源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
ショージ君の面白半分
ショージ君の面白半分 (文春文庫)ショージ君の面白半分 (文春文庫)
(1979/12/25)
東海林 さだお

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ショージ君の面白半分

東海林さだお【著】
文藝春秋(文春文庫)刊
1979(昭和54)年12月発行


年の瀬に、寂しいニュウスが飛び込んできましたので、今回取り上げる本の予定を変更しました。
即ち、毎日新聞紙上にて連載されてゐた四コマ漫画「アサッテ君」が、本日12月31日をもつて終了するといふのです。
なんと40年の長きに亘る連載でした。ニュウスによると、一般全国紙の漫画連載としては最長記録ださうです。
わたくしが子供の頃、家ではその毎日新聞を取つてゐたのですが、毎朝新聞受から新聞を取り出すと、まづ「アサッテ君」を読んだものです。わたくしが小学生の時に初めて書いた小説のタイトルも「アサッテ君の謎」でした。アサッテ君が殺人事件に巻き込まれるといふ、くだらないストオリイであります。まあそれほどこの漫画が気に入つてゐたのでせう。

その後別の新聞に切換えたので、「アサッテ君」からは遠のきましたが、たまに「毎日」を読む機会がありますと必ず目を通し、「あ、まだ続いてゐるのだな」と安心したものであります。
ただ、讀賣・朝日の2大新聞の漫画に比べて世間の待遇はイマイチだつたやうな気がします。朝日の「フジ三太郎」や、讀賣の「コボちゃん」なんかは、早い時期に全作品が単行本化されたのに(四コマの革命児と呼ばれた植田まさしも、今では...)、「アサッテ君」は単行本化が遅く、しかも抄録だつたと記憶してをります。
何はともあれ、作者の東海林さだお氏にはお疲れ様でしたと申し上げたいところです。

さて、それなのに取り上げる本は「アサッテ君」ではないのか?と突つ込まれさうですが、適当に書棚から手に取つたのが本書でしたので。余りに面白くて、書棚の前でそのまま全部読んでしまつた。1979年の作品だから、35年前といふことになります。村井美樹さんと同い年。まあ東海林さんの本は新しからうが古からうが外れが無い、といふことで。
最近は各ジャンルで一時代の終りを感じさせる出来事が多いのですが、今年の最後の最後でまたひとつ、昭和が去つたといふ感じです。

さあ2014年も終りであります。今年は本当に、何かと疲れた一年でした。来年はもう少し考へて活動しなければ。
ぢやあ、みなさま良いお年を。

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お嫁にいくなら
oyome.gif  お嫁にいくなら (角川文庫 緑 287-10)

お嫁にいくなら

森村桂【著】
角川書店(角川文庫)刊
1975(昭和50)年7月発行


森村桂さんが逝つてから十年。うつ状態での自殺だつたと聞いてゐます。幸せな結婚生活の筈が、一体何があつたのか。本書の底抜けに明るい筆致からは窺ひ知ることはできません。
『お嫁にいくなら』は、タイトル通り未婚女性に対する、恋愛アドヴァイスであります。30年以上も前ですので、婚活事情も現在とは天と地の相違がございます。

まづ適齢期からして違ふ。森村さんによると、24歳までにお嫁にいくのが良いらしい。25歳の人は焦燥感に苛まれ、26歳になると「売れ残り」ださうな。27歳以降は「ハイミス」扱ひです。酷いですな。
現在では30歳を越えて独身の女性は全く珍しくないですな。実はわたくし、ひつそりと結婚相談所を開いてゐますが、当方へ相談に来る女性はいはゆる「アラフォー」が中心であります。これでは少子化が進むのも無理はありませんな。

これは本人たちよりも、相手となるべき男性側に問題がありさうです。いや、それは彼ら自身の責任ではないのですがね。即ち庶民の男性は、経済的に自信を失つてゐる。しかも昔と違ひ、長く勤めてゐても昇給が期待できるわけでもないし、そもそも会社の終身雇用は崩壊し、いつ職を失ふかも分からぬ恐怖と戦つてゐるのであります。そんな状況で「君を必ず幸せにするよ」と宣言できるでせうか。

