源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
豪華特急トワイライト殺人事件
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豪華特急トワイライト殺人事件

西村京太郎【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1995(平成7)年2月発行

「トワイライトエクスプレス」(直訳すれば、たそがれ急行)の運行が終了したのは記憶に新しいところですが、JR西はその後も「特別なトワイライトエクスプレス」と称して、イヴェント列車として走らせてゐるやうです。編成もスイートとロイヤルのみの超豪華版。お値段もかなりのものですが、これが大好評らしい。みんな好きだねえ、とわたくしは斜に構へてしまひます。
わたくしにとつて、トワイライトエクスプレスはあくまでも日本海縦貫線を走破する、関西対北海道の寝台特急列車ですので、イヴェントで走る「特別な~」は、興味の対象外と申せませう。

そんな往年のトワイライトを満喫できるのは、もはやトラベルミステリイの世界でしかありません(ま、他にも有るだらうが、ここではさういふことにして)。お馴染み西村京太郎氏による、十津川警部シリーズの『豪華特急トワイライト殺人事件』であります。
やはり日本一の豪華列車を扱ふだけあつて、西村氏もかなり力を入れて執筆してゐるやうです。何しろ、ほぼ全篇にわたつて、トワイライトの車内が舞台となつてゐるのです。因みに作品中では「トワイライト・エクスプレス」と表記されてゐますが、多分ナカグロは要らないと思ひます。

十津川さんは珍しく休暇を取り、夫人とともに北海道旅行を愉しんだのであります。帰途には、航空機ではなく「トワイライトエクスプレス」を利用し、愉しい旅を締めくくる筈でした。
ところが、その列車には、かつて婦女暴行や殺人未遂で逮捕した竹内耕三なる男が出所して乗車してゐたのです。十津川も竹内に気付き、嫌な予感を抱くのであります。
その予感は的中し、まづ殺人予告のビラが撒かれ、その通りに女性が殺されます。さらに十津川警部の妻・直子も誘拐され、車内の緊迫感はMAXに達します。竹内の仕業だと分かつてゐるのに、ヤツは尻尾を出さず、証拠を掴ませないのであります。
十津川・亀井の名コンビは、いかなる方法をもつて竹内と対決するのか......?

なほ、本作は1991年頃の執筆と思はれ、普及し出した「携帯電話」が効果的な小道具として登場します。まだ、携帯電話を所持する人が極一部だつた頃。かういふ(当時の)話題のアイテムを早速取り入れる辺りも、西村氏らしいですね。

デハデハ、今回はこの辺でご無礼します。



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検事 霧島三郎
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検事 霧島三郎

高木彬光【著】
角川書店(角川文庫)刊
1974(昭和49)年8月発行
1997(平成9)年2月復刊

さて高木彬光氏も今年で没後20年を迎へました。この人もわたくしは大好きでしてねえ。ミステリイのみならず、時代小説やSF、果ては占ひの本まで、幅広く読ませていただきました。
占ひについては、自他ともに認める造詣の深さで、五島勉氏の『ノストラダムスの大予言』が大大大ベストセラアになつた際には、自著『ノストラダムス大予言の秘密』でその主張の悉くを覆し、その鮮やかさには快哉を叫んだものであります。さういへばかつて『大予言者の秘密』なる本を取り上げたこともありましたつけ。

ここでは『検事 霧島三郎』を登場させませう。高木氏の主要キャラクタアとしては、法医学者・神津恭介、弁護士・百谷泉一郎に次ぐものであります。
霧島三郎は東大在学中に司法試験に合格した秀才。本文の記述によれば「かなりハンサム」と、天から二物を与へられた人物として描かれてゐます。
竜田恭子といふ婚約者がゐて、結婚も間近と思はれたのですが、こともあらうに恭子の父が、殺人の容疑をかけられたまま、行方不明になつてしまつたのです。

捜査すればするほど、竜田氏の容疑は深まるばかり。検事といふ立場では、犯罪者の娘と結婚する訳にはいかない。結婚を諦めるか、検事を辞職するか......三郎は懊悩するのであります。
恭子に協力する寺崎、恭子を脅迫しモノにせんと企む須藤(これが嫌なヤツでね)、三郎の女房役となる北原大八、恭子の兄・慎一郎、その慎一郎と入籍したふさ子......疑へば誰でも怪しく思へる人物ばかり。
さうかうするうちに、第二第三の殺人事件が発生し、捜査陣は焦りの色を隠せません。はたして、三郎と恭子の運命は如何に? といつたところでせうか。

