源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
異邦人
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異邦人

アルベール・カミュ【著】
窪田啓作【訳】
新潮社(新潮文庫)刊
1963(昭和38)年1月発行
1996(平成8)年6月改版
2014(平成26)年6月改版

ママンが死んだとの電報を受け取つたムルソー。ムルソーはアルジェに住んでゐるのですが、ママンは養老院で生活をしてゐたのであります。
ムルソーは嘆き悲しんだのでせうか。慟哭したのでせうか。いやいや、全くさういふことはなく、感情を表に出すこともありませんでした。我慢して感情を抑へてゐるのでもないみたいです。ママンが死んだといふのに薄情な奴です。まあ、最近の日本でも似たやうな人は多いですかな。
更に葬儀の翌日にはマリイ・カルドナなるタイピストと同衾し、喜劇映画を鑑賞するなど、全く喪に服する様子を見せません。
ただ、その後何も事件が起きなければそれも大した問題にはならなかつたと思はれます。ちよつと変つた奴で済んだことでせう。

ムルソーにはレエモン・サンテスといふ友人もゐて、全く社交性がない訳ではありません。レエモンに紹介されたマソンとも打ち解けたやうであります。しかしその際、不穏な動きを見せるアラブ人たちと一触即発の状態に。
そしてムルソーは遂に、アラブ人の一人を殺害してしまふのであります。これはさすがにまづいでせう。当然ムルソーは逮捕され、尋問を繰り返し受けます。
そこまでは、特段に不条理な物語ではありません。

ムルソーは取り調べに対し、反抗的ではないが反省の色も見せず、判事や弁護士にも減刑を求めるやうなことはしません。動機を聞かれると「太陽がまぶしかつたから」などと答へて呆れられます。
ここで、ママンが死んだ時に涙も見せず、女と遊んでゐたことが糾弾されるのです。裁判での心証は悪くなるばかり。最後の司祭とのやりとりも全く噛み合はず、司祭は匙を投げたやうです。彼が去つた後でムルソーは平穏を取り戻し、「私ははじめて、世界の優しい無関心に、心をひらいた」とし、自分が現在幸福であることを表明するのでした。

ムルソーが殺人を犯すまでが第一部、逮捕されて以降が第二部となつてゐます。一方にムルソーを擁護する証人たちや弁護人の意見、他方に検察側の強引なこじつけによる的外れな非難。これらを目にすると、一体何方に分があるのか、正当性があるのかが分からなくなります。
無論殺人は許されざる犯罪ですが、ここに集まる人たちは、要するに日頃の自らの主張を声高らかに表出せんと張り切つてゐるだけではないのかとも思へます。異邦人といふ邦訳を「他所者」と捉へるなら、ムルソーは社会的正義を叫ぶ人たちによつて作られた「異邦人」かも知れませんね。

ところで、カミュ本人が朗読した「異邦人」のテープを聞いたことがありますが、ぶつきらばうな中に、ユウモワが湛へられた口調でした。そんな感じで読んで良いのか?と意外に思つたものです。
さう考へたら、第二部は眉間に寄つた皺を緩め、ニヤニヤしながら読むのも正解と申せませう。まあ正解を求めても詮無い小説ですがね。

ぢやあ今夜はこれでご無礼します。デハデハ。



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ウルトラマン青春記
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ウルトラマン青春記 フジ隊員の929日

桜井浩子【著】
小学館刊
1994(平成6)年7月発行

先達ての「天声人語」にて、ウルトラシリーズの放送開始から50年といふ記事がありました。それまでのヒーローものと比して、単純な勧善懲悪(かういふのも好きですが)のみならず、どちらが善で、どちらが悪なのか分からなくなるやうなストーリーも少なからずある、と「ノンマルト」の例などを出してゐました。子供たちはかうして、複雑怪奇な「大人の社会」を学んでゆくのでした。ノンマルトは「ウルトラセブン」のエピソオドですが、まあそれはいいでせう。

