源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
ヒゲのウヰスキー誕生す
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ヒゲのウヰスキー誕生す

川又一英【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2014(平成26)年7月発行

ヒゲのウヰスキー誕生す』、いつの間にか復刊してゐましたね。たぶん、テレビドラマの「マッサン」に便乗したのでせう。わたくしは観てゐないけれど。強かな商策に眉を顰める人もゐませうが、何がきつかけであれ、好著が再び陽の目を見るのは良いことであります。

国産ウィスキーの生みの親、竹鶴政孝の評伝小説であります。竹鶴は広島県竹原の造り酒屋の息子に生まれますが、自身は洋酒の方に興味があつたやうです。それで「摂津酒造」の阿部喜兵衛の門を叩きます。
阿部社長は竹鶴の才能や情熱を見抜き、スコットランドへウィスキー留学をさせるのです。これが竹鶴の人生を変へたのですねえ。
スコットランドでは、全く頼るツテもない状況で、自力で実習の交渉をしたりして、大奮闘であります。多くの成果を日本へ持ち帰るのですが、同時に日本に於けるウィスキーが、いかに酷い紛い物であるかを実感するのでした。
そして、生涯の伴侶となる、エリー、ぢやなくてリタ夫人を伴ひ凱旋帰国いたします。

ところが摂津酒造では、折からの大不況もあり、本格モルト・ウィスキーの醸造計画は役員の猛反対に遭ひ実現しません。これでは何のために留学したのか......失意の竹鶴は摂津酒造を去ります。
ここで手を差し伸べたのが、寿屋の鳥居信治郎であります。竹鶴は大阪の山崎に工場を建て、いよいよ国産本格ウィスキーの醸造へと舵を切りますが......その後も困難は次から次へと押し寄せます。何しろ日本で初めての事をしてゐるのですからな。

ここで関係ない話。山崎と言へば、JR東海道線に「山崎駅」、阪急京都線に「大山崎駅」があり、両線はこの近辺でクロスします。戦前の阪急は韋駄天を誇り、当時国鉄で唯一「超特急」を名乗つた「つばめ(燕)」を追い抜いた場所として語られてゐました。現在の阪急電鉄はJR西にやられて、ちよつと手緩い。当時の矜持といふものはちよつと見当りませんな。

さて竹鶴は鳥居の下で、国産ウィスキー第一号を作るのですが、結局鳥居の「現実主義」とは相容れず、寿屋も去るのでした。そして、かねてより工場建設には最適の地として目を付けてゐた北海道の余市で「大日本果汁株式会社」、即ちニッカを立ち上げるのであります。
勿論ここでも苦労の連続。しかし、この頑固者が志を曲げなかつたお陰で、現在わたくしどもは良質の国産ウィスキーを味はふことが出来るのです。
そして妻・リタの存在が何と言つても大きいですな。彼女がゐなければ、竹鶴はここまで集中して仕事が出来なかつたことでせう。ウィスキー好きのわたくしとしては、この夫妻に感謝するところ大ですなあ。

本書は読み易過ぎて、頁を捲る手も止まりません。早く読み終へるのが勿体なく、後半はあへてゆつくりと、味はふやうに読んだのであります。恰も美味いウィスキーを賞味するが如くに。

では、たぶん今年最後の更新となりますので、皆さま良いお年を。デハデハ。



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133キロ怪速球
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133キロ怪速球

山本昌【著】
ベースボール・マガジン社(ベースボール・マガジン社新書)刊
2009(平成21)年9月発行

愛知県在住ですが、ドラゴンズファンではありません。ちよつと申し訳なく思ひます。
しかし山本昌投手については、同世代といふことで、以前から何となく応援してゐました。贔屓の燕ティームが負けると気分が悪いですが、山本昌投手にやられた場合は不思議と腹が立たないのであります。
どうでもいいが、登録名を「山本昌」にした時は、名古屋女優の「山田昌」さんを連想したものです。

