源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
平台がおまちかね
平台がおまちかね (創元推理文庫)平台がおまちかね (創元推理文庫)
(2011/09/16)
大崎 梢

商品詳細を見る

平台がおまちかね

大崎梢【著】
東京創元社(創元推理文庫)刊
2011(平成23)年9月発行


元本屋ですので、タイトルの「平台」に反応してしまひ、思はず本書を手に取りました。
書店員が主人公の話かと思つたら、出版社(我々は「版元」と呼称してゐました)の営業マンだといふ。営業ですか......どうもわたくしには良い印象が無いのであります。

傷だらけの店長』のところでも述べましたが、とにかく本屋の店長は常に時間に追はれて忙しいのであります。殺気立つてゐます。さういふ時に、アポの一つも無しに突然店にやつてきて、能天気に(でも無いのだらうが、こちらにはさう見えてしまふ)自社の新刊案内を始めたりする。苛々に拍車がかかるのであります。

もちろん中には仲の良い営業さんもゐるのですがね。たいがいは自社の都合しか考へず、注文書に勝手に注文数を書き入れ「番線」を押してくださいなどと強要し、自社本を良い場所(売場)に移動し他社本は目立たぬ場所へ押し込め、やあ最近はどうですなどと愚にもつかぬ話しかせず、訪問してやつてゐるのだから有難がれといはぬばかりの態度を示す。
そして「前回来た時は店長(わたくしのこと)がゐなくてさあ」などと自分がアポ無しで突然来店した癖に文句を付ける。こんな奴には「邪魔だ、帰れ」と心で思つてゐるのが顔に出るやうで、ちよつとしたいざこざになつたりする。ま、押しなべて迷惑な存在であります。

そんな版元の営業マンを主人公にして、ミステリができるのかと思ひましたが、それなりの体裁は整つてゐます。主人公は老舗で中堅クラスの版元「明林書房」の営業マン・井辻智紀くん。中堅といひながら、この出版社、やつてることは大手そのものではありませんか。自前で文学賞を主催し、賑やかに授賞式を営むことができる出版社は一握りでせうから。
井辻くんは新人ながら、他社の海千山千の営業マンと何とか戦つてゐます。
本書には五編の短篇が収録されてゐて、いづれもまあ、突き放して言へば毒にも薬にもならぬ話なのですが、良く言へば実に心温まる物語なのです。登場人物は皆善人ばかりだしね。

別段貶してゐる訳ではありませんが、どうも出版社の営業といふ人種をかなり美化してゐると(わたくしには)思はれるので、斜に構へた物言ひになつてしまふのです。
むしろこの業界に無関係の方が、本書を虚心に読むことが出来るでせう。さういふ人なら、恐らく楽しめる作品群でありますよ。

ああ久しぶりの更新で疲弊いたしました。今夜はこれにてご無礼いたします。ぢやあまた。

スポンサーサイト
赤い草
ボリス・ヴィアン全集〈5〉赤い草ボリス・ヴィアン全集〈5〉赤い草
(1978/10)
ボリス・ヴィアン

商品詳細を見る

赤い草(ボリス・ヴィアン全集第5巻

ボリス・ヴィアン【著】
伊東守男【訳】
早川書房刊
1978(昭和53)年10月発行


ボリス・ヴィアンの作品といへば、『うたかたの日々』『北京の秋』あたりがお薦めで、あとは陰鬱ながら『心臓抜き』といつたところがまづ浮かぶのであります。
それらは存在感の薄い主人公が、現実と非現実の境界が不確定な世界で彷徨ひ、読者は感情移入しづらく言葉遊びの中で心地良く翻弄されるといつた作品群と申せませうか。

『赤い草』も一応ストオリイらしきものはあります。しかし一般的な支持を得さうな浪漫的な話ではありません。
主人公たちが記憶除去機なるものを開発するにあたり、まづはその記憶をどんどん遡つてゆくのでありますが、それにつれて彼らは死に向つてまつしぐら。流線型で終末へ吸ひ込まれてゆくのでした。記憶除去機の周囲にはタイトルとなつた赤い草が生えてゐます。これは意味があるのか、何の寓意もないのかよくわかりませんが、多分深く考へなくてもよいのでせう。

主人公ウルフにはリールといふ妻が、相棒技師であるサファイヤ・ラズーリにはフォルアヴリル(四月馬鹿と訳される)なる恋人がゐます。しかし最後には彼女たちは男どもを捨てて(男たちは死ぬことで完全な存在となると考へてゐた)、リールとフォルアヴリルの二人で旅に出るところで小説は終つてゐます。