1966年1月に「ウルトラQ」、同年7月に「ウルトラマン」の放送が開始されるやいなや、大きな話題を呼び、子供たちは提供会社の「タケダタケダタケダ~」といふ唄まで諳んじるほどの熱中ぶりでした。
その両シリーズにレギュラーとして出演してゐたのが、本書の著者である桜井浩子さんでした。
「Q」では、毎日新報のカメラマン・江戸川由利子として登場。主人公の自称SF作家・万城目淳の恋人役であります。
そして続く「マン」では、科学特捜隊の紅一点・フジアキコ隊員。江戸川由利子には萌えるのに、フジアキコは無機質な感じがするのは何故でせうか。わたくしの勝手な思ひ込みですかな。

桜井さんが初代ウルトラヒロインになるまでの経緯や、当時の撮影現場の裏側が綴られてゐます。元々フランス女優に憧れて東宝に入社した桜井さん。そんな彼女に円谷プロの仕事が舞い込んできました。まだ17歳だつたさうです。
撮影初日に遅刻したりとか、トラブルはあつたものの、スタッフや共演陣に助けられながら日々成長する姿を見せます。何よりも、自分の全てを捧げるがごときスタッフの努力を間近にし、自らも意識が変つていつたやうです。
恐らく、恋愛ものや文藝ものに出演したかつたでせうが、それが円谷の仕事をすることになり、当初は内心「なんだ、子供番組か」とがつかりしたのでは。
それが、特撮班を見学し、ウルトラマンや怪獣の着ぐるみ役者のプロ根性を見せつけられて、「主役はこの人たちだ」と確信するまでになります。

子供番組といつても、それを作るのは当然大人であります。子供相手だから、まあ適当に手を抜いて、簡単に済ませませうなんて人は一人もゐなかつた。
十代のヒロインの眼に映つた、熱気に満ちた当時の撮影事情が色々と明らかになるのであります。
放送後は、ウルトラから離れたい時期があり、円谷関係の仕事は全て断つてゐたさうですが、その後十年のブランクを経て、かうして過去を語るやうになつたと。現在では、青春の思ひ出そのものであるとまで述べてゐます。お陰で、わたくしどもは数々の秘話を知ることが出来たのであります。
なほ、本書の好評を受けて、その後ヒーロー関係の手記(黒部進氏、森次晃嗣氏、佐原健二氏、古谷敏氏等)が続続と発表されるやうになり、結果としてそれらの先駆けとなつた一冊と申せませう。



現着
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現着 元捜査一課長が語る捜査のすべて

久保正行【著】
新潮社(新潮文庫)
2013(平成25)年6月発行

元元『君は一流の刑事になれ』といふ書物を、加筆訂正改題の上、新潮文庫から再発売されたものであります。
著者は第62代捜査第一課長を務めた、久保正行氏。30年以上に亘り「花の捜一」で活躍した人であります。それだけに捜査一課での勤務を大いに誇りに感じ、背広の襟に燦然と輝く「S1S」バッヂに恥ぢぬ、刑事魂を持ち合はせる人物と存じます。なほ、S1Sとは、Sousa(Search)1Select=選ばれし捜査一課員といふ意味ださうです。

元の題から分かるやうに、刑事を目指す若い人たちを主な読者に想定してゐます。ゆゑに、自ら体験した事件の数々を紹介するに当り、まづは失敗例から取り上げてゐるのです。色々と手柄話もあるでせうが、そして自慢話もしたいところでせうが、何よりも後輩たちの教訓となる例を開陳するのであります。中中好感の持てる姿勢。

