源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
車窓はテレビより面白い

車窓はテレビより面白い (徳間文庫)車窓はテレビより面白い (徳間文庫)
(1992/08)
宮脇 俊三

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車窓はテレビより面白い
宮脇俊三【著】
徳間書店(徳間文庫)刊
1992(平成4)年8月発行


車窓はテレビより面白い、そんなの当たり前ではないか、どうせ版元による命名だらうと思つてゐたら、著者自らの発案でありました。これは意外。
「あとがき」によると、「積年の想いをこめて敢えてつけた」とあります。ふうん。
内容は特別に共通テエマがある訳ではなく、徳間書店の「問題小説」といふ雑誌に連載されたものが中心になつてゐます。

初版は1989(平成元)年に上梓されてゐます。この時期は国鉄が解体・民営化され、お荷物となつた赤字ローカル線が続々と第三セクター鉄道として生れ変つた時期であります。
ゆゑに、第三セクター訪問記が目立ちます。わが地元の「愛知環状鉄道」もそのひとつで、一章を割いてゐますよ。

それは良いのだが、そのタイトルが「愛知環状鉄道のぜいたく」。何だか最初から反感を抱いてゐるやうですね。
1964(昭和39)年の東海道新幹線開通以降、鉄道建設公団が新線の工事を担当してゐるのですが、その鉄建公団の作る路線は、新幹線と同じく立体交差が基本なので、まあ要するに「ぜいたく」な造りになるのは当然と申せませう。

愛知環状鉄道(以下、愛環と記す)も同様で、全線複線分の敷地が確保された上で、立派な高架橋が延々と続き、丘陵地帯はトンネルで抜け迂回することはございません。確かに銭のかかる造り方です。
宮脇氏はかう述べます。

納税者の立場から、この贅沢な高架橋を見れば腹が立つ。鉄道ファンたる私にしてそうなのだから、一般の人が乗ったなら激怒するかもしれない。が、幸いなことに、そういう人は乗っていない」(本文より)

上の文章を愛環沿線の人が読んだなら、激怒するかもしれない。が、幸いなことに、さういふ意見は表立つてはゐない。
まあ宮脇氏はそれまでにも、地元の人から反感を買ひさうな表現をよくしてゐるので気にすることもありますまい。(「○○なんか行きたくない」とか「××駅なんか、頼まれても降りたくない」とかね)

宮脇氏は愛環線の終点・高蔵寺駅で車掌にインタビューを試み、若干印象が改まつたやうです。

ちょっと見ただけでは何もわからないものである。もし、私が車掌に話しかけなかったなら、愛知環状鉄道について、どんな印象を持ち帰ったか、それを考えると、恐ろしい気持ちになる」(本文より)

地元民なので、愛環のことばかり話してしまつた。第三セクター鉄道の中でも抜群の優等生なので、弁護したくなつたのであります。

ところで、本書を最初に読んだ時、一番ショッキングであつたのは「阿武隈急行各駅拝見」の最後。
好きな鉄道旅行をしては紀行文を書くという職業は、誰しも羨む境遇だと思うが、読者は厳しくて、「最近の写真を見ると白髪がふえましたね」などと言ってくる。それはいいとしても、「ちかごろのあなたの書くものは、つまらなくなった。昔のように元気を出してください」というのも舞いこむ。元気を出せと言われても無理だが、そのとおりだと思う」(本文より)

ううむ。わたくしもたびたび、宮脇氏の作品は古いものほど面白いと発言してゐましたが、やはり同様の感想を持つ人がゐたといふこと、そして宮脇氏本人も認めてゐたことが判然として、切なくなつたのであります。
無論それは、宮脇氏初期の奇跡的な傑作群と比較しての話。凡百の紀行作品とは一線を画してゐるのは間違ひありませんぞ。うむ。

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グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた
グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた (新潮文庫)グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた (新潮文庫)
(2013/03/28)
辻野 晃一郎

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グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた
辻野晃一郎【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2013(平成25)年3月発行


