一人旅を旨とし、仮令同行者がゐてもそれを肴にすることはなかつたのであります。
それが今回は文春の名取昭氏、明円一郎氏との二人旅であることを逆に売り物にしてゐるフシがあります。「おくのほそ道」だから河合曾良の役柄が欲しかつたのか。(筆者は否定してゐますが)

本書の後、宮脇氏は編集者との二人旅が増えていきます。それまで自ら禁じてゐた「同行者を肴にする」ことを解禁したやうです。『阿房列車』の世界を継ぐ『旅の終りは個室寝台車』なんかは好例と申せませう。
さういふ意味で、この作品は一つの転機となつた存在であると、わたくしは一人勝手に睨んでゐるのであります。
色色な意味で興味深い一冊なのです。

時刻表おくのほそ道 (文春文庫 (331‐1))時刻表おくのほそ道 (文春文庫 (331‐1))
(1984/01)
宮脇 俊三

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日本の聖域
日本の聖域 (新潮文庫)日本の聖域 (新潮文庫)
(2012/10/29)
「選択」編集部

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日本の聖域(サンクチュアリ)
「選択」編集部【編】
新潮社(新潮文庫)刊
2012(平成24)年10月発行


選択」といふ雑誌があります。本屋では扱つてゐなくて、基本的に宅配でしか購読できません。ゆゑに知名度は今ひとつでせうか。本屋に勤めてゐた頃も、問ひ合はせなどを受けた覚えは全くないのです。
これが「いきいき」になると話が違ひ、新聞に最新号の広告が出ますと、たちまち「ありませんか」と聞かれます。「書店ではお求めになれません」と明記してあるにもかかはらず、「書店にはない雑誌なんですけど、お宅(わたくしが勤めてゐた本屋のこと)には置いてゐませんか、と意味不明の問ひ合はせも珍しくありませんでした。あなた、自分で「書店にない」と言つてゐるぢやありませんか。

まあつまり、あまり「選択」は読まれてゐないのだな、と推測されます。総合情報誌との触れ込みで、真のヂヤアナリズムを標榜する「選択」。
扱ふジャンルは、国際問題、国内政治、国内経済、社会・文化の4ジャンル。タブーや聖域なく問題点を抉るとして、中中威勢が良いのです。
その「選択」にあつて、「日本のサンクチュアリ」なる連載があり、これが本誌の名物のひとつとか。ここでいふ「サンクチュアリ=聖域」とは、「公共事業や医療制度など、長年触れられるままであったがゆえに、無駄や利権の温床となってしまった、黒々とした領域」(「はじめに」より)を想定してゐます。おお。おお。

本書では、われわれ国民の財産を喰ひつぶし、生命すら脅かす組織・制度を遠慮なく弾劾してゐます。
交通安全協会・NHK・国立がんセンター・「独立行政法人」ども・厚生労働省・東京高等裁判所・児童相談所・入国管理局・日本相撲協会等等...まあこれらを読むと、わたくしどもの生命財産は実に危機的状況にあることが分かります。途中で読むのがイヤになりますなあ。ああ、日本つて...

多くの人の目に触れるべき内容かと思ひますが、「選択」編集長によると、あまり読者の獲得には積極的ではないやうです。「数を目的としないため、「選択」は余計なしがらみにとらわれることがない」(「はじめに」より)と書いてゐますが、いまいちその根拠が分かりませんね。
数をめざすことと、タブーに挑戦することは必ずしも相反するものではないと存じます。横槍が入れば、それをそのまま記事にすれば良い。せつかく大手マスコミが報道しないやうな記事を載せてゐるのに、解せない方針ではあります。
まあわたくしも別段「選択」の宣伝をするつもりもありませんので、良いのですがね...

ぢや、失礼。

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相撲道とは何か
相撲道とは何か (ロング新書)相撲道とは何か (ロング新書)
(2007/11/01)
大鵬

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相撲道とは何か
大鵬幸喜(納谷幸喜)【監修】
ロングセラーズ(ロング新書)
2007(平成19)年11月発行

たつた今白鵬関の優勝を見届けたところであります。キセノン残念。直接対決での立会ひの失敗が悔やまれます。
それよりも白鵬は横綱なのだから、相手に合はせて欲しいものです。双葉山や大鵬は相手がわざとタイミングをずらして立たうとしても、「いつでもどこからでもいらつしやい」とばかりにデンと構へて受けたものです。いや、双葉山は当然リアルタイムで見てゐないので伝聞ですがね。知つたかぶり失礼。

