源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
達人に学ぶ鉄道資料整理術
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達人に学ぶ鉄道資料整理術

柳澤美樹子【著】
JTB(マイロネBOOKS)刊
2003(平成15)年1月発行

テツ活動をする人は、何かとモノを蒐集する性癖があります。関連書籍・雑誌であつたり、切符類であつたり、駅弁の紙、駅スタンプ、写真、模型、時刻表......それこそ枚挙に暇がありません。
それらの蒐集方法から、整理・収納・保存など、誰もが頭を悩ませる種々の問題を、各分野を極めた泰斗たちにインタヴューし、我我凡人の参考に供するといふのが本書の目的のやうです。

これら達人たちのコレクションを見てまづ思ふことは、如何なる分野であれ、その道を極めた人のコレクションは、個人的趣味を離れて社会的価値を持つといふことですな。
例へば和久田康雄氏の蔵書「新金沢文庫」。私鉄各社の社史や統計年鑑はもちろん、明治時代の鉄道設計図面集とか、日本全国でもここ以外に存在するのか?と思はせるほどの稀覯書が揃つてゐます。もはや個人研究を超えてゐて、公的な法人が管理するレヴェルでは。
また、駅弁関係の林順信氏。最近の鉄道車両は窓が開きませんので、昔のやうに駅で購買することは少なくなり、デパートの駅弁市なんかの方が売れるさうです。そんな現代だからこそ貴重な掛け紙、お茶の土瓶のコレクションなどは鉄道のみならず日本の風俗史の貴重な史料と申せませう。
余談ですが、昔のお茶は土瓶に入れて販売してゐました。わたくしの世代はすでに、プラスチックの容器に変つてゐまして、何だか変な臭いがしたものです。昔の人が土瓶の思ひ出を、半ば自慢気に語るのを聞くと、口惜しい喃と思ふのです。

また、愛着を感ずる自らのふるさとに限つて史料集めをする方も多いのに感動しました。横浜に限定してあらゆるグッヅを蒐集する「横浜博士」の長谷川弘和氏、広島在住で「中国地方」の鉄道関係の資料を後世に残さんとする長船友則氏......
鉄道といふのは、いはば中央集権の象徴。それだけに、一地方から見た鉄道史は埋もれ、いづれ忘れ去られる運命になりがちであります。趣味の世界とはいへ、かかる活動には頭が下がる思ひでございます。

面白いのは、複数の人が次のやうなことを言ふ。「趣味の世界に拘らず、何かを極めやうとする人は、富士登山をする人に似てゐる。アプローチの方法は色々あるが、結局行きつくところ(頂上)は同じである」と。
わたくしも中途半端にモノを集めてゐますので、何か参考になるかしらんと思考したのですが、彼我のあまりの相違を知つた今では、そんな大それた気分になれませんな。ただ口をあんぐり開けながら読むのみでした。デハこれにて失礼。



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風立ちぬ・美しい村
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風立ちぬ・美しい村

堀辰雄【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1951(昭和26)年1月発行
2011(平成23)年10月改版

5月28日は、堀辰雄の命日でした。一日過ぎてしまひましたが。
彼の作品で一番有名なのは、やはりコレでせうか。「美しい村」「風立ちぬ」の中篇二作であります。両者は一応別作品なのですが、関連性が高いのでセットにして一冊としてゐます。

堀辰雄といへば軽井沢。特に信濃追分は、東京生れの堀にとつて、新たなふるさととして思ひ入れの強い土地だつたやうです。
信濃追分駅は、静かで落ち着きのある、まことに良い駅です。宮脇俊三氏によると、この信濃追分駅を「西軽井沢」に改称しやうといふ不埒な動きが、不動産屋の陰謀で持ちあがつたらしいが、地元の反対で中止になつたとか。さもありなむ。堀辰雄も、草葉の陰でほつとしたのではないでせうか。
ところで、避暑地「重井沢」を舞台にした漫画があつたのですが、誰か知りませんか。みなもと太郎さんだつたやうな気がするけれど、自信はありません。

