源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
隠蔽捜査
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隠蔽捜査

今野敏【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2008(平成20)年2月発行

知り合ひの甘木さん(内田百閒ふう表記)お薦めの作家といふことで、初めて今野敏さんの作品を読んでみました。本屋へ行くと、実に多くの著作がありますね。何を選んだら良いのか分からぬので、「警察小説の歴史を変えた、吉川英治文学新人賞受賞作」との惹句に導かれて、『隠蔽捜査』を手に取つた次第です。隠蔽。良い響きであります。

主人公の竜崎伸也といふ人は、警察庁の官房長官。キャリアであります。仕事は出来るが、原理原則を重要視するあまりの融通の利かぬ性格ゆゑに、変人扱ひされ周辺とはイザコザが絶へません。
家庭でも同様であります。家の事は女房の仕事。俺は天下国家の為に尽くす、選ばれた人間なのだ。明治時代の人間が現代にタイムスリップした訳でもありますまいに。
せつかく有名私大の入試に合格した長男に対し、東大以外は大学に非ずと諭し入学させず、東大受験のため浪人させたり。今は理解できないだらうが、今に俺に感謝する時がくる、うん。なんてね。しかし合格しても入学させぬ大学受験を容認させたのは不可解ですな。
娘が元上司の息子との縁談について悩んでゐます。断つたらお父さんに迷惑がかかるんぢやないかしら。「(彼と結婚したら)お父さんにとって都合がいいんでしょう?」と娘に聞かれ、普通なら「お父さんのことは気にするな」とでも言ひさうなものなのに、「たしかに都合はいいな」と言ひ放つ。全く他意が無いだけに始末が悪いのです。

さて、足立区で殺人事件が発生しましたが、マスコミ対応すべき竜崎には報告が上つてきませんでした。竜崎は激怒し、警視庁の刑事部長・伊丹俊太郎を呼び出し情報を得ます。伊丹は竜崎の幼馴染で、周囲からは「親友」「名コンビ」と目されてゐるのですが、竜崎自身はまつたくそんな意識はなく、小学生時代に伊丹(の取り巻き)からいぢめに遭つてゐた苦い思ひ出しかありません。
その殺人事件の被疑者は暴力団員で前科がありました。続いて、さいたま市内でも殺人事件が起きます。これは足立の件と関連があるぞ。被疑者たちには共通の過去があり、次々と新たな事実が露見します。どうやら、少年犯罪に関はる問題が潜んでゐるやうです。そして、警察にとつて、最悪の事実が......
あくまで隠蔽し、もみ消す方針に一人敢然と挑むのが、当然我らが竜崎であります。奴らは危機管理のイロハが分かつてゐない。これは、日本の警察組織全体を揺るがす問題なのに、認識が甘すぎる......

犯人を特定するきつかけが、余りに単純で一寸拍子抜けするところもありますが、トリックを見世物にする話ではないので、それはまあいいでせう。竜崎伸也といふ、過去には中中類のない魅力的な人物を主人公とすることで、斬新な読後感を与へてゐます。
通常なら、竜崎みたいな四角四面な朴念仁は、小説やドラマでは敵役、嫌味な奴として登場することが多いと存じますが、ここまで強烈なキャラクタアを持つた主役に据える設定は、確かに目新しい。この『隠蔽捜査』はシリーズ化されて、続篇も次々と出てゐるやうですので、ぜひ読んでみようと思はせます。

しかし実際に竜崎みたいな人が身近にゐたら、やはり迷惑でせうね......



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日本探見二泊三日
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日本探見二泊三日

宮脇俊三【著】
角川書店(角川文庫)刊
1994(平成6)年3月発行

月刊誌「旅」にて、「日本ふるさと探見」の題で連載されてゐたものをまとめた一冊であります。単行本刊行時に、『日本探見二泊三日』に改題されました。その理由は、宮脇氏によると「一泊や三泊もあるが、大半が二泊三日なので」ださうです。かういふアバウトさは嫌ひではありません。しかし、そもそも改題の必要はあつたのか、元の題でも良いぢやないかと勘考するところです。

