源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
鉄道不思議読本
鉄道不思議読本 (朝日文庫)鉄道不思議読本 (朝日文庫)
(2008/07/04)
梅原 淳

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鉄道不思議読本

梅原淳【著】
朝日新聞出版(朝日文庫)刊
2008(平成20)年7月発行


たまにテレビでも見かける梅原淳氏は、まことに謹厳実直な人物としてわたくしの印象に残つてゐます。しかしいはゆる石部金吉タイプではなく、ユウモワも解する気さくな面も有るやうです。さらに、どうやらわたくしとは同世代で、いかなる車両を見て育つてきたかなどの共通点が見出せます。さうなると一升瓶でも下げてちよつと語り合ひたい気分もあるのですが、さすがに「お前と一緒にされてたまるか」と一蹴されさうなので、それは黙つておくことにしませう。

まあそんな梅原氏の著書でありますから、例へば某成美堂や某二見書房などの雑学文庫ものとは一線を画す内容に相違あるまいと、購買したのであります。
ところが、頁を捲つてみると、かう書いてあります。
「本書は、二〇〇一(平成十三)年九月に東京堂出版より発行された『鉄道・車両の謎と不思議』を改題・再編集したものです」
ははあ、その本は持つてゐるなあ、と軽微なる衝撃を受けましたが、まあデータなどは更新されてゐるやうですので、よしといたしませう。

第1章「電車と鉄道会社の不思議」では、電車の定義を教へてくれます。大手民鉄と中小・地方鉄道の違ひとは、意外なものであります。
第2章「線路とレールの不思議」は、文字通りレールや鉄橋、路線名のうんちくを披露します。
第3章は「駅構内・施設の不思議」。駅の時計や配線、ポイント、スイッチバックから回収済み切符の話、さらには自動改札機やオーバーランと盛りだくさん。
第4章「鉄道車両と車内環境の不思議」。パンタグラフ、ブレーキ、ATS、ATC・ATOシート幅に冷暖房等等等......
第5章は「時刻表の不思議」。ま、不思議といふほどではないのですがね。
第6章「鉄道車両の意外な仲間たち」では、一見鉄道車両には見えないが歴とした仲間なのだよ、といふものを紹介してゐます。名古屋のガイドウェイバスとか。

以上のやうに、テツのビギナーやジュニアにとつては「今さら聞けない」レベルの内容が多いので、一読の価値はあるのではないでせうか。本書により新たなテツが誕生すれば、それはまた良いことだとは思ひますが、同時に梅原氏の真面目な問ひかけにも自分なりの回答を見つけ、責任ある行動を望むものであります。付章として文庫版に加へられたJR福知山線の事故を考へる文章の事ですがね。著者は「鉄道とは何か。存在しなくて済むのならば、存在しないほうがよいものなのだろうか」などと自問自答したさうです。
そして、昨今の(わたくしには)過剰とも思へる鉄道ブームについても、わたくしが常々感じてゐることを簡潔に表現してくれてゐます。
本来、ブームになることは良いことであると著者も認めながら、手放しでは喜べないと述べてゐます。

そもそも、鉄道ブームとは鉄道の利用客が増え、それに伴って安全度も向上し、さらなる利用客増につながるという好循環を指すのではないだろうか。だが、現状では社会に必要とされなくなった路線や列車を追い求め、これらが姿を消してしまえば、次なる廃止候補が注目を浴びるという現象が繰り返される。また、鉄道博物館に代表される博物館の盛況ぶりは博物館法の規定を逸脱し、単なるテーマパークとして消費されているように思えてならない。もちろん、こうした事柄も鉄道の一側面であると筆者も認める。だが、本来理解すべき鉄道の姿からかけ離れてはいないだろうか」(文庫版あとがきより)

さういふ風潮にわたくしも疑問を感じ、最近では自分はテツではないと思ひはじめてゐます。著者はかろうじて「鉄道が存在しなくてもよい」といふ回答をからは踏みとどまることが出来たと語り、望みを繋いでゐます。
軽い気持ちで読み始めると、少し重たいかもしれませんが、前述の通り、テツ初心者の方は目を通していただきたいなあと。

