源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
鉄道公安官 0番線
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鉄道公安官 0番線

島田一男【著】
春陽堂書店(春陽文庫)刊
1976(昭和51)年8月発行

 去る6月16日は島田一男氏の20回目の命日でした。娯楽小説の何たるかを知悉する島田氏。現代小説・時代小説を問はず、その双方で活躍し、テレビドラマの原作になつた作品も数多いのです。
 どの作品を選んでも安心できるのですが、たまたま「東映チャンネル」で、昔のドラマ「鉄道公安官」をやつてゐて懐かしかつたので、鉄道公安官シリーズにいたしました(もつともドラマは島田氏の小説を原作とはしてゐませんが)。
 因みにドラマの主人公は石立鉄男さん。当初はホームドラマの印象が強い彼ではミスキャストだなあと感じてゐましたが、現在改めて観るとそれほど違和感はございません。ま、西郷輝彦さんによる前作「新幹線公安官」の方がより好みでしたがね。

 さて『新幹線公安官 0番線』は、「海堂次郎」シリーズの一作であります。
「0番線」とは何か。通常は旧国鉄の駅ですと、駅本屋(駅長室がある建物)側から順番に1番線・2番線......と乗場ホームに番号を振ります。名古屋駅の場合は、新幹線を入れてホーム8本、17番線まであります(9番線が欠番のため、16ではなく17)。
 しかし何らかの理由で、駅本屋側に新たにホームを設ける場合がございます。その際新ホームを1番線とすると、従来のホームも一つづつ数字を変へなくてはなりません。こりや大変だ。
 そこで「0番線」を登場させ、変更による工事や出費を最小限にするのであります。近所では「岡崎駅」の愛知環状鉄道線(元国鉄岡多線)の乗場が0番線となつてゐます。

 ストオリイに密接な関係を持つ急行「能登」が登場しますが、若い人にとつては、最近まで走つてゐた上野発(信越線経由)金沢行の列車を思ひ浮かべるでせう。しかし当時の「能登」は、東京駅発(東海道線経由)で米原から北陸線に乗入れてゐました。
 ほかにも、特急「富士」(第一・第二)「おおとり」「みずほ」「はと」、急行「那智・伊勢」「第二せっつ」「出雲」「瀬戸」「あかつき」などの名前が見え、オオルドファンは涙を流しさうです。
 名古屋始発の循環急行「しろがね」「こがね」も登場。「しろがね」のルートは、名古屋-岐阜-高山-富山-米原-岐阜-名古屋(「こがね」はその逆ルート)。

 例によつてミステリの内容は書きませんが、王道過ぎて、わたくしは何となく先が読めてしまつた。犯人も予想通り。それもいいでせう。陽性の文章で展開する海堂次郎の活躍や、新幹線開通前の東京駅の描写が興味深い。ミステリファンもテツも納得の一冊と申せませう。



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シャンソン・カンツォーネ・ラテン
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歌う歓び、生きるよろこび 
シャンソン・カンツォーネ・ラテン 永田文夫訳詩集


永田文夫【著】
アーバンプロ出版センター刊
2016(平成28)年5月発行(増補版)

先月亡くなつた永田文夫氏の訳詩集であります。訃報には大きなショックを受けたものです。
永田氏はシャンソンを中心とした、欧州や南米などの大衆音楽を日本に紹介し続けた人。この永田氏と、同じくシャンソンなどフランス文化を紹介してきた永瀧達治のふたりは、わたくしに大きな影響を与へました。彼らを知らなかつたら、仏文学を専攻しなかつたかも知れません。

特に永田文夫氏がDJを務めるレイッディオウー番組は、貪るやうに聴いたものであります。シャンソンではないけれど、フリオ・イグレシアスを日本で初めて紹介し、レコード会社に呼びかけてアルバムを発売してもらつたのも永田氏(本人談)。フリオが「ビギン・ザ・ビギン」で大ブレイクする数年前の事でした。
なほ、永田氏の文章を愛読するあまりわたくしも影響を受け、「~と申せましょう」とか、「(その成果は)如実に表れました」などのフレイズは現在も自分の文章の中に紛れ込んでゐます。