本書の概念は、単行本の帯にある惹句によると、「ねらい目は、B級旅行地」ださうな。B級なになにといふ言ひまはしは余り好きではないけれど、まあ言はんとするところは分かります。
即ち、旅行ガイドには必ず載つてゐて、大ホテルが林立し観光バスが雁行する有名観光地を仮にA級とするならば、逆に秘境と呼ばれ、交通不便で訪問には若干の体力と忍耐を要する、知る人ぞ知る穴場をC級だと思ひなされ。「観光地にランク付けするな!」と叫ぶそこのお方、ごもつともな意見ですが、ここは目を瞑つてください。
その中間に当る、A級ほどの知名度は無いが、C級ほどの秘境ではなく、それなりの交通機関は通じてゐて、まだ自然も残されてゐる場所が本書の狙ふところであります。

そんな基準で登場するのは、熊野古道・親不知・豊後水道と日豊海岸・秋田・南淡路・阿武隈・五島列島・夕張・広島県三次・四国お遍路・岐阜県蛭川村などであります。
熊野古道なんかは、現在では超有名観光地ではないかと思ひますが、連載時の27年前の時点ではそれほどでも無かつたのでせうか。

宮脇氏は編集部の注文に対し、真正面から向き合ひ応へてゐます。必ずしも鉄道に乗れる旅ばかりではないのに、ご苦労なことであります。
熊野古道では雨に祟られ、秋田で「火振りかまくら」を体験し、日豊海岸に「昔の日本」を感じ、阿武隈の霊山では足がすくむやうな道に肝を冷やして、五島列島では隠れキリシタンにインタビューし、炭鉱からメロンへの変貌を遂げた夕張で感慨に耽る。
或は、三次の江川で鵜飼を愉しみつつ鵜を哀れみ、四国八十八か所のキセル体験をし、蛭川村でマツタケを採取しながら「マツタケに眼の色を変えるのが阿呆らしいような気がしてきた」と言ひ放つ。

かういふところでこそ、日本の良さはより深く味はへる。無論宮脇氏と同じやうな旅をする必要はありませんが、先入感に捕はれずに自らの五感で体験すれば、例へ有名観光地でなくても、記憶に残る旅のポイントは有ると申せませう。
まあ、どこへ旅行へ行つても日常の延長の遊びを期待し、著名な行楽地が無い土地では若干の優越感と僅少の侮蔑を含んで、「なんだ、何もないところだね」と呟く人々には無縁の一冊かなとも思ひます。

と、いささか挑発的な言辞を持つて、本項を締めくくることにしませう。
ぢやあまた、今日の日は左様なら。


散るぞ悲しき
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散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道

梯久美子【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2008(平成20)年8月発行

戦記はあまり読まない方でありますが、本書は硫黄島の戦ひの経緯よりも、総指揮官であるところの栗林忠道の人物に焦点を当てたらしいといふことで手に取りました。

さる事情から栗林忠道に興味を持つた著者は、かつて栗林に仕へてゐた軍属の一人に取材を試みます。そこで判明したことは、栗林が大本営に宛てた「決別電報」が、本人が書いたものと発表されたものが違つてゐた、といふことです。
徒手空拳」といふ、栗林の無念を伝へる言葉が削除されてゐたり、逆に原文には無い「壮烈なる総攻撃」などの、勇ましいフレイズが数か所に挿入されてゐたのであります。
加之、辞世の歌の一つ「国の為重きつとめを果し得で矢弾尽き果て散るぞ悲しき」の最後の部分が、「散るぞ口惜し」と改変されてゐました。

大本営としては、「悲しき」とは何と女々しいことよ、こんな士気に関はる言葉を公にする訳にはいかぬ、といふところでせう。しかし、「悲しき」としか表現し得なかつた栗林中将の心根はもつと複雑なものでした。
著者の梯久美子氏は、かういふ栗林中将の人間性に興味を持ち、この一冊を世に問ふことになつたさうです。

そもそも栗林中将が硫黄島へ赴いたのが1944(昭和19)年の6月のこと。既に戦況は厳しく、着任を命じた東條英機も、「アッツ島のようにやつてくれ」と栗林に告げたさうです。即ち、壮絶な玉砕を遂げよ、といふことですな。
もはや米国との戦力差は誰の目にも明らかになり、硫黄島でも、敵に勝つことを期待してはゐませんでした。ただ一点、米軍の本土上陸を少しでも遅らせるために踏ん張つてもらひたい。即ち、最後の一人になつても退却せず戦死するまでそこに踏み止まれ、といふことであります。

