源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
英語教育大論争
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英語教育大論争
平泉渉/渡部昇一【著】
文藝春秋刊
1975(昭和50)年11月発行


先日新聞の朝刊に、鳥飼玖美子さんの記事が載つてゐました。
英語学習に明け暮れてゐた少年時代の、憧れの人物であります。ますます活躍中といふ感じで、嬉しいのであります。
その鳥飼さんによると、平泉・渡部論争といふのは、結局今でも決着は付いてゐないのださうです。

発端は1974(昭和49)年、当時自民党の参議院議員だつた平泉渉氏が提言した「外国語教育の現状と改革の方向」といふ試案であります。
これによると、日本国民子弟のうち9割以上が、中学高校と6年間も英語を勉強しながら、その成果は全くあがつてゐないと指摘し、その理由として①学習意欲の欠如(英語ができなくても日常生活で困らない)②内容が高度すぎる③不効率な教授法の3点であると主張します。
改革案として、①義務教育から英語を外し②中学では「世界の言語と文化」みたいな教科をつくり、広く基本的な常識を教授する③高校では志願者のみに英語を課し、完全集中訓練とする。
その結果、全国民の5%(当時で約600万人)が英語の実用能力者を輩出できればたいしたものである、といふのが試案の梗概と申せませう。

これに対して渡部昇一知的生活教授が、この試案は亡国の試案であると批判し、わが国には以前から優れた語学の使ひ手がゐるではないか、成果があがつてゐないといふのは先達に対して失礼であると反論したのであります。
「世はまことにルサンティマンの時代である」の名文句で始まるこの文章では、現状の英語教育は悪くないとあへて述べてゐます。平泉案が会話能力に偏してゐて、文法や読み書きを軽視してゐるとの認識でせうか。

最終章は両者の対談で、直接対決となります。司会として鈴木孝夫氏が登場しますが、レフェリー役の筈が、どうも渡部ルサンティマン教授に肩入れしてゐるやうな意見が目立つのです。
この対談もさうですが、この論争全体でも両者の論旨が噛合はない印象なのです。
渡部氏は反論に対してはぐらかして別次元の話を持ち出すし、平泉氏は肝心の場面では政治家の答弁のやうな論調になつてしまふからでせう。
とはいへ、知的スポオツとしての愉しみが本書にはあります。まあ、手に入るやうなら読んでみてください。

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