例へば、高知での資産家殺人事件。結果的にホシに自殺され、被害者の遺体も発見できぬまま終つてしまつた事件があつたさうです。逮捕状のゴーサインが出ないのを見越したホシにさんざん愚弄されながら、腰の重い検事を説得することができなかつたのが第一の反省点。
そして、高知県警からホシに関はる情報を得てゐながら、年末の事件といふこともあり、年末警戒に人を割いたり、別の捜査本部に捜査陣を分散したりして、突込んだ捜査をしてゐなかつたことなど。

捜査に「もしも」「たられば」は厳禁。必ずホシは検挙しなければいけないと著者は強調します。失敗には必ずその原因があり、いかなる些細なことでも検証しなければいけないのですね。
少しでも捜査に手抜きや妥協があれば、著者のいふ「まさかの坂」を転がり落ちてゆくのでせう。考へ得るすべての可能性を潰していかねばならないのですが、先入感からこの「まさかの坂」に落ちるのださうです。

他にも、DNA鑑定を活用した化学捜査や、立てこもりや誘拐事件などリアルタイムで進行する事件などの実例を挙げ、いかにして解決・検挙へ繋げたかを語ります。結果的にホシを検挙しても、必ず反省点や教訓はあるものです。常にさういふことを意識する著者だからこそ、後に続く若い刑事たちへの提言も説得力を持つのでせう。

最終章では「刑事を目指す若者たちへの道しるべ」と題して、「まずマネから始めよ」「捜査力はヤカン酒のごとし(ヤカン酒を温めるには、弱火からじつくり手間をかけて温めなければいけない、手順を端折ると失敗する)」「ひらめきの源は健全な心と体」「撒かぬ種は生えぬ」など、実体験に基づいた含蓄ある言葉が並びます。
説教臭くなく、素直に心に入る一冊と申せませう。刑事のみならず、あらゆる道に通じる教訓が詰まつてゐますよ。

さて、明日の未明には愛知県も雪だとか。出勤に備へて早目に寝ませうかね。晩安大家。



明治・父・アメリカ
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明治・父・アメリカ

星新一【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1978(昭和53)年8月発行
2007(平成19)年11月改版

生誕90年を迎へる星新一であります。ショートショートで有名な人ですが、ここでは『明治・父・アメリカ』が登場します。書名の通り、星氏の父君である星一の評伝小説であります。
父を描いた作品としては、既に『人民は弱し 官吏は強し』といふ傑作がございますが、これは星一が既に製薬事業を成功させた後の話でした。その前の段階を語つたのが、『明治・父・アメリカ』であります。

星一は明治6年、父・喜三太と母・トメの長男として生まれ、佐吉と名付けられました。幼名ですな。
喜三太は怖い存在だが学問に理解があり、自身は地元の戸長や村長を歴任した人。トメはとにかく働き者で勤勉家。親切で慈母のやうに慕はれたと伝へられます。星一の性格は、この母親譲りではないでせうか。現在に残る星一の写真を見ると、何とも慈悲深い顔つきであります。

学問に目覚めた佐吉は、地元(現在のいわき市)の学問所では飽き足らず、上京して親元を離れます。成人すると、父から「一」の名を与へられ、更に米国留学を目指すのであります。両親の理解があつてのことで、当時は「学問なぞすると、理屈ッぽくなつていけねえ」などと言つて、家の手伝ひをさせる親が多かつた時代に、実に先進的な家庭でした。

米国では他人に頼らず自活しなくてはいけません。アルバイトを何度も首になりながらも、次第に周囲の信頼を得るやうになるのです。そして渡米2年で、目標のコロンビア大学入学を果すのであります。
かう書くといかにも順調に事が進んだかのやうですが、これがまあ苦難の連続で、浮き沈みを繰り返しながら、前進するのでした。

何よりも、星一が道を切り拓いて行けたのは、本人の努力に加へ、当時の米国に自由の気風が満ち満ちてゐたからだと存じます。金の工面に困り、授業料が半額しか出せないから、とりあえず半年分だけ受講させてくれ、残りは必ず金を作つて払ふから、なんて申し出にも、熱意を認めてOKを出すとか。官僚的なところが無いのが嬉しい。
無論米国にも暗黒面があり、侵略と略奪の歴史とも言へるでせう。それでもなほ、明治日本が手本にするだけの度量を備へた国家であつたと申せませう。

