源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
文鳥・夢十夜
514O2687pIL__SX345_BO1,204,203,200_

文鳥・夢十夜

夏目漱石【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1976(昭和51)年3月発行
2002(平成14)年9月改版
朝日新聞での漱石作品「再連載」シリーズは、『』が終了して今度は『夢十夜』であります。もつとも、短い作品なので、先日既に連載は終了しました。聞くところによると、四月からは何と『吾輩は猫である』の連載が開始するさうです。しかし、『猫』の掲載誌は「ホトトギス」ですよ。もはや朝日新聞の再連載シリーズではないですな。朝日新聞版「漱石全集」の完結を目論んでゐるのでせうか。

さて『文鳥・夢十夜』には表題二作を含む全七篇の作品が収められてゐます。
冒頭の「文鳥」は、「自分」が鈴木三重吉に勧められて文鳥を飼ふやうになつた話から始まります。この文鳥の描写が素晴らしいのですよ。確かな観察眼は、『猫』で「吾輩」の生態を活写した文章で、我我は既に知つてゐます。家人は文鳥の世話を忘れがちです。「自分」も忙しさにかまけて、文鳥を気にしながらも放置することが多い。何だか胸騒ぎがするではありませんか。
夢十夜」は、各章が「こんな夢を見た」で始まる連作集。幻想文学作家としての夏目漱石が十二分に楽しめます。女の墓前で100年待つた男の話や、背負つた子供が急に重くなる話など、玄妙かつ不気味な味はひを持つたエピソオドが印象に残るのであります。
永日小品」は、随筆なのか短篇小説なのか、俄かに分類し難い短文が集められてゐます。「元日」「モナリサ」「蛇」「泥棒」「過去の匂い」「猫の墓」「人間」などがわたくしの好みと申せませう。

そして「思い出す事など」。忘れるから思ひ出す、まさにその通り。小林旭の渡り鳥シリーズで、アキラが亡くなつた恋人の事を、浅丘ルリ子に語る場面があります。ルリ子が、さうして彼女の事を思ひ出すわけね、などと言ふ。アキラは「思ひ出す事なんかない」と一見冷たい返事をしますが、その真意は「思ひ出すつてのは、忘れるからだらう。俺は彼女を忘れた事はない。だからわざわざ思ひ出す事もない」といふ事です。キザなのであります。
まあそれはそれとして、本作では所謂「修善寺の大患」を語つてゐます。明治43年8月24日の大吐血の後、三十分間の「死」を体験した漱石。意識が恢復した後の、この旺盛な執筆意欲は何なのでせうか。やはり死期を意識して、これだけは書き記してから逝きたい、との願望なのか。
かかる深刻な内容の作品でも、漱石の諧謔精神は活発であります。生死を彷徨ふ描写なのに、「うん? ここは笑つていいところか?」と読者を惑はすのです。

更に、恩師を語る「ケーベル先生」、病室での不気味な音を訝しがる「変な音」、短篇小説の側面が強い「手紙」が収録されてゐます。
三部作など長篇作品でお腹一杯になつた方も、本書は別腹で十分召し上がれます。美味。



スポンサーサイト
きしゃ記者汽車
31ZURsY-49L__SL500_BO1,204,203,200_

きしゃ記者汽車 国鉄全線完乗まで―

種村直樹【著】
創隆社刊
1984(昭和59)年3月発行

故・種村直樹氏、3月7日で生誕80年を迎へました。それを機に、『きしゃ記者汽車』の登場です。
本書は種村氏がレイルウェイ・ライターとして軌道に乗り、当時の国鉄線を完乗するまでの軌跡を辿つた自叙伝でございます。この表題を見ると、日本語を学ぶ外国人が「貴社の記者は汽車で帰社した」などと、念仏の如く繰り返すのを思ひ出すのであります。それはどうでもいい話。

周知の如く、種村氏は毎日新聞社の記者から華麗なる転身を遂げた人。では、そもそもなぜ新聞記者を目指したのでせうか。それはまことに意外なきつかけでした。
戦後の混乱期に少年時代を過ごした種村氏は、将来は何と「闇屋」になりたいと思つてゐました。しかし、時代が落ち着くに連れ、何となく技術者を目指さうかと考へを変へたさうです。そんな時、普段は大して親しくもない(むしろ煙たい存在だつた)ある同級生が種村氏に話しかけてきました。そこで将来の進路の話になり、その同級生は「僕は新聞記者になるんだ」と熱く語つたのださうです。この一言に触発された種村氏は、自身も新聞記者志望に転換するのでした。

