源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
間宮兄弟
無題

間宮兄弟

江國香織【著】
小学館(小学館文庫)刊
2007(平成19)年11月発行

本書を原作とする映画に、村井美樹さんがちよつと出てゐましたので、何となく手に取つた次第です。
間宮兄弟とは、兄・明信35歳と、弟・徹信32歳のふたり。明信は酒造メーカーに勤め、徹信は小学校の職員らしい。彼らは二人きりで生活してゐて、兄弟仲はかなり良い方のやうです。
実家の静岡には母と祖母が住んでをり、父親は既に亡くなつてゐるといふことです。母の誕生日には東京へ招き、二人でお祝ひをするといふ、中中親孝行な面も持ち合はせてゐます。

兄弟揃つて、女性にはもてないやうです。兄は初対面の女性から「最悪だわ」と思はれる容姿みたいだし、弟は小太りであります。少なくとも世間一般でいふイケメンではないのでせう。女性からすれば、恋愛対象ではないが「良い人」との位置付けでせうか。
そして二人とも少なからず失恋経験を持つ。失恋した時は、兄の明信は酒に溺れ、弟の徹信は新幹線を見に行く。二人とも分かりやすい行動を取るので、お互ひに「あ、失恋したな」とすぐにバレてしまふのでした。そんなこんなで、彼らはもう女の尻は追はない、と決めてゐるらしいが......

そんな兄弟ですが、やはり女性との接点は保ちたいらしく、自宅でカレーパーティーを計画し、気になる女性を招待せんと企みます。レンタルビデオ店の店員・直美と徹信が勤める小学校の教師・依子であります。案外簡単に誘ひに乗つてくれた二人ですが、どうなりますことやら。何となく結末が予想できさうな......
そして明信の会社の先輩である大垣さんは、妻の沙織さんと離婚したがつてゐる。大垣さんは同僚の美代子さんと仲良くしたいらしい。徹信は大垣さんに義憤を覚え、沙織さんの味方をします。何のことは無い、ここでも間宮兄弟は振り回されてゐるのです。

間宮兄弟は多趣味で(しかしそのすべてはインドアのもの)、心地良く過ごす術を心得てゐます。少々オタク気質だが、他人に迷惑をかける訳でもありません。心の片隅に充たされぬものを内包しながら、別にこれで良いぢやん、とこれからも生活してゆくのでせう。
江國香織さんがこの小説の構想を練つてゐた頃は、たぶん間宮兄弟は現実離れした存在だつたのでせう。しかし時代は急激に「間宮兄弟」に追ひついてきました。同居こそしてゐなくても、実際に彼らのやうな兄弟は存在し、増えてゐるのではないでせうか。
30代でも、まるで高校生のやうな思考回路。しかも極端に不器用な彼ら。そんな人たちを、一歩離れた場所から暖かい眼差しを送ることができるなら、本書は心地良い一冊と申せませう。
わたくしですか? 否、わたくしは別に......



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椰子が笑う 汽車は行く
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椰子が笑う 汽車は行く

宮脇俊三【著】
文藝春秋(文春文庫)刊
1988(昭和63)年4月発行

台湾、ソ連に続く海外鉄道紀行であります。今回は東南アジア篇とでも申せませうか。全四篇が収録されてゐます。時期としては1983-1984年頃でせうか。もう30年以上経つのであります。

時刻表のない旅―フィリピン」を見てみませう。宮脇氏は元元「時刻表メイニア」で、時刻表を読んでゐるうちに汽車に乗りたくなる質ですの で、本来時刻表がないのに乗るといふのは本末転倒の筈ですが、種々の事情でフィリピンの鉄道に乗ることになりました。
当時のフィリピンは治安が悪く、衛生事情もよろしくないといふことで、出発前にいろんな人から脅されます。
鉄道の情報も日本では入りません。フィリピン観光省の東京事務所でも、鉄道のことは分からず「現地で聞いてくれ」の一点張り。癪に障つた宮脇氏が、思はず「その程度の知識で、よく観光係がつとまりますな」と悪態をつくほど。

