源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
大下弘 虹の生涯
大下弘 虹の生涯 (文春文庫)大下弘 虹の生涯 (文春文庫)
(1999/11)
辺見 じゅん

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大下弘 虹の生涯
辺見じゅん【著】
文藝春秋(文春文庫)刊
1999(平成11)年11月発行


戦後プロ野球を盛り上げた功労者といへば、まづONの名を挙げるのが通例であります。その意見に異を唱へる人がゐれば、必ずヘソマガリの評をいただくことになりませう。
一方その前の世代、戦後の焼跡からON登場までを支へたのは、赤バット川上哲治と、青バット大下弘と申せませう。
本書『大下弘 虹の生涯』は、タイトル通り大下弘選手の生涯を辿つた評伝であります。

セネタースといふ個性豊かなメンバーが揃つたチームに入団した大下弘。一言多十(ひとことたじゅう)とか長持栄吉(ながもちえいきち)とか印象的な名前の選手が多かつた。エースの白木義一郎は長いアゴを有し、ロングロングアゴーと呼ばれました。相手打者が投ゴロを打つた時、全力疾走を怠ると見るや、いきなり捕手へ送球する人。打者はそれに気付いて慌てて走り出すのですが、捕手から一塁手への送球には結局間に合はないといふ展開ですな。今のプロ野球でかういふことをすれば間違ひなく叩かれますね。私見では、それよりも凡打で全力疾走しないのが当り前の風潮の方が問題だと思ひますがね。

入団時から「ホームラン」を要求された大下としては、かういふ環境のチームであつたことは好条件でした。勝利を義務付けられ「紳士たれ」なんて言はれるチームでは、個人記録を狙ふことは難しいと思はれます。
確かに大下は推定170メートル弾を飛ばす豪打者でしたが、それでも当時の粗悪な「飛ばないボール」を本塁打するには、三振の危険を負つてでも一発狙ひをしなければいけなかつたと言ひます。青田昇氏は、後の飛ぶボール時代に大下がプレーしてゐたら、年間60-80本打つたのではないかと話してゐました。

本塁打の魅力に加へて、あの天真爛漫な笑顔と飾らない人柄。人気が出ない筈がありません。しかし華やかな舞台の裏側では常に屈託を抱へてゐたさうです。母親がクスリ中毒になつてゐたとか。
また、天才選手に有り勝ちですが、自らの「ワザ」を伝へることは下手だつたやうです。指導者としては結果を残せませんでした。
また、これほどの選手の割には晩年は恵まれなかつたやうです。本書によると、病死ではなく自ら大量の睡眠薬を飲んだことになつてゐます。つまり自殺といふこと? 医師と検死官の二人が相談の上、心筋梗塞として発表されたといふことです。ううむ。

最後に著者は、大下を弔ふには、三原脩の以下の言葉が最もふさはしいと紹介してゐます。

日本の野球の打撃人を五人あげるとすれば、
  川上、大下、中西、長嶋、王。
 三人にしぼるとすれば、
  大下、中西、長嶋。
 そして、たった一人選ぶとすれば、
  大下弘。


本書は日本のプロ野球創成期の、貴重な記録にもなつてゐます。様様な先達が、血反吐を吐き心身をすり減らしながら焦土から創り上げてきた歴史であります。読んでみませう。
(新潮文庫版もあり)

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