さて『シャンソン・カンツォーネ・ラテン』であります。永田文夫氏は訳詩も多く手掛けてをり、「愛の讃歌」は有名な岩谷時子訳と違ひ、原詩に忠実な背徳的な内容を含む歌詞となつてゐます。その他にも、競作となるほど有名なものから、未だに日本で紹介されないアーチストの作品など、幅広い選曲でございます。
訳詩は、CDの歌詞カードにおまけで付いてくる「対訳」とは違ひ、そのまま歌手が歌へる「歌詞」でなければなりません。即ち、作詞能力が求められます。日本のシャンソン歌手の多くが、「永田訳」を採用する事実を見ても、その作品の完成度は高いと申せませう。

ところで、本書の初版は2000(平成12)年。今回、このタイミングで増補版が出版されたのは、永田氏の追悼の意を込めての上梓であらうなどと考へてゐました(それにしては早すぎるとは思つたが)。
しかるに何ぞや、冒頭の永田氏本人による「はじめに」といふ文章の日付は、「2016年(平成28年)4月吉日」となつてゐるではありませんか。つまり予定通りの発行だつた訳ですね。
おそらく本書の刊行を見届けてからの逝去だつたのでせう。さう考へると、少し救はれた気がいたします......



翻訳英文法
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翻訳英文法 訳し方のルール

安西徹雄【著】
バベルプレス刊
1982(昭和57)年4月発行
2008(平成20)年9月新装版発行

所謂英文法の本は、それこそ星の数ほど出てゐますが、翻訳を志す人の為に書かれた文法書は、わたくしの知る限り本書が本邦初であります。
英語が得意な人なら翻訳が出来るかといふと、それは大間違ひ。翻訳は英文解釈の延長線上にはなく、新たな日本語文章を構築する力が必要であります。しかし、具体的にどうすればいいの? といふ疑問に応へたのが、この『翻訳英文法』でございます。

名詞・代名詞・形容詞・副詞・動詞......と品詞別に、豊富な例文と「安西試訳」を駆使して分かりやすく解説します。演習では安西氏が直接関つた「バベル翻訳学院」の受講生の翻訳を添削する方式で展開。受講生が原文を理解しきれず苦し紛れに書いた訳文を読むと、まるで自分の事のやうに思へて恥かしくなります。

また、共通テキストとして、江川泰一郎氏の『英文法解説』(金子書房)を採用し、この本から多くの例文を引用してをります。わたくしも高校時代、この黄色い表紙の「江川の英文法」にはお世話になつたものであります。無味乾燥な凡百の英文法書と一線を画してゐてお気に入りの一冊でしたが、翻訳のプロも認めてゐたと知り、嬉しくなつた次第。

訳し方のテクニークは様様ありますが、原則中の原則が序章の冒頭に述べられてゐます。即ち「原文の思考の流れを乱すな」といふことであります。
周知のやうに、英語の構文はSVOが基本。主語の直後に動詞が配置されてゐますので、文意の重要順に並んでゐると申せませう。しかるに日本語では結論となるべき動詞が最後なので、文意を完全に理解するまでのストレスがあります。ただ単にヨコのものをタテにすれば良いといふものではありますまい(最近はヨコ書きの日本語も一般的ですが)。

また、代名詞は極力訳さない(必要があれば固有名詞を繰り返した方がいい)とか、複雑な構文は一度再構築して訳してみるとか、英語の品詞通りに日本語にする必要が無い(原文が形容詞でも、日本語では形容詞を充てない方が良い場合もある)とか、学校英語しか触れてない人には参考になるであらう考へ方が惜しげもなく開陳されてゐます。
いはばプロの翻訳家の手の内を明かす側面もあり、同業者から苦情が出ないか心配になるほどであります。

そして最終章で、「何よりも大切なこと、三つ」と称して「英語を知ること」「日本語を習うこと」「翻訳という仕事を愛すること」を挙げてゐます。これを読むと、軽い気持ちで(デモシカで)翻訳でもやつてみるかなと思つてゐる人には耳が痛いでせう。
あへてエラソーに言へば、「誠実さ」が欠かせない徳だと個人的には思ひます。今をときめく舛添要一氏も数冊の訳書を世に問ふてゐますが、過去の翻訳をめぐる不誠実な対応がニュースになつてをりました。似たやうな事例は、例へば大学の教授と教へ子の関係でしばしば起きてゐると仄聞してゐます。自分に手の負へない仕事は断る勇気も必要ですね。

