源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
被差別部落の青春
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被差別部落の青春

角岡伸彦【著】
講談社(講談社文庫)刊
2003(平成15)年7月発行

著者の角岡伸彦氏については、かつて『ホルモン奉行』なる愉快な一冊を読んだ事がありまして、ホルモン愛に満ち溢れた文章に魅了されたのであります。部落出身者であることも公言してゐて、部落関係の著書もあることが分かり、いづれ読んでみたいと思つてゐました。

で、『被差別部落の青春』であります。そもそも平均的日本人は、同和問題をいつどのやうな形で知るのでせうか。わたくしは中学校の歴史の授業で、原田先生から聞いたのが最初ではないかと思ひます。「エタ非人」などといふ言葉も同時に知りました。あらゆる言葉を貪欲に覚えたいわたくしですが、これは知りたくなかつたなあ、と思ひました。「部落」といふ言葉は無論存じてゐましたが、単に山間部あたりの集落といふイメエヂしかありませんでした。東宝映画「大怪獣バラン」では、セリフに「岩屋部落」といふ言葉が連発されるのですが、わたくしが最初にビデオで観た時には、その部分は音声が消されてゐました。タブウだつたのですね。

角岡氏自身は、直接差別を受けたりしたことは無いさうです。角岡氏の両親も同様であると。では差別はもう無いのか? 同和政策が進んだ結果、見た目の衣食住は部落も非部落も変化は感じられぬとか。しかし逆に部落は優遇され過ぎだと逆差別を受ける場合もあるさうです。
一体現状はどうなのかを自身が取材し、レポートしたといふ訳です。
出自をとにかく隠す親と、あつけらかんと部落出身を語る子供。今なほ根強い結婚差別。これは意外なほど相手の親が世間体を気にして、「部落の血が一族に混じるぢやないか」と差別を隠しません。

そんな状況を知る人たちは、どうしても自分が部落出身であることを隠すのですね。少なくとも、自らカミングアウトするやうなことはしない。特に聞かれもしないし、わざわざ言つて、人間関係に影響したら......しかし黙つてゐるのは何となく罪悪感を(何も悪いことはしてゐないのに)感じる。心の負担になるのです。
食肉工場(屠殺場)に対する差別もあるさうで、根は深い。これは同和問題もさることながら、生命に対する教育がなつてゐない証拠ですね。もつともこれは世界的な傾向であります。クジラを殺すなといふキャンペインに通づる愚劣な思想と申せませう。あ、余計な事を申しました。

差別はもうないといふ楽観論と、今なほ激しい差別は存在すると主張する悲観論の両極端が聞かれる同和問題。著者は「その中間」はどうなつてゐるのかを知りたくて、どこにでもゐる普通の部落民の日常を取材したさうです。
また、この問題を扱ふ報道はどうしても暗く、重たいので、読んでゐても心が沈んでくるのですが、角岡氏は「それだけやないやろー。おもろい奴も、笑える話もあるで」と思ひ、持ち前の軽妙な文体で本書を世に問ふた訳です。
部落を語つた本で、これほど読後感爽やかなものも珍しいと言へませう。
ぢやあ、又。



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大相撲の見かた
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大相撲の見かた

桑森真介【著】
平凡社(平凡社新書)刊
2013(平成25)年5月発行

先程稀勢の里の奉納土俵入りを見たところであります。今日はどのチャンネルを見てもキセノンキセノンキセノンですな。お前暇人だなと思ふかも知れませんが、偶々今日は午後時間が空いたのです。
まあそれはいい。

これほど期待を裏切り続けてきた力士も珍しいのですが、初場所前は特に「綱とり場所」として認識されてゐなかつた事が幸ひしたのではないでせうか。その実力については衆目の見る通りでありましたが、精神面が弱いのか、ここ一番で優勝を逃し続けてきました。若嶋津みたいに悲劇の大関で終るのかな、と考へてゐたら突然優勝したので吃驚しました。
しかし今場所は上位陣の休場が重なり、不戦勝も含まれたりとラッキイな面も有つて、綱とり場所は春場所になるのだらうと認識してゐたのです。