実は、本書を初めて読んだ時、霧島三郎の性格付けがどうもはつきりしないなあと、罰当たりな感想を持つたものです。ストオリイは面白いのに、主役のキャラクタアが弱い、残念であると。お前さんは何様だ?と言はれさうですね。
しかし再読してみたら、単にわたくしの読み方が甘かつただけでした。彼は正義感から動くだけの人物ではなかつた。それ以上に人間臭い、煩悩も人並みにある好青年。まさしく宇津井健。
かなりの長篇ですが、一気に読めます。面白いものは、古くなつても面白いと再認識しました。

ぢやあ、また。



チェルノブイリ診療記
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新版 チェルノブイリ診療記 福島原発事故への黙示

菅谷昭【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2011(平成23)年7月発行

2011年、福島第一原子力発電所の衝撃的な事故が発生した時、対句のやうに語られたのが、その丁度25年前に起きた「チェルノブイリ」の事故。
いくつかの出版物も復刊されたのですが、かういふ便乗商法は嫌だなあと、手に取ることはありませんでした。しかしなぜか本書は家に有りまして、例外的に一気に読んだ一冊であります。

著者の菅谷昭氏は、チェルノブイリ事故が起きた当時、信州大学に籍を置く外科医でした。氏は、何故だかはつきりしないが、自分は外科医として本来の道筋から外れ、あらぬ方向へ進んでゐるのではと考へてゐたさうです。これをいかに修正し、自分は何をすることによつて満たされた生に浸れるのかを、多分悶悶としながら模索してゐたのでせう。
そこへ、チェルノブイリの事故が起きます。氏は、放射能汚染による健康障害について思ひを馳せました。「この事故は今後おそらく甲状腺障害の著しい増加をもたらすだろう」(P35)と。そしてそれは氏の専門分野であります。
自分の専門知識が役立つかも知れぬと考へた時、もう氏はチェルノブイリの救援活動に参加せんと決意してゐたのでした。悶悶としてゐた自分に、「これだ!」と託宣でも受けたやうに感じたのでせうか。

ウクライナの隣国ベラルーシで数回にわたる検診の後、遂に氏は現地での滞在を決意します。約25年間勤めた信州大学を後にし、極寒のベラルーシの首都・ミンスクへ。
原発事故発生の事実がしばらく隠蔽されてゐたため、汚染地域の人々は普段と何ら変らぬ生活を続けてしまつた。結果、甲状腺がんを発病した子供たちが続出したと。
一番の犠牲になつたのは、やはり弱い立場の子供たち。手術を前に気丈に涙を堪へる子、恐怖から泣き出す子、親から離れやうとしない子......しかも不十分な施設での手術。日本でならば一度で済んでしまふ手術が、ここでは二度三度とくり返される。いっそう子供たちの身体への負担は大きく伸しかかるのであります。

ベラルーシでの医療現場の実態は充実したものとは言へず、衛生上も問題があり、医療器具についても切れないメスや鋏を無理やり使つてゐました。日本ならば、とつくに捨てられる道具類であります。
看護師たちスタッフの待遇も悪いので、ほとんどが他でアルバイトなんかをして、医療に専念できる状態ではないと。時間が来たら即帰るので、緊急の手術なんかは出来ませんな。病院側の都合で、突如手術を中止することもあるさうです。すべては予算がないためだからとか。
ところがその一方で、国立のバレエやオペラの劇場は贅を尽くした作りで、まことに金をかけてゐるのを見て、菅谷氏は憤りを感じてゐます。文化芸術を重視するお国柄なのか、経済不況に喘いでゐる国の施設とは思へなかつたとか。

五年半に亘るミンスク滞在を終へて、2001年に著者は日本に帰国します。本書はあくまでも外科医としての視点から医療現場を語つてゐますが、控へ目ながら日本の原発政策についても提言がなされてゐます。本人が言うふやうに、本当にすぐにでも取りかかれることばかりなのですが、政府はお金にならないことはしませんからね。財界が喜ばないことはしないのです。
それはそれとして、現地での医療チームとの交流や患者との触れ合ひ、非番時の街巡りなど、ほつとする話題の記述もありまして、深刻一辺倒の書物ではありません。万人向けの一冊と申せませう。