今場所中には、元大関魁傑の西森輝門氏が急死するといふ衝撃もありました。
人気力士でしたよ。肌浅黒く無骨な印象なのに、若い女性ファンが多かつたのです。当時の蔵前国技館を黄色い声援で埋めたのも懐かしい。
魁傑は真面目を絵に描いたやうな力士でしたねえ。横綱大関が黒星先行になると、簡単に途中休場してしまふ風潮に反発し、「休場は試合放棄」と喝破したのであります。特に横綱は、どれだけ休まうが降格は無いし月給は入るので、優勝の望みがなくなると簡単に休場する奴がゐたのですよ。俗に「黒星病」なんて言つてゐました。
そのクリーン精神は弟子の横綱・大乃国にも引き継がれたやうで、真の怪我や病気以外は皆勤し、7勝8敗と負け越してしまつたことも有るほど(まあ負け越し自体は褒められたものぢやないが)。



『相撲道とは何か』。一見、元横綱大鵬こと納谷幸喜さんの著書みたいですが、良く見ると小さく(監修)と書いてあります。それなら真の著者は誰かといふと、これがどこにも書いてゐないので分かりません。怪しいですな。
第一章でやたらと品格のことに触れてゐて、やれやれ先が思ひやられるわいと思つたのですが、第二章以降は大相撲のしきたりやルールなどをトリビア風に語つて、中中面白い。
どちらかといふと相撲には詳しい方だと自負してゐたわたくしですが、案外と知らぬ事もあり、失礼ながら拾物の一冊でありました。

伝統的神事と、近代スポーツの両面を求められてゐる大相撲。八百長騒動の後、魁傑の前放駒理事長が進めた改革の芽を、なぜか返り咲いた北の湖理事長が摘んで仕舞はぬやうに、監視する必要があると申せませう。

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花埋み
花埋み (新潮文庫)花埋み (新潮文庫)
(1975/05/28)
渡辺 淳一

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花埋み
渡辺淳一【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1975(昭和50)年5月発行
2009(平成21)年12月改版


渡辺淳一さんの死を伝へるニュウスで、直近の彼の映像が流れてゐたのですが、丸々として、まるで浮腫んでゐるみたいでした。長門裕之さんの晩年を思はせる風貌に吃驚したのであります。
渡辺淳一といふ作家は、わたくしにとつては「隠れて読む」存在でありました。男性の皆様、さういふことはありませんかね。少なくとも積極的に読後感を語ることはなく、読書仲間にも隠蔽してゐました。俺だけか?

それはそれとして、『花埋み』。わたくしにとつて渡辺氏といへば、何といつてもこの作品であります。
日本最初の女医といはれる荻野吟子の生涯を綴る、力作長篇でございます。
吟子が女医にならうと決意したのは、夫からうつされた淋疾の診察時における羞恥・屈辱がきつかけでした。同じ苦しみを味はつてゐる女性は多くゐるに相違ない。それなら私が医者になつて、さういふ女性を救ふのだ。

そもそも女が学問をするだけで白い目で見られた時代です。女医になる道は閉ざされてゐました。
ならば自分が切り拓くしかない。吟子は猛烈な偏見・妨害と単身戦ふのであります。やつとの思ひで入校した医学校で嫌がらせをする男ども。当時の日本はかかる野蛮な国であつた。同じ男として恥しいですな。
学校を修了しても、肝心の医術開業試験を受験できないなど、次から次へと難関が立ちはだかります。それでも吟子は諦めずに突き進み、遂に念願かなつて「荻野医院」を開業するのであります。この精神力は尋常ではありません。スゴイ。

彼女は、基督教の伝道者である海老名弾正に、「心の中では見返してやろうという復讐心でした。(中略)復讐するまでは頑張ろうと思いました」と後に語つてゐます。そして、結局は功名心からであつたと。
さはさりながら、さういふ復讐心を抱く人たちは往々にして犯罪など、マイナスの方向へ行動してしまふ。自らのエネルギイに変へてしまふ克己心には脱帽するしかありません。

後年、志方之善との出会ひ以降、吟子の人生は大きく変ります。あまりの変貌ぶりに、また新たな苦難と奮闘せざるを得なくなるのです。
この辺は読んでゐて辛い部分ですが、第三者的な視線でいふと「もつたいない」の一言ですな。それでも吟子自身が選んだ道であります。

最後の場面が素晴しい。涙が出ます。作者が突き放した書き方をしてゐる分、余計に読者は感情移入してしまふ。
これほど感動させる小説のラストシーンはあまりないですね。
渡辺氏の小説を未読の人には、『失楽園』よりも本作を推します。かかる作品を遺してくれた渡辺淳一さんに感謝し、冥福を祈るものであります。