書名を見て、次のやうに連想しました。
「ソニーの凋落が喧伝されて久しい。かつては世界をリードした憧れの企業だが、中中苦境から脱せぬやうである。しかし、今をときめくグーグルもソニーから学んで大きくなつたのである。俺(著者)がソニーに在籍してゐた頃の話を聞かせてあげるよ。ここから復活のヒントでも掴んでくれたら嬉しいなあ」
きつと著者はかういふ感じで執筆したのではないかと。

一読したら、内容は概ね予想通りでした。
22年間勤めたソニー。ヒット商品の開発も手がけた著者ですが、硬直してしまつた組織の壁に阻まれ、自らの力量を示せない環境に負けてしまふのであります。
ソニーを退社し、ハローワークに通う日日。ところで著者もつぶやいてゐますが、このネーミングは何でせうね、今さらですが。
青島幸男氏が東京都知事の時、議会で「ハローワークとは何か」問ふて莫迦にされましたが、「公共職業安定所」なら当然知つてゐるわけです。

それはともかく、著者は新しい会社を立ち上げます。その途端、スカウト会社から「グーグル」へのヘッドハンティングの電話が! デキる人は違ふねえ。
結果としてグーグル日本法人の社長を3年間勤めて退社します。その後は「アレックス株式会社」を創業し、現在に至るらしい。
かうして見ると、本人の才能努力はもちろん有るにしても、順調な人生ではありませんか。過去の成功体験はいらんと言ひながら、ソニー時代の「コクーン」「スゴ録」での実績をやたらと強調するのも微笑ましいですな。いや、別段皮肉つてゐるのではないよ。

文庫カヴァーの宣伝文には、「読む者を勇気づける」とありますが、むしろ自信喪失させる可能性がありますな。読み物としては面白い一冊なので、余計な効用を期待しない方が良いですね。自分を重ね合せて読まないやうにしませう。

さて夜も更けてまゐりました。ではこのあたりでご無礼します。

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牛をつないだ椿の木
牛をつないだ椿の木―童話集 (角川文庫)牛をつないだ椿の木―童話集 (角川文庫)
(1968/02)
新美 南吉

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牛をつないだ椿の木―童話集
新美南吉【著】
角川書店(角川文庫)刊
1968(昭和43)年2月発行
1991(平成3)年10月改版


愛知県半田市が誇るもの、それは「ミツカン」と新美南吉。などといふと、半田市民から「半田にはそれだけぢやない、もつと多くの魅力があるぞ」と叱られさうですが、まあ許してください。

おそらく誰もが幼少時に読んだ(読まされた)と思はれる「ごんきつね」「てぶくろを買いに」などで知られる新美南吉は今年で生誕101年。中途半端なタイミングですが、偶然読む機会がありましたのでちやつかりここで報告するものであります。

以下、いくつかの作品の感想。
「張紅倫」...戦前の時代に、敵国人を礼賛するとも受け止められかねない内容の作品を書いたこと自体、驚tきを隠せません。
「正坊とクロ」...人間と動物は結局分かり合へない結末の作品が多い中で、これはしつかりと交流が描かれてゐます。正坊とクロ、今後の新たな関係が示唆されて終ります。
「ごんぎつね」...子供の頃読んで泣きました。悪意を持つ人物・動物は結局ゐなかつたのだが、訪れる悲劇。
「手ぶくろを買いに」...かあさんぎつねの「ほんとうににんげんは、いいものかしら」といふつぶやきが本作を象徴してゐますね。子供の頃は単純に人間賛歌だと思つてゐましたが、実際はもつと複雑なやうです。
「病む子の祭」...切なくも美しい児童劇。わたくしはかういふのに弱いのです。
「久助君の話」...半田の岩滑(やなべ)といふ土地を舞台にした「久助君」シリーズ(?)は、幼い日に誰でもが味はつたであらう漠然とした不安や期待、子供ならではの人間関係が詰つてゐます。久助君はわたくしだと思ひました。

他にも、表題作「牛をつないだ椿の木」や代表作のひとつ「おじいさんのランプ」、人の善意にあふれた「花のき村と盗人たち」など、ツブ揃ひであります。
幸薄い人生を過ごした新美南吉ですが、その作品は今後も読まれ続けるのではないでせうか。
ここではたまたま角川文庫版ですが、他にも岩波文庫などから作品集が出てゐます。どれでも良いので、手に取つてみてはどうですかな。