なほ、著者は現在、長野県松本市の市長(三期目)を勤めてゐるさうです。

ユーラシア大陸飲み継ぎ紀行
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ユーラシア大陸飲み継ぎ紀行

種村直樹【著】
徳間書店刊
1996(平成8)年5月発行

先達て、テツ俳優の六角精児さんが某局のテレビ番組にて、「呑み鉄」と称してJR七尾線及びのと鉄道を旅してゐました。
乗り鉄撮り鉄模型鉄その他色色あるけれど、呑み鉄とはまた聞きなれない言葉。まあ言はんとするところは何となく分かりますが、念の為に番組の解説から引用しますと、呑み鉄とは「「鉄道」と「酒」をセットで楽しむ鉄道ファンのこと。土地の酒を目的として旅する人、車窓の景色を肴に呑む人…そのタイプはさまざま。」 ださうです。呑むなら乗るなのクルマでは絶対に出来ない、愉快な旅でした。

しかし、20年も前に、この呑み鉄を実践した人がゐました。しかも舞台はユーラシア大陸横断とスケイルがでかい。総延長は17000km。1700ではありませんよ、17000であります。
その人こそ、本邦初の「レイルウェイ・ライター」を名乗つた故・種村直樹氏。それまでにも、遊び心のある乗り継ぎ旅をさんざん繰り返してきた種村氏ですが、それらに比しても超大型企画であります。訪問した国は、順番に挙げると、ポルトガル・スペイン・フランス・イギリス・ベルギー・ドイツ・チェコ・ポーランド・ベラルーシ・ロシア・カザフスタン・中国となります。
ポルトやコニャック、酒泉、紹興など酒に関はる土地を巡りながら、あくまでも観光はおまけで、ひたすら飲み続け、乗り続けます。

種村氏の旅は一人旅は少なく、グループ旅行が多いのですが、流石に今回は海外の鉄道を25日間も乗り続ける旅のため、普通の勤め人には参加するのが難しい。そこで愛称「ライオン」氏のみが同行する二人旅となりました。
ポルトでのポートワインに始まり、シェリー酒、ビール、ウヲツカ、コニャック、ウィスキー、白酒......種村氏、ライオン氏ともにのつけから飲みまくります。鉄道:飲酒の比率は3:7くらゐでせうか。読んでゐるわたくしにまで酒の匂ひが漂つてきさうです。こちらは飲んでもゐないのに酔ひさうであります。
流石に一週間後には種村氏が、二週間経つてライオン氏がダウンします。ああこの人たちも人間だつたなと、少し安心しました。しかし回復すればまた酒酒酒......ビールは水みたいな感じです。

ベルリンの壁崩壊やソ連消滅からまだ数年の当時、治安も通貨も不安定な場所もあり、中中スリリングでもあります。身の危険が迫ることはなかつたやうですが、不便を強ひられ、不快な思ひもしたやうです。
それでも、車中で意気投合したカザフスタン人の「アルドゥル」氏や、中国の美人ガイド趙さんなど、心に残る出会ひもあり、様様な人たちに助けられ、最後は千葉県の酒々井(「しすい」と読む)で締めます。

種村氏本人の言によると、「飲み継ぎ紀行」日本篇も予定してゐたとか。残念ながら実現することなく終つてしまひました。後年、種村氏はくも膜下出血で倒れて以降、仕事量がグンと減つてしまひ、ライフワークの「日本外周の旅」を完成させる方へ力を注いだ感もありますので、やむを得ないのでせう。それを思へば、元気なうちに、かかる大旅行を敢行できたのは、まことに慶賀すべきことなのでせう。

では、また。



刑事一代 平塚八兵衛の昭和事件史
無題

刑事一代 平塚八兵衛の昭和事件史

佐々木嘉信【著】
産経新聞社【編】
新潮社(新潮文庫)刊
2004(平成16)年12月発行

落としの八兵衛」こと、平塚八兵衛氏の聞き書きを中心とした、昭和犯罪史とでも申せませうか。
八兵衛氏は「花の捜査一課」で30年以上勤めあげた、現場の刑事一筋に生きてきた人。巡査に始まり、最終的に警視にまで上り詰めますが、そのすべてが無試験での昇進といふ、異例中の異例の経歴を持つ刑事さんでした。
彼の名声を高めた「吉展ちゃん事件」をはじめ、「帝銀事件」「小平事件」「スチュワーデス事件」「下山事件」「カクタホテル殺人事件」、そして「三億円事件」と、戦後の重大事件の多くに関つてきたのであります。えー、このうち「カクタホテル」は、わたくし不勉強にして存じませんでした。いや、お恥かしい。