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それから
それから (新潮文庫)それから (新潮文庫)
(1985/09/15)
夏目 漱石

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それから

夏目漱石【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1948(昭和23)年11月発行
1968(昭和43)年1月改版
1985(昭和60)年9月改版
2010(平成22)年8月改版


朝日新聞では、昨日(3月23日)まで再連載してゐた『三四郎』の後を受けて、4月からは『それから』の再連載を開始するさうです。再連載シリーズも『こころ』から数えて三作目といふことになります。いつまでも漱石の名声に頼るのはいかがなものか、とも思ひますが、まあ良いでせう。しかし、折角再連載するならば、当時のやうに完全復刻していただきたいなあ。せめて新仮名に直さずに紙面に載せてほしいものであります。

で、『三四郎』『それから』ときたら、次は『門』だなと想像がつきます。いはゆる三部作ですな。これらは「前期三部作」とも呼ばれ、対応する「後期三部作」は『彼岸過迄』『行人』『こころ』といふことになつてゐます。
高校時代の国語の試験で、漱石の三部作を答へよ、といふ問題がありました。文学史の問題は国語と関係ないと存じますが、国語教師は文学カブレしてゐるので、しばしばかういふ出題もあつたのです。
その問にわたくしは、ご親切にも前期と後期の三部作をそれぞれ記入したのでありますが、採点ではペケになりました。どうやら出題した先生は前期三部作しか認めない姿勢で、余計なものを書き込んだとして不正解にしたのでせう。以上は、どうでもいい思ひ出であります。

この作品は、初読の前から、主人公が何やら親の脛を齧りながら仕事もせず、しかも口八丁で親族を馬鹿にしてゐるやうな人物らしい......といふ情報が入つてゐたので、「そんな奴が主人公なのか。長井代助だと? ケッ。何が高等遊民だよ。好い気なものだ。漱石ともあらう人がこれは設定ミスだな。どうも感情移入も出来さうもないぜ」と先入観を持つて読み始めた記憶があります。

さはさりながら、つらつら考へるに、漱石作品の主人公は大概、読みながら苛々させられる奴ばかりではなかつたでせうか。
坊つちゃん』には「もつと世間を知れよ」と思ふし(まあ、だからこそ「坊つちゃん」なのだが)、『三四郎』に対しては「美禰子さんが好きなら態度をはつきりさせろよ、うぢうぢするな!」と云ひたくなるし、『こころ』の先生には「せつかくお嬢さんを妻に迎へながら、不幸にさせるとは怪しからんぞ」と、尻に敷かれつ放しのわたくしは慨嘆するのであります。

はたせるかな、『それから』を一読して、やはり唸つてしまひました。うまい。何と言つても構成の妙ですね。まだ文学形式として未成熟だつた頃の「現代小説」としては、完成度が高過ぎると申せませう。ま、中には「こんなの名作でも何でもない。単なる手前勝手なニートの話ぢやないか」と斬り捨てる人もゐますがね。それはそれで分かる。

しかしねえ、後半、代助が世俗的倫理を捨て、恋愛に走るあたりから終末にかけては、ほとんど神憑り的な展開ではないでせうか。
周囲がすべて赤く染まつた中で、電車に乗り続ける代助。ああ、代助の「それから」が気になつて仕方がないのであります。
万人受けはしないかも知れませんが、わたくしは『こころ』よりも好みの作品です。皆様も読みやあよ。

途中下車の味
途中下車の味 (新潮文庫)途中下車の味 (新潮文庫)
(1992/06)
宮脇 俊三

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途中下車の味

宮脇俊三【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1992(平成4)年6月発行


途中下車。甘美な誘惑。旅の醍醐味は「途中下車」にあるのではないかとさへ思ふことがあります。
江戸時代の旅はもとより徒歩の旅が基本で、その道中に大きなウェイトが置かれてゐました。当然現在の旅よりも危険も多く、目的地によつては命懸けといふ場合もあつたことでせう。