ぢや、この辺でご無礼します。

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戦後プロ野球50年
戦後プロ野球50年―川上、ON、そしてイチローへ (新潮文庫)戦後プロ野球50年―川上、ON、そしてイチローへ (新潮文庫)
(1994/12)
近藤 唯之

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戦後プロ野球50年―川上、ON、そしてイチローへ
近藤唯之【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1994(平成6)年12月発行


今年の燕球団は、評論家諸氏によりますと断突で最下位の予想となつてゐます。
まあ仕方がない。昨年あれほどの惨状を呈したといふのに、特段の補強もせず、故障者も相変らず多数抱へる状況で昨年以上の成績をあげられるとは、素人でも思ひますまい。
しかも頼みの綱である、ライアン小川君が離脱。お先真暗とはまさにこのことであります。案の定九連敗といふ泥沼にもはまりました。

しかし昨年と違ふところは、打線に厚味が出てきたところです。昨年はバレ君一人が頼りで、相手投手もバレを歩かせてをけばあとの打者は恐れるに足らず、と安心しきつてゐたやうだね。
今年は、ミレッジ君がまたゐなくなつちやつたけれど、川端君が戻り、ハタケが復調し、雄平君がブレイクしかけてゐます。山田君比屋根君荒木君も良い。中村君は相川君から正捕手の座を奪はんとする勢ひ。バレの負担が軽くなつたと存するものです。今後に期待しませう。

と、燕の話ばかりしてもしようがない。近藤唯之氏の『戦後プロ野球50年』であります。
無論近藤氏のことですから、ありふれた編年体のプロ野球史を書くはずがありません。サブタイトルにもあるやうに、川上哲治からON、現在のイチローまで、自ら取材した内容を中心に述べてゐます。
その奥底には、プロ野球の隆盛を願ふ思ひと、それを支へる選手や裏方への敬意が詰まつてゐるやうに思はれます。まるで相対して胡坐をかき、酒でも酌み交はしながら聞いてゐるやうな心持になるのであります。

「黒い霧」で永久追放になつた池永正明投手の無念、「あぶさん」永淵洋三右翼手の粋な引退後の人生、王貞治一塁手とハンク・アーロンの本塁打競争の内幕(よく書いてくれました)、大杉の本塁打に抗議した上田利治監督とその家族の実直さ、そして「柳川事件」の犠牲者となつた柳川福三外野手。子供に「お父さんは昔、相撲取りだつたのだよ」と嘘をつく心中を思ふと、涙が出ますなあ。

近藤節はナニハブシ、といはれても良いぢやありませんか。まことに人間臭い、人情味のある「プロ野球戦後史」と申せませう。まだ入手出来るのかどうかは分かりませんが―

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半島へ、ふたたび
半島へ、ふたたび (新潮文庫)半島へ、ふたたび (新潮文庫)
(2011/12/24)
蓮池 薫

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半島へ、ふたたび
蓮池薫【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2011(平成23)年12月発行


北朝鮮といふ国は、金正恩なる御仁に代替りしてから、その無鉄砲さに拍車がかかつてゐるやうに見えます。
彼の親父の時代は、無鉄砲ながら対立国との「駆け引き」に長けてゐた。我儘を言ひ、駄々を捏ねれば条件を引き出せたのであります。一応「外交」らしきものはありました。
しかしながらこの肥満児ぼんぼんのやることといつたら、挑発の意図が那辺にあるのか、とんと分からない。たぶん本人も分かつてゐないのでは、とすら思はれるのであります。口汚く罵るだけでは、何の見返りもないでせう。こんな状態で拉致問題の進展はあるのかとヤキモキしてしまひます。

蓮池薫さんの『半島へ、ふたたび』といふ書名を見て、「え、また北朝鮮へ行つたのか?」と思つた人はわたくしだけではありますまい。
ところが「半島」には変りはないが、北朝鮮ではなく韓国訪問記なのでした。紛らはしい。意外にもこの旅が初めての韓国行きださうです。わづか八日間の旅行にしては、とにかく色色な場所へ出入し、多くの人に会ひ、ギュッと濃縮された密度の濃い旅となつたやうです。

二部構成になつてゐて、第一部がその韓国旅行記「僕のいた大地へ」。もちろん違ふ国なのですが、どうしても陸続きになつてゐる(拉致された)北朝鮮を想起してしまふやうです。そもそも同じ民族なのだから当然といへば当然。
兄の蓮池透さんの著書『奪還』では、帰国後しばらくは北朝鮮による薫さんの「洗脳」ぶりについて書かれてゐましたが、本書を読む限りでは一般的な日本人の視点から客観的に見つめてゐるやうに思ひます。
しかし拉致問題が解決しない中、未だ語れぬこともあるのでせう。本当に書きたいことはまだあるのでは? と読みながら感じてしまふのです。

