源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
黄色い部屋の謎
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黄色い部屋の謎

ガストン・ルルー【著】
宮﨑嶺雄【訳】
東京創元社(創元推理文庫)刊
1965(昭和40)年6月発行
2008(平成20)年1月改版


没後90年を迎へたガストン・ルルー。良く知られてゐる作品といへば、『オペラ座の怪人』、そしてこの『黄色い部屋の謎』でせうか。邦訳によつては『黄色い部屋の秘密』となつてゐるものもあるやうです。
冒頭の紹介文では―

通称ぶな屋敷と呼ばれるスタンガースン博士邸の「黄色い部屋」で、奇々怪々な事件が突発した。内部から完全に密閉された部屋の中から令嬢の悲鳴が聞こえ、救援にかけつけた一同がドアをこわしてとび込んだ時、血の海の中には令嬢が倒れているだけ―犯人は空中に消えてしまったのか、その姿はどこにも見あたらなかった。この驚くべき密室の秘密ととりくむのは、若冠(ママ)十八歳の新聞記者ルールタビーユ。密室犯罪と意外なる犯人に二大トリックを有する本編は、フランス本格派を代表する傑作として、世界ベスト・テンの上位に選ばれる名作中の名作。

となつてゐます。いやあ、面白さうだ。

語り手はサンクレールなる弁護士。彼の若き友人で《エポック》紙の記者・ルールタビーユの活躍を我々に報告してくれます。若さゆゑの自信過剰、生意気さも持ち合はせ、人間臭い面も表現されてゐます。しかし相棒の筈のサンクレールを少々莫迦扱ひしてゐるフシもあります。
彼と対峙する関係になるのが、パリ警視庁の敏腕探偵、フレデリック・ラルサン。大フレッドなどと称され、押しも押されもせぬ名探偵との誉れが高い。この二人の推理合戦の様相も見せ、読者の興味を引張ります。

密室トリックの古典的・記念碑的作品と言はれるだけあつて、黄色い部屋の謎の提示から展開、そしてアッと言はせるトリックと真犯人は中中のものであります。
ところで現代ミステリに慣れた人達が「大したことはない」「現在の眼で見たら噴飯もの」などと評する事がございます。それは当然でせう。もし今でも「スゴイ!」が通用する内容なら、その後のミステリ作家たちは一体何をしてゐたのか、といふ事になります。

そもそも今から50年以上前の1965年に書かれた中島河太郎氏の解説で、すでに「やや古色蒼然たる感じがするかもしれない」と指摘されてをります。ここではむしろ、その大時代的な、大仰な言ひ廻しを含めた「古色蒼然」さを愉しむのが正解ではないでせうか。
「ウルトラマン」は今観ても楽しい。今ではありふれたテーマだつたりチヤチな特撮だつたりを丸ごと楽しめるのであります。片岡千恵蔵の「多羅尾伴内」は今でもわくわくする。最後の「七つの顔の男ぢやよ......」「正義と真実の使徒、藤村大造だッ」は、まるで法廷でルールタビーユが勿体ぶつて謎解きをする場面ではありませんか。

ただし謎が謎のまま終つた点は感心しませんな。ルールタビーユが「黒衣婦人の香水」の話を引張るのは、次回作の宣伝と取られても仕方ありません。実際、読んでみたいと思つてしまふではありませんか。
さういふ、罪な点も含めて、古典好きは一読するとよろしい。期待外れでも責任は持ちませんが。

デハまた。



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新幹線、国道1号を走る
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新幹線、国道1号を走る
N700系陸送を支える男達の哲学


梅原淳/東良美季【著】
交通新聞社(交通新聞社新書)刊
2009(平成21)年10月発行


車両工場で製造された新幹線電車がJRの工場まで輸送される手段として、実は一般公道を利用して陸送される、といふのは、現在では知る人も多いでせう。テレビの特番でも何度か紹介されてゐます。
在来線の車両ならば、引込線を駆使してそのまま本線上を走ればいいのですが、新幹線の場合、軌道の幅が違ふのでそれは出来ません。で、結局コストその他の条件を勘案した結果、陸路での輸送が選ばれた訳であります。

本書『新幹線、国道1号を走る』では、愛知県豊川市の「日本車輛製造豊川製作所」から、静岡県浜松市の「JR東海浜松工場」までの行程を辿るドキュメントであります。運ばれる車両は取材当時最新鋭の新幹線電車・N700系。請け負ふのは日本通運の精鋭部隊。
第1章ではそのN700系が如何なる車両なのかを紹介してゐます。少し恥かしいくらゐの絶賛ぶりで、まるでJR東海のPR記事みたいです。ま、事実は事実なのでせうが。