かういふ任務を帯びた指揮官の心中とは如何なるものでせうか。とにかく、部下には「犬死」だけはさせまい、負けると分つてゐるいくさでも、必ず意味のある戦闘をさせやうと考へてゐたフシがあるやうです。
栗林中将は、ゲリラ戦に賭けます。戦略上の常套作戦となつてゐた「水際作戦」を廃し、地下に壕をめぐらし、奇襲攻撃で一人でも多くの敵兵を斃す。「特攻隊」精神の「バンザイ攻撃」はならぬと禁じます。水も食料も十分な兵器もない状態での戦闘。それはわたくしたちの想像を絶する凄惨さであつたに相違ありません。皆早く突撃して終りたかつたことでせう。
しかし兵士たちは栗林の指揮に従ひ、忠実に作戦を実行します。それまでの日本軍とは大きく違ふ作戦に、米軍も手を焼いたことが記録に残つてゐます。
結果、「あんな島は、三日で落とせる」と豪語した米軍の予想に大きく反し、36日間持ち堪へました。米兵も二万人以上の死傷者を出すなど、米軍としては予想以上の被害を出した訳です。
尚、栗林中将の最期については諸説あり、詳らかではないさうです。

さて、本書では栗林忠道が家族に宛てて書いた手紙が多数紹介されてゐます。これを見ますと、実に筆まめな人のやうですね。
妻に宛てた手紙の多くは、生活臭溢れるものが多くて、微笑ましくなるものもあります。「お勝手の下から吹き上げる風を防ぐ措置をしてきたかったのが残念です」とか。
「お勝手の風」については、かなり気掛かりだつたやうで、やり方を図示して「太郎(長男)にでも早速やらせるとよい」「それでもできない間は、悪い薄べりを二つ折りにして敷くか「ルービングペーパー」(防空壕に使った余りが物置に少しあるはず)を適当の大きさに切って敷くもよかろう。ただしルービングはあまり長持ちはすまいと思う
風呂を入れるについては、「二晩つづけて立てる場合は、最初の晩の上がり際に、湯の中に手腕をすっかり入れて一方向に勢いよくグルグル回し、湯をシッカリ、コマのように廻し、そこへ洗面器をほうり込むと、洗面器も湯の中で沈みますが、その時湯垢を奇妙に吸い取ります(その洗面器は翌朝取り上げる)。やってみたらいいでしょう

つひ引用してしまひましたが、硫黄島の過酷な境遇の中で、お勝手や風呂の心配をしてゐます。また、とりわけ娘(たか子)に対しては、たこちやん、たこちやんと気を遣ふ。もしも戦争がなければ、子煩悩なマイホームパパとして、家族に幸福を与へられたのではと、残念に思ふところです。否、本来なら幸せな家庭を築けた人が、このいくさによつて、その夢を絶たれたといふ例は山ほどあるでせう。

軍人としては精神主義を廃し合理的な考へを貫き、市井人としては良き夫、父として家庭を顧みる。本書の筆致は、或は理想化し過ぎてゐるかも知れません。情緒的に流れてゐるかも知れません。
さはさりながら、栗林忠道といふ人物を広く世に知らしめた功績大の一冊と申せまう。


不動心
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不動心 精神的スタミナをつくる本
尾関宗園【著】
徳間書店(トクマブックス)刊
1972(昭和47)年11月発行

お寺の住職さんの話を聞くのが好きなのであります。住持になるためには、話術の訓練もするのだらうか、と思はせるほど話が上手いのですね。声も大きく張りが有つて、ユウモワ巧みに、卑近な例を挙げて親しみを示す。
尾関宗園師ももちろんその一人で、その昔はテレビにもしばしば出演してゐたほどであります。覚えて御出でですかな。京都・大徳寺大仙院の名物和尚として人気者でございます。
奈良出身で、高校時代に仏門に入り、33歳にして早くも大仙院の住職を任された人。著書も多く、この『不動心』はその一冊といふわけです。

そもそも不動心とは何か。いかなる困難な事態に遭遇しても動じない、強い心の事でせうか? 自らを常に制動でき、苦しまず、恐れず、悲しまず、怒らず、嘆かず冷静に判断ができる心ですかな。うむ、そんなところだらう。
ところが、宗園師に言はせると、さういふ要素は「不動心」ではないさうです。へえ、をかしいですな。