その山本昌投手も、惜しまれつつ今季限りで遂に引退となり、それを機に『133キロ怪速球』を登場させるわたくしであります。本書は2009年に発表されたもので、たぶん200勝達成を記念して出版されたと思はれます。
200勝。現在のプロ野球では至難の業と申せませう。昔のエース投手は、とにかく投げまくりました。連投も当り前で、先発でもリリーフでも登場しました。中には、勝利をもぎ取るために、勝ちゲームの4回辺りから登板して、先発投手の勝利の権利を奪ふなんてえげつないことをした人もゐます。
しかし現在は、権藤権藤雨権藤の時代ではありません。「肩は消耗品」の思想が浸透し、十分な間隔を開け、球数も管理するのが当然となつてゐます。マー君こと田中将大投手が2013年、東北楽天ゴールデンイーグルス時代に、一年間ローテーションを守りながら無敗を誇つたのですが、それでも24勝止まりでした。

さて山本昌投手は、入団時(1983年)はドラフト5位指名といふことで、注目度は低かつたやうです。実際最初の五年間は鳴かず飛ばずで、いつ首になるかと怯える日々を過ごしたと言ひます。それがなぜ200勝投手になり、ノーヒットノーランを達成し、50歳まで第一線で活躍できたのでせうか。
1988年、山本昌投手は、その後語り草になる米国への野球留学に参加します。そこで生涯の代名詞となる「スクリューボール」を目の当たりにし、「自分にも投げられさうだ」と真似をしたのが始まりらしい。その手本となつたのが、スパグニョーロといふ無名の選手。しかも投手ではなく内野手らしい。

一流と呼ばれる選手の真似をするのは理にかなつてゐますが、実際には自らがどれだけ真剣に、先入感を捨てて学べるかがより重要と思はれます。あの落合博満氏も、ロッテ時代に土肥健二さんの「神主打法」を見て、良い打ち方だなと思ひ自らの打法に取り入れたと言ひます。一流選手だらうが、無名の選手だらうが、自分に合ふものなら真似をすれば良いのです。
結果は、如実に表れました。彼はスクリューを武器にして一軍のマウンドに伸し上がつてきたのですから、スパグニョーロは師匠であり恩人と申せませう。

わたくしの少年時代は、男の子は程度の差こそあれ、ほとんどが野球少年でありました。現在は野球以外のプロスポーツが擡頭し、少年たちの憧れも変化しつつあるのでせう。地上波のテレビ中継もめつきり減りました。しかし野球選手が男の子の憧れの存在でなくなるのは実に寂しいものです。
さう考へると、山本昌投手の引退は大きな意味を持つなあと勘考するところです。




〈図解〉日本三大都市 幻の鉄道計画
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〈図解〉日本三大都市 幻の鉄道計画 明治から戦後へ、東京・大阪・名古屋の運命を変えた非実現路線
川島令三【著】
講談社(講談社+α文庫)刊
2008(平成20)年9月発行

〈図解〉日本三大都市 未完の鉄道路線』の姉妹編で、こちらは幻の鉄道計画といふことです。何だか似たやうな書名ですが、「もし実現してゐたら、こんな楽しい列車が、ユニイクな路線が誕生してゐたかも知れない」と思はせる、より遊び心のある内容になつてゐます。

鉄道史に於いても「もしも」は無意味ですが、東京の場合、強盗慶太こと五島慶太の存在が無ければ現在の首都圏の鉄道路線図はかなり違つたものになつてゐたに相違ありません。渋谷よりも目黒が発展してゐたであらう、との憶測は興味深いですな。
東京の地下鉄網を構築するにあたり、本来なら東京市が単独で建設・運営するべきものでしたが、当時の東京市にはその力も意欲もなかつたやうです。折角取得した免許を失効させたりして、信用も低下したさうです。それゆゑ、東京地下鉄道、東京高速鉄道と併存を許し、結果その後の「営団」「都営」の二本立てとなる禍根を残したと申せませう。