ところが一気に横綱昇進への動きが。今場所で昇進させるのは甘いとの非難もあります。「日本人横綱」が欲しいばかりに、昇進ありきの議論が進んでゐると。
まあその通りでせうね。自分も甘いとは思ひますが、問題は「二場所連続優勝、、またはそれに準ずる成績」といふ曖昧な昇進基準ですね。優勝に準ずる成績を、単に優勝力士の次の成績を挙げた力士とみるか、本割では優勝同点で、本割外の優勝決定戦に持ち込んだケースを差すのか。わたくしは後者だらうと思ふのですが、実際は前者の条件で昇進する人も多いやうです。特に物議を醸したのは、柏戸が直前三場所を10勝・11勝・12勝で昇進した時です。無論優勝は含まれてゐません。まるで関脇から大関に昇進する時の成績ですね。これは大鵬と同時昇進させたかつた協会の意向らしい。

稀勢の里の場合は、この一年の安定感が評価された面もあります。その点、今回は吉葉山のケースに近いか。吉葉山は実力は認められながら、あと一歩で優勝を逃し中中横綱に届かなかつたのですが、遂に15戦全勝で初優勝、前場所は11勝止まりながら、安定感を買はれて「涙の横綱昇進」となり、優勝パレードは「雪の全勝行進」などと言はれました。
しかし吉葉山は横綱昇進が相撲人生のゴールとなつた感があり、横綱としては満足な成績を残せずわづか17場所(うち皆勤は9場所のみ)で引退となりました。キセノンにはまだまだ頑張つていただきたい。千代の富士は30歳を過ぎてから19回優勝してをります。

さて稀勢の里のお陰で俄ファンになつた方も、以前からのファンの方も楽しめる一冊『大相撲の見かた』であります。
第一章では相撲用語の解説。イラスト付きで分かりやすい。TVの実況や解説ではよく聞く言葉ながら、具体的にそれはどんな動作なの? といふこともあるでせう。こつそり本書を覗き、「ああさういふ事だつたのか!」と納得したら、得意気に友人との会話にさりげなく用語を駆使してみませう。
第二章では、実際の取組の攻防について解説します。漫然と大相撲中継を見てゐるだけでは気付かぬ、勝負のポイント、戦術の駆け引きなどを教へてくれます。
第三章は現役力士(ただし平成25年時点)の取り口などを紹介。対戦カード別の見所も解説。
第四章は「昭和・平成の名勝負」を連続写真で紹介。「千代の富士×隆の里」が無いぞー。

著者は学生時代、自ら相撲部に所属し学生相撲で活躍した人。肌で相撲を知る人だけに、その描写も説得力があります。立ち合ひで頭と頭がガーンと当る時、素人は「うわー痛さう」と思ふが、実は当り方により、それほど痛くはないとかね。
個人的には、第一章と第二章のみに特化して、より詳しい一冊を書いていただきたいと考へます。
デハまたお会ひしませう。



「ゴジラ」とわが映画人生
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「ゴジラ」とわが映画人生

本多猪四郎【著】
ワニプラス(ワニブックス【PLUS】新書)刊
2010(平成22)年12月発行

1960年代を中心に量産された「明るく楽しい東宝映画」。その代表選手の一人が本多猪四郎監督であります。東宝、いや日本映画の良心を一手に引き受けたやうな作風。それでゐて抜群に面白い。
「ゴジラ」で世界に名を知られましたが、わたくしは本多監督ほど不遇な映画人はゐないと考へます。実力以上になぜか過大評価される監督が多い中、一方でこの人のシャシンが語られる時、ゴジラとか円谷英二の方が話題になる不本意な現象が起こるのです。