師と仰いだ芥川龍之介の愛人の娘(片山総子)と恋に落ちたのも軽井沢。肺を病んでゐた堀は、療養のため、屡々軽井沢を訪れてゐたのです。そして片山総子と別れ、傷心を癒さんとやつて来たのも軽井沢。そこで、運命の人である矢野綾子と出会ひます。このあたりから「美しい村」の題材と重なるのでした。

「美しい村」では、小説の構想を練る「私」が、絵を描く一人の少女と出会ひます。この作品ではと「少女」とのみ記され、名前は出てきませんが、矢野綾子がモデルであることは間違ひありますまい。
創作の悩みと少女への思ひに揺れる「私」。恋愛に至る萌芽のやうなものが甘酸つぱく、抒情性豊かに展開されます。誰しも経験したであらう、好意が恋慕に至る過程、そして不安。何でもないやうな仕草や一言に揺れる心。おつさんには眩しい一篇であります。

続く「風立ちぬ」。こちらでは少女に「節子」といふ名が付けられてゐます。彼女の父の依頼で、サナトリウムで療養する節子に付き添ひ、共に入院することになつた「私」。父親が二人の仲を認めたといふことでせう。
しかし節子を診察した医師の言葉は残酷でした。「......こんなにひどくなつてしまつてゐるとは思はなかつたね。......これぢや、いま、病院中でも二番目ぐらゐに重症かもしれんよ......」

難病に日々窶れて、弱つていく節子。病状をはつきりと伝へられてゐない彼女ですが、「私」の心を盗み取つたのか、全てを悟つたやうな気弱な態度を見せる。しかし、今の生活は、あとになつてみれば、どんなに幸福で美しいものであつたか分かるでせうと言ふ節子。泣けるではありませんか。
もはやこの二人はまだ婚約者の関係ながら、長年連れ添つた夫婦のごとく、口に出さずとも双方の思ひが手に取るやうに伝はるのでせうね。

ボリス・ヴィアン『うたかたの日々』(『日々の泡』)をも連想する、美しくも儚い物語。心の弱つてゐる時に読むと、両の眼から熱いものが溢れることでせう。



これでいいのか、急行・快速
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これでいいのか、急行・快速

寺本光照【著】
中央書院刊
1992(平成4)年12月発行

先達ての「はまなす」廃止によつて、本州対北海道の夜行列車が無くなつてしまつたのですが、同時にJR線から「急行」の種別が消滅したといふ意味もありました。
これは大きなことですよ。戦後の混乱期を除けば、明治以来走り続けてゐた「急行」ですから。洋の東西を問はず、優等列車の基本は急行なのですね。その基本を失ふわけです。

イギリス語でも「Express」が基本。上位種別は「Limited Express」で、限定急行略して限急......とはならずに、日本では特別急行略して特急と呼称してゐます。更に上は、「Super Express」超急行即ち超急、ではなく我が国では超特急と呼びました。
現在では「超特急」の種別はなく、長い国鉄の歴史を見ても、戦前の「燕」、戦後の「ひかり」の二例だけだと思ひます。いづれも超特急としては短命で、ほどなく「特別急行」に改められてゐます。
因みに、これも現在のJRには存在しない「準急行」即ち「準急」のイギリス語は、「Semi Express」なのださうです。やはり「Express」といふ単語が入つてゐて、優等列車はすべて「急行」から派生してゐると申せませう。

本書では、寺本光照氏がそんな急行列車について論じます。国鉄からJRグループに移行してからまだ数年の1992(平成4)年頃の執筆でありますので、この時点では126本の急行列車が走つてゐたさうです。当時既に、急行の全廃が予想されてゐたにしては、随分本数が多いな、といふ印象であります。
しかし、1968(昭和43)年10月(いはゆる「よんさんとお」)のダイヤ改正時には、実に1259本の急行が走つてゐたさうですので、やはりその激減ぶりは一目瞭然なのです。

寺本氏がその原因として挙げるのは、以下の通り。

①国民所得の増加により、特急が大衆的な列車になった
②未電化幹線では電化に伴い、急行の特急格上げが行われた
③合理化により、優等列車の種別が特急に一本化され急行が廃止された。
④ローカル線ではモータリゼーションの進展により急行が自滅した