宗園師は語ります。

私の「不動心」とは、まず、自分の足もとをしっかり見すえることである。そこからなにかを発見することだ。とくべつの修行はいらない。ありもしないものを求めるのでもない。ありもしないもの=「幽霊」を追い払うための「生き方」を示したのが、この本である。(「まえがき」より)


かう言はれると、何やら末香臭い内容ぢやないのか、どうも苦手だなあと仰る向きもおありでせう。しかし心配ご無用。
まるで読者の眼前で実際に講話してゐるかのやうに、具体例を挙げながら方向を示す。しかし方法は示しません。
例へば「争いは避けない」。売られた喧嘩は買へといふのです。争ひを回避したところで、それは何の解決策にもならない。とことん争へと。

人と人が争うのは、いいとかわるいとかの問題ではない。現実にそういう争いがあるということを、真正面から直視することだ。自分がその渦の中にあって、そこからなにを感じとったか、どういう人間の姿を見たか。それがだいじなのだ。(62ページ)


「いま、この世でとことん生き抜く」これが不動心なのか。恥の上に立ち、苦に親しみ、愚に徹し、動に動じない。悩むのは中途半端に生きてゐるからだ。全力で、その場で生ききれば解決策は必ず有ると勇気づけてくれます。

それから、印象的だつたのが「脊梁骨」の話。脊梁骨とは、「背骨の末端、つまり尻の骨である。長さ五、六センチほどの、何の変哲もない骨だ(54ページ)」さうです。ところがこの骨がピンと立つてゐるかぎり、人間には生命力があふれてゐるのだとか。重量挙げの選手がバーベルを持ち挙げるのも、火事場の馬鹿力で夢中でタンスを背負ふのも、ご飯を食べるのも本を読むのもこの脊梁骨がデンと構へてゐてくれるから可能であると。
そもそも座禅を組むのは、この脊梁骨の存在を知らしめ、あらゆる仕事をさせやうといふことだと、宗園師は語ります。さう言はれると、常に背筋をシャキッとして生活せねば、と思ひますよね。大体世間の人は猫背が多いらしい。

結局、不動心は、直面する問題に真向から取り組み、真剣に最善の道を考へ実行することから生れるのでせう。その結果、世間の常識とずれてしまつても仕方がない。宗園師は、将棋の中原誠名人の例を挙げてゐますが、だいたい大きな仕事をやつてのける人は、それまでの常識とは相容れないことをしてゐます。意表を突く発想とはそんなものではないか。

不動心は、何ものにも心を動かさない、ということではない。うれしいときには天まで昇る気持ちになり、悲しいときには身をよじって悲しむ。そのときその場でいっぱい、いっぱいに生きる。そのことが不動心なのだ。(232ページ)


人によつては、「でやんでい、そんな曖昧な話で結論付けるのか、もつと具体的にどうすれば良いのか教へやがれ」と毒づくかも知れません。しかし本書はハウツウ本ではないので仕方ありませんな。「どうすれば良いのか」ではなく、「どう生きれば良いのか」のヒントの一端を示してゐるに過ぎません。あとは読者がどう反応するかにかかつてゐます。
凡人のわたくしとしては、まづは「脊梁骨」を意識して、五体満足を感謝しながら過ごしていかうかなと。

ぢやあ、また。



電車屋赤城
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電車屋赤城

山田深夜【著】
角川書店(角川文庫)刊
2011(平成23)年8月発行

以前から気になつてゐた一冊であります。しかも著者名が山田深夜。只者ではない雰囲気がぷんぷん漂つてまゐります。深夜とは意味深だ。かつてのアイドルも「あいざき深夜」とでもすれば、芸能界でもつと長生きできたかもしれません。そんなことはないか。
著者近影を拝見しますと、その独特な風貌から、いかなるアウトローな小説であらうかと身構へますが、これが予想以上に骨太の、読み応へがある作品でした。

舞台は、都心と神奈川県の各都市を連絡する「神奈川電鉄」(神奈電」)と、その下請けたる零細企業・「エース工業」。
本文から引用しますと、「神奈電の路線は、多摩川べりから三浦半島に垂らした釣り糸のような形をしていた」。ははあ、これは京浜急行だな、と地元の人やテツなら分かるやうになつてゐます。
タイトルになつてゐる「赤城」は、下請けのエース工業に勤める技術屋。口数少なく、人と交はることもなく、ゆゑに誤解を受けやすく、それでも言ひ訳のひとつもせず、黙々と神奈電の車両を整備する。背中で表現するタイプですな。何とミュージシャンとしての顔も持つのです。過去に色色ありさうですが、周囲の人間も詳細は分かりません。