見事毎日新聞社に入社した種村氏は、高松を皮切りに、大阪⇒名古屋⇒東京と勤務地を変へながら、社内外の地位を高めてゆきます。『周遊券の旅』などの著書も出し、「鉄道の種村」の名声は全国に広がることになりました。あの須田寛氏さへも、種村氏には一目置いてゐたとか。
そんな彼に、「国会担当」の辞令が出ます。花形の部署でありますので、本来なら栄転です。しかし種村氏は拒否しました。それまでも場当たり的な人事異動に嫌気がさしてゐて、何度も辞めやうかと思つた事があつたのですが、何とか踏み止まつてきました。しかし今回こそ潮時、とばかりに遂に辞表を出したのであります。
安定した新聞社勤務をわざわざ捨てる(しかも栄転なのに)といふ行為は、周りからは理解されず、さぞかし変人扱ひされたことと想像します。フリーの鉄道記者になるなんて、一般的には「失業」と同義語でせう。
しかしフリー転向後の種村氏の活躍は、読者が一番良く知つてゐます。本邦初の「レイルウェイ・ライター」として、他の追随を許さぬ仕事ぶりを見せつけました。

本書で特筆されることの一つは、過去の悪事を告白したことですな。少年時代から、どうも手癖が悪かつたやうです。幼時は、親の金をくすねたり、万引きをしたり、切符売りのばあさんの金を失敬したり。
思春期にも、列車のプレート(サボのことか)を常習的に盗んでゐたと。そして大学生になつてまた、その癖が再発し、遂に発覚し御用となります。
かういふ記述は、ファンとしては読んでゐて辛いものがあります。こんなこと書かなきや良かつたのに。実際、批判も多かつたさうです。悪事そのものに対する批判よりも、カミングアウトしたことに対する批判。
しかし種村氏は「十代を語るとき避けて通れない大きな過失」として、敢へて書いたと説明してゐます。

宮脇俊三氏をして、「ただの鉄道の本ではない」と言はしめた本書。確かに、鉄道情報よりも、一人の男の熱い生き方が余すところなく開陳されてゐるのです。
新聞社を辞めると妻・由子さんに告げた時、由子さんはかう答へました。
あなたが、そう決めたのなら、いいでしょう。母娘三人、路頭に迷わさないでね
並の女房なら、猛反対し夫を罵り、貴方にはついていけません、実家に帰らせてもらひます、くらゐの事は言ひさうぢやありませんか。
この奥様の存在あればこその、種村氏の活躍であつたと申せませう。ではまた。



>>続きを読む
「子供を殺してください」という親たち
61NZIyVsAVL__SX349_BO1,204,203,200_

 「子供を殺してください」という親たち

押川剛【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2015(平成27)年7月発行

いかにも重さうな内容を示唆する表題であります。手に取るのを躊躇するところですが、何となく目を背けてはいけない事が書かれてゐるのではと思ひ、一読した次第なのです。
心の病気と一口に言つても、その内容は実に多岐に亘ります。例へば認知症。誰でも発症する恐れがあり、実際多くの人が罹患してをります。わたくしも血圧を下げる薬を飲んでゐる為、将来に影響がないか不安に思ふところです。発病して夜間徘徊し、踏切に立ち入り電車を止めることが無いと、誰が言へるでせうか。

そんな様々な精神疾患ですが、以前は「精神病」などと差別的に言はれて、「隔離」の対象でした。昔の映画なんかで、精神病と認定された人が、無理矢理精神病院に連れられて行き、本人は「俺はキ○ガイぢやない、正常だ!」などと叫んでも強引に鉄格子(!)の中に幽閉されてしまふ場面がありました。映画『マタンゴ』(本多猪四郎監督)でも、久保明が無人島での体験を話すが、余りに荒唐無稽すぎると思はれたのか、精神病院の檻の中に入れられてゐました。

著者は、精神を病んだ人たちを、患者本人を説得した上で(強引な拘束などは排除し)医療の現場へとつなぐ仕事をしてゐる人。精神疾患の中でも、内に籠る場合と、外に爆発するケースがあります。本書では主に、後者に属する実例を紹介してゐます。
もう成人してゐるのに、社会への適応能力が著しく低く、仕事も長続きせず、悪いのは皆他人の所為だと被害妄想に陥り、親や兄弟姉妹に当り散らし、暴力を振るい家中を破壊しまくり、近隣住民ともイザコザが絶えず、「このままでは殺される」と生命の危機さへ覚え、警察に相談しても「事件がなければ動けない、何かあつたら連絡して」といふことで、万策尽きた親が著者に相談に来るさうです。その究極の依頼が、本書のタイトルになつてゐます。