第二部は「あの国の言葉を武器に、生きていく」。蓮池さんは、友人(翻訳家の佐藤耕士氏)の骨折りもあつて、新たに翻訳家として歩むことになりました。かういふのは、仮令チャンスがあつても、教養といふか知識といふか、さういふ素養がないと出来ない仕事であります。
その奮闘ぶりは時に壮絶、時にユウモラスで、感心したり微笑ましかつたり。失はれた24年間といふ時間を埋めるかのやうに翻訳に熱中する姿には感動すら覚えるのでした。

「まだ帰還しない拉致被害者が多くゐるのに、自分だけかくも順調で良いのだらうか?」といふ気持ちが根底にあるのでせう、手放しの喜びや満足はあへてその表現を避けてゐるやうに見えます。
事件の完全解決により、心から笑へる日が、一日も早く来ることを願ふばかりであります。

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悪い時
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悪い時
ガブリエル・ガルシア=マルケス【著】
高見英一【訳】
新潮社刊
1982(昭和57)年9月発行


ラテンアメリカ文学界の超大物が亡くなつて一ヶ月。この人を語る時はまづ『百年の孤独』らしいのですが、ここでは天邪鬼に『悪い時』を登場させるわたくしであります。
本書はまだ学生時代に、名古屋のとある書店で購入したもの。その書店は人文書関連が充実してをり、知る人ぞ知る存在でした。

その時のちよつとした出来事が、今でも忘れられません。この『悪い時』その他数冊の本を抱きながら、更に物色せんと棚を眺めてゐました。すぐ傍では、店主が棚指し作業をしてゐます。本屋のいい風景です。
ところが、突然店主が爆音とともに放屁をしでかしたのであります。わたくしの至近距離でしたので、たちまち悪臭が漂つてきました。
店主は証拠隠滅を図らんと(でもないだらうが)、直ちにその場を離れバックルームへ姿を消してしまひました。そればかりかこちらに別の客が近付いて来るではありませんか。妙齢の女性です。
いかん。まだ放屁臭が残る今、このままではわたくしの罪にされてしまふ。直ちに別の棚に移動したのですが、直前にその女性と目が合つてしまひました。残り香に気が付き、「あ、あの男(わたくしのこと)オナラして逃げたな」と思はれたのぢやないかと、まことに口惜しい思ひをしたのでした。

...さてマルケスの話。彼がノーベル文学賞を受賞した理由として「現実的なものと幻想的なものを結び合わせて、一つの大陸の生と葛藤の実相を反映する、豊かな想像の世界を構築した」といふことです。
なんだか解つたやうな解らぬやうな説明ですね。七面倒くさい話は脇に置いて、『悪い時』を読んでみませう。

登場人物はかなり多い。記憶力の弱いわたくしは、メモに書き出して整理しながら読まないと「えーと、これは誰だつけ」なんて、前の頁まで戻る仕儀になりかねないのであります。
その中でも、「町長」「神父」「博士」「判事」といつたところが主要人物でせうか。いづれも一癖も二癖もありさうな、あまり友人にしたくない面々であります。

舞台は架空の町ださうです。しかし実在の町以上にリーアリティをもつて描かれてゐます。厳しい自然条件や劣悪な住環境が、まるで読者にも肌で感じられるやうな。
この町で、「ビラ事件」が勃発します。各家庭の軒先に貼られる、中傷のビラ。一体誰がビラを貼つてゐるのか。犯人探しが始まるのですが、さつぱり判明せず、嘲笑ふかのやうにビラ貼りは止まないのであります。
住民に広がる不信と不安。それは増殖を続けるネズミと同じく、留まるところを知らないのでした...

なるほど、いはゆる幻想文学とは違ひ、現実と非現実が融合した不可思議な世界が広がつてゐますね。
物語の破綻もなく端正な印象ですが、ある種の暗さ、陰鬱さも小説全体を蔽つてゐます。何かの寓意が含まれてゐるのかどうか、わたくしにはちよつと解らないのです...否、別段否定的な意見を述べてゐるのではありませんがね。マルケス入門書とするには不向きかも知れません。面白いのだけど。

ぢやあ、今日はこんなところでご無礼します。

悪い時 (新潮・現代世界の文学)悪い時 (新潮・現代世界の文学)
(1982/09)
ガルシア・マルケス

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