『人民は弱し 官吏は強し』では、国家権力と結びついた官憲に行く手を阻まれる姿が痛々しいのですが、本書ではひたすら明るい未来を感じさせる、実に爽やかな青春物語となつてゐます。
文章も平易で読み易く、しかし通俗に流れない格調の高さも併せ持つてゐます。年少者にも薦めたい一冊と申せませう。



シベリア鉄道9400キロ
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シベリア鉄道9400キロ

宮脇俊三【著】
角川書店(角川文庫)刊
1985(昭和60)年10月発行

台湾に続く、宮脇氏の海外鉄道紀行は、あのシベリア鉄道です。タイトルもずばり『シベリア鉄道9400キロ』。
シベリア鉄道は、一般的には浦塩からモスコーまでの約9300キロと言はれてゐますが、表題は「9400キロ」となつてゐます。本文によると、当時の浦塩は外国人の立ち入りが禁止されてゐたため、ナホトカからハバロフスクまでは別線を走る「ボストーク号」に乗り、ハバロフスクから「ロシア号」に乗車するルートをやむなく選択したさうです。その際、浦塩から乗るよりも乗車距離は長くなり、約9446キロとなるとのこと。ゆゑに9400キロは間違ひではないのです。

日程は15日間。長い旅であります。初期の宮脇氏は普段一人旅が基本なのですが、さすがに今回はソ連を走破するといふことで、連れがゐた方が何かと安心であります。そこで、版元の編集者「ヒルさん」に同行を頼むことに。なぜ「ヒルさん」なのかと言ふと、「会社では昼行燈なのです」(本人談)とのことで、宮脇氏が命名しました。

まづは横浜港から「バイカル号」による船旅。なぜか松竹歌劇団(SKD)のお嬢さん方と一緒になります。
二泊三日でナホトカ着。ナホトカから漸く汽車の旅になりますが、まだロシア号には乗れず、ボストーク号なる夜汽車でハバロフスクへ向かひます。
ハバロフスクでつひに「ロシア号」に乗車。六泊七日の大旅行であります。車内設備に関しては、有名な列車にしては今一つ質素といふか、日本人にとつては中中不便な住環境のやうです。
一週間も汽車に乗り詰めだと、車窓風景にも飽きてきます。如何なる絶景でも数分眺めてゐれば腹一杯になるのです。さうすると、興味は勢ひ食事になるのですが、「ロシア号」の食堂車はどうも、充実とは言ひ難い内容らしい。メニューにあるのに片端から「無い」と断られるし、酒類は種類が少なく、甘くて不味いシャンパンしかない。酒飲みの宮脇氏としては痛恨の極みでありませう。

そして同乗の乗客同士、情が移つて何となく仲良くなるのも洋の東西を問ひません。しかしカメラをぶら下げたイギリス人だけは、宮脇氏もヒルさんも虫が好かない。どうやら日本人に反感を抱いてゐるらしく、こちらの感情を害する言動ばかりするやうです。ヒルさんなどは激怒し、一発殴つてやらねば気が済まんなどと物騒な事を言つてゐます。そのイギリス人は途中駅で下車したので、特段のイザコザは起きなかつたのは何よりであります。

ロシア号の第三日、「シベリアのパリ」ことイルクーツクで、ほとんどの乗客が下車します。バイカル湖見物などするのでせう。しかし我らが宮脇氏一行は当然乗り続けます。日本語が出来るガイドのワジム氏も下車するとのことで、ロシア語が出来ない宮脇氏たちを心配します。といふか、この有名観光地で下車しない二人を変人扱ひしてゐました。
ワジム氏は親切にも、食堂車のミーシャに「くれぐれもこの日本人二人をよろしく」と念を押して下車したのです。そのおかげで、それまで不愛想だつたミーシャが、がらりと態度を変へ、まことに友好的になつたのであります。