神奈電では、長らく活躍した1000形電車といふのがありますが、機器類も古く整備にも手間がかかり、職人的技術(つまり、赤城のやうな人物)が必要なため、順次廃車を進めてゐます。替つて3000形なる新型電車の導入が進み、こちらは「シャーシも足まわりも、制御装置も、違う。3000形はすべての技術が最新だ。」(赤城の話より)なのださうです。VVVF。つまりすべての車両が3000形に置き換れば、赤城は無用の人物になつてしまふ......
実は元元赤城は神奈電本体の社員だつたのですが、些細な事件を起こした際に、やつかい者扱ひしてきた一派の陰謀(?)で懲戒解雇されてしまつたのです。どうせ1000形が無くなれば無用の人物だ、お払ひ箱にする良い機会ぢやないか......

その後赤城は消息を絶ちますが、エース工業の社長をはじめとする仲間たちが必死に探し、漸く探し当てます。そこで、どうした風の吹き回しか、赤城を解雇した神奈電が、下請けのエースで雇ふやうに依頼(実態は命令)します。何故か。
実は1000形から3000形への置き換へが予定よりも大幅に遅れてゐて、しばらくは1000形を扱へる技術者が欲しい。だから赤城をエースで雇ひ神奈電で仕事させ、いづれ1000形が完全に廃車になれば、赤城を再度解雇せよ、とのまことに身勝手な指示が出てゐたのです。
その条件を赤城は受け入れ、1000形の最後の一編成まで、自分が看取らうとするのでした......

全7章構成で、各章で赤城を取り巻く人物たちのサイドストーリーが展開されます。これがまたいい。泣かせるのです。
四年間の引き籠りからあがくやうに脱出する青年・田宮純一。その伯父でエース工業の社長である、石田三郎。神奈電で赤城と名コンビぶりを見せた佐島信夫。エース工業の面々が訪れる小料理屋「牡丹」の女将・小川恵。漁師出身で神奈電に転身した熱い男・原口辰夫。知られざる過去を持つた、神奈電の鼻つまみ社員・加藤航児。神奈電の運転士から工場へ自ら転身してきた、赤城の追つかけ女・ユカリ......
それぞれの人生が、重く、熱いのであります。一人につき一冊の重厚な長篇小説が出来さうなほど、赤城を巡る人物の造形がしつかりしてゐます。濃厚。サアヴィス過多だよ、山田深夜さん。とでも言ひたくなります。

本作をお薦めしたらば、10人のうち、多分8人くらゐは満足してくれるのでは(これはスゴイ率ですよ)。小説を読む悦び、愉しさといふものを改めて味ははさせてくれる、そんな一冊と申せませう。



友情
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友情

武者小路実篤【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1947(昭和22)年12月発行
1967(昭和42)年7月改版
1988(昭和63)年6月改版
2003(平成15)年6月改版

生誕130年を迎へた武者小路実篤であります。
我が家にも「仲良きことは美しき哉」と書かれた南瓜の絵がありますが、これは素人目に見ても贋作に見えます。まあ仮に本物でも、武者氏は生前、求められるままに各地で書をしたため、気軽に与へまくつたさうなので、余り高い値はつかないのかも知れません。
あ、カネの話は武者氏の作品を語るときに邪魔になるので、発言を撤回します。

若き脚本家の野島君は、友人仲田君の妹である杉子に一目惚れします。何かと理由を付けては顔を見る機会を窺つてゐます。逆に内心を気取られまいと、わざと距離を置いたり。23歳にしては少し純情でせうか。
杉子への想ひは抑へがたく、親友の大宮君には打ち明けてしまひます。大宮君は新進作家で、野島君よりも一足先に世間に出てゐて、ファンも多いのです。気のいい奴。

案の定大宮君は、ヨッシャとばかりに、二人の仲を取り持たんと気を使つてくれます。彼は社会的に認められても、遅れを取つた野島君を軽んずる事もなく、敬意を示してくれるのでした。まさに友情。
一方杉子さんは、いつも大宮君の従妹・武子さんと一緒で、仲が良い。屈託のない様子で、野島君にも好意を持つてくれてゐるやうに見えます。これは、いけるんぢやないか。
気になるのは、杉子さんが時折見せる大宮君への眼差し、そして必要以上に冷淡な大宮君の杉子さんへ対する態度......