名古屋の地下鉄は戦後の開通ですが、その構想は戦前からあり、名古屋市のみならず近鉄、名鉄等も資本参加する予定だつたさうです。現在で言ふ第三セクター方式ですな。
地下鉄名古屋駅は、当初国鉄名古屋駅の0番線を拝借する予定でしたが、国鉄はこれを拒否、仕方なく地下鉄駅は国鉄よりも東側に作ることになりました。その結果、設置予定だつた「柳橋」駅が名古屋駅と近過ぎるとして、未成駅となつてしまつたのです。

周知の通り、現実には名古屋市営地下鉄として開通した訳でありますが、もし名鉄が絡んでゐたら、郊外へ延びてゐる各線と地下鉄の直通がより促進されたことでせう。まあ、川島氏の言うふやうな、パノラマカーが東山公園まで乗り入れただらうとの話は、「さう考へると愉しいよね」と言ふレヴェルかなあ。
確かに各線との乗り入れが夢と終つたのは残念ですが、もしそれを実現しやうとしたら、名鉄に合せて架線方式とした筈ですので、トンネル断面が大きくなり、建設のスピードはより遅くなつただらう、との指摘も川島氏は忘れません。

日本の都市交通は、路面電車の廃止と言ふ愚挙により、空前の道路渋滞を引き起こしました。その対策に、また天文学的な税金を投入する。
燃料電池バスや自動運転、あるいは白タク規制緩和などには熱心ですが、あくまでもクルマ中心の社会を変へやうとはしないのです。クルマ社会は、街を人が歩きません。ただ点から点への移動があるのみです。
本書を読むと、都市交通はどうあるべきかの根幹も考へさせられる喃。
ではまた。




赤毛のアン
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赤毛のアン

L.M.モンゴメリ【著】
村岡花子【訳】
新潮社(新潮文庫)刊
2008(平成20)年2月発行

むさ苦しいおつさん(わたくしのこと)が電車やバスの中で、或は病院や銀行や床屋などの順番待ちの間に読んでゐる文庫本が『赤毛のアン』であるとは、周辺の人は夢にも思つてゐないでせうね。わたくしは一人でほくそ笑んでゐるのでした。
翻訳の村岡花子については、NHKでドラマにもなりましたので、記憶に新しいでせう。丸谷才一氏によると、かつての日銀総裁・一万田尚登氏は「花岡村子」と呼称してゐたとか。どうでもいいけど。

2008年、『赤毛のアン』(原題は「グリン・ゲイブルズのアン」)の出版100周年といふことで、新潮文庫では新装版が発行されました。文字を大きくして、ページ数を増やし、定価をハネ上げやうとの魂胆かと思つてゐました。
ところが、巻末に「改訂にあたって」なる文章があります。うん、「改訂」だと? これによると、村岡花子の翻訳にお孫さんが手を加へてゐるらしい。何といふ余計な事をしたのでせうか。どうせなら、完全新訳で出せば良かつたのに。購買前に知つてゐたら、古本屋で旧版を求めてゐたでせう。

まあいい。気を取り直して本書を読む。「緑の切妻屋根」(グリン・ゲイブルズ)に住む、マシュウとマリラのクスバート兄妹が、孤児院から男の子を養子に貰ふ予定でした。ところが、仲介人の手違ひにより、女の子が来てしまつたのです。それが物語の主人公となるアン・シャーリーでした。
マシュウは彼女が不憫で孤児院に戻すことなど思ひもよらず、マリラは彼女を孤児院に付き返すつもりでゐたのに、アンのおしやべりのペースに巻き込まれて、結局家に住まはせる事になります。
始めはしようがなしにアンを引き取つたマリラも、次第にアンを無くてはならない存在として認識するやうになりました......