もはや特急は一部のセレブの利用する列車ではなく、庶民も乗車する乗物となり、遅くて車内設備もお粗末な急行は敬遠されるやうになつたのでせう。
JRも、急行型車両の新造は行はず、座して死を待つ感じでしたね。特急は回転式リクライニングシートが普通になりましたが、急行は相も変らず固定式直角座席では、特別料金を徴取する列車としては失格と申せませう。「踊り子」に使はれた185系電車なんかは、急行にぴつたりだと思ふのですが、旧国鉄~JR東はがめつくも特急として走らせました。

本書の前半は総論、後半は各論で愛称別に論じてゐます。急行のみでは分量的に不足するからか、「快速」も同様に俎上に乗せてをります。こんなところにも「急行」の凋落ぶりが窺はれて寂しいのであります。
また、私鉄の有料急行も取り上げてゐます。東武鉄道の「りょうもう」は、特急並の設備を持つた急行として人気がありましたが、実際にその後特急に格上げされました。かうなると、ツマラナイですな。

なほ、「快速」のイギリス語表記は「Rapid」が一般的ですが、JRとしての列車種別は、あくまでも「普通列車」なのださうです。ゆゑに急行と違ひ、特別料金は不要で乗車券のみで乗れます。都市部の快速は特急顔負けの韋駄天列車が多いですが、ローカル線の快速は急行からの格下げなんかが目立ち、勢ひがありません。

旅情豊かな「急行列車」の復活は難しいかも知れませんが、せめて本書でその片鱗でも味はひませう。若大将の唄のセリフではありませんが、「さみしいなあ、君がいないとつまんねえや」といふ心情であります。ではまた。



浅草博徒一代
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浅草博徒一代 アウトローが見た日本の闇

佐賀純一【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2004(平成16)年8月発行

本好きの人なら誰でもさうだと思ひますが、わたくしもこれまでは興味のある本はとりあへず購買し、しかし読書速度は購入頻度に追ひつかず、それでも買ひ控へをすることなく、勢ひそのまま積読となる書物が数多くあるのです。
しかも必ずしも購入した順番に読む訳ではありません。後から購入した本がより興味を引く内容ならば、先輩書籍を差し置いて先に繙くことになります。結果、積読本は増えこそすれ減ることは無く、中には最大で購入後38年経つても未読の本が我が家にはあるのでした。

この『浅草博徒一代』も、さすがに38年とは言ひませんが、購入後12年近くに達してゐました。このたび、やうやく読んでみて、激しく後悔したものです。もつと早く読むべきだつた!
いやあ、とにかく面白いの一言であります。しかし「面白かつた」だけで終ると、白痴的な感想文になるので、少しだけ蛇足を。

著者の佐賀純一氏は、本職は医者なんですが、作家活動も旺盛であります。どうやら聞き書き形式の作品が多いやうですね。さういへば本書も同様でした。
或る時、佐賀先生の診療所に、背中一面に刺青を入れた老人がやつてきました。佐賀さんはこの男に「ありきたりの言葉ではとうてい言い尽くすことのできない不思議な魅力」を感じ、診察と治療を引き受けたのであります。男の名前は伊地知栄治、1906年生まれ。
次第に二人は親しくなり、佐賀さんは伊地知の家に招かれるほどになりました。そこで話される伊地知の半生が、ひどく佐賀さんの興味を引き、結局かういふ一冊が誕生した訳です。

15歳の時に「お佳」なる女性に出会つたのが、アウトロー人生の始まりでした。以後やくざの世界に入り、裏街道を歩くことになります。バクチ打ちとして生きることになり、「出羽屋」の親分に預けられました......

