源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
「普天間」交渉秘録
「普天間」交渉秘録 (新潮文庫)「普天間」交渉秘録 (新潮文庫)
(2012/08/27)
守屋 武昌

商品詳細を見る

「普天間」交渉秘録
守屋武昌【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2012(平成24)年8月発行



先日の沖縄県知事選では、三選を目論んだ現職の仲井眞弘多氏(自民党が推薦)が落選し、前那覇市長の翁長雄志氏(社民・共産・生活などが支援)が初当選するといふ結果になりました。
なぜ沖縄の知事選にかくも耳目が注がれるのか。いふまでもなく、基地問題があるからですな。政府与党は、自らの政策を実行する上で都合の良い人を送り出せるかどうか。地元としては、国の言ひなりにならず県民の意思を強く主張できる人を当選させたい。
沖縄県ならではの争点なので、他県の者には見えにくいところがあります。或は故意に本質を理解させないやうにする向きがあるのではないでせうか。

『「普天間」交渉秘録』の著者、守屋武昌氏は防衛省の防衛事務次官にまで登りつめた人。防衛庁を省に昇格させる際には、水面下で八面六臂の活躍をしたといふことです。
当時の小池防衛大臣の不興を買つたり、山田洋行事件で有罪になつたりと、マスコミの報道しか知らないわたくしとしては、それまでの守屋氏のイメエヂは芳しくないものでした。
しかし本書を読みますと、真相はもつと裏がありさうです。無論人間は皆自分が可愛いので、都合の悪いことは出さないし、逆に実績となることは強調したくなるものです。
さはさりながら、さういふ面を割り引いても、この普天間問題については「ちよつとをかしいぞ」と首を傾げたくなる事象が多多ございます。

「普天間」の危険性は誰もが認識してゐるのに、一向に事が進まないのはなぜか。一体誰がこの問題を引き延ばしてゐるのか、本当の二枚舌は誰か...守屋氏の日記から垣間見える風景は、我我がマスコミ報道で知らされたそれとは、かなりの乖離があると申せませう。
守屋氏は「本書は特定の個人を貶めるために書かれたものではない」と述べてゐますが、本書の内容はどう読んでも「悪者」は特定されてゐます。事実なら怪しからぬことであります。

この問題は、一部の人間にとつては解決を先延ばしするほど果実の恩恵を享受できるのださうです。また首長らは沖縄県民向けと日本政府向けの二つの顔を使ひ分け、地元からは票を、国からはカネを得ることに腐心してゐるとか。
結局自らの地位の延命をはかる一派が、当初は志が高かつたかもしれませんが、国との折衝を重ねるにつれ、ウマミを感じるやうになつたのでせうか。

本書で名指しされた方方は、反論したのかこれから反論するつもりなのか、それとも「あんな奴の云ふこと、一々気にしとれるかい」と無視するのか。何らかの反応が欲しいところであります。
それにしても、大臣といふもの、他愛無いものですなあ(もちろん中には能力が高い人もゐるが)。政治主導はいいけれど、脱官僚とか言つて敵対関係を作るのは愚の骨頂と申せませう。

さて今回新たに知事となつた翁長氏は、辺野古移転に反対し、国外(県外)への移設を主張してゐます。また揉めさうですなあ。本当に「最後は金目でしょ」になつてしまふのか...

スポンサーサイト
ぶ男に生まれて
ぶ男に生まれて (集英社文庫)ぶ男に生まれて (集英社文庫)
(2004/11)
徳大寺 有恒

商品詳細を見る

ぶ男に生まれて
徳大寺有恒【著】
集英社(集英社文庫)刊
2004(平成16)年11月発行




タイトルを見て、「ほほう、源氏川苦心め、自分の事を語りだすのか?」と早合点する人がゐるかも知れません。
しかし、それは違ひます。ま、確かにわたくしはぶ男のカテゴリーに含まれる人間でせうが、わざわざ自らそれを強調するやうな趣味は持ち合はせてゐないのであります。

これは、先達て亡くなつた徳大寺有恒氏の著書のタイトルであります。
徳大寺氏といへば、自動車評論で他の追随を許さぬ地位を築きあげた人。しかし残念ながらわたくしはクルマ趣味がないので、もつぱら徳大寺氏の人となりについてが分かる本はないかと探したら、この『ぶ男に生まれて』がありました。