では本書は全く役に立たぬかといへば、さうでもない。自分をアピールするのはいつの時代でも必要であります。それは決して「花嫁修業」と呼ばれるものではありませぬ。、しかもアピールする対象は意中の男性よりも、その周囲にゐる人間なのです。その男性に気に入られたい一念で、周囲の人間に対する心配りを忘れる女性をしばしば見かけます。さうすると当然貴女の評判は落ちてしまふ。さういふ悪評がつくと、もう彼から振り返つてもらへないでせうよ。
要するに彼を取り巻く人間関係を良好に構築するのが早道だと。男は単純だから、「良い娘さん」と評判の人と仲良くなれれば嬉しがるのであります。
...平たく言へば、多分さういふことでせうね。

万人向けではありませんが、「焦つてゐる」自覚のある女性は一読あれ。何かと元気が出るでせう。うーん、或はひよつとすると反感を買ふかもな。
ぢや、ご無礼します。どうも。

寝台特急「北斗星」殺人事件
寝台特急「北斗星」殺人事件 (講談社文庫)寝台特急「北斗星」殺人事件 (講談社文庫)
(2005/05/13)
西村 京太郎

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寝台特急「北斗星」殺人事件

西村京太郎【著】
講談社(講談社文庫)刊
2005(平成17)年5月発行


1988(昭和63)年、念願の青函トンネル開通とともに誕生した寝台特急「北斗星」。前年に国鉄が消滅したばかりの年で、新生JRを印象付ける豪華列車として話題になりました。
一人用個室ロイヤル、二人用個室ツインデラックスなど、過去に無い居住性を誇る客室が憧れの的となり、たちまちチケット入手難の人気列車になつたのであります。

その「北斗星」にも、遂に来るときが来たやうです。来年3月のダイヤ改正でいよいよ姿を消すとの報道は、各方面で話題となつてゐます。「トワイライト」同様、乗車率が下つての撤退ではないのがまた口惜しい。車両の老朽化とか北海道新幹線の工事の影響とか述べてゐますが、それは後付の理由でありませう。JR各社の思惑は別のところにある。
削減される一方の夜行列車を見ると、かつての路面電車を連想します。マスコミのネガティブキャンペーンをも利用し、完全に時代遅れの代物扱ひして世論を形作つたのであります。

同様に、現在のマスコミもブルトレを始めとする夜行列車の廃止を惜別するふりをしながら、「この高速鉄道時代にあつて、その役割を終へた」などと過去の遺物扱ひするのであります。
さうぢやない。夜行列車が不要になる時代は、恐らくこれからも来ない。必要とされる列車を走らせないだけの話であります。懐古趣味で言ふのではありません。その便利さ、快適さを知らない人が多すぎるために、皆気付かないのであります。

などとひとり力瘤を入れても詮無いので、西村京太郎氏の話を。彼は、自らの作品がブレイクしたのは「ブルトレのおかげ」と述懐します。そのブルトレの集大成となり、結果的に最後のブルトレとなつた「北斗星」を題材にしたミステリが『寝台特急「北斗星」殺人事件』であります。「寝台特急「北斗星」」の部分を「ロイヤルトレイン」と読ませるやうです。ふふん。

「北斗星」を爆破するとの予告電話が入ります。嘘ではない証拠として、4号車の個室でまづ爆発が! 犯人の要求は一億円。グループの一味はあつさり逮捕されますが、こいつが仲間に中止の連絡をしない限り爆破は予告通り実行されるといふが、自衛隊の専門家が車内をくまなく探しても爆発物は発見できなかつたことから、大勢は「苦し紛れの嘘」と見る。しかし我らが十津川警部だけは違つた...