それが明治以降、乗物が発達し、少しでも早く目的地へ、といふ風潮になつてゐます。用務とか緊急時などは大いに助かるのでせうが、特段に急がない観光客までが急ぐ、といふのは如何なる心情なのでせうか。もちろん目的地へ行つて、あれを見たいこれを食べたいと逸る気持ちは分かりますがね、そこまでの経路を蔑ろにし過ぎではないかと。
旅は自宅を出るところから始まつてゐると存じますが、その考へ方は古いのでせうか。先達ても「旅は目的地に着いてからが始まりで、そこまでは単なる移動」と述べた人がゐて、わたくしは慨嘆し、頬に一筋流れるものを...あ、少しおほげさでした。

さて『途中下車の味』は、『旅の終りは個室寝台車』の続篇にあたる作品であります。しかし道中の相棒たる「小説新潮」編集者は交代してゐて、そのせいか前作とはいささか趣きが異なつてゐます。
内田百閒の『阿房列車』を思はせる前作は、基本的に乗る列車が決まつてゐたのですが、今回は行き当たりばつたりの方針を打ち出します。

「ですから、前回とは趣向を変えて、こんどは万事未定でやりましょうか。気が向いたところで途中下車しながら......」
「万事未定ですか。わかりました」
「下車駅未定、宿泊地未定」
「住所不定」
「そうそう」

(「一円電車と松葉ガニ」より)

まあ切符の手配の都合とか、後半になるとシリーズ全体のバランスとか(まだ九州へ行つてゐないので、次は九州へ、とかね)を考慮するので、実際には事前にある程度の方角は決まるのですが、それでも宿泊地や見物・見学スポットは未定のまま出発する点は中中スリリングで良いものです。最近はテレビの旅番組でも同様の趣向が見受けられるので、さういふ旅が面白いといふ認識は皆あるのでせう。

もつともそのおかげで、駅弁を買ひそびれたり、混雑したロングシートの車内でぬるいビールを立つたまま飲むはめになつたりします。芸人ならむしろオイシイ場面でせうが。個人的には、無計画結構ですがもう少し先を読まうよと突つ込みたくなります。ま、だから読者にとつては面白いのですがね。
さて本書を読んだからには、次の旅行から目的地までの楽しみも追求してみませう。せつかく日常から脱出するのに、旅の道中まで日常の延長ではもつたいないと申せませう。

大アンケートによる日本映画ベスト150
大アンケートによる日本映画ベスト150 (文春文庫―ビジュアル版)
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大アンケートによる日本映画ベスト150

文藝春秋【編】
文藝春秋(文春文庫ビジュアル版)刊
1989(平成元)年6月発行



本書は1989(平成元)年に発売されてゐます。といふことは、平成の作品は登場しません。しかし、それで良いのです。かういふ、ベスト○○といつたたぐひのものは、最近のものは除外した方が何かと角が立たない。「昭和の邦画ベスト150」と読み替へれば、現在でも十分通用する、まことに充実した一冊なのであります。

アンケートの回答を寄せたのは、映画好きの著名人372名。それぞれが皆、お気に入りのベスト10を挙げてゐます。中にはそれほど詳しくなささうな人もゐますが。また、古い人たちの傾向として、
 ①最近の邦画は観ないからわからない。
 ②劇場でリアルタイムで観たものに限る。後にヴィデオで観たものは除外。
といつた、頑固かつ謹厳実直な姿勢を貫く人が多いやうです。そんな鯱張らずに、もつと気楽にいかうよ。

作品篇・監督篇・女優篇・男優篇でそれぞれランキングを発表してをります。第一位を順番に述べると、「七人の侍」「黒澤明」「原節子」「阪東妻三郎」となるさうです。作品と監督は、2015(平成27)年現在でも、結果に相違はないやうな気がします。一方、原節子やバンツマはもう知らない人も殖えてゐるのではないでせうか。