著者は既に1000人以上を医療機関へ移送した実績を持つさうですが、その中で感じた問題や課題は、国レヴェルで解決しなければならぬ事が多いと。まづは、さういふ他人を殺傷する可能性がある患者は、どこの医療機関でも受け入れたくありません。運良く受け入れてくれても、やはりスタッフや他の患者とトラブルになつたり傷つけたり、病院の備品を損傷したりして、追ひ出されてしまふ。そしてかういふ、じつくりと長期で治療しなくてはいけない患者も、一律で最大三か月間しか受け入れてくれないのださうです。わづか三か月では、家に戻しても結局元通りで、何の解決にもならぬのであります。
何でも三か月以上入院させても、病院としてはカネにならぬのださうで。その辺の事情は本書を覗いてみて下さい。ここでも「最後は金目でしよ」といふ訳か。

著者は、かういふ患者たちの為に、専門の公益財団法人(スペシャリスト集団)の設立を提言してゐます。事実上、医療の現場から見離されてゐる患者たちは行き場がありません。放置は、即ち家庭の崩壊・殺傷事件の誘発を招きます。そのスペシャリスト集団は、経験豊かな警察官OBを中心に組織すれば良いと述べてゐます。せつかくの能力・経験を活かさないのはもつたいないと。
同時に著者は、患者の家族(多くの場合はその親)に対しても注文を付けてゐます。専門家に押しつけて、後はお任せします、ぢやあよろしくと、まるで他人事の親が多すぎるさうです。著者としては、むろん依頼を受ければ全力で解決に当るのですが、何よりも家族の理解と協力が必要であると。
子供の問題行動は、その親に原因がある場合が多いのではないかと、注意を促してゐるのです。憎まれるのを覚悟で(実際、この指摘には批判が多いさうです)問題解決のために敢へて苦言を呈す、といふところでせうか。

出口の見えない問題だけに、読後は重苦しさが残ります。しかし、知らないままだつたら、自分は偏見を持つたまま過ごすのだらうな、と思ひますので、やはり多くの人が目を通すべき一冊ではないかと存じます。

では今夜はこんなところで。御機嫌よう。



1200食のマーケティング
51-PU7fxt1L__SX350_BO1,204,203,200_

1200食のマーケティング

黒田節子【著】
商業界刊
1988(昭和63)年9月発行

1200食とは、人が一年で取る食事のことらしい。一日三食+αとして、このくらゐになるだらう、といふのが著者の弁であります。ちよつと多いのではないかとも思へますが、まあ感覚的なものなので、専門家に任せませう。
仮に1200食として、この数字が今後劇的に増える事はまづ考へられませんね。しかも今後は人口減社会に突入しますし。カミカゼタレントは一日に5食も6食も取る人がゐるさうですが、一方で一日一食で済ます人もゐるでせう。
この1200食を、外食産業やらSMやらCVSやらが奪ひ合ふ訳です。

日本においては、「家族」とか「世帯」の観念が大きく変化してをります。それが食事の内容にも反映されていて、家庭の食卓がどのやうに変化したかを辿つてゐます。
周知の如く、かつての家庭の台所は、専業主婦といふ存在が一手に握つてゐました。「杓子権」「杓子渡し」なる伝統があつたのですね。勉強になるなあ。

それが、核家族化や有職主婦の増加、外食産業の発達などで、家庭の食事に変化が表れます。
形態としては、より少人数のための食事。「個食化」「小食化」「孤食化」
作り手の側から見ると、調理の外注化。即ち調理済み食品、ひと手間だけで食べられる(主婦が「これも手間をかけてゐるのだから、立派な料理だわ」と、うしろめたさから免れるための)食品が主流になつた。

著者の見立てでは、この変化は1975(昭和50)年前後から始まり、四半世紀くらゐかけて、2000年頃に完成を見るといふことらしい。本書の出版は1988年なので、予言の書としても興味深いですな。
この一連の流れを著者は「素食革命」と呼称し、伝統的粗食から都市型の素食へ(「そしょく」の漢字に注意)変化が進行してゐると。
戦後しばらくの日本は、とにかく食べる物に飢ゑてゐました。商品が有るだけで売れる状態。需要が供給を完全に上回つてゐたのです。生活が豊かになるにつれてその需給関係が逆転し、競争状態に入りますと、商品の内容や店舗の利便性などが問はれるやうになりました。
つまり売り手または作り手側(川上)から、買ひ手(川下)側発想で商品開発をし、売場の構成を変化させる必要がある、といふことですな。