文藝春秋の編集者・加藤保栄氏(後の作家・中村彰彦氏)との二人旅で出発しますが、フィリピン上陸と同時に、たちまちダニーと称するポン引きにつかまります。しかしポン引きさへ頼らざるを得ない状況で、結果三人旅になるのでした。
しかしこのダニー、当初こそ女の子の紹介に熱心だつたが、ある時点から宮脇氏たちに協力的になります。
以前ダニーが日本からの客を世話したところ、気に入られて日本への招待を受けた。しかし2月の福井といふことで、東京から遠いし雪は見たことがないし不安なので、宮脇氏たちに日本に着いたら会つてほしいと頼んだのです。加藤氏が頷いたところ、「ダニーの顔に喜色があふれ、この瞬間から彼は変った。あの厚かましいポン引きガイドではなくなった」。
まるで映画のワンシーンのやうな、ドラマティックな展開であります。しかしその後、約束の2月になつてもダニーは現れなかつたさうです。件の日本人が不義理をしたのか、真相は分かりませんが。

他の3篇ですが、まづ「泰緬鉄道とマレー半島の国際列車」。旧泰緬鉄道(「戦場にかける橋」で有名なクワイ川鉄橋がある)の路線が一部残つてゐて、しかも現在も営業してゐるといふことで、宮脇氏は加藤氏と共に、日本人への複雑な感情が残るタイの現地を訪れます。
日本軍が多くの人命を犠牲にして建設した悲劇の鉄道。犠牲者の慰霊碑や墓地などが併設された「博物館」も有るさうで、ここを訪れた外国人などは、たちまち日本人への憎しみが湧いてきて、日本人観光客にインネンをつけたりして絡むことがあるさうです。

続く「台湾一周二人三脚」では、再び台湾を訪れます。『時刻表おくのほそ道』でお馴染みになつた編集者・明円一郎氏と共に、新たに開通した「新台東線」などに乗ります。西側と比べて何かと発展が後回しにされた東側にも、立派な優等列車が走り始め、宮脇氏も感慨深げであります。

最後の「皆既日食ツアーは楽し―ジャワ島」は異色のルポで、鉄道がメインではありません。「インドネシアで(1983年)6月にスゴイ日食があり、それを目的としたツアーが組まれる。ついては折角のチャンスだから是非参加しなさい」との誘ひを受けた宮脇氏。正直天文にそれほど関心はないが、行かなければ勿体ないやうな気もするし、くらゐの気持ちで参加したさうです。無論自由時間を最大限に使つて鉄道にも乗るのですが。
一行の全員が星空を見上げて興奮している。私は疎外感をおぼえた」とか、「夜はまた一人で駅へ行った。天文ツアーにまぎれこんだ鉄道ファンは孤独なのである」などとぼやいてゐたのですが、いざ日食が始まると、流石の宮脇氏もやや興奮の面持ちで、一同と共に拍手の輪に加はつてゐたのです。
けれども、椰子の木は文明人を嘲笑っているように見えてしかたがなかった」「長い棒の先に「笑」という字を乗っけると、椰子の木そっくりになる」

フィリピン・タイ・マレーシア・インドネシア。現在でこそ特にビジネス面で注目の「新興国」ですが、30年前の姿は、まさに我々の脳内にある「発展途上国」そのもののやうです。
さういふ国々でも宮脇氏は、旅行社やガイドには文句を言ひつつも、肝心の鉄道に関しては、いかなる悲惨な現状でもそれを諾諾と受け入れてゐます。あたかも「鉄道には国境無し」とでも言ふやうに。大の大人が走行中の列車に投石するのが「普通」のフィリピンで、宮脇氏は実際に石に当る被害に遭つたのですが、それでも特段の感情を交へず淡々と事実を叙述してゐました。