読み物も粒揃ひであります。まづ巻頭に赤瀬川隼・長部日出雄・藤子不二雄Ⓐの三名による座談会。皆さん本当に詳しい。
そして「ジャンル別マイベスト」。戦争映画とかヤクザ映画とか喜劇映画とか、14のジャンルを設定し、それぞれに思ひ入れのあるであらう人が執筆してゐます。しかし、怪獣映画のジャンルでは、人選を間違へたかも知れません。

圧巻は、井上ひさし氏による「たったひとりで、ベスト100選出に挑戦する!」
井上氏は、アンケートに「10本だけでは酷だ。せめて100本選びたい」と記入したところ、何と編集部から「どうぞ100本選んでください」と返答があつたさうです。やるな。
井上氏はその刹那は小躍りして喜びましたが、実際には、それから100本選び出すまでの四か月間は「地獄だった」と言ひます。ベスト100に入れたい映画が250本以上もある(!)といふことで苦しんだのです。彼の結論は、結局大人しくベスト10だけ選び、あれも入れたかつた、これも選びたかつたとボヤくのが唯一正しい態度だと。

で、井上版ランキングでも1位は「七人の侍」。1位から次点の101位まで、すべての作品にコメントを付けてゐます。面白いのは、比較的上位作品は簡単なコメントに終始してゐたのが、最後の方になるほど(つまり下位作品ほど)、コメントに力が入り、長くなつてゆくところであります。畢竟、何位だらうが、映画好きにとつては構はない、といふことでせうか。

最後に、選出されたベスト150のうち、上位10点を紹介します。
①七人の侍②東京物語③生きる④羅生門⑤浮雲⑥飢餓海峡⑦二十四の瞳⑧無法松の一生(バンツマ版)⑨幕末太陽伝⑩人情紙風船。ちなみに、わたくしのベスト10と被るのは6位と8位だけであります。
はあ、わたくしの話はどうでもいいですかな。これはご無礼しました...

日本vsヨーロッパ「新幹線」戦争
〈図解〉日本vs.ヨーロッパ「新幹線」戦争 (講談社+α文庫)〈図解〉日本vs.ヨーロッパ「新幹線」戦争 (講談社+α文庫)
(2015/02/20)
川島 令三

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<図解>日本vsヨーロッパ「新幹線」戦争

川島令三【著】
講談社(講談社+α文庫)刊
2015(平成27)年2月発行


早くも文庫化ですな。このタイミングはきつと、北陸新幹線開業に合はせたものと思はれます。どうでもいいが、ちよつと燥ぎ過ぎのやうな気がします。
しかし本書は、さういふ燥ぐ人たちにとつては心地良い内容ではありません。おそらく「おらが町の新幹線」にケチをつけられたと憤慨するのではないでせうか。ゆゑに、関係者の皆様は読まない方が良いかも知れません。半分冗談ですが。

川島氏は、多くの人が(おそらく)さうであるやうに、日本の新幹線は世界一と思つてゐたさうです。たとへフランスTGVに速度で敵はなくても、総合的なシステムとしての新幹線が上であらうと。
ところが実際に、フランスを始めとする欧州の高速鉄道に乗つてみると、その考へを変へざるを得なくなつたといふことです。どうやら日本の新幹線はかなりの遅れをとつてゐるらしい。どれどれ。ちよつと見てみませう。

第1章は「日本の新幹線はガラパゴス化している」。うーん、ケータイやPCだけではないのか......
著者によると、日本の新幹線はいまだ50年前の低スペックで運用されてゐるため、高速で走るのにはかなり無理がある。それを無理して走らせやうと、海外では不要な新技術を産み出さざるを得ない状況なのださうです。きついカーブ、狭い断面積のトンネル、険しい自然条件、市街地の騒音問題......海外では350km/hでの走行がもう当り前なのに、日本では最新の新幹線が(整備新幹線といふ理由で)260km/hに抑へられてゐます。北陸新幹線が東北新幹線みたいな不恰好なアヒルではなく、あのやうにカッコイイのも、その理由を知るとがつかりするのでした。