徳大寺氏がその半生を語つた自伝本かな、と思ひ読み始めると、とにかくコンプレックスの話ばかり出てきます。
単に容姿のことのみならず、出身地や学歴、さらには仕事上のコンプレックスなど、彼はあらゆる面で劣等感を抱いてゐたらしい。
普通ならそこでイジケてしまひ、悶々と日々を過ごすだけの人間になりかねません。犯罪に走る輩もゐるかもしれないのです。
しかし徳大寺氏はそのコンプレックスを力に変へました。もつとも本人によると、女性にモテたいといふ強い願望が原動力のやうです。まあ男なら誰でも(特に若い頃は)女性にはモテたいと考へますが、この人の場合はちと尋常ではない。その思考がコンプレックスとない交ぜになり、驚異の行動力へと向かふのであります。
もし美男子であつたらチャンスを掴むこともなく、『間違いだらけのクルマ選び』で成功することもなかつたであらうと言ひます。ポジチヴであります。

「好きなことは記録せずに記憶する」「コンプレックスのない人間は色気がない」「男に不可欠なのはユーモア精神」「嘘のない恋愛はない」「コンプレックスが武器になることだってある」...章のタイトルを並べるだけで、悩める若者たちへのアドヴァイスになつてゐます。本人は「僕は努力したことがない」と述べてゐますが、それは明らかに嘘だらうな。ただ、人並みの苦労を苦労とも思はぬ人だから、別段努力したといふ自覚がないのでせう。余人には真似の出来ぬところです。

徳大寺さんは自らを繰り返し「ぶ男」と呼びますが、実に味のある良い顔をしてゐると思ひます。同じ「ぶ男」でも、のんべんだらりと生きてゐるだけでは、かういふ余裕のある顔にはならんでせうな。
クルマに興味の無い人も愉しめる一冊と申せませう。特に若い男性諸君、一読すれば大概の悩みは馬鹿馬鹿しくなること請け合ひですよ。

遺体―震災、津波の果てに
遺体: 震災、津波の果てに (新潮文庫)遺体: 震災、津波の果てに (新潮文庫)
(2014/02/28)
石井 光太

商品詳細を見る

遺体―震災、津波の果てに
石井光太【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2014(平成26)年2月発行




3.11に関する報道や書物から、意図的に避けてゐたやうな気がします。まともな精神状態では接することが出来ないかも...どうせ何も出来ない自分を再確認するだけ...怖かつたのですね。要するに逃げてゐたのであります。
1995年の阪神淡路の時も尋常ならざる衝撃を受けました。旅好きの自分が、それ以降一年以上も私的な旅行をする気になれず、鬱鬱としてゐたのです。

ただ、震災による破壊・火災といふのは、規模の大小の違ひはあれど、過去に見聞した範囲であります。
しかし今回の津波による被害は、今まで生きてきた中でも、全く未知の災害。遥か昔の歴史的事実で聞いたり、パニック映画などで表現されるレベルで、とても現代の我々を襲ふなどとは夢にも思はなかつたのです。
たしかに大水害で街も田畑も水浸しになる災害は過去にも度々起きてゐましたが、濁流ごと家も人も呑み込まれ、ひとつの街が丸ごと消滅する映像を見た時は「こんなことがあつて、いいものか?」と茫然としたのであります。

そんなわたくしが今回、『遺体―震災、津波の果てに』を手にとつたのは、石井光太氏の著書であるからには、従前の報道では語られなかつた事実もあるのではないかと期待したからであります。また、「遺体」に焦点を絞つた取材内容であることも凡百の類書とは一線を画するものだなと勘考した次第なのです。
取材地は岩手県釜石市に限定してゐます。陸前高田など市域全体が機能不全に陥つた土地は取材不能といふことで、市域の半分が残る釜石を選んだのださうです。