当時のやくざは、暴力団とは違ひ、その資金源は専ら賭場の上がりでした。変な副業(?)などはしなかつたさうです。ゆゑに賭場の客を大切にし、映画やドラマみたいに、負けて身包み剥がされて裸で追ひ出されるなんてことはあり得ないとか。同様に、いかさま博奕なんかはとんでもない。
とにかく、地元の住人たちから悪い評判が出ないやうに、当時のやくざは腐心してゐたらしい。
大正から昭和戦後にかけての、ドサクサ時代。間違ひなく、ここにはもう一つの現代史があります。「正史」だけでは歴史は語れないなあと強く感じるのであります。

伊地知栄治の話は、聞けば聞くほどその先を知りたくなる痛快なものです。伊地知以外の登場人物もユニイクなキャラ揃ひ。あまりに面白いので、これは佐賀先生の創作ではないかしらんと疑念を抱くほど。
教訓としては、「気になつた本はさつさと読め!」ですね。
デハご無礼します。



寝台特急カシオペアを追え
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寝台特急カシオペアを追え

西村京太郎【著】
祥伝社(祥伝社文庫)刊
2009(平成21)年2月発行

北海道新幹線の開業と引き換へに、青函トンネルを通る優等列車はすべて廃止となりました。「カシオペア」については、専用車両であり車歴もまだ浅いといふことで、存続に一縷の望みを抱いてゐたのですがねえ。

JR九の「ななつ星in九州」の成功以来、JR西も東も、クルーズトレインとやらの開発に力を注いでゐます。カシオペアも、今後はさういふ団臨扱ひで残るさうですが、三泊四日の日程で、客室によつては60万円ほどの料金になるとか。
うーん。個人的には、それだけのお金を出すなら(出せないけど)、もう少しお金を足して、本物のクルーズ船に乗る方がずつと良いと存じます。国内外の富裕層を狙つてゐるのでせうが、その前に、圧倒的多数を占める庶民が便利になるやうな列車を走らせて頂きたいものです。

以前「サンライズ」「カシオペア」以外の夜行列車は全廃されるだらうと述べた事がありますが、結局定期列車として存続するのは、「サンライズ瀬戸・出雲」のみといふことになりますな。でもこの列車、名古屋は深夜帯といふことで停まらないのであります。
夜行列車が無くなるといふことは、明白なサアヴィス低下であります。北海道に上陸して、朝一番から活動できる便利さが良かつたのに。今後は、青函フェリーの使用も考へねば。かつての青函連絡船を彷彿とさせ、かえつて味があるかも知れません。

さて、この寂寞感を埋めるべく、『寝台特急カシオペアを追え』を読む。文庫カヴァーの説明文を引用すると―

女子大生・小野ミユキが誘拐された。身代金は二億円。犯人の指示で父親の敬介一人が現金を携えて上野から<カシオペア>に乗り込んだ。十津川と亀井は東北新幹線で先回りし郡山から乗車するが、敬介も二億円も消えていたのだ! 傑作長篇。


いかがですか。王道でございますね。人命最優先の原則通り、警察は犯人の指示に従ふのですが、結果身代金はそのまま奪はれるは、被害者の父親まで誘拐されるはで、十津川警部痛恨の失敗。犯人像に迫る十津川は、同じ刺青を入れたさるカルト集団の一味に狙ひをつけ、それは的中します。
犯人たちは海外逃亡の時間を稼ぐため、こともあらうに「カシオペア」に爆弾を仕掛けたと連絡してきました。犯人が搭乗する飛行機も逃亡先も分かつてゐるのに、「カシオペア」の乗客を人質に取られた警察は身動きが出来ません。最後に十津川が打つた手とは......これが奇想天外といふか、前代未聞といふか、現実味がないとか、非常識だとか、要するに滅茶苦茶な策を弄するのです。賛否あるでせうが、とにかく驚きます。

気になるのは、相棒のカメさんこと亀井刑事の発言の数々。何だかたるい台詞が多いのです。「犯人は、どうしているでしょうね?」とか「犯人も、カシオペアに、乗っているんでしょうか?」などと、十津川に聞かれても困るぢやありませんか。さういふ台詞は、もつと平凡な格下の刑事に任せていいでせう。

なほ、わたくしは徳間文庫版を所持してゐますが、ここではより入手しやすいと思はれる祥伝社文庫版を挙げておきます。悪しからず。
とまあ、今日は、そんなところです。またね。