「吉展ちゃん事件」で明らかなやうに、この人の取り調べは、被疑者の過去を徹底的に洗ひ、「悪事を暴く」のではなく「どんな良いことをしてきたのか」を調べ上げ、「この人は俺の味方だ」と被疑者に思はせるところに特徴があるやうです。以前取り上げた『捜査一課秘録』にもさう書いてありましたね。攻めるばかりが落としではない、凶悪犯といへ一人の人間であるとばかりに接する。しかし「ここだ!」といふ局面では容赦はしません。近年は何かと人権問題が五月蝿いですが、「被害者の人権はどうなる!」と、八兵衛流を貫きます。よつて上司と衝突したり、圧力をかけられたりは日常茶飯事だつたとか。

何しろ凶悪事件ばかりなので、本書を「面白い」と評すれば不謹慎の誹りを免れませんが、やはり八兵衛さんの語りは読む者を惹きつけます。聞き書きの醍醐味ですな。その語り口は、がらつぱちながらも、自らの足で捜査したといふ自負からか、独断に陥らぬやうにとの慎重さも窺はれます。
しかし「下山事件」では、徹頭徹尾自殺説を取り、これに関しては取りつく島がありません。取材に来た松本清張氏が、「なるほど、これはやはり自殺なんですな」などと納得して帰つたかと思つたら、『日本の黒い霧』では他殺説を取つてゐて、八兵衛氏が不満を表明するところがあり、笑つてしまひました。

全体の三分の二以上の分量を占める「三億円事件」については、一転して読むのが辛くなります。
犯人を補足することなく時効を迎へ、その投入した人員、資金、時間を考へると、結果的に大いなる無駄足を七年間にわたり続けてしまつたといふこともありますが、「落としの八兵衛」としては、一度も被疑者と対面することなく、地道な捜査のみで実りがなかつたといふ徒労感もあるでせうね。

元々八兵衛さんは、「三億円事件」には関つてゐませんでした。当初物証が続々出てきたこともあり、直ぐに犯人は割れるだらうと上層部は軽く考へてゐたらしい。数日で決着が付くだらうなどと、見通しが甘すぎたのです。
結果、八兵衛さんが「最後の切り札」として招集されたのが、事件発生後四か月も経つてからのこと。その時には既に、捜査はしつちやかめつちやかに掻き回された後で、流石の八兵衛さんも勝手が違つたやうです。
例へば犯人が残した帽子やコート。何と当初は鑑定に回してゐなかつたとか。最初期で汗や指紋の採取が出来てゐれば、犯人に繋がる手がかりがつかめたかも知れませんが、八兵衛さんが参加したときには、あらゆる人間がその第一級の物証に関つた為、もう特定が出来ない状態でした。八兵衛さんとしては、恨み節の一つも出さうですが、さういふ言ひ訳は一切してゐません。潔いのであります。

伝説的名刑事による、もうひとつの戦後史。初版から約30年ぶりに文庫で復刊された意義は大きい。もうこんな刑事は出ないだらうと思はれますが、その精神は現役刑事にも引き継いでいただきたいものであります。



愛の妖精(プチット・ファデット)
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愛の妖精 (プチット・ファデット) 

ジョルジュ・サンド【著】 
宮﨑嶺雄【訳】
岩波書店(岩波文庫)刊
1936(昭和11)年9月発行
1959(昭和34)年3月改版

邦訳では副題のやうになつてゐる「プチット・ファデット」といふのが原題であります。「小さなこほろぎ」の意味だとか。つまり愛も妖精も関係ありません。何故かういふ邦題になるのか、誰か説明できますか?

舞台はコッス村なる田園地帯。コッス村のバルボーさんの家に双子が生れました。兄のシルヴィネと弟のランドリーであります。
村の言ひ伝へでは、双子は一方が他方を成長させる為に、必ず早死にするといふ。で、それを避けるために何方かを奉公(里子)に出すのださうです。この二人の場合は、体も大きくしつかり者の弟・ランドリーが、体力に劣り甘えん坊気質の兄・シルヴィネを慮つて、自ら家を出ます。中中出来た弟。

一方、村にはファデ婆さんなる魔女(?)がゐて、孫娘のファデット(こほろぎ)とその弟(ばつた)を養育してゐました。この一家は得体の知れぬ魔法を駆使するといふので、村人たちから嫌はれ恐れられてゐたのです。ファデットも口を開けば憎まれ口ばかり叩き、身なりもみすぼらしく顔も黒く不器量な娘であるといふことで、皆から敬遠されてゐたわけです。バルボーさんちの兄弟も例外ではありません。なるべく接点を持たぬやうにしてゐた節があります。
ある時、シルヴィネが行方不明となり必死に探すランドリーに、ファデットは条件付きでシルヴィネの居場所を教へます。これ以降、ランドリーとファデットは徐々に接近し始めるのであります......