オヤ話がそれてしまひました。申し訳ない。ちよつと疲弊してゐるやうですので、休息いたします。デハデハ。



アサッテの人
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アサッテの人

諏訪哲史【著】
講談社(講談社文庫)刊
2010(平成22)年7月発行

カタカナで「アサッテ」と書かれると、わたくしなんぞは、どうしても東海林さだおさんの漫画『アサッテ君』を連想してしまひます。無論本作とは無関係でありますが。
こちらの『アサッテの人』は、諏訪哲史氏のデビュウ作となる中篇小説。かなりヘンテコな小説だと聞いてゐたので、少し身構へながら読み始めたのであります。

読書前に世間での評価を知る事は邪魔になるので、普段はレヴューの類には目を通さぬのですが、本書についてはチラと天存の頁を覗いてみました。すると☆ひとつから☆五個まで、まんべんなく揃つてゐました。中中珍しい。益益気になるところであります。

さて、その内容は―
「私」の叔父が姿をくらましました。折しも叔父の住む団地が老朽化のため取り壊しとなるため、市の管理事務所から移動の督促をしたいのですが、その叔父本人と連絡が取れないといふことで、身元保証人たる父親の代理で「私」が部屋に残された物の後始末にやつて来たのであります。そこで発見したのが、三冊の大判ノート。叔父の、日々の日記とも所感ともいへぬ手記が記されてゐたのでした。謎の多い叔父の秘密を解かうと、「私」はノートを基に小説『アサッテの人』を執筆することを目論んだのですが―    
「あらすじ」を追ふことは余り意味をなさない小説ですね。叔父にとつての「アサッテ」とは、「凡庸」とか「月並」とかへの嫌悪が元になつた概念のやうです。吃音症だつた経験が原因だつたのか、或は妻の朋子さんの死がアサッテ化の加速に拍車をかけたのか。突然叫ぶ言葉「ポンパ」とは何か。「タポンテュー」とは何か。そしてエレベーター内で人知れず奇行を繰り返す「チューリップ男」への限りない共感。「彼を嗤う者は、その前に自分の、常識に溺れきった凡庸さを嗤え」(本文より)と言ひきるのであります。

ふむ。ここまでは良い。しかし叔父は、さらなる「アサッテ」の完成を目指しました。それには、まづ「アサッテ」が貫くべき「凡庸さ」を鍛へなくてはならないと考へました。
張りつめられた弓弦のないところに放たれる矢がありえないように、凡庸という張りつめられた定式がなければ反動としてのアサッテはありえない。ゆえにアサッテを先鋭化するには、まずもって凡庸の耐えられなさ、凡庸の強度を鍛えねばならない」(本文より)
いやあ、危険ですなあ。ここから叔父のアサッテは、いはば「計算された」アサッテとなり、矛盾を生ずるやうになるのでした。ここでは「思考上の転倒」と表現されてゐます。なるほど、叔父が失踪するべき理由はここでお膳立てされてゐるではありませんか......

結論から申しますと、実に面白く拝読しました。かなり実験的な手法を採用してゐるのに、物語としての体裁も整つてゐて、頁を捲る手が止まりません。おそらく作者自身の性癖思考が、登場人物の叔父さんに色濃く投影されてゐるのでせう、小説といふ文学形式が何となく定型化し、さらには形骸化することの(すでにしてゐる?)反抗のやうに見えます。さういへば同じ作者によるコラム集『スワ氏文集』でも、従来のコラムやエッセイとは決別しやうとの意図が感じられました。

読書子は一度読んでみることをお薦めします。しかし、この小説は読者を選ぶ側面もありますので、必ず満足しますよとは申しません。一読して「ナンダコリャ」と当惑する可能性もございますよ。