民生委員、歯科医、医師会、市職員、消防団員、住職、自衛官...「遺体」に関つた人たちに取材し、安置所が設置されてから、全遺体が土葬を回避し火葬が決まるまでのドキュメントを綴つてゐます。
石井氏らしく、平易で簡潔な表現、達意の文章で語られるのですが、中中読み進むことができません。読み易い文章の筈なのに。
それだけ事実が重過ぎることもあるでせう。読みながらこみ上げるものを感じ、しばし本を伏せたことも一度や二度ではありません。

遺体を確認する遺族の慟哭、遺体への敬意を忘れない民生委員、読経しながら声を詰まらせる住職、被災者に気を使ひながらひつそりと食事を取る自衛隊員...誰もが未経験の出来事に右往左往しながら、腐敗の進む遺体と対峙し、魂の安らかならんことを祈念して自分の使命を果たしていきます。自分が同じ境遇になつたら、と考へると頭が下がる思ひとともに、涙が出てきます。

前述のやうに、本書は釜石だけの話であります。もちろんその他の各地で、さらなる遺体の物語があつた筈です。さういふ遺体の声なき声も想起させる点でも、本書は「忘れてはいけないぞ」と喚起してゐるのでせう。

気まぐれ列車で出発進行

IMG_0199.jpg 気まぐれ列車で出発進行 (講談社文庫)

気まぐれ列車で出発進行
種村直樹【著】
講談社(講談社文庫)刊
1985(昭和60)年7月発行


今月7日に、徳大寺有恒氏が亡くなり、テレビなどでも広く報道されました。
実はその一日前に、種村直樹氏も逝去されてゐました。知つた瞬間は、あまりの衝撃に少し思考が停止したやうで、記憶が飛んでをります。新聞上では徳大寺氏と同じ日に記事が載つてゐました。鉄道の専門家よりも、クルマの専門家の方がやはり話題になるのだらうな、と変な事を考へたものです。

ただ、記事では肩書きを「鉄道ライター」としてあるところがほとんどでした。やはり種村氏の場合、「レイルウェイ・ライター」としていただきたかつた。単に鉄道記者を英訳しただけではなく、これまで誰もしてこなかつた仕事をするといふ自負も込めて自ら名乗つてゐたのだと考へます。「特技監督」が円谷英二を表現する特別の肩書きであるのと同様に、種村直樹は他の追随を許さない唯一無二の「レイルウェイ・ライター」なのです。

くも膜下出血で倒れて以降、現場復帰してもその活動には陰りが見え、精彩を欠いてゐたので心配はしてゐたのですが、やはりこの日が来てしまつたか、といふ無念の思ひがあります。

種村氏は言はずと知れた鉄道趣味界の大物であります。かつては宮脇俊三氏と並ぶ2大重鎮といふ存在でした。宮脇氏が「文学」を志向したのに対し、種村氏はあくまでも「記者」としてジャーナリズムの視点から鉄道を俯瞰してゐたと申せませう。

種村氏の著作は夥しい数にのぼりますが、やはり「気まぐれ列車」の系譜が一番彼らしいと思ひ、今月『乗ったで降りたで完乗列車』を取り上げたばかりですが、ここではシリーズ第一作の『気まぐれ列車で出発進行』に登場してもらふことにします。
気まぐれ列車では何かしらのゲーム性を取り入れ、制約を強めることでマンネリを回避してゐます。数日間の鉄道乗り継ぎ旅行中に、一度も改札の外へ出ずに過ごすとか、日本列島の外周になるべく沿つて鉄道旅行をするとか。
他にも若き日の「北海道きまぐれ旅行前史」や、「韓国」「香港」まで出かけて乗る気まぐれ列車とかも収録されてゐます。

結局「外周の旅」は種村氏のライフワークとなりました。東京日本橋をスタートして、何年かかるか分からぬが日本列島を一周し再び日本橋へ帰るといふものであります。
これは2009(平成21)年に見事達成するのですが、その時はすでに種村氏が発表できる媒体が少なく、メディアで紹介されることはありませんでした。ゆゑに、種村氏としては外周の旅を完成させたが、それを活字にして世に問ふことがほとんど出来ず、気の毒なことでした。
全盛期の華やかさを知る身としては、晩年の種村氏の不遇に胸が詰まる思ひがするのでした。