ストオリィとしては特段にヒネリが無く、予定調和といふ意見も聞こえてきさうですが、ファデットが「目覚め」てからの展開は、ちよつと感動ですよね。ランドリーと交際して以降の彼女は、幼さが消え身だしなみに気を使ふやうになり、実は器量よしではないかと思はれ始め、性格も棘がなくなり他人の痛みを理解する素敵な女性に成長し、それまでチヤホヤされてきたマドレーヌさんがまるでつまらない女性であつたことを露見させてしまつた。

ファデットがランドリーにその心根を告白するシーンや、(自分を敵視してゐた)シルヴィネが病に伏した時の治療の様子などは、ゾクリとさせられる程の筆力と申せませう。
誰もが経験したであらう、揺れ動く思春期のリリシズムを描いて余すところがありませぬ。今後も読み継がれて欲しい一冊なのであります。
ほら、そこの君も喰はず嫌ひをせずに、読みませう。

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オイドル絵っせい 人生、90歳からおもしろい!
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オイドル絵っせい 人生、90歳からおもしろい!  

やなせたかし【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2012(平成24)年9月発行

小学校の音楽の教科書に載つてゐた「手のひらを太陽に」。この曲でもつて、作詞の「やなせたかし」さん、作曲の「いずみたく」さんの名を知りました。二人とも平仮名なので、印象に残つたものです。
時は流れて、「アンパンマン」が人気者になるにつれて「やなせたかし」の名も売れ始めたのですが、わたくしの中では、「どこかで聞いたことのある名前だ」といふ認識で、あの「手のひらを太陽に」のやなせたかしさんと同一人物と気付かなかつたのであります。

アンパンマンの人気が上昇するにつれ、作者のやなせさんも知名度が上がり、仕事も増え、忙しい日々となつてゆくのであります。しかしその時、やなせさんは既に50代後半。
『「俺は老人の星なんだ/老いたるアイドル/オイドルだ」/なんて気取っても/年のせいだと許されよ/九十年は夢みたい/さあこれからがおもしろい』(「はじめに」)
ポジティヴですねえ。年間自殺者が三万人を超えるといふニュースに心を痛め、長生きすればおもしろいことがあるぞと思つてくれる人が増え、結果自殺者が一人でも減ればと願ひ、本書のタイトルとしたさうです。

本書は高知新聞で連載されたものの抄録といふことです。エッセイについては自信がないと記してゐますが、どうしてどうして。これがすこぶる心地良い文章なのです。ミュージカル、病気、アンパンマン、自作キャラクタア、社会風刺など話題はさまざま。何を語つても、とにかく前向き。抑制されたユウモワに読者の頬も緩みます。文は人なりと言ひますが、一読してやなせさんの温かい人間性が想像できます。

やなせさんは2013年、94歳で帰らぬ人となりました。しかし、晩年がこれほど充実してゐた人が他にゐるでせうか。最晩年にピークがやつてきた、稀有な人生。読む人のすべてに(一部のひねくれ者を除く)勇気を与へてくれる一冊と申せませう。



ずこいきり
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ずこいきり

源氏鶏太【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1979(昭和54)年1月発行

石川達三氏に続き、源氏鶏太氏も没後30年を迎へます。
超超超流行作家だつた源氏氏。あれほどの作品を量産した人も、現在では知る人も少なくなり、古本屋ですらその著書はあまり見かけなくなつてをります。まあ、だからこそ「流行作家」なんでせうがね。
因みに「源氏川苦心」の名は、源氏鶏太から採つてゐるのだらうなどと推測する御仁がたまにゐますが、それは事実とは違ふのであります。なんて話は誰も興味無いよね。

表題の「ずこいきり」とは、源氏氏の郷里でもある富山の方言なのださうです。「ずこ」は頭の意で、その「ずこ」がすぐに「いきり」たつことを差すとか。それも正義感を背景に、弱者の立場に立つ人物。この小説以外でこの言葉を聞いたことがありませんので、現在でも使ふ人がゐるのかどうか。

入社三年目のサラリーマン、青山庄平くんが、その「ずこいきり」。彼は同僚から、こじれた別れ話の決着を代理でつけてくれと、ムシの良い話を頼まれます。人の良い庄平は引き受けてしまひ、相手の女性に会ひに行きますが、何と女性側も代理を起用してゐたのです。この代理人が鴨井ちあきといふ中中魅力的な女性で、庄平くんは彼女に一目惚れしてしまふのです。

一方、悪い女に引つ掛かつた会社の先輩の為にも、交渉役を引き受けます。その女性には「俺は荒馬だァ」なるヒモが付いてをり、このヒモに百万円もの金額を要求させられ、連日脅されてゐたのであります。誰もが恐れる「俺は荒馬だァ」に対して、我らが「ずこいきり」は、如何に立ち向かつて行くのか......?