巻末には、丸谷才一・木村尚三郎・山崎正和といふ豪華な顔ぶれによる鼎談が収録されてゐます。丸谷氏による「虚心を装う芸」論には流石と感じました。「厄介な事情をするりと切り抜けてゆく老獪さ。こういう芸も含めて、絶賛に値する随筆の名手だと思いました。考えてみれば、随筆の名手というのは、百閒がそうですけれども、実に煮ても焼いても食えない老獪な人間ですね。宮脇さんにはお目にかかったことはないけれど、やはり百閒系統の、悪質な男なんでしょう。(笑)

丸谷氏にかう評されるとは、最高の賛辞ではないでせうか。



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森鷗外【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1948(昭和23)年12月発行
1968(昭和48)年3月改版
1989(平成元)年4月改版
2008(平成20)年2月改版

この小説の語り手は「僕」であります。時は明治十三年(本作の執筆は明治四十四年~大正二年)、この「僕」と同じ下宿屋に止宿してゐるのが、医科大学の書生であるところの「岡田」君でした。
岡田君は特段のがり勉ではないが、必要な勉強はそつなくこなし、試験の成績は常に中位を保ち下位にはさがらず、しかし遊ぶ時はしつかり遊ぶといふメリハリをつける人。几帳面らしく、生活習慣は実に規則正しく、時計を号砲(ドン)の時刻に合はせるのを忘れた人は岡田君に時刻を尋ねるほどださうです。
勢ひ周囲の信頼も厚く、下宿屋のお上さんからは「岡田さんを御覧なさい」と、他の学生を諫める時に必ず引き合ひに出されるほどでした。

そんな岡田君の散歩コースに、無縁坂の家の女がゐました。彼の散歩時には、その女は必ず窓から顔を出し岡田君を見つめてゐるのです。どうやら岡田君が来るのに合はせてわざわざ表に出るやうだと岡田君本人も気付き、以降は脱帽し会釈するやうになります。女はそれが嬉しいやうです。

そもそもこの女は、末造なる高利貸しの下へ迎へられた「お玉」といふ女性でした。しかし末造は妻帯者で、高利貸しといふ職業も隠してゐました。真実を知つたお玉の心は、この旦那さんから離れていきます。そんな時、毎日極つて家の前を散歩する書生さんに気付き、まだ会話をした訳でもないのに淡い慕情を抱くやうになるのでした。無論、この書生が岡田君であります。

或る時、お玉の飼ふ鳥が、青大将に襲撃され、絶体絶命のピンチに立たされます。そこへ偶偶やつてきた岡田君が青大将を退治するのです。田中邦衛さんではないよ。その事件をきつかけに、お玉は岡田君と会話をする機会を得たのであります。
岡田君は事が済むと直ぐに立ち去つたので、お玉はお礼を述べるといふ口実で、次回岡田君が家の前を通つたら、思ひきつて声をかけやうと決心しました。

しかし運命は残酷であります。とことんツイてゐないお玉。お玉の念願を打ち砕いたのは、下宿屋の賄に、「青魚(サバ)の味噌煮」が供されたことでした。「僕」はこの献立が気に入らなかつたらしい。喰はずに、岡田君を誘ひ外へ出てしまひます。散歩中に、不忍池で戯れに投げた石が偶然雁に当り、雁が死ぬといふ印象的な出来事がありました。岡田君たちは無縁坂に差し掛かりますが、彼一人ではなく、「僕」がくつついて行つた所為で、お玉は声をかけるタイミングを失するのです。つまり語り手の「僕」の罪は大きいですな。

お玉といふ、幸薄い女性のはかない恋愛が読者の胸を打ちます。偶然当つた石で落命する雁と、偶然「僕」の嫌ひな献立が出たことで断ち切られたお玉の想ひ。それだけに、意図的ではないにせよ「僕」の偏食が恨めしいですな。子供ぢやあるまいし、サバの味噌煮をそこまで嫌ひますか。美味いのにねえ。