当の本多監督はどう考へてゐたのでせうか。本書『「ゴジラ」とわが映画人生』では、その思想の一端を垣間見ることができます。山本真吾氏のインタヴューに応へたものを編集した一冊なのです。
故郷山形での映画との出会ひから、忌はしい軍隊生活の経験。八年間も兵役にとられてゐた為、戦後東宝に復帰した時には、後輩が次々と(役職上)自分を追ひ越してゐました。山本嘉次郎門下生三人組(本多・黒澤明・谷口千吉)の中でも、一番先輩だつたのに監督デビューは最も遅れたのであります。こんなところにも、本多監督のツキのなさを感じます。

ところで、監督でも俳優でも、軍隊生活を経て戦後復帰した人の中には、兵隊に行く前とはまるで顔付、目付が変り、明るかつた性格もなりをひそめ、人間が変つてしまつたといふケースが多い。それほど戦争体験は恐ろしいものなのでせう。
しかし本多猪四郎氏は八年間耐へました。「戻つたら必ず映画を撮るんだ。その為に今の経験も無駄にすまい」との一念で、変にならずに済んだとのこと。お陰で、日本映画界は優れたヒューマニズムの映画作家を失はずに済みました。

「結局、ぼくは本当の「悪」というものを描けないんですよ。本当の悪というのは、ぼくにはとても......」「ぼくは、どの作品でもそれ(やりたくない作品)はないですね」「大衆と共に楽しむ。それが私の心情だ」......最後の言葉は、「私の信条」全9条の第一番目のものです。ほかにも「主役の花を見に来た人々が、こんな処にこんな花がと見てくれる」とか、「右にかたよっても、左にかたよっても、権力につながるものには反撥する」などと、本多監督らしい言葉が並んでゐます。

インタヴューは、ほぼ時系列で本多氏の人生、映画作品について尋ねてゐます。しかし駆け足の印象が強く、一つの作品について、もう少し突込んだ話が聞きたいなあと思つたのですが、これは第一稿として概観を語つてもらひ、より詳しく各論に入る予定だつたさうです。しかし本多氏が他界し、それは叶ひませんでした。まことに残念。語りによる本多猪四郎自伝の完全版を読みたかつた喃。

巻末には子息の本多隆司氏のあとがきが付されてゐます。本多猪四郎監督といへば、万人が「穏やかな人柄」「怒つた姿を見たことがない」と評します。きつと家族には裏の姿(素の姿)を見せてゐたのではないか。実は家庭では暴言を吐いたりDV加害があつたりしたとか......
そんなことを思ひながら読みましたが、息子さんの言葉でも「“監督は優しくて、おおらかで、怒ったのを見た事が無い!”これが父の監督としての一般的な評価です。事実、その通りです」ああ、さうですか。さういへば夫人・本多きみ氏もさう述べてゐたつけ。

何はともあれ、名著を復刊してくれたワニブックスに感謝であります。



それゆけ結婚
無題

それゆけ結婚

森村桂【著】
角川書店(角川文庫)刊
1976(昭和51)年10月発行

先達て、女優でタレントの村井美樹さん(37)が遂に結婚報告をいたしました。ソレ誰?と訝しがる人がゐるかも知れませんが、ここではスルーします。それで熱心なファンは祝福をしつつも意気消沈。またもや「美樹ロス」などと称する人も続出。別段彼女は引退する訳ではないのに。
面白いのは、村井さんのブログ読者数が、結婚報告後にぐわつと減つてゐることです。わざわざ読者登録を取り消すとは、随分屈折してゐる喃と苦笑するのでした。