十津川警部シリーズの中でも秀逸な作品の部類に入ると申せませう。万人向けの、厭味のない文章であります。
ブルトレはもうミステリの中でしか出逢へぬのかと思ふと、一層いとほしいですな。
かういふ話題ですと、あまり冷静でゐられないわたくし。ご無礼しました。

徳川家康歴史紀行5000キロ
徳川家康歴史紀行5000キロ (講談社文庫)徳川家康歴史紀行5000キロ (講談社文庫)
(1998/04)
宮脇 俊三

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徳川家康歴史紀行5000キロ

宮脇俊三【著】
講談社(講談社文庫)刊
1998(平成10)年4月発行


本書のそもそもの成立ちは、1981(昭和56)年に刊行が始まつた『山岡荘八全集』の月報として執筆されたものださうです。全巻分ではなく、そのうちの「徳川家康」13巻分のみですが、それでも一冊の本になる分量であります。
かつて「全集」が華やかだつた頃、わたくしも色色と購買したものであります。その内容はほとんど単行本や文庫本などで所持してゐるにも拘らず、新たに配本されるとわくわくして書店に向つたものだなむ。
「全集」の愉しみのひとつが、毎回新たに書き下ろされる「月報」。だいたい4-12頁くらゐの薄つぺらい体裁ですが、中中読ませるものが多いのです。

宮脇氏による『徳川家康歴史紀行5000キロ』(元の題は『徳川家康タイムトラベル』。文庫化時に改題)も、「月報」から生れた傑作のひとつと申せませう。
家康の足跡を辿る旅なので、素直に列車に乗るだけではなく、歴史に忠実にバスやタクシーを積極的に駆使するところが通常の宮脇氏の旅と違ふところです。
む、これは晩年のライフワークとなつた「日本通史の旅」のルーツではあるまいか、と思つた方も多いでせう。実際、著者はこれ以降、歴史をなぞる旅の面白さに惹かれていくやうです。個人的には、廃線跡紀行よりも遥かに良いと勘考するのもです。

松平郷や岡崎城、小牧・長久手の合戦など、家康だけあつて愛知県が多く登場するのも嬉しい。特に松平なんか、ウチからクルマで15分で行けます。高月院は国道301号沿にあり、周囲は鄙びた雰囲気。松平タクシーも健在。しかし豊栄交通の傘下に入つてゐます。
歴史に造詣の深い宮脇氏の文章を読むと、今まで史跡名刹を知らずに通過してきたのが悔やまれます。遠くへ行つて得意になるのも良いが、まづ地元をもつと歩いてみませう。

私の國語敎室
私の国語教室 (文春文庫)私の国語教室 (文春文庫)
(2002/03)
福田 恒存

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私の國語敎室

福田恆存【著】
文藝春秋(文春文庫)刊
2002(平成14)年3月発行



サテ福田恆存氏も今年で没後20年でした。この人も毀誉褒貶相半ばし、神様と並び称されるかと思へば、天下の愚物扱ひをする人もゐます。まあ愚物は言ひ過ぎですな。とにかく存在感は抜群、歴史に名を残す思想家・批評家・劇作家・翻訳家と申せませう。
福田氏の代表作は何か。良く分かりませんが、一番読まれてゐるのはこの『私の國語敎室』ではないでせうか。

元来、戦後に行はれた「国語改革」批判として書かれたものであります。敗戦後、それまで自信満々だつた日本人が、一転米国へのコンプレックスの塊と化しました。戦争に負けたのは、文化力の差だと感じ、その原因の一つとしてやり玉に挙がつたのが、他ならぬ日本語であります。
漢字のやうな前近代的な文字を駆使してゐるから、世界に出遅れるのだ。しかも音韻と表記が不一致である。根本的に我国の国語を見直さうではないか...

今では噴飯物と感じられるさういふ意見も、当時は一定の支持を得てゐたやうです。「改革派」の思惑は、漢字の全廃、そしてローマ字化であります。ベトナムや朝鮮も漢字を廃した。あの中国でも漢字を簡略化し、ローマ字を併記し始めたではないか。このままでは欧米に追ひつくことは愚か、中国にも抜かれてしまふぞ。あの志賀直哉大先生もフランス語国語化論をぶつてゐるぞ...

