源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
シェイクスピア物語
30428106.jpg

シェイクスピア物語

チャールス・ラム【著】
松本恵子【訳】
新潮社(新潮文庫)刊
1952(昭和27)年7月発行
1996(平成8)年8月改版

さて沙翁イヤー(没後400年)の最後に、ラム姉弟の『シェイクスピア物語』であります。少年少女向けに、沙翁作品理解の一助の為に書かれました。無論沙翁の原作は戯曲ですが、ここでは小説形式で易しく書き直してゐます。
日本ではリライトといふと、原典を冒瀆するとか、マイナスのイメエヂがあるかと思ひますが、英語圏では昔からリライトは一つのジャンルとして確立してゐるとか。さういへばわたくしも中高生の頃、単語2000レヴェルのペイパーバックシリーズを結構読みました。

ラム姉弟は沙翁作品のうち20篇を選抜し、悲劇を弟チャールスが、喜劇を姉メアリが執筆しました。ちなみに沙翁の一ジャンルを為す「歴史劇」は無視されてゐます。なんでですかね。
新潮文庫版は松本恵子さんの訳。「前がき」を読むと、翻訳に当つて「新かなづかい」「制限漢字」の範囲内で書くために苦心をしたと述べてゐます。それが原因で表現を変へた箇所もあるさうです。無駄で無意味な努力だと思ひますよ。学校の教科書ぢやないのだから、当用漢字なぞ気にすることはないのに。
ページ数の関係で、本書では七篇が割愛されてゐます。訳者によれば、「筋が同系であったり、あまりおもしろくないと思うもの」ださうです。しかし、後期の「浪漫喜劇」が複数入つてゐたり、逆に中期の「問題喜劇」が一篇も収録されてゐなかつたりして、バランスが良いとは申せません。単に人気作を選んだだけではないでせうか。まあいいけど。

などとぶつくさ申しましたが、沙翁作品のおさらひとして、大人が読んでも悪くないです。わたくしも、筋を忘れかけてた「ベロナの二紳士」などが読めて良かつた。年末年始に沙翁に親しむのも乙なものであります。デハ良い年を。



スポンサーサイト
豪華列車はケープタウン行
518MJZDKVZL__SX325_BO1,204,203,200_

豪華列車はケープタウン行

宮脇俊三【著】
文藝春秋(文春文庫)刊
2001(平成13)年6月発行

おそらく宮脇氏最後の海外鉄道紀行と思はれます。国内を含めても、この後は廃線跡紀行とか、歴史紀行を残すのみなので、純粋な鉄道紀行としては最晩年の作品でせう。さう思ふと、じつくりと惜しむやうに読みたいものです。

収められたのは「台湾一周、全線開通」「ヴェトナム縦断列車、二泊三日」「豪華列車はケープタウン行」「ブラジル・ツアー日誌」「マレー半島のE&O急行」の五編。このうち「ブラジル」のみは宮脇氏自弁で参加のツアーであります。世界各地を訪れたが、ブラジルのみ未訪であるのが気にかかり、丁度いいツアー企画があつたので、夫妻で参加したといふことです。ゆゑに、この一編のみは観光ツアーで、鉄道紀行ではありません。

あとがきにもありますが、これら訪問国は途上国が中心で治安が悪い国が多い。宮脇氏も年齢を重ね、健康上の理由もあつて一人旅の自信がなかつたさうです。それで文藝春秋の編集者に同行してもらひ、夜は安全な宿に泊まる。危険が少ない分、旅に起伏が乏しくなる。そこを筆力で面白い読み物にするのが我らが宮脇氏であります。

以前わたくしは、宮脇氏の著作は古いものほど面白いと述べたことがありますが、晩年のそれがツマラヌといふ訳ではありません。
確かに諧謔調は薄くなり、重複表現が目立つなどはあります。宮脇氏が最重要視してゐた「推敲」に手が回らなかつたのか。しかしそれは最初期の奇跡的な傑作群と比較すれば、の話で、並の紀行作家の作品以上の水準であると申せませう。

