源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
サービスの達人たち
サービスの達人たち (新潮文庫)サービスの達人たち (新潮文庫)
(2008/10/28)
野地 秩嘉

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サービスの達人たち

野地秩嘉【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2008(平成20)年10月発行


サービス』といふ書物の著者・桜井多恵子氏によると、日本の小売業ほど「サービス」なる言葉をいい加減に駆使する世界はないさうです。顧客側も売る側もそれぞれ自らに都合の良い解釈で「サービス」と発してゐます。まあ客側からのイメエヂは「値引き、おまけ」でせうね。要するに「サービス」はタダといふ考へ方。
反対に売る側からのそれは「満足、付加価値」といつたところで、「サービス」は有料といふ認識ではないでせうか。その辺のギャップがクレームに発展したりするのであります。

野地秩嘉著『サービスの達人たち』に登場するのは、超高級外車のセールスマン、天ぷら職人、銭湯の三助、ウィスキーのブレンダー、ゲイバーの経営者、電報配達人、キャバレーのホステス、「呼び屋」と言はれる興行師、ホテルの靴磨きといつた面々でございます。確かにサービスの達人と言へなくもないが、どうもこの書名には違和感があります。それよりも「プロフェッショナルの矜持」といつたものを感じるのであります。

したがつて、紹介文には「名もなき“職人”である彼らの姿を追いながら、本物のサービスとは何か、サービスの極意とは何か、に迫った九つのノンフィクション」とありますが、私見では、登場する彼らは別段顧客のことを考へてゐる訳ではなく(無論少しは考へてゐるでせうが)、自分自身が納得する仕事に邁進し、妥協をせず、自らの腕を信ずるプロフェッショナルと感じます。
各篇の内容は悪くないけれど、現在サービス業に従事する人たちの参考になるのかどうかは分かりません。タイトルの付け方の重要性を感じた一冊と申せませう。

ぢや、今日はこれで。ご無礼いたします。

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はじめての中国語
はじめての中国語 (講談社現代新書)はじめての中国語 (講談社現代新書)
(1990/02/16)
相原 茂

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はじめての中国語

相原茂【著】
講談社(講談社現代新書)刊
1990(平成2)年2月発行


4月は語学学習を始める季節であります。特にさう決つてゐる訳ではないけれど、希望を持つて学習を開始し、5月か7月あたりで挫折するまでの間は、ネイティヴ並に流麗に話す自分を夢見てゐられるのであります。

周知のやうにNHKでも、レイッディオウとTVで各種外国語の講座があります。中高生の頃は色々視聴してゐましたが、TVの方ではその後「生徒役」なる役柄が登場しまして、これで見る気が無くなりました。当方は少しでもネイティヴの模範発音を聞きたいのに、わざわざ素人を出すとはどういふ気かね、と思つたのです。
さらに時代が下つて、生徒役は一般人から芸能人に代りました。かうなると全く別の番組のやうで、完全にわたくしの興味は失せてしまつたのであります。

ところが今年の「テレビで中国語」は、生徒役が壇蜜さんだといふではありませんか。これは見るしかあるまいと、テキストまで購買してしまひました。即ちわたくしが侮蔑してゐた策略に、自らが嵌つてしまつたといふ訳ですな。で、実際に番組を視聴しますと、案外良くできてゐるなと。中でも、小学生から70代までの北京市民から、学習した表現を実際にはどのやうに駆使するのかをインタビュー(?)したコオナアはユニックでした。ま、NHKらしく恥かしい演出もちらほらありますがね。

オット、紹介したいのはNHKではなく、相原茂著『はじめての中国語』でした。全8章から成りますが、その構成は中中に個性的です。

序章「学びやすい中国語」、第1章「私たちが学ぶ中国語」でまづ概観し、中国語とはいかなる言語かを述べます。文字改革の歴史にもちよつと触れてゐます。
第2章「中国語の発音」では、日本人が苦手な四声、そり舌音、有気音と無気音の相違などを手際よく教へてくれます。かつて取り上げた同じ著者による『中国語の学び方』でも述べられてゐた、「中国語発音良ければ半ば良し」といふ標語(?)をここでも開陳してゐます。