アイスクリン強し
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アイスクリン強し

畠中恵【著】
講談社(講談社文庫)刊
2011(平成23)年12月発行

先達ての5月9日は「アイスクリームの日」でした。日本で初めてアイスクリームを販売した日なのかと思つたら、さういふ訳でもないやうです。日本アイスクリーム協会とやらの商策により、1965(昭和40)年に制定されたさうです。
日本初のアイスクリーム販売は、明治2年、横浜の「氷水屋」によるもの。当時の呼称は「アイスクリン」。此方の方が原語に近いのですがね。昔の日本人は、耳で聞こえた通りの表記をしてゐました。ステンショ(station)とか、ヘボン(Hepburn )とかね。わたくしは天邪鬼なので、「オードリー・ヘボン」とか、「ヘプバーン式ローマ字」などと口にしては嫌はれてゐます。

といふ訳で、いささか強引ながら『アイスクリン強し』。
物語の舞台は明治の23年くらゐですかな。『しゃばけ』シリーズよりも時代が下つてゐます。登場人物は20代前半の若者たちが中心ですが、新しい時代に対応しやすいと思はれるそんな若者ですら、江戸から明治への大変化には戸惑つてゐるさまが見てとれます。
主人公は良く分からないけれど、タイトルからして多分、洋菓子屋の皆川真次郎なる若者。そして「若様組」を名乗る、若手警察官の面々。この若様組は、元元士族の跡取りたちだつたのですが、御維新でその身分を失ひ、警察官となつてゐる集団であります。そして成金の娘・小泉沙羅を加へたメムバアで、話が進んでいきます。

「序」に続いて、「チヨコレイト甘し」「シユウクリーム危うし」「アイスクリン強し」「ゼリケーキ儚し」「ワッフルス熱し」の5編が並んでゐます。美味しさうなタイトルであります。
といふことは、真次郎くんが作る洋菓子が話の中心になるのかと想像したのですが、実際は若様組・真次郎・沙羅が、その周辺で起こる様々な事件に巻き込まれるてんやわんや(死語か?)の物語でありました。活劇あり、ミステリイありの群像劇も悪くはありませんが、せつかくの洋菓子屋「風琴屋」が生かされてゐないのは残念であります。

ところで、「序」では若様組の面面と真次郎くんに、「若い御仁方へ」といふ匿名の手紙が届きました。その手紙には、二つの指令が提示されてゐたのです。即ち、手紙の送り主を突き止める事と、送り主が欲してゐるものを考察してそれを手に入れる事。奇怪な話ですが、彼らにはあまりにも多くの出来事が降りかかるので、結局謎が解けたのは最終章でした。しかしどうもスッキリしない幕切れ。
などと思ふのは、わたくしの頭が硬直化してゐるからでせうか。きつとライトノベルとやらを好む人なら、愉しめる一冊かも知れません。

とりあへず、アイスクリンを食べたくなつたので、冷凍庫を覗いてきます。再見大家。



霊能力の秘法
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霊能力の秘法 チャクラをめざめさせ、異次元に入れ

本山博【著】
徳間書店(トクマブックス)刊
1982(昭和57)年6月発行

本山博氏が昨年9月に亡くなつてゐたことを知り、ここでその著書を取り上げんと欲するものです。享年89。それにしても迂闊なことでありました。ちやんと報道されたのかな。
本山博とは何者ですか? と問ふ人もゐるかも知れません。もつとも、『霊能力の秘法』なる表題を見れば大方の想像がつくでせうね。ユネスコも認めた超心理学者・霊能者であります。ここまで聞いて、いかにも興醒めだといふ顔付で「あ、さうなの」と呟き、口元に皮肉な微笑を浮かべる人がゐさうですね。まあ、それも仕方がない。