といふ訳で、実に強引ながら『それゆけ結婚』。当時結婚してまだ数年の森村桂が、読者に向けて恋愛・結婚のアドヴァイスをいたします。昭和40年代くらゐでせうか。「女の幸せは結婚」などと言はれてゐた時代であります。
24歳は売れ残り」「家付きカー付きババ抜き」「一流大卒、一流会社勤務、月給4万円以上、175cm以上の次男」「花嫁修業」「わがダンナさま」......まだまだ女性は男性に従属して生きるのが当り前の頃。現代の女性が読めば激怒するかも知れません。あるいは「これは何処の国の話ですか」などと真顔で聞いたりして。

本書の時代背景としては、恋愛結婚がお見合い結婚を逆転した頃でせうか。とは言つても、本書にも度度「お節介」が登場しますが、出会ひの機会がない人でも男女問はずどこからか相手が見つかつたものであります。今から思へばまだまだ恵まれた時代。例へば1965(昭和40)年における生涯未婚率は男性1.50%、女性2.53%であつたのに対し、これが2010(平成22)年になると男性20.14%、女性10.61%まで膨れ上がつてゐます(国立社会保障・人口問題研究所「人口統計資料集(2014)」)。
ただ、『それゆけ結婚』の時代はやはり男尊女卑思想が蔓延り、肝心の女性自身がそれに甘んじてゐる様子が見てとれます。森村桂さん本人まで、暴君でもダンナさまに甘えてゐた方が楽だわ、みたいな雰囲気を醸し出してゐます。何てこつたい。

森村さんのアドヴァイスの中には、現在にも通用する部分は少なからずあるとは存じますが、それ以上に違和感を感じる部分が多い。現代女性が読むならば、本書は当時の婚活事情を知る資料として興味深いのではないでせうか。



和解
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和解

志賀直哉【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1949(昭和24)年12月発行
1969(昭和44)7月改版
2011(平成23)年11月改版

順吉くんは父親との関係がぎくしやくしてゐます。はつきり言へば不仲であります。かつて足尾銅山の鉱毒事件を調べやうと行動を起こした順吉くん。しかし父親は、今ふうに言へば財界人。足尾銅山の経営者とも浅からぬ関係があり、そんな問題をほじくる息子を立場上許すことが出来ませんでした。まあそれが元で父子の間に溝が出来たやうです。尤もこれは順吉くん側の言ひ分ですが。

そんな状態ですので、順吉くんは父のゐる麻布の実家から出て、我孫子に妻と赤子とともに生活してゐます。順吉くんは祖母に顔を見せる為に、父のゐぬ間にこつそりと麻布の家に行つたりする。この行為が、更に父の態度を硬化させてゐます。周囲は、二人の反目を悲しく思ひ、何とか和解をして欲しいと願つてゐます。しかし順吉くんは、その解決のために、赤子を利用せんと考へる周囲の空気に反駁するのです。その心持は分かりますね。
しかし、この赤子の運命は......

表題が『和解』なので、読者はきつと、最後には和解するのだらうなと予想するでせう。その通りなのですが、和解が成る瞬間といふのは、案外呆気ない。読者は「さあもうすぐ感動の和解シーンだな。もうこちらは泣く準備が出来てゐるぜ、カモーン」と待ち構へてゐるでせうが......あ、あんまり余計な事は言はぬやうにしませう。

志賀直哉氏の文章と言へば、過剰な装飾がなく贅肉が削ぎ落されて、含蓄を含んだストイックなものといふイメエヂでせうか。谷崎読本でも褒めてゐましたね。
本作でもスィンプルな文章が並んでゐます。お陰で文末が「~た」「~た」「~た」の連続で、単調な印象を受けます。得意の「不快だつた」も健在。食べ物に例へるなら、「特に美味しいものではないが、一度食べると病みつきになる」類ひのものでせうか。何しろ、「小説の神様」ですから、神様がツマラヌ物を書く筈がない......と書いて、我ながら毒が含まれてゐるなと反省。

ところで、本作でも出てきますが、赤子をあやす時に「おお誰が誰が」などと申します。わたくしの周囲でも、年配女性が昔よく発してゐました。どういふ意味なのでせうか。誰がお前を泣かせたといふ意味ですかね。「おお誰が誰が」