アンはとにかくお喋りであります。そして常識外れに夢見がちな性格。マリラに言ひつけられた仕事も、妄想癖からすぐに忘れてしまひます。同じ失敗は繰り返さないけれど、常に新しい失敗をするので、マリラも目が離せない、しかしそれでも憎めない、陽性なアンに対しては本気で怒る事が出来ないのであります。
新たに親友(やたらと「腹心」と表現したがる)やライバルが登場しますが、皆が皆、アンのペースに巻き込まれるのが面白い。

上質なユウモワもあり、涙もありの、アンの成長物語。少女小説としては無論知らぬ人はゐない知名度を誇りますが、多分誰が読んでも面白い(つまらんかつたら、ごめん)。まあ、少なくとも夢見る女の子には読んでもらひたい一冊と申せませう。かかる物語が受け入れられるうちは、まだ希望の持てる時代かな、と。



告白
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告白

湊かなえ【著】
双葉社(双葉文庫)刊
2010(平成22)年4月発行

とある中学校の終業式の日、森口悠子先生は自らが担任をするクラスのホームルームの時間で、驚愕の「告白」をします。
先生の娘が学校のプールで水死する、といふ悲しい事故がありました。しかし実は事故死ではなく、他殺であつたと。しかもその犯人はこのクラスの生徒二名(犯人A・B)で、二人とも今この教室にゐる、といふのです。そんな莫迦な。
あまりにも現実離れした先生の告白。中学生に対して刺激が強いと思はれる内容も含まれ、「あり得ないな」と内心思ひつつ、物語に引き込まれてゆく自分がゐたのであります。

先生が教室で語る部分は、元元短篇「聖職者」として発表されました。評判を得て、その後語り手が章毎に変る連作長篇として『告白』が完成したさうです。『吾輩は猫である』みたいですね。もつとも、作風は余りに違ひますが。
先生は真相を知つても、警察へは届けませんでした。なぜか。現在の法の下では、少年法に守られた彼らを罪相応に裁けることができないからです。従つて先生は自ら彼らに裁きを与へやうとしたのです。

第二章以降、語り手はクラスの女生徒、犯人Aの兄(実態は犯人Aの母の手記)、犯人A本人、犯人Bと次々変り、それぞれの立場から告白します。そして最後は電話で犯人Bに話す体裁で森口悠子先生が再び登場します。そこでこの事件に関はるすべてが明らかになる訳でありますが......
おお。森口先生は、何と恐ろしい女性でせうか。如何なる方法で先生が「犯人」に復讐を遂げたか、詳しく書きたいけれどミステリなのでさういふ訳にもいかず、隔靴掻痒の感があります。

かつて「本屋大賞」を受賞して話題にもなつたので、既読の方も多いでせう。同じ本屋大賞でも、例へば『博士の愛した数式』なんかとは随分違ひますね。『告白』をまだ読んでないよ、といふ方には「まあいつぺん読んでみてちよ」と、わたくしは小声で語り掛けます。作者・湊かなえ氏の確かな力量が窺へることでせう。



〈図解〉日本三大都市 未完の鉄道路線
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〈図解〉日本三大都市 未完の鉄道路線 昭和から平成へ、東京・大阪・名古屋の未来を変える計画の真実

川島令三【著】
講談社(講談社+α文庫)刊
2008(平成20)年10月発行

本書の元版は、かつて産調出版から出た『三大都市圏の鉄道計画はこうだった』であります。この本は持つてゐますが、文庫化にあたり、本書と『日本三大都市 幻の鉄道計画』の二冊に分冊化し、内容を大幅に修正・加筆してゐますので、改めて購買したものであります。どんな内容であらうが、プラスアルファ文庫の川島本はすべて「図解」を冠するのだな、と再確認したところです。本書のどこに「図解」が有るのでせうか。ひよつとして路線図の事を差してゐるのかな? 

と、ひとまづ表題にいちやもんを付けた後で本書を捲ります。
「PART1」は「昭和40年代から都市交通審議会最終答申まで」。川島氏の著作は、本番に入る前に長い長い前振りがあります。余りに長すぎて肝心の本題が後半にちよびつと述べられるだけ、といふのもありました。本書の場合、言ふなればこのPART1がその前振りに相当しませうか。
そして「PART2」がいよいよ「最近まであった知られざる計画、そして将来」。三大都市それぞれについて述べてゐますが、わたくしは愛知県人なのでまづ名古屋のパートを見ます。東京が圧倒的な分量を占める反面、残念ながら名古屋の頁はかなり少ない。人口規模やクルマ依存社会などの理由がありますから、詮無いけれど。