あまりに長大な旅ゆゑ、宮脇氏も本書執筆にはかなり呻吟したやうであります。しかしその苦しみの成果は、如実に表れました。同行のヒルさんを肴にするといふ禁じ手を犯しながらも、十分にシベリア鉄道の奥行と間口を感じさせる一冊となりました。海外篇の代表作の一つと申せませう。

では今回はこんなところで、ご無礼いたします。




廃線紀行
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廃線紀行 もうひとつの鉄道旅

梯久美子【著】
中央公論新社(中公新書)刊
2015(平成27)年7月発行

すつかり市民権を得たと思はれる「廃線紀行」。しかし、以前もどこかで書いた気がしますが、わたくしは廃線紀行はしません。鉄道の廃墟を巡るなんて、悲しすぎる。否それ以前に正視に堪へません。必ず泣いてしまふのであります。
しかし本書『廃線紀行―もうひとつの鉄道旅』については、著者が『散るぞ悲しき』の梯久美子さんであること、朝日新聞紙上で原武史氏が、2015年の三冊のひとつに選んでゐたことなどから、購買してみました。カラー版といふことで紙質が良く、価格にも反映されてゐます。ちよつと高め。

読売新聞の土曜夕刊に連載していたものから、50路線を選んで収録したのが本書なのださうです。選ばんでも良かつたのに。分厚くなつても良いから(或は分冊でも可)、全てを収録して頂きたかつたですなあ。そして、連載といふ性格上仕方がないのかも知れませんが、一路線につきもつと頁を割いて欲しいと願ふのはわたくしだけでせうか。せつかく取材に行つて、僅か4頁で纏めるのはいかにも勿体ない。

さう思はせるのは、言ふまでもなく内容が充実してゐるからこそであります。
まづは路線の選択。くりはら田園鉄道や三木鉄道のやうに、ごく最近まで走つてゐたものから、「日本瓦斯製造専用線」「蹴上インクライン」みたいに「何ソレ?」と言ひたくなるやうなメイニアックな路線まで、変化に富んでゐます。
そして個人的に嬉しいのは、地元名鉄線が4路線も収録されてゐること。全体の割合からすると、かなりの高率ではありますまいか。もつとも、それだけ多くの名鉄線が廃線となつた証左でもあり、単純に喜べぬのですが。

一口に廃線跡と言つても、その興味対象は幅広うございます。橋脚・トンネル・駅舎・プラットホーム・レール・架線柱......それらが完全に形として残つてゐるものもあれば、朽ち果てて辛うじてその面影を偲ばせるものも。
著者はそれらの全てに愛情を注ぎ、まるで旧友を訪ねる旅のやうに廃線跡を目指すのです。ノンフィクション作家らしく、地元での聞き込み、取材も万全であります。

鉄道からクルマ中心の社会となり久しうございます。いくら地元(私企業や自治体など)が躍起となつても、国が進めてきた政策には抗へません。しかしよく言はれることですが、鉄道が廃止されてその土地が発展したといふ例は無いのであります。寧ろ廃線後、雪崩を打つかのやうに過疎化、衰退化が促進されるのでした。三木鉄道で働いてゐたといふ男性の話にも「鉄道がなくなることは、町の活力がなくなることなんだよ」とありました。
梯久美子さんは抑制された文章の中に、地元の人々と触れ合ふ中で、控へ目ですが文明批評もちらつかせてゐます。声高に主張しない分、読者が考へる余地を残してゐると申せませんかね。