こちら葛飾区亀有公園前派出所
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こちら葛飾区亀有公園前派出所〈全200巻〉

秋本治【著】
集英社(ジャンプコミックス)刊
1977(昭和52)年7月発行

昨年9月、単行本200巻の発売と同時にその連載を終了した、国民的漫画。なぜ今頃ここに登場するのでせうか。
わたくしは幼少時代、「少年ジャンプ」を愛読してをり、「こち亀」連載開始から読んでゐます。その後「ジャンプ」購読はやめ、「こち亀」は単行本が出たら買ふのみとなりました。さらにその後、単行本も買ふのをやめてしまひ、我が家の「こち亀」は長らく168巻でストップしてゐました。
そこへ連載終了の一報が。慌てて本屋へ行き169巻以降を揃へ、最近になつて200巻まですべて読んだといふ次第であります。ところで190巻以降がやたらと分厚くなつてゐて吃驚しました。この頃から200巻完結を想定して調整してゐたのでせうか。

「こち亀」は40年間、一度の休載もなく連載を続けたと言ひます。これは驚異的な事ですね。まあ長い連載の中では、「何だか最近つまらないな」と思ふ時期もありました。しかししばらくすると「オヤまた面白くなつてきたぞ」と、浮沈を繰り返しながら目出度くゴオルに辿り着いた訳です。
毎週当然のやうに「ジャンプ」で暴れてゐた両さんが突然消える。読者は心に空洞ができたやうな心持になるさうです。「亀ロス」などと申してゐました。何にでもロスを付ければ良いつてもんぢやないですね。
ロスで思ひ出しましたが、去年のノーベル文学賞はフィリップ・ロスを予想してゐました。しかし実際に受賞したのは、ボブ・ディラン。まあこの人も数年前から下馬評に上がつてゐたので意外ではありませんでしたが、これを機に勘違ひするミュージシャンが出て来ないかが危惧されるのであります。

まあそんなことはどうでもいい。肝心の最終回ですが、単行本と「ジャンプ」で同時進行、しかも最後のオチが両者で異なるといふ、両さん曰く「これは両方買ってもらういやらしい商法です」。
単行本のオチはね......ご存知の方も多いでせうが、40年200巻の最後にしては、ちよつとこれは無いよといふものでした。一方「ジャンプ」のそれは、大団円といふ感じで、読者に感謝を伝へてゐました。まさかの星逃田まで。初期の有力メンバーだつた戸塚金次は、結局最後まで陽の目を見ないままでした。隠れファンが多いと思ふのですがね。両さんとキャラがかぶるからといふ理由で出番がなくなりましたが、他に理由があるんぢやないかと疑ひたくなるほどの冷遇ぶりでした。

まあそれも全て終りました。秋本氏としては、いつまでもこち亀に拘束されてゐると、他にやりたい仕事が出来ないと考へたのでせうか。実際、新作構想を色色と表明してゐますね。個人的にはミスタークリスの復活に期待してゐます。
デハ今日はこんなところで。左様なら。



鉄道と国家
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鉄道と国家 「我田引鉄」の近現代史

小牟田哲彦【著】
講談社(講談社現代新書)刊
2012(平成24)年4月発行

鉄道と国家。いささか堅いタイトルであります。サブタイトルにありますやうに、過去の鉄道敷設において、如何に政治が関はつてきたかを考察します。
表紙には「すべての路線は政治的につくられる!」との惹句(?)。まあこれは当たり前の話で、屡々言はれるやうに、本来鉄道は中央集権の象徴として敷設されてをります。ただ、力のある代議士などが、地元への利益誘導の一種として、強引に路線を迂回させておらが村に汽車を走らせやうとしたり、新たに中間駅を作らせたり、地元の駅に急行を停まらせたりといふのは困りますな。これを我田引鉄と称します。

