源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
人生論ノート
無題

人生論ノート

三木清【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1954(昭和29)年9月発行
1967(昭和42)年7月改版
1978(昭和53)年9月改版
1989(平成元)年6月改版
2011(平成23)年10月改版

1945(昭和20)年9月、敗戦からわづか一か月後、三木清は獄中にて病死しました、即ち今年は没後70年に当る年であります。驚くべきことに、現在でも新しい読者が生れてゐるさうです。なるほど、新潮文庫の改版歴を見ても頷けるところですな。

人生論ノート』は学生の頃、「新潮文庫の100冊」に選ばれてゐたので読んだ覚えがあります。当時の正直な感想としては、まづその不貞腐れた(と、その時は思つた)文章に「うは」と思ひました。ドイツ語直訳調と呼ばれる文体にも拒否反応を示し、その後手に取ることはありませんでした。

しかるに何ぞや、年齢を重ねた今再度読んでみますと、実に味はひのある一冊でございます。あの嫌味でひねくれてゐると感じた文章も、実は茶目ッ気たつぷりではありませんか。わたくしは、一種のアフォリズム集として受け止めました。
試しに、任意に本書を開いてみ給へ。さまざまな警句・箴言が散りばめられてゐるのであります。即ち。

幸福はつねに外に現われる。歌わぬ詩人というものは真の詩人ではない如く、単に内面的であるというような幸福は真の幸福ではないであろう」(幸福について)
模倣と習慣は或る意味において相反するものであり、或る意味において一つのものである」(習慣について)
虚栄は人間的自然における最も普遍的なかつ最も固有な性質である」(虚栄について)
怒は復讐心として永続することができる。復讐心は憎みの形をとった怒である」(怒について)
孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の「間」にあるのである」(孤独について)
感傷はたいていの場合マンネリズムに陥っている」(感傷について)

などといつた塩梅であります。
学生時代まだ健在だつた小林秀雄が、「最近は新しい書物を読みたいといふ気持ちがなくなり、気に入った古い本ばかり繰り返し読んでゐる。読書の楽しみとはさういふものではないか」みたいな事を述べてゐました(正確な発言ではなく、要旨であります)。
その時は「新刊書に興味を持てなくなるとは、堕落ぢやないのか、何が知の巨人だよ」と毒づいてゐたのですが、この『人生論ノート』を再読しますと、「ああ、かういふ事を言つてゐたのかなあ」と納得するのでした。


わたくしの大好きな俳優の一人、小泉博さんが亡くなつてしまひました。また一人、東宝特撮映画を代表する役者が消えてしまつた訳です。
端正な二枚目風貌に、元NHKアナウンサーらしい几帳面な台詞回し、少し頭をひねりながら語る姿は学者先生そのもの。東宝映画の「良心」を具現化した俳優と申せませう。
色々な方の訃報に接するたびに「ああ、残念だなあ」とその死を惜しむのですが、小泉氏の場合はちよつと別格やね。そこで恒例の追悼上映を敢行するのであります。
そのラインナップは、『三十六人の乗客』『ゴジラの逆襲』『結婚の夜』『サザエさんの婚約旅行』『モスラ』といつたところ。『おえんさん』も観たいのですが、これはわたくしは所持してゐませんので。何とか観たいものです。日本映画専門チャンネルに期待しませう。

ぢや、また。



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