第3章から第5章までは飛ばしても良い内容で、第6章・第7章がいよいよ「中国語の基本」であります。中国語は「語順」が大切として、「SVO」の構文を徹底的に料理し、読者に提供するのであります。
第8章が「ひとこと中国語」。街で話せる、そのまま覚える中国語の数数。この章を読むと、何だか中国語会話は訳なく出来さうな気がするから面白いですな。

さて「第3章から第5章までは飛ばしても良い内容」と先ほど述べましたが、では無くても良い無駄なパートなのか、トマソンなのかと問ふ人がゐるかも知れません。
さうではありません。わたくしが思ふに、この3章こそが本書の眼目、類書との差をつけた部分ではないかと。

第3章「日本語と中国語」で、この二つの言語が歴史上で、いかに影響しあつてきたかを、過去の日本人が学んできた「漢文」と比較することで説明してゐます。一方的に中国⇒日本ではなく、日本⇒中国への影響もあつたのですねえ。
第4章「中国語の語彙」。日本語と中国語で、同じ漢字を使つてゐてもその語のもつ「広がり」は、両国ではまるで違ふのであります。日本語で「切る」といふ単語を中国語に変換する時、例へば「野菜」「樹」「ツメ」「木材」「盲腸」「ガラス」を「切る」際に、すべて使ふ動詞(漢字)が違ふと紹介します。日本語では、ものを二つ以上に分かつ状態を「切る」なんて表現するが、中国語ではその動作に注目するため、それぞれ別の動詞を駆使するのださうです。こんな話は、あまり初心者向けの本には書いてありません。
第5章「私の中国語修行」を読みますと、語学習得には近道無しと、つくづく思ふのであります。ここでも著者は、やはり上達にはカネをかけないと本気になれないと書いてゐます。ふうむ。

といふふうに、第3章-第5章は無くても成り立つのですが、それでは本書の存在意義は薄いといふもの。この3章があるからこそ濃ゆい、ユウスフルな内容になつたのです。初級学習者にとつて出色の一冊と申せませう。

祖父東條英機「一切語るなかれ」
祖父東條英機「一切語るなかれ」 (文春文庫)祖父東條英機「一切語るなかれ」 (文春文庫)
(2000/03/10)
東條 由布子

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祖父東條英機「一切語るなかれ」

東條由布子【著】
文藝春秋(文春文庫)刊
2000(平成12)年3月発行


今年は終戦70周年といふことで、かかる書物も再び注目を浴びてゐるやうです。
東條英機と言へば「A級戦犯」の代名詞のやうな人。しかし近年の「東京裁判」への風当りは強く、東條再評価も進んでゐると聞いてをります。わたくしも東京裁判の正当性につきましては疑義を差し挟みたい一人なのですが......
さういふ風潮を良いことに、お坊ちやん宰相が無邪気にも新たな「談話」を発表するとか。よせばいいのに。それでなくても、最近の日本礼賛傾向には「ちよつと違ふのではないか」と感じてゐるところです。

まづ本書には、東條英機その人の実像とはどんなんか?を知りたいといふ目的がありました。しかし考へてみれば、東條処刑の時にまだ9歳の著者に、その任は重すぎたと申せませう。無論著者本人の責任ではありません。
本書はあくまでも東條の孫娘たる著者の半世紀とでも呼ぶべき性格のもので、東條英機の肉親であるばかりに迫害を受け続けた苦難の経験が綴られてゐます。著者の父は勤務先から馘首され、再就職したくてもイザコザを恐れた企業ばかりで、無職の時期を過ごす羽目になります。
また著者の兄は、学校で担任を引き受ける先生がゐなくて、無視され孤独の日々を過ごしたとか。よくグレなかつたものであります。それもこれも、東條英機の教へ「沈黙。弁解せず。一切語るなかれ」を忠実に遺族が守つてゐたことの証左でありませう。もつともこの一冊で、かなり語つてしまひましたが。