教養としての世界史
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教養としての世界史

西村貞二【著】
講談社(講談社現代新書)刊
1966(昭和41)年6月発行

コムパクトに世界史を概観しませうといふ書物は数多くあります。学生時代にあまり熱心に勉強しなかつた人(わたくしのことです)が読むのでせうか。ここでは、故・西村貞二氏の『教養としての世界史』を登場させます。この方、オスカー・ワイルドの個人全訳を成し遂げた西村孝次氏のお兄さんなのですね。無学なわたくしは知りませんでした。

さて、このタイトルですが、ちよつと厭らしいですね。「教養としての」なんて。中には「いや、俺は『もういちど読む山川世界史』で十分だぜ」と主張する向きもゐらつしやるかも知れません。
まあまあ。山川出版社の本も良いけれど、アレは基本的に「教科書」であります。西村氏の著書は、単に、各国の歴史を編年体で述べたものではありません。著者も語るやうに、しよせん新書一冊で世界史を俯瞰するのは無理といふもの。
そこで、西村氏の言葉を借りれば、本書では「世界史の肖像画をえがく」ことを眼目としたらしい。

肖像画は、個人の風貌をたんにリアルにえがくのでなくて、時に思いきったデフォルメをするとき、かえって特色がにじみ出るのではないでしょうか」(「まえがき」より)

なるほど、写真みたいな写実的な肖像画は、記録的な意味はあつても、それ以上でも以下でもない。しかしデフォルメは、その人のもつとも特徴的な要素を強調するので、より印象に残るのであります。
例へばフランス革命。「数巻の書をもってしても委曲をつくせません」(著者)といふことで、時系列の解説を廃し、その代りに「三つの視点」(①革命の性質について②革命の上げ潮と引き潮について③外国との関係について)を挙げることで、その全体像や歴史的意義を浮き彫りにしてゐます。

つまり、お手軽に入門書を一冊読んで、何となく分かつた気分にさせてくれるといふものではなく、本書を読んだ後では、それぞれの事件・出来事についてより深く突込んで知りたくなるのでした。この辺りが「教養としての」などと豪語する原因ですかな。

では今夜はこんなところで、ご無礼します。



中国火車旅行
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中国火車旅行

宮脇俊三【著】
角川書店(角川文庫)刊
1991(平成3)年9月発行

宮脇俊三氏は鉄道のためなら、地球の裏側や北極の近くまでも喜喜として出かけて行きます。しかしながら、近隣国である中国は後回しになつたやうで、その原因は単純に鉄道に乗る機会がなかつたからださうです。即ち宮脇氏にとつては、ある土地に行つたことがある、とは「鉄道に乗つたことがある」と同義語なのでした。
何せ中国は広大であります。鉄道網も発達してゐて、その総延長は52000キロに及びます。宮脇氏は地図を眺めては、いつの日か乗りたいと、大事に取つておいた国なのでした。

そして遂にその日はやつてきました。しかも三年連続で中国の鉄道旅が実現するといふ、それまでの渇きを一気に潤さんとするかの快挙です。日本交通公社(現JTB)と角川書店のお陰で、編集者同行、ガイド付きの旅行となりましたが、それまで一人旅が基本だつた宮脇氏としては、若干窮屈な思ひもしたらしい。まあ、海外では何が有るか分からないし、結果的にはこれで良かつたのですが。
なほ念の為に添へると、中国語で汽車といふと、自動車を指します。日本語の汽車は、「火車」といひます。

初の中国行は1985年(第一章)、北京-広州間2313キロの乗車であります。写真家の山内氏が同行し、現地では桂さんといふ中国人ガイドが付き添ひます。行程の時間的余裕があり過ぎて、北京で近場まで汽車で往復したいと所望しますが、予約が必要なので、突然の乗車は無理だとガイドに断られます。本当だらうか。中国人は、外国人に対して見栄を張るので、庶民の乗る汚くて古い汽車に乗せたくないのでは。しかし現地では勝手な行動を取ると、後々面倒なことになるので、渋渋従ふ宮脇氏であります。せめて地下鉄に乗らうとして、「地下鉄は予約しなくても乗れるのでしょう」と皮肉を込めた発言をしますが、中国人ガイドには通じませんでした。

二度目は1986年(第二章)、上海-烏魯木斉(ウルムチ)間4079キロ。乗車時間は81時間(三泊四日)と、さすがに大陸鉄道で、スケールがでかいですな。ルートの後半は、まさにシルクロードをトレースいたします。角川書店の渡辺氏が同行。
宮脇氏も感心してゐましたが、中国の鉄道は日本ほどではないけれど案外時間に正確なのですね。貨物列車も多く、単線区間も長いので、ある程度正確に走らないと混乱をきたすのでせう。ところが、予期せぬ事態に巻き込まれ、17時間以上の遅れが発生したのであります。烏魯木斉から乗る飛行機に間に合ふのか?