常に利用者の視点から鉄道を語つた種村氏。事業者に対し厳しい指摘もありましたが、それも鉄道に対する愛情があつたからこそでせう。種村氏の精神を受け継ぐ次世代ライターの登場を望むものであります。

ぢやあまたお会ひしませう。

プロ野球 優勝その陰のドラマ
IMG_0198.jpg  プロ野球 優勝その陰のドラマ (新潮文庫)

プロ野球 優勝その陰のドラマ
近藤唯之【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1989(平成元)年5月発行


今年の日本シリーズでは、福岡ソフトバンクホークスなるティームが阪神タイガースと名乗るティームを破り、三年ぶりの日本一に輝いたさうです。
ホークスはパシフィック・リーグ王者ですが、タイガースはセントラル・リーグのペナントレースでは2位に終つたティームであります。それがご存知のとおりクライマックス・シリーズ(CS)とかいふ制度により、優勝した讀賣ジャイアンツ球団を圧倒し日本シリーズへの出場権を得た訳であります。

朝日新聞社の名物編集委員・西村欣也氏が、日本シリーズの権威を鑑み、反論は覚悟の上だが、やはりCSを勝ち上つて日本シリーズに進出したティームを優勝とした方が良いんぢやないかと提言してゐました。まあ、ペナントレースの経過を重視するのか、日本シリーズの価値を重んずるかの議論となりさうですが、西村氏は後者を取る、といふことでせう。
それほど「優勝」の二文字は野球人にとつて特別なものです。近藤唯之著『プロ野球 優勝その陰のドラマ』では、その優勝そして日本一を勝ち取るために、何のケレンみもなく血道をあげる男たちの姿が描かれてゐます。

武蔵と小次郎の巌流島に準へる水原と三原の対決、日本一になつても長島の引退の陰に隠れた金田監督の不幸、降雨コールドゲームのお陰で初優勝に大きく前進した広島東洋、「動かない」哲学で燕を日本一にした広岡監督、優勝は逃したがロッテとのダブルヘッダーで日本中を興奮させた仰木近鉄...

優勝のドラマなのに、なぜか物悲しさを漂はせる筆致であります。サラリーマンの悲哀にも通づるやうな...
栄誉のため血眼になり戦ふ男たちの姿を見ますと、やはりペナントレースで三位に留まつたティームにも日本一の可能性がある制度では、「優勝」の感激も違ふものになつてしまひさうな気がします。今後も議論が繰返されることでせう。

ぢやあまた。

東海道新幹線 車窓からのビジネス「発想術」
東海道新幹線 車窓からのビジネス「発想術」東海道新幹線 車窓からのビジネス「発想術」
(2000/09)
西村 晃

商品詳細を見る

東海道新幹線 車窓からのビジネス「発想術」
西村晃【著】
東洋経済新報社刊
2000(平成12)年9月発行

先達て参加したイベントで、フォトライターの栗原景氏が「2時間40分で日本が見える~東海道新幹線の車窓の魅力」なるタイトルで講演をされてゐました。なるほど車窓はネタの宝庫。ただ漫然と眺めてゐるだけではもつたいないと感じた次第です。

新幹線で東京-大阪間を往復する人は多いでせうが、忙しい仕事人は車中でもPCを駆使したり、疲労して移動時間を居眠りにあてたりして、あまり車窓に関心を寄せないやうに見えます。窓外を見たつて、仕事には関係ないよとばかりに。
実は新幹線の車窓をテーマにした書物は、案外多いのですが、西村晃氏著『東海道新幹線 車窓からのビジネス「発想術」』は読み物としての楽しさに溢れてゐます。

西村晃氏はその昔テレビ東京系「ワールドビジネスサテライト」でお馴染みになり、その後は名古屋の情報番組でもコメンテイターとして出演してゐたので、愛知県人にも顔見知りの人であります。
なほ水戸黄門の役者は西村晃ですが、こちらはニシムラコウと読む別人。余計なことながら。

西村氏は自ら「新幹線中で生活している」と語るほど新幹線での移動が日常的に多いさうです。睡眠も読書も食事も新幹線の中で不自由せず、それどころか新幹線に乗り込めば「我家に帰つてきた」やうなやすらぎすら覚えるとか。要するに彼はテツなのですな。
本書は一応ビジネス書の括りになつてゐますが、テツが書いたメイニア本の一面も持つてゐます。
即ち。
東京駅での自由席確保法・車内で快適に過ごすには・野立て看板の面白さ・車内販売のお気に入り・「こだま」をあへて選ぶ・新幹線車内を散策・富士の絶景を楽しむ・出張費を浮かせるには・等等等...