第2章は「ヨーロッパの高速鉄道」。やはり日本のライヴァルとなるのは欧州勢。といふことで川島氏はフランス・ドイツ・イタリア・スペインの高速鉄道を取材し、レポートしてゐます。
フランスが頑なに客車方式に拘泥する理由が述べられてゐます。なある。そして、意外に(と言ふと失礼ですが)スペインの高速鉄道が進んでゐます。超先進国と申せませう。確かに「タルゴ」なんて相当昔からありますからなあ。
なほ、フランスとイタリア間の、乗り入れをめぐるいざこざは確かに大人気ない。

第3章は「日本の新幹線が歩むべき道」。提言コーナーですな。日立製作所がイギリスで展開してゐる方法が参考になるやうです。著者は、フランス仕様の線路に日本の車両を売り込む道が、海外勢と伍する方策であると説きます。ほかにも、著者得意の「提言」の数数。川島氏の提言については、非現実的だとか妄想レベルだとか、何かと否定的な反応を示す向きが多いのですが、実現が難しいのは川島氏も承知済みでせう。それでも、使命感から日本の鉄道のために言ひ続けるのだと思ひますよ。
地元が「フル規格新幹線」に拘り続ける限り、「財源をケチつた中途半端な新幹線」と「ずたずたに分断され三セク化した在来線」が増えるだけでせうね。

一応、巻末に明るい展望らしき言辞もあります。せつかくの「世界一の技術」を生かさない手はない。政府が鉄道政策の転換を図つてくれたら良いのですがね。

ハムレット
ハムレット (新潮文庫)ハムレット (新潮文庫)
(1967/09/27)
ウィリアム シェイクスピア

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ハムレット

ウィリアム・シェイクスピア【著】
福田恆存【訳】
新潮社(新潮文庫)刊
1967(昭和42)年9月発行
1991(平成3)年4月改版
2010(平成22)年10月改版


つひにハムレット登場。沙翁悲劇の中でも人気の高い一作であります。
わたくしも、好みでいへばこれが一番でして、まあ完成度からいへば例へば『リア王』などに譲るのかも知れませんが、その突拍子もない復讐劇とか、流麗な言葉遊びとか、引用したくなる名言の数数とか、ハムレットの複雑な性格行動とか、すべてが魅力的なのであります。

初めてハムレットを観たのは、デレク・ジャコビ演ずるテレビ版。本場英国はBBC制作のドラマでした。これですつかり魅入られてしまひました。かなりおつさん臭いハムレットでしたが、優柔不断かと思へば無鉄砲に事を運ぶ二面性をさらりと演じてゐました。「言葉だ、言葉、言葉」。
日本では江守徹さんのハムレットですな。江守さん自らが演出し、当時最新鋭の小田島雄志訳を採用してゐました。「このままでいいのか、いけないのか」。
その昔、福田恆存訳・演出で芥川比呂志さんが演じたハムレットが素晴らしいと聞いてをります。映画なら観るチャンスはあるでせうが、舞台は観られる時に鑑賞しないと、後悔すること間違ひなしです。もつとも、わたくしの生れる遥か前のことなので詮無いことですが。「いや、それ、あれはいかさま、いはば意味なきいたづら」。

翻訳について。
中村保男著『翻訳の技術』によりますと、坪内逍遥以来、『ハムレット』の翻訳は小田島雄志氏までで14人も手掛けてゐるさうです。
これは多い。福田恆存氏の訳が決定版ではないかと思ふのですが、それ以降も新訳は出てゐます。まあ勇気のある人が多いなと。『翻訳の技術』には、「『ハムレット』の翻訳」と題する一章が設けられてゐますので、沙翁ファンなら必読と申せませう。「さ、行け、尼寺へ」。

『金縛り』の謎を見た!
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「金縛り」の謎を見た! (サラ・ブックス―恐怖シリーズ (411))
『金縛り』の謎を見た!