『ずこいきり』は、1972(昭和47)年に発表されました。実は源氏作品としては、既に後期に含まれるものであります。快男児サラリーマンもので一世を風靡した源氏氏ですが、実はこの時期、ユーレイものなどのオカルト作品とか、若い女性の自立を描く作品とかが中心になつてゐました。

そこへこの『ずこいきり』。初期作品の復活かと思はれたのですが、時代を反映してか、より現実的な「快男児」を描いてゐます。初期の主人公は、単純明快、名前も単純(「昭和太郎」とかね)、ちぎつては投げの痛快篇が多かつたのですが、本作の青山庄平くんは、それに比べてちよつとキャラクタアが弱い。結局は弱者の味方になるのですが、それも上司から「ずこいきり」とおだれられた挙句の行動であります。
その物足りない主人公を補ふのが、鴨井ちあきと、その先輩たる小野田祥子といふ魅力的な二人の女性。彼女たちが、実に小気味良く庄平くんを刺激します。

まあ、肯定的に言へば高度成長も終焉を迎へた時期に相応しい主人公とも申せませう。
で、今「ずこいきり」といふ言葉を調べたら、どうやらあまり良い意味ではなささうですね。おやおや......



充たされた生活
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充たされた生活

石川達三【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1980(昭和55)年5月発行

今年は石川達三氏の生誕110年、同時に没後30年といふ節目の年であります。『四十八歳の抵抗』の項でも触れましたが、純文学系の作家としては多作で、各出版社から話題作を連発し、映画化された作品も少なくありません。第一回の芥川賞受賞者でもあります。
戦後の代表作たる『青春の蹉跌』を我が家の書棚から探しましたが、ちよつと見つからず、ここでは『充たされた生活』を急遽送り出す次第であります。

主人公朝倉じゅん子は、夫の吉岡弦一に愛想を尽かし、離婚します。この吉岡なる男はいい年になつても、夢ばかり語り、現実を見ない。別れを告げられても案外あつさりと引き下つてしまふ。じゅん子は離婚後、生活の為に、独身時代に所属してゐた劇団「白鳥座」へ復帰します。新劇女優としての再スタアト。この復帰に力を貸してくれたのが、劇作家・演出家の石黒市太郎。
石黒は一見豪快で口も悪く、傍若無人な外見を見せますが、実際にはその逆で、まことに繊細な人物。故に女性たちからの人気も絶大であります。しかし二度の離婚歴があります。

白鳥座の役者・宇田貞吉は妻と死別。子供とも別れ、完全に独り身となつてゐます。彼は地味だが誠実で、じゅん子に好意を抱いてゐます。
じゅん子の行動基準は、「その結果、心は充たされるか」のやうです。充実した生を求め、色色遠回りもします。石黒・宇田の両者から求婚されますが......果たして充たされた生活にたどり着けるのでせうか。

アパートの隣家には学生の辛島君がゐて、じゅん子と何かと接点を持ちたがります。若干女性的で、まだ子供つぽいところが残り、じゅん子は適当にあしらつてゐます。しかし少し優しくすると直ぐに付け上がるところがあり、男としての危険性も排除出来ません。この辛島君は学生運動に明け暮れ、安保闘争に熱中してゐます。この闘争を通じて、辛島君は男らしい青年に成長し、充実した生を得たかに見えます。

他に女性陣としては、森下けい子や里村春美が、妻子ある男性との不倫を通じて充たされた生活を求めますが、結局は社会の制裁を受ける形になります。
田辺元子は白鳥座を代表する大女優。その座を維持するために、結婚も子供も諦めたやうな感じです。彼女は、それなりに充たされた生活をしてゐるやうに見えますが......