本書で著者が主張するのは、平たく言へば「霊能力は一部の特別な人にだけ与へられたものではない。それは潜在的に誰でも持つてゐるが、皆気付かぬだけである。トレーニング次第でその能力を開花する事ができるので、読者の皆さんも是非チャレンジして卓袱台」といふ事だと思ひます。
「ある人のことを思ひ浮かべたら、たちまちその人が現れた」
「初めて来た筈の場所だが、以前も来たことがあるやうな気がする」
「夢で見たことが、現実に起きた」
「朝から何となく嫌だなあと気分がすぐれぬ日、事故に遭つたり、身近な人に不幸があつた」
「人と話してゐる最中に、その人が考へてゐることが手に取るやうに分かつた」
なんてことは、偶然ではなく、極初歩的ながら、霊能力を発揮したと考へられるのださうです。

第一章で霊能力がどんなものか解説し、第二章ではなぜこんな現象が起こるのかを説明してゐます。頭が冴えた状態ではなく、半覚醒状態といふか、あまり何も考へずにボーとしてゐる時に起こりやすいとか。
第三章「霊能力はこうして開発する」では、トレーニング方法が説明されてゐますが、その内容はヨガに通づる「健康法」ですな。しかし<トレーニングのときの注意>が16項目も並んでゐて、五月蝿いことこの上無いのであります。
第四章は「霊能力を身につけるこの方法」。前章のトレーニングは、いはばウォーミングアップで、これだけでは開発出来ぬらしい。引張るねえ。エネルギーを如何に取り入れ、体内にめぐらせるか。どうやらポイントは呼吸法・座法のやうですな。
最後の第五章「霊能力はチャクラでめざめる」では体内にある七箇所(眉間・尾骶骨・下腹部・腹部・心臓・喉・頭頂部)のチャクラと、そのめざめさせ方を解説してゐます。結局、「修行」レヴェルのストイックさが求められるのですね。

悪用すれば自らに厄災が降りかかる、と霊能力を使用する際の注意を述べてゐますが、割とあつさりとした忠告です。余程の覚悟を持つた人以外には勧めない方が良いと思ふのです。霊能が有る人には、色色なものが寄つてきますからなあ。これらの対処法も同時にしつかりと身に付けたいものです。わたくしも昔、トレーニングの真似事を始めた事が有りますが、次第に変なものを感じるやうになり、怖くなつてやめてしまひました。興味本位で首を突込まぬ方がいいと申せませう。

デハ又会ふ日まで。御機嫌よう。



汽車旅は地球の果てへ
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汽車旅は地球の果てへ

宮脇俊三【著】
文藝春秋(文春文庫)刊
1989(平成元)年11月発行

宮脇俊三氏の海外鉄道紀行シリーズも、ますます秘境度が高まつて参りました。タイトルも『汽車旅は地球の果てへ』と、大きく出ましたね。球体である地球に果てがあるのかどうか、わたくしには良く分かりませんが、まあ本書の雰囲気を端的に表現してゐると申せませう。

本書には6篇収録。まづは「アンデスの高山列車」。憧れのペルー中央鉄道のルポであります。高山過ぎて、並の日本人がイキナリ行くと、高山病にかかり危ないのですが、よりによつて宮脇氏は若い時に肺結核を患ひ、片肺状態なのださうです。肺活量は人並み以下で、階段を上るだけで息切れがする体質で、とてもペルーの高所に堪へられさうにないのですが、「死ぬ確率が三分の一ぐらいなら行きたいのですが」と医者に訴へ、強引に許可を得ます。医者も「行くなと言っても、聞き入れそうもない顔をしてらっしゃるし」と諦め顔。
幸い汽車旅では呼吸困難に陥ることはなく(ホテルでは酸素ボンベのお世話になりましたが)、列車内では演出で酸素吸入器を使用し、撮影させる余裕もありました。
普段は鉄道一辺倒で、観光にはまるで興味を示さぬ宮脇氏も、さすがにペルーでは「マチュピチュ」に興奮してゐます。いいなあ。