その後は......あゝ、野島君の心中を慮ると、これ以上は語れません。
表題は『友情』ですが、それより青春時代に誰もが抱く憧憬や恋愛、焦燥や挫折、残酷さといつたものを余すことなく表現した一作ではないかと思ひます。
進藤英太郎に言はせたら「貴公は青いよ、若いよ」といふことになりさうですが、この群像劇の人物たちの未熟さを鼻の先で嗤ふやうになることを「成長」とか「成熟」なんて呼ぶのなら、なんだかそれはツマラナイ大人だなあ、と感じるのです。
現代人の鑑賞には堪へ得ぬとの評も聞きますが、一方で新しい読者も増えてゐます。拙文をお読みの紳士淑女の皆様は如何でせうか?

ぢや、また逢ふ日まで。ご無礼します。



枯れるように死にたい
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枯れるように死にたい 「老衰死」ができないわけ

田中奈保美【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2014(平成26)年5月発行

かつての日本人は、誕生時は自宅で産婆さんに出産を助けられ、最期は家族に看取られながら、やはり自宅で死を迎へるといふのが一般的でした。昔は三世代揃つた大家族が当り前だつたので、孫が祖父母の最期を送るといふことは、極極普通の事であつたと思はれます。それが自然と人間の死について学ぶ機会になつてゐたのでせう。
いつの頃からか、誕生も死亡も病院で、といふのが当然のやうになつてゐます。わたくしも、何となくそんなものだと思ひ込んで、理由について深く考へることはなかつたのであります。いやあ恥かしい。

本書『枯れるように死にたい 「老衰死」ができないわけ』では、著者の田中奈保美氏が、現実に姑が倒れてから最期を自宅で看取るまでをドキュメント風に記述しながら、その合間に各所で取材した「看取り」の現状をレポートしてゐます。
本書の成立については、著者の夫である佐藤順(すなお)氏の存在が大きい。佐藤氏は外科医を定年退職した後、老人ホームなどの施設に活躍の場を移します。
そこで佐藤氏は施設の現状を知り、怒るのであります。「病気でもないのに病院に送るとはなにごとだ!」「病院は病気を治すところであって、亡くなった年寄りを送るところじゃないでしょ」

つまり、施設では、死期が迫つた利用者を、(特に病気でもないのに)病院へ搬送するのが習はしであると。施設では看取りが出来る体制ではなく、誰も経験がない。で、病院で安らかな死を迎へられるのかといふと、必ずしもさうではなく、チューブを入れられたり胃ろうで生かされたりして、要するに延命処置が取られるのださうです。
人間も生物の一種ならば、食事をする力が失はれば、それは老衰死を意味するのですが、延命治療に躍起の病院では、とにかく生かさうとするのだとか。

本人の尊厳は侵され、苦痛のみ与へられ、家族の負担は重くのしかかる。一体誰のための措置なのでせうか。家族が「最期は自然に任せたい」と希望しても、医者から「見殺しにするのか」と迫られたら、素人は従つてしまひますよね。
著者の姑の場合は、夫君が先述の外科医であつたことから、何とか医者を説得して自宅へ連れ帰りました(それでも、若い医者は強烈に抵抗した。本当に自分の責任逃れと面子に拘つてゐるとしか思へないのです)。
世界に冠たる長寿大国の内実は、実はかういふことなのでせうか?

中には、「私のわがままかも」と自覚しながら、「とにかく母には長生きしてもらいたかった」思ひで、母親に胃ろうを希望したヨウコさんのやうなケースもありました。だから、著者もいふやうに、正解は無いのでせう。
リヴィングウィルを残す人がまだ少ない現状、家族全員の総意と、主治医の理解が必要なのだといふことですね。
政府も、医療費が何十兆円に膨らんだと騒ぐ前に、かかる問題をもつと真剣に取りあげていただきたいものであります。
因みに、わたくしもやはり枯れるやうに死にたいですな。まあ、普段の行ひが悪いので、ロクな死に方は出来ぬかもしれませんが。

デハデハ、また逢ふ日まで。