要するに、充たされた生活とは何か。それを発見することなのだ。充足の条件は、男と女とでは違うかも知れない。性格により、立場により、教養の差によって、充足の条件は一つではあるまい。しかし基本的な条件は、さほど多種多様ではないと思う。つまるところ、(私は何によって充たされるか。)それを見出すこと。そしてその為に準備すること。(本文より)

「充たされた生活」を巡つて、多くの男女が苦悩し、呻吟するドラマであります。小説として、まことに纏まりがあり、構成がガッチリしてゐますので、読物としても愉しめる一作であります。
尚、本作は有馬稲子さん主演で、映画化されました。



そして殺人者は野に放たれる
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そして殺人者は野に放たれる

日垣隆【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2006(平成18)年11月発行

これも随分前に購入済だつたのですが、いざ読めば腹が立つてしようがないだらうなあと、中中手に取らなかつた一冊であります。
恐らく多くの人は、日本の刑罰はおしなべて甘い、日本は犯罪者天国だと感じてゐるのではないでせうか。わたくしもその一人で、罪に応じた刑罰を与へていただきたいのですが、実態は精神状態だの、被告の置かれた立場や恵まれない生ひ立ちだの、本人は反省してゐるだの、様様なレトリックを駆使して、少しでも罪を軽くする傾向がございます。
それならば不幸な境遇の人は罪を犯しても不思議ではないのか、反省すれば罪は軽減されるのか、いつも疑問に思つてゐました。そもそも反省したかどうかなんて、本人以外に分かる訳が無いぢやありませんか。

そして容疑者の人権は120%考慮する癖に、被害者への配慮がまるで足りないといふ点も同意するところです。「心神喪失」のお墨付きを貰つた加害者は、報道でも仮名で発表され、一方で被害者はずばり実名が表に出ます。
「序章」で取り上げられてゐる、兵庫県明石市で起きた通り魔殺人事件でも、被害者が救急車で運ばれた病院からの請求は、すべて被害者の母親が支払つたのに対し、この凶悪犯が自業自得で怪我をした治療費は、国が全額負担したさうです。

この年、日本全体で加害者には総計約四六億円の国選弁護報酬と、食糧費+医療費+衣服費に三〇〇億円も国が支出した。対照的に、被害者には遺族給付金と障害給付金を合計しても五億七〇〇〇万円しか払われていない。(序章より)

我が国はお金の使ひ方がまるで出鱈目であるなあと常日頃から思つてゐますが、やつぱりをかしいですね。

それでも厳罰が待つてゐるならまだ救ひがありますが、現実には「心神喪失」の鑑定を受けて不起訴になつたり、減刑されたりします。この拠り所となるのは、本書にも度度出てきますが、刑法39条といふ条文であります。即ち。
刑法39条 
1 心神薄弱者ノ行為ハコレヲ罰セズ   
2 心神耗弱者ノ行為ハソノ刑ヲ減刑ス

といふもの。
これにより理不尽に罪から逃れた人物がどれだけゐたことか。逮捕後、加害者は異常な言動を見せれば、「責任能力の有無」を判定するため、忽ち精神鑑定にかけられます。そして鑑定者は弁護士の主張を取り入れた判定を下す。仰仰しく精神鑑定などと言つても、要するに客観性の低い、感想文みたいなものです。
無罪放免となつた加害者は、野に放たれた後、再犯を繰り返す。「俺は捕まつても、心神喪失で直ぐに出られる」と豪語する輩もゐるさうです。
また、覚醒剤が原因の犯罪でも、飲酒運転による交通死亡事故(こんなのは殺人と変りませんね)、を起こしても、責任能力無しと判定され再び野放しにされる(通常の状態なら罰せられるのに、であります)。著者が繰り返し述べるやうに、この国は本当に法治国家かと疑ひたくなります。
ハンムラビ法典の「目には目を」、江戸時代の「仇討」など一見前時代的と思はれる制度も、むしろ合理的とさへ思はれるほどです。お仕置集団「ハングマン」のドラマが大人気だつたのも頷けます。

ああ、やつぱり腹が立つてきました。しかし「読まなきや良かつた」とは思ひません。無関心では、いつまで経つても変りませんからねえ......