続いて「人喰鉄道・サバンナを行く」。人喰人種がゐる訳ではなく、アフリカのウガンダ鉄道の話であります。当地を植民地としてゐたイギリスが建設したのですが、その酷薄な労働条件により、多くの人命が失はれたさうです。極寒・猛暑はもとより、マラリアなどの伝染病、そして猛獣たちの襲来により絶命した労働者たちの多さから「人喰鉄道」と称されたやうです。
特筆すべきは、本稿の最後に、数ページに渡つて現地の写真が掲載されてゐることです。宮脇氏は自著に写真を入れる事を頑なに禁じてゐます。写真や図解を入れると、自分の文章の敗北だと感じてゐたやうです。実に珍しい例外であります。

他に、「フィヨルドの白夜行列車」「ジブラルタル海峡を渡る」「ナイル川の永遠」「オーストラリア大陸横断列車」と、中中日本人が気軽に乗れない鉄道に、編集部の力を借りて乗つてをります。かうして見ると、「地球の果てへ」といふフレイズも、あながち大袈裟ではありませんね。それぞれの旅が一冊の単行本として発表されてもいいくらゐの内容・密度であります。これらを一冊に纏めてしまふのは何だかもつたいないなあと感じるところです。
いづれにせよ、この時代の宮脇俊三は最強ですな。

デハデハ。機会が有れば又。



小泉八雲集
無題

小泉八雲集

小泉八雲【著】
上田和夫【訳】
新潮社(新潮文庫)刊
1975(昭和50)年3月発行
1994(平成6)年6月改版

新潮文庫の分類は、大きく「日本の作品」「海外の作品」に分けられてゐます。かつては「草」「赤」「白」などと、岩波文庫同様に帯の色分けで分類されてゐました。トップナムバアの「草1A」は、長らく『雪国』(川端康成)であつたと記憶してをります。
同じく「日本の作品」とされてゐる小泉八雲なる御仁は、元元ラフカディオ・ハーンといふギリシャ生まれの英国人でしたが、来日以後、どうやら日本を気に入つたやうで、日本人女性と結婚し、さらに日本国籍を取得、「小泉八雲」と名乗るに至りました。
しかし彼はその著作を日本語ではなくイギリス語で発表してゐます。その内容も、未知なる日本といふ国を、西洋に紹介せんとする意図のものが大半なので、海外の作品の方がしつくりくるのであります。デビッド・ゾペティさんや楊逸さんのやうに、日本人を対象にして日本語で発表する場合は構はないでせうが。

まあいい。実はそれほど拘泥してゐる訳ではありませんので。『小泉八雲集』が面白ければ問題ないのであります。
小泉八雲は来日以来、多くの著作を精力的に発表してきました。それらの美味しい部分を集めたアンソロジイですので、詰まらない訳がございません。即ち『』『日本雑記』『骨董』などから、日本各地から集めた怪談話が披露されてゐます。
特に『怪談』は「Kwaidan」として、映画にもなるなど、有名な存在ですな。あの「耳なし芳一のはなし」も収録されてゐます。ああ痛さうだ。ただし、映画版は、『怪談』以外からもエピソオドが選ばれてゐます。

知られぬ日本の面影』からは、「日本人の微笑(The Japanese Smile)」が収録されてゐますが、いやまつたく、秀逸な日本人論であります。面白い。当時は英国人の生真面目さに比して、日本人の軽さが外国人を惑わせてゐたらしい。戦後の高度経済成長期の日本人こそ、勤勉で真面目と言はれましたが、明治期の日本人は不気味な笑顔をふりまく得体の知れぬ存在だつたのでせう。小泉八雲は、日本人の微笑を分析するには、上流階級は参考にならない、古来からの民衆の生活を知らないと理解できぬと指摘してゐます。昔から日本人は意味もなく(でもないけど)、へらへらと笑つてゐたのですねえ。

日本の庶民を愛した小泉八雲ですが、当時の日本は文明開化から間もない、大いなる過渡期でした。西洋に何とか追ひつかうと、庶民の生活や意識も劇的な変化を遂げる、まさに真最中と思はれます。当時の若い層を中心として、西洋に学ぶ一方、古来の日本らしさを軽んずる風潮を、小泉八雲は苦々しく思つてゐたやうです。
2016年に生きる我々にも、参考になり勉強になる一冊と申せませう。