そして三度目は1987年。大連-哈爾浜(ハルビン)間944キロ(第三章)と、成都-昆明間1100キロ(第四章)の2路線。同行するのは、『シベリア鉄道9400キロ』でもお馴染みの、角川書店の「ヒルさん」。全行程をガイドするのは、中国人女性の「鮑淳彦」さん。漢字だけ見ると、日本人の感覚では男性かと勘違ひしさうであります。この人、やる気があるのか無いのか分からぬところがありますが、最低限の仕事はしてくれます。
今回は10日もの旅程であります。2路線のみにしては長丁場ですが、ガイドの要請で必要以上に乗り継ぎに時間をとるかららしい。特に哈爾浜から成都への移動に二日もかけるので、全体にゆつたりとしてゐます。

行程があらかじめ決められてゐて自由度が少ないとか、外国人専用の上等な車両にしか乗れなかつたり、庶民用の美味しさうな弁当は食べさせてもらへないし、ホテルではVIP扱ひされたり、気軽にふらりと汽車に乗れなかつたり、写真を撮れない区間があつたり、ビールは冷えてなくて温いし(現在の中国は冷えたビールがあります)と、何かと日本とは勝手が違ふのですが、我が宮脇氏は悠々と全てを受け入れます。
やはりこの国に来ると、日本でせかせかしてゐたことを忘れ、すべてがどうでも良くなる傾向があります。現在は経済成長とともに、昔よりも忙しなくなつた印象ですが。それが良いことか、悪いことか、わたくしには分かりませんなあ。



風車小屋だより
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風車小屋だより

アルフォンス・ドーデー【著】
桜田佐【訳】
岩波書店(岩波文庫)刊
1932(昭和7)年7月発行
1958(昭和33)年10月改版

最近は「ドーデ」といふ表記が一般的のやうですが、ここでは岩波文庫版に敬意を表して「ドーデ―」で通しませう。
筒井康隆氏の『乱調文学大辞典』で「ドーデ―」の項を引くと、ただ一言「何が?」と書いてあります。初めて読んだ時は吹き出したものです。これが仮に「ドーデ」ならば、この項は成り立ちませんので、やはり「ドーデ―」に一票投ずるところであります。

アルフォンス・ドーデー(1840-97)は、風光明媚な南仏プロヴァンスの風車小屋へ移住しました。今風に言へば田舎暮らしでせうか。うさぎやふくろうといつた「先住民」たちを驚かせながらも、自然と田園生活に溶け込む様子が活写されます。
ドーデ―はこの地で、パリに住む友人に宛てた手紙形式で、30篇(「序」を含む)の短篇を収めた『風車小屋だより』を執筆するのです。ただし岩波文庫版では、27篇しか収録されてゐないやうです。残る3篇はどこへ行つたのだらう。意図的に翻訳しなかつたのでせうか。

内容は、主に風車小屋のあるプロヴァンスでの出来事を綴つたものですが、実際に見聞したことや伝聞で知つたことを題材にしてゐます。「スガンさんのやぎ」「法王のらば」といつた動物を擬人化したものや、「散文の幻想詩」「黄金の脳みそを持った男の話」のやうに幻想的な物語、「アルルの女」「二軒の宿屋」みたいな悲話など、文字通りの珠玉篇が読者の胸を打つのであります。
中でも、後に歌劇で有名になつた「アルルの女」は、タイトルとなつたアルルの女本人は登場せず、彼女に心奪はれた若者の行動を描写することで、読者の想像を掻き立てます。

毎日忙しく、精神的に余裕のない生活を余儀なくされてゐる人なんかには、最適の一冊ではないですかね。ドーデ―の風車小屋を想起しながら、一服いたしませう。
デハ御機嫌よう。ご無礼いたします。