作家としての鑑賞眼の確かさと、テツとしての専門知識の豊富さが安心感を与へる最強の一冊ですな。ふと、この人に「阿房列車」を走らせて(執筆の意)欲しいなあと思ひました。
残念だつたのは、わが地元の「三河広瀬」駅にて、豊田名物「五平もち」を食して頂けなかつたことですな。2010年の取材だといふことですが、その後五平もちとの対面が実現したのかどうか、気になるところであります。

ぢや、又お会ひしませう。ご無礼いたします。



やっとかめ探偵団
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やっとかめ探偵団

清水義範【著】
光文社(光文社文庫)刊
1988(昭和63)年5月発行

2016年も無事に明けました。皆さま新年おめでとうございます。
子供の頃は、2016年が来るなんて思ひもしませんでした。1999年7月に「恐怖の大王」がやつて来て、この世は滅びるものだと、何となく感じてゐたものです。それがジェッターマルスの2015年も過ぎてしまつたとは、感慨深いものがあります。

元日は年賀状の確認。返事を出すべき人には出す。その後、何となく雑煮みたいなものを食す。切り餅は越後製菓。高橋英樹さんがバンバンやるやつです。初詣は地元の挙母神社。人が多いので適当に済ませます。

初夢はまた不思議なものでした。登場人物は、最後に会つてからもう10年以上経つ女性。もうその存在すら忘れてゐた人物なのに、この貴重な初夢に登場したのであります。しかも途中から彼女は、知らぬ間に別人になつてゐました。どうやらお茶の間タレントみたいです。名前も知らない芸能人が夢に出るとは、どういふ訳でせうか。

その後外出し、彼方此方をぶらぶら。現在は元日から営業する店舗も多いので助かります。子供の頃、少なくとも三が日は買物が出来なかつたことを思へば、便利になつたものであります。活中としては、本屋にも行きます。寒いのでトイレが近い。珍しく本屋のトイレを拝借。これは青木まりこ現象とは違ひます。某外国語関連の本(アルク)と、中公新書の新刊を購買して退店。

読書は清水義範氏。正月恒例であります。『やっとかめ探偵団』。「やっとかめ」とは名古屋弁。ご存知の方も多いでせうが、まあ「久しぶり」といつた意味でせうか。名古屋でも老人しか駆使しない語だと言はれ、実際わたくしはリアルに聞いたことはございません。名古屋言葉をバリバリ放つ人でも、「やっとかめ」は発さないやうです。

主人公は駄菓子屋「ことぶき屋」(名古屋市中川区にある)の主、波川まつ尾、74歳のお婆ちやんであります。その人柄を慕ひ、ことぶき屋には客がひつきりなしにやつて来ます。洟垂れ小僧から現役の警察官まで、まつ尾婆ちやんのファンなのであります。

そんな「ことぶき屋」の舞台、中川区で殺人事件が発生します。被害者は近所のお爺ちやんの一人、堀井民次。状況からして、嫁の紀子さんが怪しいといふことで警察もマークするのですが、さうかうする内に紀子さんが行方不明になる......
「ことぶき屋」に集ふ常連お婆ちやん達が、まつ尾の号令の下、情報収集に走ります。

息子の嫁の悪口ばかり言ふ粂山よね、「ここだけの話」を各所で喋りまくる芝浦かねよ、体力自慢の早坂千代、信心深く念仏ばかり唱へる吉川常、毎日同じ事を言ひ翌日また忘れる生田ハツ......「やっとかめ探偵団」は真相に迫ることが出来るのでせうか。

本格ミステリではなく、名古屋弁を駆使した人情ほのぼの物語ですな。殺人は起きるけれど、深刻さはなく、さつぱりした性格の波川まつ尾婆ちやんのキャラクタアで読ませる一作と申せませう。だらだら過ごす正月に読むには、最適ではありますまいか。
不安材料は、あまりにバリバリの名古屋弁が連発するため、東海地区以外の人が読んで理解出来るのだらうか、といふ点であります。
デハデハ。今年も又お世話になります。よろしくお願いします。