源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
翻訳上達法
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翻訳上達法
河野一郎【著】
講談社(講談社現代新書)刊
1975(昭和50)年10月発行


例へば英語の文章を日本語に訳す時、英文和訳と翻訳ではその内容が違ふ。
といふことを本書で知つたのがもう30年以上前でございます。
ちなみに著者は河野洋平さんの父ではなく、JOCの人でもありません。念のために。
当時、学校英語学習のために何か役に立つかと考へて読み始めたのですが、その目的はほとんど達せられませんでした。では本書に失望したのかといふと全く逆で、期待以上の興奮を得ることができたのであります。実に面白かつた。
以降私は翻訳といふものに興味を持ち、月刊誌「翻訳の世界」の定期購読を近所の本屋に申し込みに行つたものです。
本屋ではアルバイトの女子大生おねいさんに「きみ、そんなに小さいのに(私は小柄で童顔だつた)こんな難しい本読むんだねー、えらいねー」と誉められていい気になつてゐたものです。

さて、カバー表紙にも記述がありますが、翻訳とは「異なる文化との格闘」と申せませう。
私は本書を読んで、世間には翻訳に対して2つの大きな誤解があると感じました。

その1。「翻訳力は、外国語の能力が一番必要である」
もちろん外国語が全然できなくては話になりませんが、それ以上に、例へばイギリスの書物ならイギリスの国情、文化、習慣、伝承に通暁し、それを日本語で表現できる力が必要だと思ひます。
何となく自分の母語である日本語については、日本人なのだから当然知つてゐると漠然と考へる人が多いのではないでせうか。私は平均的日本人の日本語表現力はかなり怪しいと疑つてゐます。もちろん自分も含めて。
なので翻訳を試みやうとする人は、人一倍日本語の学習が必要であります。

その2。「誤訳の無いのが良い翻訳で、多いのは悪い翻訳である」
たしかに誤訳は多いよりも少ない方がよろしいでせう。
しかしプロの翻訳家がいふには、長篇小説一冊の翻訳をして、一つも誤訳のない作品は考へられないのださうです。
さういふものがあるなら、お目にかかりたいと。
それよりも問題なのは、原作の世界を壊さずに日本語にできるかどうかでせうね。仮に語学的に誤訳が一つもなくても、日本語としてをかしな文章、意味不明な文章、登場人物の性格付けを無視した台詞の翻訳、直訳しすぎて逆の意味の日本語になる文章などは単なる誤訳以上に罪深いものでせう。(かういふ翻訳を「欠陥翻訳」と称してゐるやうです)

「要するに翻訳者というのは、ある意味では雑学の大家であることを要求される、因果で困難な職業であると言えようか」(本書136ページ)

厳しいのであります。

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