唐突に挿入されるフランス語単語の数々(“fatalistique”とか“solennel”など)には、まあ微苦笑で迎へるとして、そもそも語り手を「僕」にする必要があつたのでせうか。特に末造やお玉関係の出来事など、余人の知り得ない内容がわんさか有るのですが。一応最後の辺りで、その事情に関して言ひ訳をしてゐますが、とても首肯できるものではないよね。

......などとぶつくさ言つてみましたが、読後にはどつしりとした満足感が得られます。その文体はまるで明治の御代に別れを告げるかのやうに、(明治といふ空前絶後の変革期が生んだ)口語文小説の完成を急ぐ森鷗外の使命感みたいなものを感じるのであります。いや、わたくしがちよつとさう思つただけですがね。
ぢや、また。御機嫌よう。



僕が右翼になった理由、私が左翼になったワケ
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僕が右翼になった理由(わけ)、私が左翼になったワケ

鈴木邦男/和多田進【著】
晩聲社刊
1997(平成9)年7月発行

ソ連崩壊時に、東西冷戦が終りを告げ、もはや右も左もないと言はれたものですが、現実はさうでもありませんでした。相変らず極右・極左は存在し、特に不穏な国際事情を背景に、むしろ右側陣営の方は一層勢ひを増してゐるやうです。
本書で語り合ふ二人、鈴木邦男氏と和多田進氏は、いづれもさういふ段階はとつくに卒業してゐると思はれます。

この時鈴木氏はまだ一水会代表でしたが、既に第一線から身を引いてゐて、その活動・発言はよりリベラルに寄つてをります。最近の鈴木氏の人間関係は、むしろ左側と呼ばれる人たちとの付き合ひが多いやうです。当然若い時とは違ひ、狭い世界の集団的右翼活動(テロに訴へるなど)を否定し、より高次元の言論の世界での闘ひを意識してゐるといふことです。

一方の和多田氏は出版社「晩聲社」を立ち上げ、その出版物には奥付に「核時代」を併記し、価格表示は消費税分を(+悪税)と表現するなど、独特の活動をしてゐました。もつとも現在の晩聲社のホームページを拝見しますと、まるで韓国専門出版社みたいになつてゐます。代表者も韓国の方に代つてゐるやうです。

こんな両者がそれぞれ、生ひ立ちや思想的遍歴、政治観を語り合ふのです。面白くない訳がありません。その話題は革命・天皇制・民主主義・信仰・君が代と日の丸・教育・恋愛まで幅広い。どちらかといふと、和多田氏が攻め、鈴木氏が守る感じですが。
誤解を恐れずに言へば、この二人は真の「愛国心」を持つてゐると申せませう。
彼らの発言は、一般の人が思ひ浮かべる右翼的・左翼的思考とはかけ離れてゐて、いかにして自由な生き方を求めるか、の方法論は違ふ(それでも、共通点は多い)けれども、目的といふか到達点は同じだな、と存じます。
我我が認識してゐるさまざまな「価値」とか「意味」とか「体制」とかは、様々な先入感によつて結局別の物にすり替へられ、そのまま何の疑ひもなく受け入れてゐるものなのだな、とも。

和多田氏も述べてゐますが、本書はこれから世に出る若い人が読むのが良いでせう。無論おぢさんでも問題ない。和多田氏の発言ではないけれど、残された時間をいかに「一生懸命生きる」か、考へるにあたつて色々と刺激を貰へる一冊なのです。
ではまた。



新幹線食堂車青春日記
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新幹線食堂車青春日記

南洋志【著】
文芸社刊
2014(平成26)年8月発行

南洋志さんといふ方は存じ上げませんでしたが、文芸社なので自費出版でせうか。「みなみひろし」といへば、東映の故・南廣さんを連想しますね。たぶん無関係だと思ひますが。

実は古本屋にて、分厚い背表紙に『新幹線食堂車青春日記』と書いてあるのを発見し、購買したものであります。南洋志さん(ペンネーム)のプロフィールを見ると、わたくしなんぞよりも可也先輩でした。若い頃に新幹線の食堂車で働いてゐたさうで、本書はその経験を元に書いたフィクションであるといふことです。