川島氏も名古屋圏の鉄道については、後ろ向きの話が多いと嘆いてゐます。かつては先進的な土地柄だつただけに、まことに残念。ピーチライナー(桃花台新交通。名鉄小牧線小牧駅から桃花台ニュータウンまでの新交通システム)の廃止も無念であります。
そもそも小牧線上飯田から地下鉄平安通までが未開通なのに、先にこちらを開通させても意味が薄かつたと申せませう。川島氏の指摘通り、未開通部分の桃花台東~高蔵寺を先に開通させるべきでした。

わが豊田市については、名鉄三河線の複線化が挙げられてゐます。それも重要ですが、名古屋からの直通化・高速化が喫緊の課題と申せませう。
わが市には、なにがしといふ有名な自動車メーカーがあり、東京からもわんさかビジネス客が来訪します。(なんでこんな不便なところに本社が有るんだよ)と不満を表明する人も多い。東京から名古屋へ移動する時間と、名古屋から豊田まで到達する時間がほぼ同じなのだから、その意見には大いに首肯するところです。
現在の鉄道アクセスとしては、地下鉄鶴舞線~名鉄豊田線のルートと、名鉄本線~名鉄三河線の2ルートが一般的。前者はすべて各駅停車なのでうんざりする。後者は遠回りの上、三河線乗換がネック(単線)。トヨタ本社前には折角愛知環状鉄道線(愛環線)の「三河豊田」駅があるのに、この路線は名古屋からの放射状レールと有機的に関つてゐません。
そこで、名鉄では将来のリニア開通に合せて、名古屋~豊田市間の直通特急を走らせる計画を立ててゐます。

しかし、私見ではそれでは不十分と見ます。では、どうするか。
リニア中央新幹線では、中津川付近に「岐阜県駅」が出来る事が決まつてゐます。ここから一気に豊田へ通すのであります。愛環線は現在の終着駅は「高蔵寺」ですが、国鉄岡多線時代は、その名の通り(岡崎の「岡」と多治見の「多」)多治見を目指してゐました。この路線を実現化し、中津川新駅~多治見~三河豊田の直通特急(名称は快速でも何でも良いが)を走らせるのであります。関東の人は大喜びすること、間違ひなしです。
ただ、名古屋を素通りすることになるので、名古屋財界は反対することでせうね。本書を読んでも分かりますが、利用者の便を考えるよりも、政治的思惑で決まる路線の何と多いことでせう。

おお、いつの間にか地元の話ばかりしてゐました。これはご無礼しました。ぢや、また。



笹まくら
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笹まくら

丸谷才一【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1974(昭和49)年8月発行

もしも丸谷才一氏が存命ならば、今年で90歳になるところです。あの三島由紀夫氏と同年なのですが、丸谷氏はずつとこちら側の人といふ感じがしますな。
笹まくら』は、丸谷氏の長篇小説としては、『エホバの顔を避けて』に続く2作目といふことになります。発表時すでに41歳になつてゐましたが、まあ、その後の丸谷氏のキャリアを改めて俯瞰しますと、一応初期作品と呼んでも良いのではないかと。

主人公は、浜田庄吉なる某私大に勤める事務員であります。当年取つて45歳。取り立てて起伏の無い生活を送つてゐましたが、ある訃報を受け取つてから、変化が生じます。その訃報とは、戦争中に偶然知り合ひ、付き合つてゐた女性のものでした。
香奠を幾らにすれば良いか思案するとともに、それをきつかけに当時の事を思ひ出す浜田。彼は兵役を拒否し、徴兵忌避者として逃亡生活をしてゐたのでした。時計やラヂオの修理、その後砂絵描きとして生計を立てながら、憲兵に見つかりやすい都会を避けて全国を転々としてゐました。その途中で出会つたのがその女性、阿喜子だつたのです。

結局浜田は終戦までの5年間を逃げ切ることが出来た訳ですが、戦後も20年経過した今になり、あることから「徴兵忌避者」としての経歴が職場内に知れ渡ることとなり、大学内の人事にも影響するやうになります。
ゐづらくなつた彼は転職を考へ、会社社長になつてゐた友人に就職の世話を頼むのですが......