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伊福部昭 ゴジラの守護神・日本作曲界の巨匠
伊福部昭: ゴジラの守護神・日本作曲界の巨匠 (文藝別冊/KAWADE夢ムック)伊福部昭: ゴジラの守護神・日本作曲界の巨匠 (文藝別冊/KAWADE夢ムック)
(2014/05/31)
片山 杜秀

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伊福部昭 ゴジラの守護神・日本作曲界の巨匠
片山杜秀【責任編集】
河出書房新社(文藝別冊/KAWADE夢ムック)
2014(平成26)年5月発行

今年は伊福部昭氏の生誕100年といふことで、各メディアでも話題になつてゐます。先日も、我が家に毎日配達される新聞にもその記事が載つてゐました。「ほほう、きてるなあ」と思つたものです。
関連書籍も出るであらうと予測してゐましたが、果たせるかな幾つかの新刊が登場したやうです。
その中でも、もつとも一般的でビギナーにもお薦めなのが本書であります。ムック扱。(MOOK=MAGAZINE+BOOKの合成語。どうでもいい情報だが)

伊福部氏は現代日本音楽界の重鎮といふ存在であり、教育者としても芥川也寸志氏や黛敏郎氏など、多くの人材を輩出しました。わたくしもかつては『伊福部昭 音楽家の誕生』といふ書物を取り上げたことがあります。この本も良かつた。

しかし一般的には、伊福部氏は『ゴジラ』をはじめとする映画音楽の作家としての側面が語られることが多い、本書でも伊福部氏をリスペクトする人たちが寄稿したりインタビューに答へたりしてゐますが、その多くはやはり映画音楽からのアプローチだつたやうです。かくいふわたくしも同じですが。
本書の本人インタビューによると、かかる現象に伊福部氏本人は、当初はやはり本意ではなかつたやうです。映画の仕事は生活のために仕方なく始めたと。一歩先に映画の仕事をしてゐた盟友・早坂文雄の勧めもあり決心したさうです。

しぶしぶ始めた映画音楽でしたが、晩年には『ゴジラ』の伊福部と呼ばれることに抵抗は薄れてゐたやうです。インタビュー映像で「映画は300本以上やつてゐますので、映画音楽の作家と呼ばれてもしようがないと思つてゐます。シンフォニーは300も作つてゐませんから」と語つてゐましたのでね。

映画音楽で有名になりすぎたせいで、音楽家としての正当な評価が得られなかつた不幸な人なのか?
それとも『ゴジラ』を作曲したお陰で知名度が上がり、過去の純音楽も一般人に注目された幸運の持ち主なのか?
まあ、それは誰にも分かりますまい。

ただわたくしは東宝特撮映画の愛好家だつたお陰で伊福部氏を知り、キングレコードの伊福部氏の藝術シリーズCDを蒐集した一人に間違ひありません。
ストラヴィンスキー「春の祭典」を初めて聴いた時には衝撃を受けましたが、後に伊福部昭「日本組曲」「日本狂詩曲」でそれ以上の感銘を受けたのであります。
同様の体験を持つ人は多いのではないでせうかね。もし未体験の人がゐるなら、本書をガイドに、伊福部氏の純音楽にも触れて貰ひたいのであります。こんな大昔に、日本の青年がかくもカッコイイ音楽をモノしてゐたのかと。
で、気に入つたなら、わたくしと語り合ひませう。一升瓶提げて。

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大いなる看取り
大いなる看取り―山谷のホスピスで生きる人びと (新潮文庫)大いなる看取り―山谷のホスピスで生きる人びと (新潮文庫)
(2009/12)
中村 智志

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大いなる看取り―山谷のホスピスで生きる人びと
中村智志【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2009(平成21)年12月発行


人の終末の迎へ方はさまざまであります。
かつて『在宅で死ぬということ』といふ書物を登場させたことがありますが、この場合はとことん「在宅」にこだはつたケースでした。個人差はあるものの、世間一般的には割かし恵まれた最期だつたのではありますまいか。

