源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
大相撲こてんごてん
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大相撲こてんごてん

半藤一利【著】
文藝春秋(文春文庫)刊
1994(平成6)年9月発行

黄金週間前に、わが地元の「スカイホール豊田」(ひらたく言へば市の体育館のことですが)に、「大相撲豊田場所開催!」の大看板が掲げられました。地方巡業ですな。10月13日開催と、随分先の話であります。チケット発売開始さへ7月4日からと、まだ二か月もあるのでした。
看板には三人の力士の写真が。おお三横綱だな、と思つてよく見ると、白鵬日馬富士、そして......ん? これは逸ノ城ではありませんか。鶴竜は無視かい。可哀想に。
昔はポスターでも看板でも番付優先だつたと思ふのですが、現在は人気優先みたいですね。横綱大関を差し置いて遠藤君の写真が使はれたりするのを見ると、ちよつと違ふのではないかと勘考します。さう言へばやうやく大銀杏が結へた遠藤関。新入幕の頃は、輪島を彷彿とさせるところもあつたのですが、最近の彼には、服部佑児の影が忍び寄つてゐるやうな気がしてなりません。

ま、それはそれとして、『大相撲こてんごてん』。著者の「前口上」によると、この表題には「こてんこてん」「古典語典」「古典誤伝」「個展語典」の意が含まれてゐるさうな。
よくある軽い雑学・ウンチクものと思はれがちですが、その内容は中中深い。項目も「吾妻鏡」「在原業平」「尾崎士郎」など、一見相撲とは無関係と見えるものから、歴史を絡めて深い考察を見せてゐます。相撲には割かし興味のあるわたくしも知らない背景が沢山あるのです。
相撲のあらゆる所作には、すべて意味が有ると言ひます。それを忘れた現代(当時ね)の相撲界を著者は厳しく批判してゐます。これを老人の繰言と呼んではいけません。元来、相撲は神事であり、近代スポーツの性格を付加された現代でも、それは変らないのであります。

Aといふ横綱がゐました。土俵の内外で騒動を繰り返し、問題児横綱と呼ばれました。当然世間の批判を浴びましたが、彼を擁護する一定の層もゐたのであります。協会は古いよ、現代はヴィジュアルでも愉しませなきや、悪役も必要だよ等等等。
確かに日本相撲協会には古い体質が残り、改善点は山ほどありますが、それと相撲のしきたりを守ることとは全く別問題なのであります。本来の相撲を知る人ならば、相撲に「悪役」がゐる筈がない事を承知してゐます。
さういふ点に納得がいかない向きには、伝統から切り離された、新たな相撲団体を作つて貰ふしかないですなあ。それなら、土俵上でガッツポーズしやうが、倒れた力士に蹴りを入れやうが好き勝手ですよ。

うむ、少し力が入り過ぎたやうです。お恥づかしい。実際には、本書は堅い内容ではなく、気軽に知識を得られる好著と存じます。かういふ話は、わたくしなんかではなく、デーモン小暮閣下や、やくみつるさんにして貰へると説得力があるのですがね。
ぢや、また。ご無礼いたします。

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