身内からの視線ですので、まあ目の曇りも、身贔屓もあるでせう。それでも隠れてゐた現代史の一面を明らかにしたといふ意味で、一定の価値を持つ書物と申せませう。
ところで著者の生誕時の名前は「東條淑枝」らしいのですが、「岩浪由布子」「東條由布子」なる名前も混在してゐます。単なるペンネームなのでせうか。どうでもいいけど。

ちよつと今夜は呑み過ぎました。わたくしにしては珍しいことです。
布団が恋しいので、ここでご無礼いたします。

世紀末のプロ野球
世紀末のプロ野球 (角川文庫)世紀末のプロ野球 (角川文庫)
(1986/08)
草野 進

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世紀末のプロ野球

草野進【著】
角川書店(角川文庫)刊
1986(昭和61)年8月発行


今年もプロ野球が開幕して早くも三週間が経過、我が燕ティームはまづまづの滑り出しであると申せませう。なんだかんだ言つて、わたくしどもの世代はプロ野球に関心があるのですなあ。
そこで『世紀末のプロ野球』。念の為に言ふと、世紀末とは20世紀末のことであります。1986年の発行。

著者の草野進さんは、謎の女性といふ触れ込みでしたが、どうやら今では蓮實重彦氏のペンネームであることが定説化してゐるやうです。それはどうでもいい。問題は書物の内容であります。
ところで、草野進さんのツイッターの写真は、かつての東宝女優、田村奈巳さんですね。なぜ彼女の写真なのか分かりませんが、わたくしの好きな女優でした。おそらくこの写真は、『ウルトラセブン』の「超兵器R1号」に出演した時のものでせう。この作品についても語りたいところですが、本筋から外れますので又の機会を待つことにします。

で、著者はのつけから「プロ野球は二十世紀とともに滅びる」と宣言。「二〇〇一年、ベースボールはもはやスポーツとしては存在しえなくなっているのではないか
とりあへず予言は外れたけれど、草野進さんが嘆くプロ野球側、ファン側双方の問題点は解決するどころか、進行の一途を辿りそれは定着化したやうに見えます。と言ふことは、実は世紀末どころか1980年代には「プロ野球」は滅んでゐたのかも知れません。

もつとも著者の主張を一つ一つ真面目に受け止めてゐると、莫迦莫迦しくなることもあります。ちやうど居酒屋なんかで呑みながら無責任に管を巻く時の話題に似てゐます。特に選手ごとの評は完全に個人的見解と言ふべきもので、反発する人も多いでせう。
ただ、著者が「プロ野球は、いま、とても悲しい。ただ、ひたすらに悲しい」と慨嘆するその理由については、大いに首肯できるものであります。
プロ野球好きを自称する人たちが、ベースボールに興味を示さない。各種記録の数字には通暁する人が、どの試合が好きなのかを問はれても答へられない。彼らは球場で試合を観ることよりも、プロ野球について語ることが好きで、さいうふ物語の中に自分を見出すことが好きなだけであると。

確かにテレビ観戦は便利であります。しかしアレは「この試合はここに注目せよ」とばかりに、カメラで我我の興味を誘導してしまひます。真に見たい場面を映してはくれません。一方、球場で観る試合は、しつかり観てゐないと「ん? 今何が起こつた?」と戸惑ふことが多い。別段場内マイクで実況があるわけではないですからな。これを不便と捉へる人が多い以上、著者の悲しみは深まるばかりです。

まあしかし、あまり屁理屈をこねずに一読すれば、愉快で捧腹絶倒の一冊とも申せませう。まづは、ナゴヤドームへ行つて中日ドラゴンズ×東京ヤクルトスワローズの試合を観戦することにします。ぢやあまた。

消された一家
消された一家―北九州・連続監禁殺人事件 (新潮文庫)消された一家―北九州・連続監禁殺人事件 (新潮文庫)
(2009/01/28)
豊田 正義

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消された一家 北九州・連続監禁殺人事件

豊田正義【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2009(平成21)年1月発行


この事件につきましては、残虐とか凄惨とか猟奇的とか、さういふ言葉もかすみ色褪せるやうな、むしろ無力感のやうなものに襲はれるのであります。事件当時はたぶん表立つた報道は控へられ、テレビのワイドショーなどで話題になる程度だつたやうな気がします。
ゆゑにわたくしも詳しい内実を知らず、どちらかといふと割かし軽い心持で本書を購買したのであります。それが既に数年前のこと。