我我の食事を振り返つてみても、忙しい時にとりあへず腹に詰め込む食事から、時間をかけて優雅に楽しむディナーまで、同じ一食でもさまざまであります。著者は食事の類型を四つに分類し、夫々「素食型」「定食型」「あ・ら・かると型」「グルメ型」と称しました。なほ本来グルメとは、産地から食材にこだはり、自ら調理する人の事ださうです。美食家などと邦訳されたせいか、単に美味しい食事を求めて味はふだけの人もグルメと呼ぶやうになりました。著者は、さういふ人達を厳然と区別し、特に「都市型グルメ」と呼称してゐます。
つまり著者は、供食会社に対して、自分の強みと弱みを知つた上で、1200食のうちの何食に喰ひ込めるか、キチンと分析しなさいと提言してゐるのでせう。著者一流の皮肉も効いた、文化人類学的な面白さも併せ持つ、充実の一冊であります。




箱根の山に挑んだ鉄路
41R4O98XQSL__SX298_BO1,204,203,200_

箱根の山に挑んだ鉄路 『天下の険』を越えた技
青田孝【著】
交通新聞社(交通新聞社新書)刊
2011(平成23)年8月発行

箱根とか小涌谷とかの地名を聞いて、どんな連想をするか。芦ノ湖でせうか。温泉でせうか。いづれにせよ、観光のイメエヂぢやないでせうか。
しかし、流通業の人なら「研修」を連想するかも知れません。朝早くから、夜まで(夕方ではなく文字通り「夜」)講義漬けで、しかも宿題が出るので、僅かな自由時間も自由にならず、就寝直前まで勉強しなければならない。とても一杯呑む気分ぢやないのです。ああ、これは個人的な体験ですね。賛同は得られぬことでせう。

もう一つ与太話。いや出典は確かですがね。井上ひさしさんが幼時の頃、疎開先に柳家金語楼がゐたさうです。何か芸をしてほしくて、毎日金語楼の家に行くのですが、金語楼は芸を見せる代りに、馬尻の水を浴びせたさうです。
しかし一度だけ反応してくれたことがあり、金語楼は汽車の車掌の声マネをして、箱を立てて「ハコダテー、ハコダテー」。次いで箱を寝かせて「ハコネー、ハコネー」と発声し、直ぐ家の中に戻つたとか。(『大アンケートによる日本映画ベスト150』より)

で、漸く本題の『箱根の山に挑んだ鉄路』。昔日より東海道の難所として立ちはだかつた箱根の山。東海道線も当初は山越えを諦め、現在の御殿場線経由で東西を結んでゐました。
しかし箱根は有名な温泉地であり、明治以降は東京の奥座敷として富裕層に注目されてきました。ここに観光用の登山鉄道を敷設しやうと考へても不思議ではありません。
本書は、「世界第二位の登山鉄道」箱根登山鉄道と、箱根観光にその社運を賭けてきた小田急電鉄を中心に、交通の面で箱根が如何なる変遷を辿つたかを示す一冊であります。

第一章では、現在の箱根登山鉄道(箱根湯本~強羅間)の乗車リポート。8.9キロメートルで標高差445メートルを登る、世界でも有数の登山鉄道であります。ああ、また乗りたくなつてきました。
第二章は、箱根路の歴史を辿ります。律令国家時代まで遡り、箱根のルーツを探る。元は「筥荷(ハコニ)」などと表記されたらしく、古代朝鮮語の「パコニ(=筥または函の意)」に由来するとか。この辺は朝鮮半島からの帰化人が多かつたのですね。
第三章では、箱根にいかにして鉄道が敷設されてきたか、或はこなかつたかを、企業間の仁義なき争ひも交へながら紹介してゐます。
第四章は、東京からの観光客を運び続けた小田急ロマンスカーの歴史を振り返ります。首都圏の子供たちの憧れだつた(現在も?)ロマンスカーは、愛知県育ちのわたくしが想像する以上の存在感があつたのです。たぶん。
そのロマンスカーも、NSEの頃までは高速運転を意識してゐたやうですが、線路容量の問題などから、結局スピードが出せる環境になく、その能力を持て余してゐるみたいですね。

「箱根」について丸ごと語つた一冊と申せませう。著者も述べるやうに本書は、以前登場した『ゼロ戦から夢の超特急』と関連があります。『ゼロ戦から夢の超特急』を読んで気に入つたなら、是非この本も手に取ると良いでせう。
デハ、ご無礼します。