そしてタイトル通りの「ビジネス発想術」のヒントも、やや控へ目ながら開陳されてゐます。
つまり、車窓一つとつても、見る人の意識の違ひで、ただの風景になるか貴重な情報源となるか変るといふことでせうね。

ぢやあ、今夜はこれでご無礼します。オヤスミナサイ。

介護現場は、なぜ辛いのか
介護現場は、なぜ辛いのか: 特養老人ホームの終わらない日常 (新潮文庫)介護現場は、なぜ辛いのか: 特養老人ホームの終わらない日常 (新潮文庫)
(2013/06/26)
本岡 類

商品詳細を見る

介護現場は、なぜ辛いのか―特養老人ホームの終わらない日常
本岡類【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2013(平成25)年6月発行

近年何かと話題に上る介護の世界。しかも耳に入るのはよろしくない噂ばかりであります。虐待・暴行・拘束・いじめ・セクハラ...
実態はどうなつてゐるのか? 作家の本岡類氏が、実母の介護をきつかけに、この世界にのめり込んで行きます。

本岡氏はヘルパー2級の資格を得、さる特別養護老人ホーム(特養)で週二日勤務の非常勤職員として採用されました。時給は850円ださうです。まあ少なくとも高給ではありませんねえ。しかも新人もヴェテランも同額らしいので、これでは職員は定着しないことでせう。

人手が少ないこともあり、入居者一人ひとりに時間。入浴や食事、トイレは時間を決めて流れ作業のやうに進められます。目を離すと何をしでかすか分からないので拘束してしまふ。本書を読むまでは、さういふ報道に接するたびに「怪しからんのう」と憤慨してゐましたが、この現場は人心を荒廃させるなあ。一方的に非難されるのが気の毒になつてきました。

さらに本岡氏が驚くのは、新入り職員のためのマニュアル類がまつたくなく、先輩がするのを見て盗む(覚える)といふ、前近代的な徒弟制度みたいな世界であるところ。だから教へられてもゐないのに、「なぜやらないのか」「なぜできないのか」を難詰される理不尽も日常の一こまであります。
もつとも、かういふ職場は中小の零細企業ではよくあること。中高年で転職した人なんかは特に「さうさう」と頷くところではないでせうか。

本岡氏は結局五ヶ月で辞めることになりますが、問題を問題として捉へられるには絶妙な時期と申せませう。同じ職場に半年も勤めると、それまで問題だと思つた事案が「日常」になつてしまひます。さうすると問題は問題ではなくなり、次に入つて来る新人さんにも、「ここでは、かうなんだ。さういふものだよ」と訳知り顔で語るやうになるのであります。

結局職員の待遇問題が大きな焦点となるのですが、現在の介護保険法では処遇改善には限度があるさうです。国はこれをいいことに、だから保険料値上だ、増税だ、きみたちは将来の日本のことを考へるなら協力してくれるよな、な、な? と国民に負担を押し付けるのであります。むろん為政者たちは自分たちの血は流しません。国民の金はいまだにダーダーと無駄使ひされてゐるのに。

著者は、現状では若い人ばかりに負担がかかる仕組みに疑問を呈し、元気な高齢者をもつと活用しやうと提言してゐます。しかし肝心の高齢者がその気にならないので叱咤してをります。
そして最後に言ひます。

そうした大きな政策転換は厚労省の役人には荷が重過ぎ、政治家の仕事である。そして、有能な政治家を選ぶのは、国民の役目である

つまり、国民は役目を果たしてゐないといふことになります。巷間いはれる「(日本の)国民は一流だが、政治は三流」も幻想であります。国民は選ぶ権利ばかり叫ぶのですが、選んだ結果についても責任をとるべきでせう。その覚悟がないからいつまでも世の中が変らない。