福田氏はかういふ態度の国語審議会のメムバアに対し、真向から反論してゐます。六章構成となつてゐて、著者は頭から全部読むのが一番良いが、取敢へずの問題を把握するためには、第一章、第二章、第六章をまづ読めと説きます。
「現代仮名遣い」の不合理性を指摘し、「歴史的仮名遣ひ」が如何なる法則に基いてゐるのかを解説します。時には改革論者を激しく罵倒し、痛快ですらあります。

ポイントは漢字に対する認識の相違か。文字は音韻を表現するものとしてローマ字化を進めたい改革派に対し、表意文字としての漢字の重要性を説く著者。現在は日本語ワードプロセッサが当り前になつてゐますが、当時から既にこの状況を予想してゐた著者の慧眼にも注目でせう。
日本語の特質を、文字と音韻の面から詳しく解説し余すところがありません。名著の名に恥ぢぬ一冊と申せませう。

なほわたくしが所持するのは新潮文庫版『増補版 私の國語敎室』でありますが、絶版とのことですのでより入手容易な文春文庫版を挙げませう。ただしこちらには、一部未収録の文章があるさうです。悪しからず。

青春読書ノート
青春読書ノート―大学時代に何を読んだか (講談社文庫)青春読書ノート―大学時代に何を読んだか (講談社文庫)
(1997/09)
佐高 信

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青春読書ノート―大学時代に何を読んだか
佐高信【著】
講談社(講談社文庫)刊
1997(平成9)年9月発行


当ブログ「源氏川苦心の快楽書肆」も、今回で500回を迎へました。即ち500冊の本を取り上げた計算になるのでありますが、2009年からやつてゐる割には少ないなあと思ひます。始めた当初は、500どころか1000冊くらゐなら直ぐに達するだらうと考へてゐましたが、なかなかどうして。

活中のわたくしですから、実際にはその数倍の本を読んでゐるのですが、その全てを記事に出来るわけではないのであります。なぜか。
①仕事などで必要になり読んだ本が多い。必ずしも快楽書肆に相応しい書物ばかりではない。
②気に入つた作家の作品を纏めて読む傾向がある。同じ作家の本が続くのもどうかと思ひ、割愛する本も多い。
③自分はさうは思はないが、客観的に見て「公序良俗」に反すると判断されさうな本は自粛してゐる。
④読んだものの、「うーんイマイチだな」といふ本は避ける。

また、始めた当初は、慣れれば記事を書く速度が上がるだらうと考へてゐましたが、実際には段々と時間がかかるやうになりました。ゆゑに、まだまだここに登場させたい本は山のやうにあるのですが、更新頻度が上がりません。隔靴掻痒の感があります。

実は「源氏川苦心の快楽書肆」には前史があり、非公開の読書日記をつけてゐました。タイトルは「源氏川苦心の日々に読書あり」。これは、佐高信氏のタイトルからパクつたものであります。そして内容は『青春読書遍歴』といふ本のパクり。少しは自分で考へんかい!と云はれさうです。非公開なので云ひたい放題の内容で、とても他人に見せられる代物ではありません。タイトルも3000を越えてゐました。

ここに登場する『青春読書ノート』は、その『青春読書遍歴』の文庫改題版であります。サブタイトルに「学生時代に何を読んだか」とありますやうに、佐高氏が慶應義塾大学在学中に読んだ本の感想を片端から並べた本です。
大学四年間を一章づつ分けて、全4章となつてゐます。それぞれのタイトルは「自我確立以前」「ほんものの思想を求めて」「問題の発見」「猶予(モラトリアム)の終りを前に」と付けられ、若干キザな感じです。
四年間で470冊。中中の読書量と申せませう。本文は意外なほど真面目に、読後感が綴られてゐます。初々しいといふか、ちよつと恥づかしいといふか。

500冊を迎へるにあたり、わたくしの原点となつた「読書日記」をここに記すものであります。

100年の難問はなぜ解けたのか
100年の難問はなぜ解けたのか―天才数学者の光と影 (新潮文庫)100年の難問はなぜ解けたのか―天才数学者の光と影 (新潮文庫)
(2011/05/28)
春日 真人

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100年の難問はなぜ解けたのか―天才数学者の光と影―
春日真人【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2011(平成23)年5月発行