現在の大学職員としての浜田の心理状態と、20年前の徴兵忌避者としての浜田(杉浦といふ変名を名乗つてゐた)の回想が、代はる代はる現れます。この交錯は、章で区切られる訳でもなく、それどころか段落分けすらされませんので、突然場面が変る印象なのです。登場人物が変つてゐたり、「浜田」と「杉浦」の使ひ分けで読者は「あ、ここで変つたな」と判断するしかないでのす。まあ、読み進むうちに慣れますが。
そして第4章に当るパートは、第3章の文章が終らないうちに突然挿入され、吃驚します。そして第5章で第3章の続きが、ちやうどVTRの「一時停止」を解除するかのやうに再開するのでした。これらは、ジェイムズ・ジョイスの手法を取り入れてゐるとか。さう言へば丸谷氏の卒論タイトルは「ジェイムズ・ジョイス」であります。

笹まくら、とは「草枕」と同様の意味らしく、旅寝のことらしい。かりそめの、不安な旅寝。浜田は5年間の笹まくらを重ねましたが、ラストを読むと、実はこれから新たな現代の笹まくらが始まるのかも知れません。見事な最後であります。
丸谷作品の主人公は、どこかの部分で体制、即ち国家に背を向ける人物ばかりですな。それが無意識の行動だとしても。
そして国家とは何かを繰り返し問ふのも特色の一つと思ひました。本書でも友人(堺)と「国家の目的とは何か」を論ずる場面がさりげなく挿入されてをります。

長篇小説作家としては寡作を貫いた丸谷氏ですが、それだけに各作品の水準は真に高いと存じます。個人的好みは『裏声で歌へ君が代』ですが、『笹まくら』も実にスリリングな展開で、知的娯楽としての小説、面白さは抜群であります。
日本語に五月蝿いおやぢとしては有名かも知れませんが、戦後日本を代表する長篇小説家としても、もつと知られても良い存在であると存じます。

では眠くなりましたので、今夜はこれにてご無礼いたします。晩安大家。



考える技術・書く技術
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考える技術・書く技術

板坂元【著】
講談社(講談社現代新書)刊
1973(昭和48)年8月発行

板坂元氏(1922-2004)は、米国事情や江戸文学、日本人論から果ては少しエッチな男女の話まで幅広く活躍した人であります。
「論文の書き方」みたいな本かなと思つたら、むしろその前段の発想のヒント・情報収集・ツールの使ひ方などに力点が置かれてゐます。あたかもそれらが充実すれば、自然と文章は紡ぎ出されるのさ、とでも言つてゐるやうです。板坂版『知的生産の技術』ですな。

「Ⅰ 頭のウォームアップ」:脳を刺戟することの重要性が語られます。記憶訓練はわたくしも良くやります。全国の駅名を記憶する、全国の市町村を記憶する、戦後の幕内力士をフルネームで覚える、など源氏川苦心らしいものでやつてゐます。それにしても「KJ法=マージャン」とは......
「Ⅱ 視点」:本当に「いつも」「みんな」ほど好い加減な言葉はありませんね。子供が親に物をネダる時「みんな持つてるんだよ」と訴へますが、教室に40人ゐても友人が1-2人持つてゐれば「みんな」になつちやふのです。
「Ⅲ 読書」:自分の専門分野とは無関係の雑誌を買ひまくり、それらの全頁に目を通す。結構な物入りですね。現在ならネットで代用出来る?
「Ⅳ 整理」:カードを色分けしたり、文房具にこだはつたり、整理の作業を愉しくする工夫は参考になります。もつとも今ならPCで処理してしまふ部分が多いでせうが。
「Ⅴ 発想」:さあ、情報は集めた、次の一手だ。これらを発酵させ、独自の発想へ繋げられるか。「身体を動かす」「自然発酵をうながす」「おのれを信じる」など、少し情緒に流れてゐますかな。
「Ⅵ 説得」:説得には三つの要素があると著者は述べます。板坂氏独自の表現を借りると、「だきこめ」「なめられるな」「のせろ」といふことになります。信用を得る為の「権威づけ」は中中難しいですね。下手をすればスノビスムに陥りさうです。
「Ⅶ 仕上げ」:論述の形式として「逆ピラミッド型」「ピラミッド型」が存在すると喝破します。前者は主要な主張部分を先に述べ、その説明が後に続く型、後者はその逆ださうです。演繹型と帰納型といふ分け方も出来ると。
「Ⅷ まとめ」:締めくくりは精神論ですかな。誠実であること、情熱と忍耐など、道徳臭が漂ひますが、著者の苦い経験からの結論のやうです。