中岡俊哉【著】
二見書房(サラ・ブックス)刊
1985(昭和60)年12月発行


高校時代の恩師で国語教師のM先生はよく、自分は金縛りになるのだと半ば自慢気に語つてゐたものです。

M先生「あー、寝てゐる時も起きてゐる時もお構ひなしになるんですねえ。こんな時、刃物を持つた悪人がやつてきたらイチコロなので、怖いですねえ。でも私は金縛りになつても直ぐに解く術を体得しましてねえ、それ以来金縛りは怖くなくなりましたねえ」
源氏川苦心「それは一体どんな方法ですか?」
M先生「それは、教へないですけどねえ」
源氏川苦心「無慈悲な。ぜひ教へてくださいよ」
M先生「それより苦心君、先日の試験、全く勉強してませんね? 君にしてはかなり悪い出来ですよ」
源氏川苦心「ははあ」

話はそれきりで終ひとなりました。今でも気になるのですが、案外出まかせで発言したのかも知れません。
中岡俊哉著『「金縛り」の謎を見た!』によると、金縛りは元々、誰かが別の誰かに対してかける「術」として捉へられてゐたさうです。即ち、加害者と被害者が明確に存在してゐたと。
そしてもつとも「金縛り」といふ言葉が使はれてゐたのは桃山時代で、当時は「不動金縛り」と呼ばれてゐたさうです。凄味が増すネイミングであります。不動尊が悪い奴を懲らしめるために、身動きできないやうにかけた術といふ説が有力だとか。

金縛りの原因と考へられてゐるのは、
 ①精神的疲労が原因のもの
 ②肉体的疲労が原因のもの
 ③霊的作用が原因のもの
の三種類なのださうです。そして対処法も原因別に述べてゐますが、現実に金縛りになつた時に、「えーと今の金縛りは肉体的疲労かな、最近休日を取れてない上に残業続きだし。否、やつぱり精神的疲労だらうか」などと冷静に分析できないのではありますまいか。

著者がかつて某高等学校にて調査した結果では、③の霊的作用が原因のものは少なく、たいがい①か②、あるいはケシカラヌことに、目の前の困難(テスト勉強とか)から逃避したくて金縛りになつたと嘘をついてゐたケースもあるさうです。インチキな自称霊能者が、高額な報酬に目がくらみ霊的作用のためと偽ることもあり、こんな輩がゐるから少数ながら存在する、真に③が原因の人が迷惑をするのであります。

多忙な芸能人などは、①②が原因のことが多いらしい。本書でも金縛り経験者として、松岡きっこ・芦川よしみ・ジュディ オング・おすぎ・大川橋蔵・夏目雅子・江利チエミ・石原裕次郎・勝新太郎・宮城千賀子・岡田奈々・森進一など(敬称略)の体験が紹介されてゐます。

で、肝心のメカニズムについては、結局よく分かつてゐないのが事実のやうで、そもそも医者や科学者は、気のせいとから迷信だとかで片づける人が多く研究も進んでゐないといふことです。
確かに改めて書名を見ると「『金縛り』の謎を見た!」であつて、謎を解明したとは書いてゐませんね。
まあ学術書ではないから、良しとしますか。

さて、今から寝るのですが、寝る前に読む本ではありませんね。何事も起こらぬことを願ふものであることだなあ。

日本語はどう変わるか
日本語はどう変わるか――語彙と文字 (岩波新書)日本語はどう変わるか――語彙と文字 (岩波新書)
(1981/01/20)
樺島 忠夫

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日本語はどう変わるか―語彙と文字

樺島忠夫【著】
岩波書店(岩波新書)刊
1981(昭和56)年1月発行


古い本ですがね、これがまことに面白いのであります。1981年1月といへば、当時の関脇千代の富士が第一人者の横綱北の湖を破つて初優勝、その年のうちに大関・横綱と一気に駆け上がり、「ウルフフィーバー」などと呼ばれて社会現象になつてゐた頃。本書には何の関係もないが、それだけ昔の本であることを言ひたかつただけです。