数学の発展と教育を目的として組織された、クレイ数学研究所なる団体があるさうです。この団体が、2000年(平成12)年に「ミレニアム懸賞問題」といふものを発表しました。100万ドルの懸賞金がかけられてゐるので、この名称になつてをります。さしづめ20世紀の数学界が遣り残した「宿題」と申せませう。
全部で七つあり、そのうちの六つはまだ解決してゐません。解決した一つが「ポアンカレ予想」で、これの証明がされた時は、結構なニュースになり騒がれた記憶があります。なにしろポアンカレが1904年に提唱してから、あまたの数学者の挑戦を跳ね除けてきた、まさに「100年の難問」ですから。

そのポアンカレ予想を証明したのが、ロシアの数学者・ペレリマン博士。
これほどの偉業を為した人ですから、「数学界のノーベル賞」といはれるフィールズ賞が贈られることになりました。ところが! ペレリマン博士は受賞を辞退し、懸賞金も受け取らず、社会と関はるのを避けるやうに姿を消すのでした。どうして?

『100年の難問はなぜ解けたのか』は、元々「NHKスペシャル」として放送された同名の番組を書籍化したもの。著者の春日真人氏はその番組を制作したディレクターださうです。
彼らは、行方が分からないペレリマン博士を探し、サンクトペテルブルグを皮切りに取材を開始するのでした。
果たして、取材班はペレリマン博士に会ふことができたのでせうか...?

そもそも、ポアンカレ予想とはどういうものでせうか。それは次のやうに表現されてゐます。
単連結な三次元閉多様体は、三次元球面に同相である
わたくしには全くわかりません。著者がいろいろと用語を云ひ換へて素人に解るやうにい工夫するのですが、それでもわからない。
数学語と呼ばれる特殊な用語を駆使するため、一見日本語でも、まるで未知の外国語で説明されてゐるやうな気分になるのです。

それでわたくしは数学上の記述を完全理解するのは諦め、ポアンカレ予想に関つた数学者たちの栄光と挫折を描いたノンフィクション作品として愉しむことにしました。本書については、「掘り下げが足りない」「内容が浅い」との声も聞きますが、わたくしにはこれで十分であります。これ以上深く掘り下げられても、ついていけないのは明白。
数学語を知らない人向けの入門書として取り扱ひませう。

ぢや、また。

少年たちの終わらない夜
少年たちの終わらない夜 (河出文庫―BUNGEI Collection)少年たちの終わらない夜 (河出文庫―BUNGEI Collection)
(1993/07)
鷺沢 萠

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少年たちの終わらない夜
鷺沢萠【著】
河出書房新社(河出文庫)刊
1993(平成5)年7月発行



鷺沢萠さんがこの世を去つて早くも十年が経過しました。同世代の気鋭作家といふことで、その作品には注目してゐただけに、訃報には驚いた記憶があります。
『少年たちの終わらない夜』は、鷺沢さん最初期の作品集。即ちまだ十代の頃です。
改めて読むと、当時はこんな文章書いてたんだな、と後年の作品との相違に軽い驚きを禁じ得ないのであります。

表題作ほか四篇が収録されてゐます。いづれの作品にも、二十歳を目前にしたハイティーンの不安や絶望、焦燥感といつたものが蔓延してゐるのです。

少年たちの終わらない夜」の川野真規くんは高校三年生。バスケの引退試合で、勝ちたいがあまりにレフェリーの目を盗んでインチキをしてしまふ。そのお陰で勝利しますが、のちに一人でゐるところを試合相手のメンバーに見つかり、報復でボコボコにされてしまふのです。彼の頭には、いかに仕返ししてやるかといふ考へしかなかつた...

誰かアイダを探して」の「僕」とアイダは十九歳。二人は偶然知り合ひ毎日逢ふやうになる。しかしアイダは「二十歳になったら...」と云ひかけたままどこかへ消えてしまふ。「そうだね、アイダ。二十歳になったら、何をやってもフツウのことになっちゃうよ」と「僕」はつぶやき、「でも怖がることはなかったんだよ。君は自分を気にしすぎたんだ」とアイダに伝へたい。アイダはどこにゐるのだ?