ブラジルツアーで悪性の菌が入り、帰国後入院を余儀なくされた宮脇氏。これが原因で一気に体力を落とし、その後の執筆活動に大きな影響を与へました。それを考へると、本書を読みながら悲しくもあります。
デハ今日はこんなところで。



漱石を売る
61nZh4y0JpL__SX346_BO1,204,203,200_

漱石を売る

出久根達郎【著】
文藝春秋(文春文庫)刊
1995(平成7)年9月発行

漱石イヤー(没後100周年)の最後に、『漱石を売る』の登場です。といつても、漱石の小説作品についての話ではなく、書簡の話。

著者はご存知のやうに、古本屋「芳雅堂」のあるじであります(当時)。苦心の末、大好きな漱石の書簡を二通手に入れたさうです。その真贋については問題ないやうですが、問題はその中身だとか。一通は礼状であり、特段の問題はない。しかし今一通は、何とお悔やみ状なのでした。
いくら大文豪の真筆といへど、弔辞となると別で、縁起を担ぐため中中買ひ手がつかぬ。実際、色色と販促活動をしますが、うまくいきません。よし長期戦だと構へたそんな折、意外なところから買ひたいとの声がかかりました。ところがその買ひ手の思惑といふのが......

漱石専門の古本屋が夢だつたといふ著者の、初期に属する作品集。丁度直木賞を受賞して、注目度が俄然上がり始めた頃でせうか。本好きなら一度くらゐは夢想するであらう古本屋の内幕も適度に披露しながら、表題作ほか約50篇の作品が収録されてゐます。
当店を待ち合せに利用してゐたアベックが実は兄妹だつたとか、開店以来通算15万冊販売記念イベントの泣き笑ひ、老夫婦が亡き息子の足跡を辿る旅に出て著者の店を訪問した話、あるいはゴミ問題で現代人を嘆き、チラシの裏で時代の変化を感ずる。かういふ感覚、例へば平成生れの人にはどう響くのでせうか。全く響かぬのか。興味のあるところであります。

本好きならば多分喰ひつく内容の、滋味溢れる文章であります。まあ、特に本書でなくてもいいけど、こんな寒い季節には出久根氏の文章は良く似合ふのです。
デハまた。



俺 勝新太郎
51a7E46t0zL__SX298_BO1,204,203,200_

俺 勝新太郎

勝新太郎【著】
廣済堂出版(廣済堂文庫)刊
1987(昭和62)年7月発行

CS放送の「映画・チャンネルNECO」にて、勝新太郎生誕85年を記念して「座頭市」シリーズなどの作品を放送してゐます。個人的にカツシンはあまり好きではないのですが、座頭市や悪名のシリーズは割かし好きで、全部観てゐるのでした。
そのカツシンが自らを語つた一冊。インタヴューをプロのライターが纏めたのか、あるいは本人の筆によるものか、何となく後者のやうな気がします。

この人が自分を語るのだから、さぞかし過去の豪快な歴史を露悪的に披露して、どうだい俺はこんな悪い奴さ、などと自慢する内容だらうかと想像したのですが、さういふ面はあまりありません。麻薬不法所持の件も、案外さらりと書いてあります。
それよりも、本道である芸について語つた諸諸が興味深い。専門の長唄は勿論ですが、歌舞伎については「俺と同年代ぐらいの俳優で、歌舞伎の話をできる俳優は少ないと思う」と語るだけあつて、六代目菊五郎、先代吉右衛門、十五世市村羽左衛門などについては、無知なわたくしにも伝はるやうに、独特の表現で論じてをります。

一俳優の枠に収まりきらず、個性的な演出家としても有名なカツシン。従来の、脚本に雁字搦めの演技を嫌ひ、俳優がこの後、自分が驚くことが分つてゐるのはをかしい、といふ。「偶然=完全」と称し、NGぎりぎりの演技が理想だとか。今までの予定調和の中で作られたドラマが、いかに退屈なものだつたかを、観衆(視聴者)に悟らせなくてはいけない。まあそれは分かるが、監督の顔も立てずに現場を混乱させるのはよろしくないね。こんな人が黒澤明監督の映画(「影武者」)に参加しても、衝突はあらかじめ分かつてゐたではありませんか。黒澤から首を言ひ渡されるのは当然と申せませう。
わたくしも実は、TV版「座頭市」の後半とか、「警視-K」みたいな前衛映像はあまり好まない。一般的に、観客を愉しませることよりも、自分が撮りたい映像を優先させる姿勢は、いかに能力が有つても、それは才能の浪費ではないでせうか。