ううむ、わたくしの意に沿はない真面目な話になつてしまひました。しかし介護の問題ひとつから日本の大問題が見えるのは事実のやうです。
全国民が関はる問題ですので、一読しても罰は当りますまい。

それではご無礼いたします。

ゴジラ画報
ゴジラ画報―東宝幻想映画半世紀の歩み (B Media Books Special)ゴジラ画報―東宝幻想映画半世紀の歩み (B Media Books Special)
(1999/12)
不明

商品詳細を見る

ゴジラ画報―東宝幻想映画半世紀の歩み
株式会社イオン【編】
竹書房刊
1999(平成11)年12月発行


1954(昭和29)年11月3日、第一作の『ゴジラ』が公開されてから60周年、この国民的怪獣も還暦を迎へた訳であります。
ゴジラに関する書物は、それこそ星の数ほど出てゐますが、大同小異、同工異曲といつたところで、新味のない本も多いのです。

『ゴジラ画報』は古い本なのですが、サブタイトルにありますやうに、ゴジラ以外の「東宝幻想映画」をも取り上げてゐて愉快な一冊なのであります。
幻想映画の定義はここでは明確にされてゐませんが、「サインはV」までも登場し、まあ何でもありですな。

実はわたくしは「東宝特撮映画」が大好きでして、何日でも語ることが出来ます。普段は抑へてゐますが。
近年はゴジラ以外の特撮・怪獣映画はほとんど目立たないのですが、歴史的に見れば、ゴジラはその東宝特撮映画の一部だつたことが解ります。豊穣なる世界。

いはゆる東宝4大怪獣、ゴジラ・ラドン・モスラ・キングギドラが出揃つたのが1964(昭和39)年の『三大怪獣 地球最大の決戦』。その後50年経つのですが、いまだにこれらを越える怪獣が出てきません。これを嘆いてもいいけれど、すでに50年前にこれだけの完成されたキャラクタアを創つてゐたことが驚きですな。

それを承知の上で、新しい魅力を持つたゴジラを観たいのであります。なぜか。
わたくしは「清濁併せ呑む」主義で、『ゴジラ対メガロ』ですら、何度も観てゐます。しかし、現在のところ最新作とされてゐる『ゴジラFINAL WARS』...あれが最終作になるのは寂しすぎるのであります。ま、色色な意見はあるでせうが。

最後に、源氏川苦心が選ぶ東宝特撮映画十傑。これは「完成度」よりも「個人的好み」を優先してゐます。
①ゴジラ②ガス人間第一号③世界大戦争④妖星ゴラス⑤空の大怪獣ラドン⑥海底軍艦⑦三大怪獣地球最大の決戦⑧宇宙大怪獣ドゴラ⑨メカゴジラの逆襲⑩モスラ(次点)マタンゴ

...お粗末さまでした。

乗ったで降りたで完乗列車
index_201411032217528c3.jpeg乗ったで降りたで完乗列車 (講談社文庫)

乗ったで降りたで完乗列車
種村直樹【著】
講談社(講談社文庫)刊
1986(昭和61)年11月発行


去る10月31日、名古屋市内にて開催された、「『鉄道の日記念講演会』~新幹線開業50周年・新幹線の変遷と今後~」なるイベントに参加してきました。
内容についてはたぶん他の人たちがブログなどで発信してゐると思はれるので割愛しますが、パネルディスカッションの参加者に、見覚えのある名前があつたのです。日本旅行の瀬端浩之さんとフォトライターの栗原景(かげり)さんであります(元元は村井美樹さんが参加するので申し込んだことを告白してをきます)。

ああ、このお二人は遥か以前に種村直樹氏の著書に何度も登場したなあと記憶が蘇つてきました。適当に一冊書棚から抜いたのが『乗ったで降りたで完乗列車』であります。種村氏の初期に属する作品ですな。
記憶通り、まだ高校生の瀬端氏が文中で大活躍してゐました。中中ワイルドな面も。栗原氏はまだ登場せず。もう少し後年の作品に出てゐるのでせう。