ユーロビートじゃ踊れない」は、タイトルがちよつと...といふ感じですね。ところでフーズボールなる遊戯の名を初めて目にしたのが本作であります。

ティーンエイジ・サマー」。「僕」・梶井・大野・良・浩次・そしてリンは小中高12年間、同じ学校で過ごした仲間であります。大学進学した者、海外留学した者、リンのやうになぜか進学せずアルバイトする者など、高校卒業後は各方面に散つたのです。そんな彼らが、十代最後の夏を過ごさうと集まつたが...

とまあ、過剰なほど十代に拘泥した作品たちです。正直のところ、好みかと聞かれると返答に窮するのでありますが、恐らく登場人物たちも、「終わらない夜」は自分たちが作り出した幻想であることに気付いてゐるのでせう。もがき傷付いても正直に生きたい、作者自身の十代への決別とも云へるのかも知れませんね。

それぢやあ、また。

大相撲ちょっといい話

iihanasi.jpeg  大相撲ちょっといい話 (文春文庫)

大相撲ちょっといい話
小坂秀二【著】
文藝春秋(文春文庫)刊
1995(平成7)年1月発行



一年納めの九州場所では、横綱白鵬関が32回目の優勝を飾り、大鵬の記録にあつさり並んでしまひました。他の力士たちの体たらくからして、記録を更新するのは時間の問題と申せませう。まだ若いので、40回近くまでその数を伸ばすのではないでせうか。
これは大層なことですよ。王貞治氏の本塁打記録55本をバレンティン選手が60本といふ驚異の数字で更新したけれど、これは単年の記録であります。相撲でいへばいはば年間最多勝でせうか。個人が特定の一年間を頑張れば、記録更新は可能なもの。
しかし優勝記録は長い年月をかけた積重ねの末、やうやく達成するものであります。即ち野球でいへば王貞治氏の生涯本塁打数868本を抜くとか、金田正一氏の通産400勝を上回るとかのレベルでせう。もつと大騒ぎしてもいいくらゐだと勘考するものでございます。

さてさうなりますと、物好きどもが、果たして白鵬は歴史上の力士と比較してどうなのか?を論じたくなるものです。彼の場合、ライバル不在といふ点を指摘して、かなり数字を割り引いて評価されることが多いのが気の毒であります。中には、柏戸利助(江戸文政時代の大関。戦後の柏戸剛ぢやないよ)クラスであらうなどと主張する人もゐたりして(柏戸利助本人は無論強豪力士の一人なのですが)、それは過小評価ぢやないかと思ひます。
長い大相撲史上、いはゆる「十大強豪力士」なるものが存在しますが、個人的意見としては、白鵬さんは彼らと伍する存在ではないかと...オット物を投げないでください、分かりましたもう申しません。

ではいい加減に『大相撲ちょっといい話』の話を。著者の小坂秀二氏は、その昔TBSの相撲放送で有名だつた名アナウンサー。ん?TBSで相撲放送?と訝しがつたあなた、鋭い。現在大相撲中継はNHKのみですが、以前は民放でもやつてゐたのです。
小坂氏は双葉山時代から、自らの目で土俵を見て取材してゐます。したがつて伝聞記述はほとんどなく、実際に体験したエピソオドばかりなので、他の人には書けない内容となつてゐるのです。

横綱大関クラスだと資料も多いのですが、関脇以下で土俵を去つた力士については、小坂氏のやうな人が語らないと後世に残らない話も多い。
たとへば肥州山。起重機と呼ばれた吊りの名人。あの明武谷よりも前の時代ですよ。後に相撲解説で有名になる玉ノ海は怪力で鳴らした人で、一度右を掴めば誰も切れない。或は肥州山なら切れるのではないか...後に対戦が実現し、玉ノ海はやはり右を取ります。肥州山は懸命に切らうとしますが、結局切れませんでした。「肥州山でもダメだつたか」と思つたその時、玉ノ海の右手首の皮が剥けてゐた...

こんな話がわたくしは好きなのであります。章立ては時代順に、「戦前、戦中の力士たち」「不動の人・双葉山」「栃錦と若乃花」「戦後の力士たち」「大鵬と柏戸」「平成のスターたち」となりますが、やはり古い時代ほど興味深い話が多いですな。

...やはり相撲は面白い喃。ぶつぶつ文句を言ひながら、今後も相撲を見続けるのだらうな。
ではご無礼します。