「なに、新幹線に食堂車だと?」と思つた人もゐるかも知れません。確かに1964年に東京―新大阪の東海道新幹線が開通した時、乗車時間の短さから(当初の「ひかり」は両都市間を4時間運転、翌年から3時間10分運転となる)、食堂車は需要はあるまいと判断され、軽食を供するビュッフェのみの営業でした。
それが1975年に山陽新幹線が博多まで延伸されると、東京から通して乗ると7時間くらゐ(当時)かかるといふことで、供食サアヴィスの充実を図る必要が出てきて、新幹線にも食堂車の登場となりました。
しかし長距離の新幹線は航空機に客を奪はれ、比較的短距離移動(おほむね3時間以内)の乗客が多数となり、食堂車は次第にその役割を終へてゆくのでした。

南洋志さんが食堂車で働いてゐた時期は、1977~1989年といふから、まさに新幹線食堂車の歴史そのものであります。
もつとも、学校を出てすんなりと就職が決まつた訳ではなく、大学を中退した後、今でいふニート、ひきこもりを経験しました。これではいかんと、社会復帰を目指すが、出来さうな仕事が見つからない。そんな中、「これなら出来るかも」と応募したのが、新幹線の車内販売のアルバイトでした。
その後24歳で晴れて正社員に。もつとも、正社員になつた途端に給料から控除される税金や保険料にびつくり。アルバイトの時よりも手取りが少ないぢやないか!

早くも転職を考へた南さん(ナンちゃん)に、先輩の奈々ちゃんが思ひ留まるやうに説得します。これを機に、奈々ちゃんとの距離がグンと近くなり、しばしば二人きりで飲みに行く仲になります。でも、彼女には海外に彼氏がゐるらしい......
一方、やはり先輩ながら年下のミューちゃんとも仲良くなります。元元彼女とは、些細なことがきつかけで気まづい間柄だつたのですが、彼女に付き纏ふストーカー野郎を追ひ払つたことで、すつかり打ち解けてしまつたのです。案外モテるナンちゃん。
ミューちゃんの両親にも気に入られ、これは結婚も近いのではないかと思はれた二人ですが......

食堂車の内幕みたいな話はほとんど無く、そこで働く人たちの人間模様が中心であります。きつい職場らしく、人の出入りが激しい。中中新人が定着しないばかりか、チーフまで辞めてしまふ。スタッフは右往左往であります。そんな中でもナンちゃんはギャンブルにも興じ、風俗にも通ふ青春をそれなりに謳歌してゐるやうです。
そしてナンちゃんの恋の行方はどうなるのか? 奈々ちゃんとミューちゃんの間で揺れる心。気になるところであります。

特に期待をせずに読み始めた本書ですが、これが案外(と言つては失礼ですが)面白いのです。登場人物はかなり多いのですが、各人の性格付けもしつかりとなされてをり、500頁を超す大作ながら、ぐいぐいと読めるのであります。
関西人らしいユウモワもうまい具合に加味され、青春のほろ苦さ、切なさが表現されてゐました。ちよつと得をした気分と申せませう。

では本日はこれにてご無礼します。また逢ふ日まで。



空港まで1時間は遠すぎる!?
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空港まで1時間は遠すぎる!?  現代「空港アクセス鉄道」事情

谷川一巳【著】
交通新聞社(交通新聞社新書)刊
2013(平成25)年8月発行

我が家(愛知県豊田市)から飛行機に乗つて何処かへ行くとき、概ね中部空港(セントレア)へ行きます。電車で行かうとすると、知立と神宮前で二回乗換が発生します。大きな荷物を抱へてゐると、結構難儀であります。また、バスの場合、豊田市駅前から直通バスがありますが、これが時間がかかるのですよ。1時間20分くらゐですかな。早朝のフライトなんかは、暗いうちに出てタクシーか自家用車で行くか、前泊をしなくてはいけません。要するに不便であるといふことです。