頭でつかちの論ではなく、著者自身の長年の活動から得たノウハウが詰まつてをります。読物としても愉快。40年を超すロングセラアも納得であります。
ではまた。機会が有ればお会ひしませう。



昭和の車掌奮闘記
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昭和の車掌奮闘記 列車の中の昭和ニッポン史

坂本衛【著】
交通新聞社(交通新聞社新書)刊
2009(平成21)年8月発行

もはや昭和後期の鉄道もノスタルジーの対象として語られる時代になりました。オールドテツの中には、「昔は良かつた」的に懐かしむ人も多いのです。
しかし。
本当に昔の鉄道事情は良かつたのか? 甚だ疑問に思ふところです。切符の入手難、威張り散らす駅員、冷暖房の無い車内、不衛生なトイレ、固くて座り心地の悪い座席、狭くてプライバシーの無い寝台......
常識的に考へたら、現在はあらゆる点で飛躍的に改善されてゐると存じます。さはさりながら、表面上の快適さだけでは語れない、人と人とのつながり、一体感とでも申すものが消えたことも事実であります。

さて、『昭和の車掌奮闘記』の著者・坂本衛氏は、少年時代からの鉄道好きが高じて国鉄に就職した人。その期間は1953(昭和28)年-1987(昭和62)年といふから、坂本氏の職歴はまさに国鉄(日本国有鉄道=昭和24年から昭和62年まで存在)の歴史そのものと言つて過言ではありますまい。また、国鉄の車掌が主人公の傑作漫画『カレチ』は、坂本氏の著書を参考にしたと聞いてゐます。

第一章で著者自らの生ひ立ちから国鉄就職までを語ります。連結手ではなく踏切警手になれと勧めた父君は、まことに慧眼の持ち主でした。
第二章では、昭和35年に念願の車掌となつた著者の奮闘ぶりが窺へます。車掌の勤務体系や、普段車掌が持ち歩いてゐる鞄の中身を公開してゐます。
第三章は、昭和43年に専務車掌に昇格した後の、さまざまなトラブル、エピソードが語られます。日本海縦貫線の勤務が多い為、度々雪には悩まされたさうです。窃盗犯との対決や(必ずこちらが勝つ)、死体を運んだ「だいせん」の話などは臨場感たつぷり。
第四章は「専務車掌の楽しみ!?」と題して、当事者にとつては深刻だが傍観者はニヤと笑つてしまふ話、大人向けの少し色つぽい話などが詰まつてゐます。現在ではセクハラと言はれさうな話も。
第五章は今でこそ話せる失敗談の数々を披露。表題通り「けしからん話」もあります。
第六章では、専務車掌(といふか、坂本氏本人が)勤務の合間にどんなことをしてゐるのかを開陳してゐます。
最後の第七章は「あとがきに代えて」。坂本氏にも退職の日が訪れます。最終乗務は「雷鳥」でした。さすがに少ししんみりしますね。文章を書くやうになつたきつかけも記されてゐます。

一般的な昭和の鉄道事情を知るための本ではなく、あくまでも坂本氏個人の思ひ出話が中心であります。それを承知で読めば、面白い一冊と申せませう。肩が凝らない、旅のお伴としても適してゐます。
では夜も遅い時間になりました。ご無礼いたします。