名古屋「駅名」の謎
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名古屋「駅名」の謎 「中部」から日本史が見えてくる

谷川彰英【著】
祥伝社(祥伝社黄金文庫)刊
2012(平成24)年9月発行

谷川彰英氏は、地名研究で有名な人。「駅名」の謎シリーズでは、既に「大阪」「京都・奈良」「東京」があり、本書は第四弾といふことになります。
本書にも断りがありますが、「名古屋」と言ひつつ、市外の尾張や三河、果ては岐阜県の美濃まで範囲を広げてゐます。これは、「名古屋鉄道(名鉄)」の沿線範囲を考慮した結果のやうです。

わたくしは地元ですので、登場する駅名はすべて存じてゐますが(冒頭の「駅名検定」は当然満点を取りました)、その由来については知らない事も多く、中中興味深いものがあります。最近、他県から来た人に「何でこんな地名になつたの?」と聞かれる事も増えてきてゐまして、本書をカンニングペーパーにしやうといふ魂胆もあります。

例へば―
(かつては「サコ」と発音)と栄生(サコオ)の関連は、ああやつぱりといふ感想。
黒川が人名(黒川治愿氏)に由来してゐたとは知りませんでした。
鶴舞(ツルマ&ツルマイ)問題は、由来からすれば「ツルマ」なんでせうが、名古屋人が発音すれば「ツルマ」も「ツルマイ」も「つるみやあ」になるので、地元では余り拘泥してゐないとか。
・豊川市の「国府(こう)」は最近よその人にも知られる事が多くなりました。豊田市駅で、東北弁の男性二人組の会話をぼんやり聞いてゐると、一人は国府を正しく「こう」と読み、もう一人の男性は「へえ、あれをコウと読むのか」と路線図を見上げながら感心してゐました。国府高校(こうこうこう)もあります。
・わたくしの好きな駅名「前後」は、元元「東海道に向ひ前の郷=前郷」から前後に転じたさうです。豊明市には「阿野」「前後」の二駅がありましたが、豊明の中心駅として期待を込め「阿野」を「豊明」に改称しました。しかしその後、案に相違して「前後」周辺が開発され、実態としてはこちらが中心駅となりました。予想が外れた形ですが、「前後」が残つて良かつた喃。

あまり専門的に深く踏み込んでゐない分(踏み込まれても素人には困るが)、門外漢にも気軽に読め、ここで仕入れた知識を周囲にひけらかして、刹那的な(つまり外交辞令的な)尊敬を受けることも可能であります。
それにしても地名は面白いですなあ。



13日間で「名文」を書けるようになる方法
無題

13日間で「名文」を書けるようになる方法

高橋源一郎【著】
朝日新聞出版(朝日文庫)刊
2012(平成24)年4月発行

高橋源一郎さんは、実は明治学院大学の教授といふ肩書もありまして、本書は同大学での講義を纏めたものであります。
講義のタイトルは「言語表現法講義」。書籍化の際もこの表題で良かつたのに、何だか安直なハウツーものみたいな書名になつてしまひました。しかも看板に偽りあり。著者は学生たちに、決して「名文」を書かせやうとはしてゐません。

今さらですが、そもそも「名文」とは何か。高橋教授は、自分にも分からないと白状します。誰でもが認める「名文オブ名文」みたいなものは、存在しないのぢやないかと。Aが名文だと感じる文章を、Bは箸にも棒にも掛からぬ駄文だと斬り捨てることもあり得る。
と同時に、誰か一人でも「すげえ!」と感じるなら、それは名文ではないかとも。
とにかく破天荒な先生であります。初日の講義はプロローグみたいなものですが、そのタイトルは以下の通り。

「「名文」を書けるようになるための準備、それから
「卑劣な男は叱りつけてやりなさい」というような素敵な文章を
読んだ後は、とりあえず窓の外を眺めてみる、ということ」


何のことかは、まあ読んでみてくだされ。
そして高橋先生は、毎回作文の宿題を出します。そのお題は「自己紹介」「ラヴレター」「憲法」「自分以外の誰かになって文章を書く」「演説」「詩」......制約は一切なし。自由に書かせます。その成果は、次回の講義時に発表し、参加者の意見を求める。
提出された作文に対しては、全く手を加へません。添削先生ではないのであります。他の学生が頓珍漢な感想を述べても、否定的な言辞を弄さず、全てを肯定する授業。

一口に文章を書くと言つても、その行為の背景には、自分と他者(社会)との関係が否応なしに浮び上ります。言ふなれば、高橋先生はその関係について学生たちと一緒に考へやう、といふ姿勢に見えます。
この講義を受けたからと言つて、学生たちの文章力が忽ち上達するといふことはないかもしれません。しかし今後何かしらの文章を書く時に、「自分の文章」をきつと意識して書くやうになるでせうね。音読することで自分の文章を突き放して客観的に感じることが出来、常に読者(誰に読んで貰ふのか)を意識する。それだけでも十分に意義のあることではありますまいか。何より高橋先生の名調子に身を委ねるだけで、心地良く夜も寝られさうですよ。

といふことで、わたくしの雑で手前勝手な文章を終ります。では。