関はつた俳優仲間たちとの交友も、控へ目ながら触れてゐます。裕次郎からは「きょうらい」と呼ばれてゐたとか、東京で成功した田宮二郎が高級車を自慢するとか。俳優ぢやないけれど、谷川徹三との交友は意外であります。カツシンも泣いたといふ谷川先生の奥方の話は、わたくしもしんみりしました。
それにしても、まだ生誕85年。改めて早すぎる死を惜しむのであります。



下山事件(シモヤマ・ケース)
510C8FX1BPL__SX298_BO1,204,203,200_

下山事件(シモヤマ・ケース)

森達也【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2006(平成18)年11月発行

1949年7月6日、初代国鉄総裁の下山定則は、国鉄常磐線の北千住-綾瀬間の線路上で轢断死体となつて発見されました。下山事件を説明すれば、たつたこれだけでありますが、現在に至るまで謎に包まれ、多くの捜査関係者やジャアナリストたちがその真相を突き止めんと、血眼になつた事件であります。
さらに続く7月15日には三鷹事件、8月17日に松川事件が相次いで発生しましたが、いづれも未解決のまま現在に至つてをります。これら三事件を、国鉄三大事件などと称し、戦後間もない不安定な世相の中、人々を不安に陥れたさうです。

さて下山事件。本書『下山事件(シモヤマ・ケース)』の著者・森達也氏は、映画監督の井筒和幸氏に「彼」を紹介されたところから、この事件に関つてゆくことになります。その後の森氏の苦難を思へば、井筒監督も罪なことをしました。「彼」とは、親戚が下山事件に関つたといふジャアナリストらしい(最後に正体は明らかにしてゐます)。森氏のほかに、その「彼」、斎藤茂男氏、週刊朝日の諸永裕司氏らが共同でこの事件を追ふ形になりました。しかし、「彼」も諸永氏も「下山病に感染(斎藤氏)」してしまひ、森氏を取り巻く雰囲気は俄かにきな臭くなつて参りました......これが、後に捏造騒ぎなどの問題の遠因になるのでせう。

森氏は映像(ドキュメンタリー)が本職のせいか、その著書も一般のノンフィクションと違ひ、時系列で事件を再現する形式ではありません。取材対象を詳しく描写し、その息遣ひまで伝へんとするかのやうです。インタヴューする森氏自身の葛藤、逡巡、焦燥といつたものまで隠しません。
読者は、新事実からどのやうな真相究明がなされたかを期待すると、当てが外れるかも知れません。しかし著者は「客観的な事実ではなく、主観的な真実を掴んだという自信がある」さうです。そして下山病のワクチンは見つけたつもりだけれど治すつもりはない、とも。それどころかこのウィルスを撒き散らして、多くの人に感染させたいらしい。迷走する取材活動の中で、最終的に辿り着いた本書の「目的」なのでせう。

今さらながら、発表メディアの影響力いかんで、「ノンフィクション」の内容が如何様にも変化することを、森達也氏から教はつた気分です。



サウスバウンド
無題

サウスバウンド

奥田英朗【著】
講談社(講談社文庫)刊
2014(平成26)年10月発行

映画版に村井美樹さんが南先生役で出演してゐましたので、原作を読んでみました。わたくしは上下分冊の角川文庫版を購買しましたが、実はその後、合本が講談社文庫から出てゐましたね。ここではこちらを挙げておきます。

主人公は上原一郎なる元過激派。東京で妻と三人の子供と暮らしてゐながら、いまだに活動家時代と同じ思想を持つてゐます、国家といふものを認めず、税金は払はず社会保険には加入せず、子供には学校なんか行くなと言ひ放ち、アジ行為を繰り返す人であります。困つた人。
長男の二郎はそんな父親に迷惑を被つてゐます。本編はこの二郎君の視点で進みます。不良中学生の「カツ」に恐喝されながら勇敢にも戦ふ一面を持ち、成長を見せるのでした。父と同じ仲間のアキラおじさんも存在感を見せます。映画では出てこなかつたなあ。