ところが本書を手に取り改めて梗概を見ますと、そのあまりに凄まじい内容に読む気を失せてしまひました。それで今まで書棚の奥に眠ることになつたのですが......
どうしたはづみか、このたび意を決して読んでみませうと思ひ立ち、一気に読了しました。「一気に」読まないと、途中で投げ出してしまふからです。
なるほど、これでは茶の間に流れるニュース番組では報道しにくいだらうと思ひました。否、ほとんど読者のゐない「源氏川苦心の快楽書肆」でさへ、その詳細を書くのは憚られるのであります。そこで、新潮文庫版のカバー裏にあります紹介文をここに載せちやいます。

「七人もの人間が次々に殺されながら、一人の少女が警察に保護されるまで、その事件は闇の中に沈んでいた―。明るい人柄と巧みな弁舌で他人の家庭に入り込み、一家全員を監禁虐待によって奴隷同然にし、さらには恐怖感から家族同士を殺し合わせる。まさに鬼畜の所業を為した天才殺人鬼・松永太。人を喰らい続けた男の半生と戦慄すべき凶行の全貌を徹底取材。渾身の犯罪ノンフィクション。

信頼とか、家族愛とか、性善説とか、良心といつたものが、ここではことごとく踏み躙られてゐます。より詳しく知りたい人は、読んでみてくだされ。気分が悪くなつても、責任は負ひませんが。

北九州市の印象が悪くなるといけないので、ちよつと駄文を。ま、今までも駄文ですが。

①北九州市は、福岡県北東部の門司・小倉・八幡・戸畑・若松の各市が合併し誕生した100万都市(当時)であります。旧六大都市(東京・横浜・名古屋・京都・大阪・神戸)に加へ、七大都市と称された時期もありましたが、その後札幌・福岡・広島・仙台など地方大都市が伸してきまして、相対的に存在感が薄くなりつつあります。今さらですが、北九州市といふ市名がピンと来ない人が多いのです。

②中心は小倉で、市の中心駅も小倉駅。新幹線が開通しても「北九州駅」に改称はされませんでした。これは珍しい。小倉の名が残つたのは結構ですが、お陰で北九州市の認知度が上がりません。我が英語の師・K先生も小倉出身であります。

③高校の修学旅行で信州に行きましたが、宿屋の番頭さんが、わが校の行儀良さに吃驚してゐました。「こんなに素晴らしい学校は、昭和23年の小倉高校以来だ!」

④小倉でホテルを探さうと、駅の旅行センターでおねいさんに尋ねると、「ソープ街のホテルしか空いてませんが、それでも良いですか?」とわたくしに確認したらしいのですが、小声かつ周囲が喧しくて聞き取れず「え?どこのホテル?」と聞き返してしまひました。おねいさんは顔を赤くして「ソープ街です!」と叫びました。すまん。

⑤若戸大橋は、その名の通り若松と戸畑を結ぶ橋であります。昭和37年に開通しましたが、わづか2年後に「宇宙大怪獣ドゴラ」によつて破壊されました。むろんフィクションの話。

本当に駄文でした。いささか後悔してゐます。では御機嫌よう。

写真集 豊田いまむかし
豊田いまむかし―写真集豊田いまむかし―写真集
(1989)
不明

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写真集 豊田いまむかし

神谷力【監修】
郷土出版社刊
1989(平成元)年4月発行


わたくしが居住するところの愛知県豊田市では、今ふたたび駅前の再開発が進まんとしてゐます。
名鉄豊田市駅前は昭和30-40年代には大いなる賑はひを見せたのですが、トヨビル及び地下街の撤去、長崎屋・アピタ(ユニー)の撤退、郊外ショッピングセンターの充実などで、衰退を余儀なくされました。