特段に目新しい内容はありませんが、政治を絡めた鉄道史として、非テツの読者にとつては、恐らく新鮮な視点で読めるのではないでせうか。ああ、わたくしもテツではありませんが。
東海道新幹線に佐藤栄作が大きく関はつてゐて、本書では功労者として描いてゐます。島秀雄や十河信二の名前は直ぐに出てきますが、この佐藤こそ新幹線計画になくてはならなかつた人であると。この視点はわたくしには無かつたので、中中興味深く拝読いたしました。
また、未だに岐阜羽島駅は大野伴睦が強引に作らせた政治駅であるとの俗説が流布してゐます。本書ではその点も修正が入つてをります。まあ、駅前に大野夫妻の像が屹立してゐるのを見れば誤解する人も多いでせう。しかしなぜかかる像を立ててしまつたのか。しかも女房も一緒に!

さて最終章は「海外への日本鉄道進出」がテーマで、本書の中では若干異質な内容であります。今でこそ首相自らトップセールスで新幹線の海外売込をしてゐますが、かつては官民一体に程遠い状態で、海外勢に敗れ苦い汁を飲まされてきました。完成度の高いシステムとしての新幹線を海外で展開することで、その国のインフラ整備、雇用創出など国際貢献も出来ます。因みにこの著者、中国にはかなり毒を含んだ筆致ですね。まあ、ごもつともと頷くしかない。

鉄道をテエマにした「新書」は、今やウンザリするほど出てゐますが、著者の趣味的内容に留まる自己満足本が多いのです。新書として世に問ふならば、この『鉄道と国家』くらゐの力作を望むものであります。



主な登場人物
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主な登場人物

清水義範【著】
角川書店(角川文庫)刊
1994(平成6)年5月発行

年末より体調がすぐれず、仕事はするものの家では寝ている事が多い昨今。しかしいつまでも愚図愚図してゐても詮無いので、ここらで源氏川苦心の快楽書肆を更新せんとするものです。

新年恒例の清水義範作品。今回は『主な登場人物』。少し変つたタイトル。もつともこの人の著書は変つた書名だらけですが。
海外の翻訳小説、就中ミステリイには、カヴァーの折り返し部分に「主な登場人物」なる一覧が付されてゐる事が多い。日本人にとつて、片仮名の名前は覚えにくいので、少し前に出てきた登場人物が再度出てくると、ああこの人誰だつけ、なんて困ることがあります。初出場面を一々探すのも大変です。
そこで、冒頭に「主な登場人物」として紹介しておくと、読者が読み進む際の便に貢献するといふ訳であります。わたくしは、この表がない小説で登場人物が多いと、自分でメモ代わりに「主な登場人物」を作成しながら読んでゐるのです。
そこで作者は、チャンドラーの有名な小説『さらば愛しき女よ』の「主な登場人物」の紹介欄から想像して、新たな物語を作らうといふ、まことに馬鹿々々しい試みをするのでした。無論、そこから紡ぎ出される粗筋は、原作とは似ても似つかぬ荒唐無稽なものであります。
アホらしい試みですが、小説のネタに困つた時にはいいヒントになるかも?

その他14の短篇が同時収録されてゐます。著者得意の、何気ない日常を切り取つたパスティーシュ作品ですが、どうも本書は押しなべて密度の薄い作品が多いやうな気がする。気の所為でせうが、この作家は版元別に完成度の高さが違ふと感じます。即ち本書を含む角川系はやや空回りしてゐるのに対して、一方で講談社系は傑作が多いとか。ま、TV通販ぢやないけど、あくまで個人の感想ですがね。
その中でも本書では「ビデオ録画入門」「只今留守にしております」「ショート・ショート 拝啓」なんかがわたくしの好みで、にやにやしながら読むのに最適であります。

まあ今回はこんなところで。デハデハ、2017年もよろしくお願いいたします。