タイトル通り、将来の日本語がどうなるかを、サブタイトルにあるやうに「語彙と文字」の面から考察した一冊であります。
冒頭に「日本語の乱れ」の議論があります。これはたぶん、古くて新しい問題で、おそらく「近頃の若い者は」と同じくらゐ昔から嘆かれてゐたのではないでせうか。
何をもつて「乱れ」とするかは個人差がありますが、外来語が跋扈してゐるといふ点では多くの人が首肯するところではないかと。

著者の研究成果によりますと、基本的な和語は千年経つても大きな変化はない。少数の和語が日本語を支へてゐるといふ点では、日本語は外来語に占領されてゐるとは言へないさうです。
しかし外来語は欧米発のカタカナ語だけではありません。現在違和感なく使用してゐる漢語も、中国からの外来語と申せませう。これらを勘案しますと、やはり和語のみで文章を作るのは難しい。むりやり和語のみで作成すると、実に間延びした、ちやうど井上ひさしさんが言葉遊びをするやうな文章になり、笑ひを誘ふには格好のものですが、例へばビジネス文書には不向きな文章になるやうです。

現在(本書執筆当時のことですが、平成27年現在でも大きな相違はないやうです)日本語を表現する文字として、使用頻度順に列挙すれば「平仮名・漢字・片仮名・(ローマ字)交じり」となりますが、今後は漢語が外来語化したり、かな書きされる傾向が強まると著者は見てゐます。
そこで変化の第一段階「平仮名・片仮名・漢字・(ローマ字)交じり」、第二段階「平仮名・片仮名・ローマ字・漢字交じり」、第三段階「平仮名・ローマ字・片仮名・漢字交じり」、そして第四段階ではつひに片仮名がローマ字に食はれ、「平仮名・ローマ字・漢字交じり」と予想できない訳でもないと述べてゐます。

ただ現在の我我は、当時は普及してゐなかつた日本語ワードプロセッサーを当り前のやうに駆使してゐます。これは樺島教授も言及してをりませんが、これによつて漢字の簡略化や廃止論、ローマ字国語化論などは急速に力を失つてゆくのでした。したがつて今後、ローマ字が日本語を侵食するといふのは想像しにくいですね。

なるべく私見を挟まずに語彙と文字の変化を論ずる樺島教授。しかし文中で本多勝一氏の主張を紹介したり、中桐雅夫氏の詩を引用したりと、何となく著者の立ち位置がわかるのであります。知的興奮に溢れた一冊と申せませう。

テツはこう乗る
テツはこう乗る 鉄ちゃん気分の鉄道旅 (光文社新書)テツはこう乗る 鉄ちゃん気分の鉄道旅 (光文社新書)
(2006/04/14)
野田 隆
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テツはこう乗る 鉄ちゃん気分の鉄道旅
野田隆【著】
光文社(光文社新書)刊
2006(平成18)年4月発行


近年、テツの人たちが大きな顔をして闊歩してゐるのを、わたくしは若干苦々しく感じてゐる―
などと書くと怒られさうですが、実際テレビの番組欄を見ても、地上波衛星放送問はず、たいがいの局が鉄道旅の番組を拵へ、しかも頻繁に再放送までされてゐます。まあ実際は鉄道番組といふより鉄道沿線の観光案内みたいな内容ですが、やはり尋常ではない状況だと愚考してゐます。

これだけ多くの番組が作られるといふことは、それだけ鉄道旅に関心がある人が多いといふことになりますかな。それが即ちテツが殖えてゐることにはならないかも知れないけれど、間違ひなく以前(10-15年くらゐ前)から比較すれば増殖してゐると肌で感じるのであります。