地元も手を拱いてゐたわけではなく、駅西にそごう、駅東にマイカルを誘致・開店したのでありますが、この流れを止めることが出来ず、共に経営破綻の上、撤退してしまひました。(その後、そごう跡には松坂屋、マイカル跡にはメグリアが入居し、現在に至る)。
さらに、駅前通南側再開発として、複合ビル「豊田参合館」「コモスクエア」が誕生。近代的で垢抜けた施設ですが、集客の面ではイマイチのやうです。

で、いよいよ最終段階として、駅前通北側再開発工事が始まります。三菱東京UFJ銀行から旧長崎屋、三重銀行に至るまですべて取り壊し、新ビルを一挙に三棟作るさうです。どうなりますやら。とりあへず、壊される前の状態を記録に残さんと、色々と写真を取りまくつてゐます。あ、豊田市民以外には何のことやらわからないでせうな。ご無礼しました。

今回『写真集 豊田いまむかし』なる本を取り上げたからといつて、別段豊田市の歴史を皆で読みませうと主張してゐるわけではありません。テエマは郷土愛であります。もつと自らの故郷の歴史文化風俗に関心を持つても悪くはありますまい。特に若い方は、どうしても都会の方に目が行き、地元の良さを知らぬまま大人になるケースが多いやうに思はれるのです。

幸ひ、「郷土出版社」では、日本全国各地の歴史書・写真集を出版してをります。別段宣伝をするつもりはございませんが、自分の住む地域の書物がきつとありますので、愛着ある我が郷土の歴史を振り返つてみては如何ですかな。
......ちよつと値が張りますがね。

実録・警視庁公安警部
実録・警視庁公安警部―外事スパイハンターの30年 (新潮文庫)実録・警視庁公安警部―外事スパイハンターの30年 (新潮文庫)
(2010/10/28)
泉 修三

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実録・警視庁公安警部 外事スパイハンターの30年

泉修三【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2010(平成22)年10月発行


警視庁のスパイハンターとはどんなものか、その内幕を教へてくれる書物だと期待して読み始めると、その思ひは裏切られることでせう。実はわたくしも同じだつたのですが、そこで頁を閉ぢることはしませんでした。
どうやらこの本は、泉修三といふ人物が自らの半生を自慢気に、他者を愚弄しながら痛快に綴る一冊であると気付いたからであります。さうと分かれば、頭を切り替へませう。
読書に於いて、想定とは相違のあつた書物であると判明した時に、「なあんだ」と放擲することはよくありますが、実は異なる視点から勘考すれば、中中捨てがたい味を持つた内容であることも珍しくありません。それにこの本、元は「バジリコ」ですよ、バジリコ。眉間に寄つたシワも緩まうといふものでせう。

交番勤務に始まり、上野署、特車隊バレーボール分隊、イリーガル班、内閣調査室国際部、右翼対策室、国際テロ班等等、主として外事一課の花形(?)を渡り歩く。ソ連スパイや北朝鮮工作員との闘いも臨場感たつぷりに記述してをります。また「あさま山荘」などの歴史的事件にも関つたやうです。本人によると、いづれの部署でも抜群の働きをみせ、その筆致は先輩同僚後輩をほとんど莫迦扱ひしてゐます。

自分で言うのもおかしいが、不可能を可能にした、こんな離れワザをやってのけるのが警視庁にいったい何人いるだろうか。いはしまい。それだけの「ねばり」と「緻密さ」両方を兼ね備え、さらに損得抜きでやってみようじゃないかという「気概」が私にはあった」(第十一章より)

まあ全編通してこんな感じで、最後には自身のプライヴェート(女性関係など)まで開陳し、怒涛の一冊を締めくくるのであります。自慢話の連続に鼻白む向きが多いのか、本書はあまり評判が良くないやうです。もちろん捏造などがあればもつてのほかですが、事実を列記したとするなら、確かにスゴイ人ぢやありませんか。目の前でグダグダと話されるのは閉口ですが、書物なのだから問題はありますまい。あまりめくじらを立てぬやうにね......