第2章では陸送するにあたつての計画といふか、手続きの数々ですね。何しろ一般的に道路交通法では運べない代物であります。
まづ通行ルートの選定のため、道路の測量があります。障害物が有れば事前に対応。背の低い歩道橋を壊し、新幹線を運ぶトレーラーが通れる高さまでの歩道橋に作り直した事もあるさうです。
そして通行許可を得るために、国(国土交通省)や各自治体、愛知・静岡各県警と公安委員会などへの認可申請。まことに大変なのであります。

第3章では実際に陸送を担当する日本通運のメムバアを紹介。皆カッコイイぞ。
第4章で、いよいよ陸送開始。一晩に2両づつしか運べないさうで、16両編成のN700系だと8日に分けての作業となります。これは大変だ。ゆゑにスタッフはしばらく現地のホテル住まひです。

一般道を利用する訳なので、なるべく交通量の少ない深夜(午前一時)に出発します。陸送計画は公表される訳でもないのに、どこからか情報を聞きつけた人たちが蝟集します。まあ野次馬ですな。
編成は、先導者・トレーラー(N700系)・後導車・後方警戒車。幾つかの難関交差点が存在し、野次馬にとつては、最大の見所となります。もちろん経路についても公表されませんが、超大型トレーラーが通れる道となれば大体限定されるので、まあ分かる人には分かるのでせう。

交差点を曲がる時は当然前後左右が通行止めになり、トレーラー前面には舵切りオペレーターとその助手が陣取り、各角に交差点誘導員が控へる。そして輸送指揮者が監督します。彼らの協力を基に、腕利きのヴェテラン運転手が腕を振るふ。接触して傷をつけるなどは以ての外。何度も切り返し切り返し、すれすれに交差点を通過した瞬間には、ギャラリーから拍手が起きるさうです。気持ちは分かりますね。何となく一体感を持つのでせう。

素人考へでは、毎回こんな費用のかかる輸送をするより、新幹線サイズの軌道を新たに建設したらどうかと思ひますが、さうしないといふことは、最終的にこの方式がコストが低いのでせうね。官憲が指揮を執る訳ではなく、利潤を追究する私企業ですので、その辺はシヴィアに考へてゐる筈ですね。

梅原淳氏と東良美季氏の共著となつてゐますが、その執筆分担が記載されてゐません。さういふ点はしつかり記していただきたいと存じます。とはいへ、テツ以外の人も興味深く読める一冊と申せませう。



女帝エカテリーナ
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女帝エカテリーナ<上・下>

アンリ・トロワイヤ【著】
工藤庸子【訳】
中央公論社(中公文庫)刊
1985(昭和60)年10月発行


大尉の娘』からの流れで、『女帝エカテリーナ』。没後10年を迎へたアンリ・トロワイヤの登場であります。

エカテリーナ二世(最近の表記は「エカチェリーナ」が主流らしいが、ここでは本書の表記に従ふ。また原著では「カトリーヌ」になつてゐます)は、帝政ロシアの女帝。在位1762-1796。生誕名はゾフィー。ウルトラマンを助けに来る宇宙人とは無関係。

元元彼女はロシア人の血を全く受け継いでゐないし、特別な家柄でもなかつたのですが、伯父に当るカール・アウグストなる人物がかつてピョートル大帝の娘(後の女帝エリザヴェータ)と婚約者だつたといふ関係がありました。カール・アウグスト自身は直ぐに死去してしまひますが。
その縁で、エリザヴェータ女帝時代に、その後継者と目されたピョートル三世の嫁として白羽の矢が立つのでした。ゾフィーはエカテリーナとなり、ロシア正教に改宗します。しかしこの結婚生活は幸福なものではなかつた。

エリザヴェータの死後、夫のピョートル三世が即位しますが、彼はプロシアの方ばかり顔を向け、ロシアの国益を無視する政策ばかりだつたので、民衆の不満は爆発寸前。エカテリーナは世論に押されるやうな形でクーデターを敢行、自らエカテリーナ二世として即位するのでした......

いやあ、やはり評伝小説は面白い。可憐な少女時代から、権力の凡てを握るまで、エカテリーナはぶれません。目的のためには、あらゆる権謀術数も厭わない。しかし表面上は汚れ役から距離を置き傍観者を演じます。しかし愛人関係はだらしない。
特に息子のパーヴェル夫妻に対する態度は、かつてエリザヴェータ女帝から自身に向けられた仕打ちそのもので、歴史は繰り返すとはよく言つたものであります。
孫のアレクサンドルに権力の座を継がせる目的を達せないまま、自身は力尽きますが、死後数年経つて結局大望を実現してしまふところは、まるでドラマのやうな展開と申せませう。

改めて、アンリ・トロワイヤは良い意味の通俗小説家だと勘考します。工藤庸子さんの翻訳も素晴らしい。否、別に原書と突き合はせて読んだ訳ではありませんがね、多分素晴らしいのです。うむ。