日本の空港の弱点の一つは、そのアクセスにあると言はれてゐます。折角空路で時間を節約......と思つても、空港まで時間がかかり過ぎたら意味がなくなつてしまひます。2時間前には到着して搭乗手続きをせよ、などと言ふので、一層焦るのであります。新幹線なら10分前でも良いのに。

本書『空港まで1時間は遠すぎる!?』では、現在の空港アクセス事情を、鉄道の面から考察してゐます。
著者も述べるやうに、かつては空港へ鉄道を走らせるなんて考へられなかつた。何でわざわざ商売敵の飛行機に利する事をせねばならんの? といふ意識ですね。
しかし鉄道が交通の王者だつた時代は疾うに過ぎてゐるのです。首都圏対北海道の移動を例に取ると、確かに昭和30年代頃までは青函連絡船で北の大地へ渡る人が主流でした。しかし航空機が庶民にも乗れるやうになつた現在、空路:鉄路の比率は95:5くらゐまでになつてゐるさうです。つまり鉄道はライヴァルでさへなくなつたといふ訳。
さうなると、せめて空港アクセスは鉄道を利用していただきませう、と発想を変へてきたのであります。

第1章では、日本の玄関となる成田・羽田・関空を取り上げてゐます。
その中でも成田国際空港にかなりの頁を割いてゐます。それだけ問題が山積してゐるといふことか。とにかく都心から遠い。子供の頃は、成田新幹線なるものが出来て、遠くても時間はかからない、と聞いてゐましたが、周知のやうに結局新幹線は作られませんでした。
遠いといふことは、当然交通費も嵩むといふことですね。LCCなんてのが普及して、数千円の格安で空路を利用できる時代に、アクセスに同じくらゐの運賃がかかつたら、利用者から不満の声も出ませう。
羽田の再国際化が進み充実度が増す中、成田の存在意義すら疑はれる事態になりかねません。国が強引に建設を進め、多くの血が流された末に開港した成田。今後の行方はどうなりますやら。

羽田に関しては明るい話題が多いですな。課題も前向きなもので、まだまだ進化する余地があります。
関空のアクセスは、JR「はるか」・南海「ラピート」共に苦戦を強ひられてゐるさうです。確かに「ラピート」は、いつ見てもガラガラで、その実力を出せずに持て余してゐるかのやうです。

第2章では新千歳・中部・福岡の三空港を取り上げてゐます。新千歳は確かにいつでも賑はつてゐますな。賑はひ過ぎて、わたくしは敬遠していつも函館空港から帰ります。
福岡空港の便利さは反則級ですな。特段のアクセス鉄道ではなく、普通に地下鉄で直ぐに到着します。これでは山陽新幹線を擁するJR西も大苦戦するのは頷けます。でもこの空港、滑走路が中中空かなくて、上空で着陸待ちなんてことがあり、気持ち悪いのであります。

第3章はその他の、鉄道アクセスがある空港。即ち、仙台・大阪(伊丹)・神戸・米子・山口宇部・宮崎・那覇の各空港を紹介してゐます。
続く第4章は「そのほか、鉄道がアクセスに関係している空港」で、広島・熊本・丘珠・山形の4空港と、番外編として女満別・花巻の2空港を取り上げてゐます。

最後の第5章では、海外のアクセス事情を紹介してゐます。これを読むと、特にアジアのハブ空港と呼ばれるところは、利用者優先の考へが浸透してゐて羨ましい。交通機関に関しては、何となく日本はアジアの手本みたいな雰囲気があつたが、とんでもない話です。空港の遠さや運賃の高さ、24時間稼働しない空港など、問題は多い。著者は述べます「海外ではさして問題にならないことも、日本では問題になってしまう」「日本は世界の標準に合致していないことが多いように思われる
つまり、新幹線(特に整備新幹線)と同じですな。「日本の技術は世界一」などと浮かれてゐないで、謙虚に海外に学んでいただきたいものであります。