本書『大いなる看取り』の舞台となる施設は、ドヤ街としてのイメエヂが強い山谷の「きぼうのいえ」。
創設者の山本雅基氏は当初、ホームレスのためのホスピスを目指してゐたさうですが、最終的に「ホームレスに限定せず、行き場のない人たちのホスピスを創らうとしたのです。
ホームレスの人は目立つので認識されやすいが、実はそれ以上に困つてゐる人たちが少なくないといふことです。

即ち「月数万の年金で暮らしていて、お風呂もない昭和三十年代にできたようなアパートに住んでいるお年寄りたちです。特別養護老人ホームは順番待ち。テレビを友達に過ごしていて、孤独死も少なくない」(本文より)、そんな人たちであります。

さういふ人たちは種事情により、家族とは一緒に暮らせず、年老いても看取つてくれる人がゐない。山本氏と妻の美恵さんは、かかる人たちが心安らかに最期を迎へられる施設を作つたのであります。
本来なら国がするべき事業だと思ひますが、何でも民間頼みのこの国では期待しても詮無いことです。(一方で、民間が挙げた成果は、ちやつかり自分たちの手柄にする政府)

著者の中村智志さんは「きぼうのいえ」で多くの入居者を取材します。時には邪魔者扱ひされたり、また時には理不尽な理由で取材拒否されたり...しかしその心根は純粋な人たちが多いのです。否、純粋だからかういふ人生を歩んできたのか、とも思へます。各人の入居に至るまでの経緯を見ると、人生の転機に於いて、計算高い普通の人ならまづ忌避するであらう方ばかり選択してゐるのです。涙が出てくる。
それゆゑか、本書に登場する「きぼうのいえ」の入居者たちは、皆それぞれに満足して、心安らかに最期を迎へられたやうに見受けられます。

いつかは自分にも訪れる「その時」。はたして「きぼうのいえ」入居者ほどの安らぎを得て逝けるのか、良く分かりません。
読後はちよつとしんみりして、我が身を振り返つてしまふ、そんな一冊と申せませう。

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浮雲
浮雲 (新潮文庫)浮雲 (新潮文庫)
(1951/12/18)
二葉亭 四迷

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浮雲
二葉亭四迷【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1951(昭和26)年12月発行
1968(昭和43)年9月改版
1989(平成元)年4月改版
2011(平成23)年10月改版


「くたばつてしめへ」こと二葉亭四迷は今年が生誕150年であります。たぶん。
彼の出世作『浮雲』は、明治も20年を経過した時分に登場し、当時の読書子を感嘆させたといはれてゐます。
周知のやうに、言文一致で書かれた最初の小説といふことで、一大センセエションを巻き起こした作品。今では当り前すぎることですが、何でも最初にやつた人は苦心するものです。

江戸文学の戯作調を残しながら、日本現代文学の嚆矢となつた『浮雲』。文体のみならず、近代人の苦悩を描いて余すところがありませぬ。後半になるに従ひ戯作調は影を潜め、それまでの国産文学に馴染の薄かつた心理小説としての面が強くなります。無論現在から見るとそのぎこちなさは否めませんがね。

主人公の内海文三くんは役所から暇を出された若者。免職ですな。どうやら組織の中で働くには向いてない男のやうです。一方友人の本田昇くんは、意に沿はぬことがあつても上司のご機嫌を窺ふことが出来る、そつのない人間であります。
内海くんは止宿先の娘さん「お勢」に気がありますが、はつきり言へません。彼女のフルネームはどうやら「園田勢子」といふらしい。

内海くんは自らの狷介さもあつて、お勢との仲がまづくなります。それどころか彼女は本田くんに心を寄せてゐるやうに見える。内海くんは懊悩するのであります。傍で見てゐると、まことに面倒臭い男と申せませう。
ラストに於いては、明るい兆しを感じさせて幕となりますが、この後事態は好転するかの保証はないのであります。(未完といふ説もあり。)さういふ面に関しても、従来の小説(物語)とは一線を画してゐますよ。要するに、何から何まで斬新な作品であつた。

文庫版では「現代かなづかい」に改められてゐることも手伝ひ、案外現代人にも読みやすいと思ひます。少なくとも「読書好き」を自任する貴方なら、すらすら読める筈であります。
さあ、本屋へ行き(ネット書店でも好いけど)本書を入手しませう。
では、さらば。

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