初めての駅から乗車すると「乗ったで」、下車の場合は「降りたで」と表現するさうです。京都弁なのは、京都大鉄研が発祥の用語だから。聞き慣れない言葉なので、当時の新刊案内や書評のタイトルでは『乗ったり降りたり』などと誤記されたものであります。
そして本書のテエマはずばり「完乗」でせう。種村氏は1979(昭和54)年に盛線の盛駅で当時の国鉄線を完乗、1983(昭和58)年に加悦鉄道・加悦駅にて民鉄線完乗を果たしてゐます。

自身の完乗のみならず、読者の完乗にも精力的に付き合ひます。レイルウェイ・ライターとして読者サアヴィスの一環なのでせう。「国鉄全線完乗七人七態」では、完乗の達成に至るプロセスにも個性があるものだな、と面白く拝見しました。

ちなみにわたくしは1987(昭和62)年、国鉄消滅寸前に国鉄線完乗しましたが、その内容に不満があり、JR線として改めて乗り直し、2006(平成18)年に再完乗を果たしたものです。別にテツぢやないですけど。民鉄線は...結婚後にペースが極端に鈍化し、今後の展望は描けぬ状況であります。

いや、自分の話はどうでもよろしい。
ちよつと覘いて見るだけのつもりが、やはり面白いので一冊丸ごと読んでしまひました。この頃の種村氏は最強だつたなあ...


ペーパーバック入門
ペーパーバック入門 (講談社現代新書)ペーパーバック入門 (講談社現代新書)
(1986/02)
枝川 公一

商品詳細を見る

ペーパーバック入門
枝川公一【著】
講談社(講談社現代新書)刊
1986(昭和61)年2月発行


先日、枝川公一氏の訃報を新聞で読む。しかし亡くなつた日が8月15日だといひます。2ヵ月以上も公表されなかつたのは、遺族の意向なのでせうか。
実は同日に赤瀬川原平さんの死亡記事も載つてゐたのですが、おそらくメディアでの扱ひが小さいであらう枝川氏に、ここでは登場してもらふことにしませう。

テエマはペーパーバック。わたくしとペーパーバックのつきあひの始まりは、北九州市小倉出身のK先生がくれた一冊であります。それはジェームズ・ボールドウィンの『ノーツ・オブ・ア・ネイティブ・サン』(バンタム)でした。なぜ本書を推薦したのか、定かではありません。
初めて自ら選んで書店で購入したのは、ヘミングウェイ二冊であります。即ち『女のいない男たち』『老人と海』(いづれもバンタム)。まだ高校生だつたので、正確な理解には達してゐなかつたと思はれますが、「原書」で読んだといふ喜びで満足した記憶があります。

本書で枝川氏も薦めるやうに、イキナリ原書は難しい場合、リトールド版で挑戦するのも手であります。わたくしもジャック・ロンドンほか数名の作家をこれで読みました。
しかしこれまた枝川氏の指摘通り、リトールドは離乳食みたいなもので、読みやすいけれども単調で面白みに欠けるので、わたくしの読書習慣からは自然消滅しました。

枝川氏はペーパーバックの定義から歴史、現状(といつても古いが)を解りやすく解説し、選び方、読み方、買ひ方を教へてくれます。さらに注目作家にも触れ、後年日本でも大大大ベストセラア作家となる「シドニー・シェルドン(当時の表記)」にも言及してゐます。
もつとも枝川氏はアメリカンにのめり込んでゐますので、英語圏の事情にとどまり、既に仏語を第一外国語にしてゐたわたくしは自力で本を探したものであります。さう大層なことでもないけど。

英語に関しては名古屋でもおほむね揃ふのですが、仏語になると、充実した品揃への書店といへばやはり東京にしかありませんでした。「青春18きっぷ」の時期に「大垣夜行」(ムーンライトながらの前身)を駆使して、わざわざ東京まで本を探しに行つたものです。ま、遊びも兼ねてましたが。
その中でも「フランス図書」といふ専門店は欲しい本だらけで困つたものです。ボリス・ヴィアンやイヴ・シモンとかはほぼ全部ここで買ひました。本以外にも、ヴィアンのジャズのテープとか、カミュの自作朗読のテープなども同様に求めたことであるなあ。
ま、それら全部隅から隅まで読んだのかと問はれると返答に困るところですが。

枝川公一さんの記事をきつかけに、そんなことをぐるぐると思ひ出した日でありました。