セナター・デュポンといふ言葉を話す犬や、そのセナターが好むウアピティなる謎の生物とか、まことに気になります。しかし、作中には一切詳しい説明がないので、どうしてこんな犬がゐるのか、ウアピティとはいつたい何か、さつぱりわかりません。安部公房の「ユープケッチャ」も魅力的ですが、こちらはまだ説明があるだけイメエヂしやすい。しかしヴィアンはおかまひ無しです。その解釈は読者に丸投げなのです。いや、解釈して貰ふつもりすらないのかも知れません。自由だ。

もしこれからヴィアンの作品を読まうとする人がゐるなら、あまり本作は正統派ではありません。『うたかたの日々』(『日々の泡』の邦題もあり)をまづ読んで、この世界が肌に合はないと感じたら、本作は手に取らない方が良いでせう。寂しいけど。

勝負師語録
yjimage.jpg 勝負師語録 (新潮文庫)

勝負師語録

近藤唯之【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1992(平成4)年4月発行


先達ての横綱白鵬関の問題発言については、協会は厳重注意で幕を引かうとしてゐます。何だかんだ言つても、現在の相撲界の屋台骨を支へる功労者だから、あまり強く踏み込むことができないみたいですね。
本人も反省してゐるらしいが、本当かねと疑つてしまひます。井上ひさしさんも指摘してゐましたが、文章の場合は、どんな内容だらうが発表前に消しゴムで消して書き直せるけれど、話し言葉は一度口にしたら、もう取り消せない。いくら「前言を訂正します」と言つたところで、聞き手の記憶に残るのであります。

今回の白鵬の発言を聞いて、古い相撲ファンならば横綱大鵬の「世紀の大誤審」を連想した人が多かつたのではないでせうか。
1969(昭和44)年春場所二日目。横綱大鵬は連勝街道を走り、前日までで45連勝を達成してゐました。二日目の相手は平幕の戸田(後の羽黒岩)で、相撲はもつれました。行司軍配は大鵬に上がつたのですが、物言ひが付き、行司差し違へで戸田の勝ちとなりました。
ところが、後にビデオテープで確認すると、何と戸田の足が先に土俵の外に出てゐたのです。よりによつて歴史上に残る連勝記録を誤審で途切れさせてしまつたといふ訳であります。むろん今さら勝負の結果は覆りません。
大鵬はさぞや激怒したのでは?と思ふでせう。しかし彼は「横綱として、物言ひがつくやうな相撲を取る方が悪い。だから自分が悪い」と述べたのであります。おお。おお。これが白鵬だつたらどうでせうか。想像するだけでも恐ろしいことです。周囲に当り散らし、付き人なんかは無事で済まないのでは。

この彼我の差。記録では抜き去つても、人間性の違ひをまざまざと見せつけられた思ひであります。
そして「取り直し」の件でも白鵬関は不満をぶちまけてゐました。あるコメンテイターが「文句なく勝負をつける良いチャンスを貰つたと喜ばなくてはいけないところなのに」と発言しましたが、我が意を得たりでございます。
これについては、プロ野球の故・大杉勝男選手を思ひ出します。

1978(昭和53)年、ヤクルト-阪急の日本シリーズ第七戦。さう聞くとピンとくる人も多いでせう。この試合で、大杉選手はレフトのポール際ぎりぎりに大飛球を放ちます。線審は本塁打と判定しますが、阪急の上田監督はこの判定に猛抗議。何と1時間19分もの試合中断をさせてしまふのです。判定はもちろん変りません。
いろいろあつて、何とか試合は再開しますが、ケチを付けられた大杉選手の腸は煮えくり返つてゐます。「ならばもう一本、誰が見ても文句の付けられない一発を打つてやる」
そして迎へた8回裏、今度は文句なしのホームランを打つてのけるのでした。

実は『勝負師語録』には、上記のエピソードは出てきません。しかし著者の近藤氏も述べるやうに、スポーツにおける勝負といふのは、実はその結果以上に、そこに至るまでの人間臭い行動が人を打つのであります。
そんな感想を抱いた今回の白鵬騒動でした。真の意味で大鵬を抜いて頂きたいものであります。
なんて書くと、「結局精神論か」「お前は何様だ」と言はれさうですが......