そして父は国家に頼らない自給自足の生活を求めて、一家で沖縄・西表島に移住してしまひます。そこには公営住宅もあるのに、わざわざ電気も水道もないあばら家で生活を始めるのです。実はその家は本土の資本が入つてゐて、開発予定の土地でした。上原家は不法占拠してゐたといふ訳。退去に応じぬ父。当然いざこざが発生し、果てはテレビにて強制撤去と最後まで抗ふ父の姿が全国に曝され......
そして最後に父と母が選択した生き方とは......? 結局この上原一郎さんは、家庭を築いてはならぬ人でしたね。

どうも映画を先に観たせいか、上原一郎が行動する度に、わたくしの脳内ではトヨエツが喚いたり暴れたりするので困りました。ただし原作では「ナンセンス」とは言ひません。官憲と戦ふ姿は痛快とも言へますが、単なる我儘なおつさんとも申せませう。小説としてはまことに読み易く、むしろ軽い印象です。骨太の小説を好む人には物足らぬかも知れません。しかし「結局、何を言ひたいの?」などと問ふては不可ません。上原一郎といふ人物のキャラクタアでぐいぐい押していく作品なので、この人物が合はない人にはつらい一作かもね。
ぢやあ、又。



ウルトラマンがいた時代
無題

ウルトラマンがいた時代

小谷野敦【著】
ベストセラーズ(ベスト新書)刊
2013(平成25)年4月発行

わたくしも世間の大勢に倣つて、本はネットで買ふ事が多いのですが、たまにはリアル大型書店に行かねばとも思つてゐます。先達て立ち寄つた書店では、ベスト新書を全点(まあ、若干の切れはあるでせうが)揃へてゐました。稀有な品揃へ。
早速『ウルトラマンがいた時代』を見つけ、ほほう、こんな本があつたのかと手に取り、レヂへ向かひました。どこからか、これは小谷野敦氏の著書だぞ、良いのか?との声も聞こえてきましたが、何せウルトラ好きなので購買してしまつた。いつぞやは、『ウルトラマンのすすめ』といふ本をよく確認もせずにレヂへ持つて行き、清算の直前で、改めて見たら実は『ウルトラマラソンのすすめ』であつたことに気付き、書棚へ回れ右したこともあります。

で、本書ですが、ウルトラのファンにはまことに評判が悪いやうです。事実誤認とかが多く、後日版元から正誤表が発行されるといふ事態になつたさうです。わたくしが購買したものは版を重ねたものだつたので、概ね誤りは修正されてゐたやうですが、それでも小林夕岐子さんがキラアク星人を演じたことになつてゐるなど、完全ではないみたいです。
また、特撮物出身で、のちに一般俳優としても出世したのは「藤岡弘・柴俊夫・篠田三郎」くらゐだといふのはどうか。今ふつと思ひついただけでも、長谷川初範・村上弘明・オダギリジョーといつた人の名が浮かびますが。

まあ、ネガチブな話はそのくらゐにしませう。本書は、著者小谷野氏の「特撮派宣言」といふことで、堅苦しい「論」は封印して雑談ふうに自身と特撮の関りを語つてゐます。しかも新マンとその時代を大きく扱つてゐるのがいい。なぜかといふと、わたくしが初めて(再放送ではなく)リアルタイムで観たウルトラマンが「新マン」だつたのです。ちなみに新マンを「ジャック」などと呼称して違和感を抱かぬ人とは、あまり近づきにはなりたくありませんな。ああ、元元お呼びではないですか。さうですか。

無論色々と意見の違ふところはありますが、それは当然と申せませう。丁度旧友と再会して、酒宴をしながら幼い頃のヒーロー談義を楽しむのと同種の愉悦があります。「いや、違ふ違ふ違ふ、君、それは違ふぞ」などと口角泡を飛ばしたりして。実際にわたくしが特撮を語れば、とても一晩では足りませんがね。
あまり細かい所に拘泥せず、愉しんでは如何ですかな。