そしてその予備軍とでもいふべき存在も多く、本書ではさういふ人達を対象に、「ひよつとしたら自分もテツではないのか?」と覚醒させ、皆でカミングアウトしませうといふ試みがされてゐます。
.........などと畏まつていふほどのこともありません。要するにテツの生態を解説した一冊であります。
実際に非テツが感化される内容なのか疑問ですが、例へば某テレビ局のプロデューサーが本書を読んで、実際に鉄道ドラマを作つてしまつたとの話もあります(コミック『鉄子の旅プラス』より)。一定の影響力は示したと申せませう。
なほわたくしが一読した感想は、「ああ俺はテツぢやないな、良かつた」といふものです。めでたしめでたし。

※2010年に本書は『鉄ちゃんに学ぶ「テツ道」入門』と改題されて文庫化されてゐます。その後の新情報などが加筆修正されてゐるさうですので、新たに購買する方は、こちらをどうぞ。

朽ちていった命
朽ちていった命―被曝治療83<br />日間の記録 (新潮文庫)朽ちていった命―被曝治療83日間の記録 (新潮文庫)
(2006/09)
NHK「東海村臨界事故」取材班

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朽ちていった命―被曝治療83日間の記録―

NHK「東海村臨界事故」取材班【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2006(平成18)年9月発行


茨城県東海村の核燃料加工施設で起きた臨界事故。憶えてゐますか。恥づかしながら、わたくしはこの事故について、ほとんど忘却してゐました。本書を手に取つた偶然に感謝するものであります。

自らが行ふ作業に関して、その危険性を知らされぬまま、無防備な体制で仕事をさせられてゐた作業員。
核燃料サイクル開発機構の高速実験炉にて使用するためのウラン溶液を、別の容器に移し替へる作業をしてゐた大内久氏と篠原理人氏の2名が、臨界事故に遭遇し被曝したのでした。

本書は、大内氏が被曝してから、83日後に亡くなるまでを詳細に記録したNHKのドキュメンタリー番組を書籍化したもの。2001(平成13)年に放映された番組ですが、現在の政府及びNHK会長ならば許可しない内容ではないかと想像してしまひます。ま、それは余計なことですな。

大内氏の治療を買つて出たのは、東京大学医学部教授の前川和彦氏。「負け戦ですよ」と周囲が異を唱へても、強い意志で治療に挑みます。
しかし何といつても、過去に例のない事例です。医療チームにとつても初めての経験なので,前川氏の言葉の通り「海図のない航海」をすすめるしかありませんでした。

入院当初はまだ明るい表情で冗談も飛ばしてゐた大内氏。それが病状が進むにつれ、苦痛を訴へ、口数も減り、遂には言葉を発することも出来ず、それどころか喜怒哀楽の意思表示さへ出来なくなるのです。その変化を目の当たりにする看護師たちも苦悩します。

皮膚を失ひ、細胞は破壊され、どう見ても回復は望めぬ事態に、医療チームも迷ひます。この治療は、大内氏のためになつてゐるのだらうか。いたづらに彼を苦しめるだけではないのか―
救ひは、大内氏の家族であつたといひます。いかなる状況でも現状から目を逸らさず直視し、なほかつ最後まで希望を失はぬ姿勢を貫いたさうです。本当の家族愛とはかういふものなのだらうと教へてくれる、素晴らしい一家だと思ひます。

そして83日目、つひに大内氏は力尽きます。35歳の若さでした。「もうこれで苦しむことはないね」と声をかける看護師。矛盾を承知で、もうがんばる必要はない、良かつたねと。

「あとがき」によると、若い医者や看護師の卵でさへ、「東海村臨界事故」の事を「知らない」「何となく記憶にあるが、詳しく覚えてない」状態ださうです。一般の人ならなほさらでせう。珍しく真面目に、多くの人に読んでいただきたいと感じた次第です。
この国の国民は、今後も原子力とともに歩むことを(選挙で)選択した訳ですから、放射性被曝の実態も承知の上なのでせう。

デハ就寝します。今日ほど普通の生活が有難いと感じたことはありません...