源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
人間失格
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人間失格

太宰治【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1952(昭和27)年10月発行
1967(昭和42)年9月改版
1985(昭和60)年6月改版
2006(平成18)年1月改版

学生諸君は、夏休み真ッ最中ですな。夏と言へば文庫100冊。暑くて読書どころではないかも知れませんが、わたくしは時間が有れば、近所の冷房の効いた図書館にて色色作業をしてゐます。わたくしが居住するA県T市は、割かしハコモノが充実してゐて、この図書館も中中のものであります。税金を払つてゐるのだし、公共の施設はガンガン駆使しませう。

「新潮文庫の100冊」は、わたくしが子供の頃からあるキャンペインで、以前からすれば「古典的名作」の比率は減つたやうな気がします。その中にあつて、太宰治『人間失格』は、30年来発行部数二位の地位を占めてゐるさうです。(一位は『こころ』)
まあ多くの人に読まれてゐからといつて、必ずしも優れた作品であるとは言ひきれませんが、ツマラヌ空虚な作品ならば、如何に版元が煽らうと、大衆は手に取らぬことでせう。

さてこの作品は、大庭葉蔵なる主人公による、「第一の手記」「第二の手記」「第三の手記」から成り、それを「私」による「はしがき」と「あとがき」で挟む形になつてゐます。
葉蔵は幼時より、人間の営みといふものが分からず、その対応策として「お道化」によつて相手を笑はせる術を身につけます。本心を見せない、孤独な人生が早くも始まつてゐたのでした。

裕福な実家より期待をかけられながら(本人はその自覚はないやうですが)、悪友(堀木)の影響で酒や女に溺れ、クスリにも手を出し、破滅への階段を登つて行きます。「お道化」の皮を剥かれる恐怖から逃れるためのやうですが、ここまでしないといけないのか。
そして女と心中自殺を図り(女だけ死ぬ)、自殺幇助の罪に問はれます。表向きは実家から縁切りの形で、父親は監視目的か「ヒラメ」なる男に葉蔵の世話を依頼しました。

「ヒラメ」の監視下でも葉蔵は本心を隠しますが、「ヒラメ」は容赦ありません。葉蔵を責め、将来の展望を無理矢理語らせやうとするのでした。耐へ切れずに葉蔵は「ヒラメ」から去り、隠遁の道へ。バアのマダムのところに転がり込んだり、純情娘のヨシ子と刹那的な安らぎを手に入れたり。しかしあらうことか、疑ひを知らぬヨシ子は、出入りの商人に騙され、いたづらをされてしまふのです。ああ、何といふこと。全てに絶望した葉蔵は、一層酒に溺れ、クスリ中毒になり、またもや自殺未遂事件を起こし、その荒廃ぶりは実家にも知れることとなります。
そして「ヒラメ」と堀木がやつてきて、葉蔵を「療養せよ」と諭し入院させます。サナトリウムだと思つてゐた葉蔵は、実はそこは精神科(当時の言葉で言へば、き○がい病院)であることを知り、再びショックを受けるのでした。自分は狂人扱ひされてゐたのだ。この瞬間の為に、本作は執筆されたのかも知れません。

その後長兄から父の死を知らされ、病院を出て、実家から汽車で四、五時間の場所にある、かなり老朽化した家屋に移動させられます。まだ27歳なのに、たいていの人から、40以上に見られると語り、手記を終へるのでした。

改めて読んでみても、やはり暗いなあ。ただの暗さではありません。
太宰治はかつて、芸術はサーヴィスで、ご馳走を読者に提供するべきといふ意味のことを、志賀直哉を批判した文章の中で書いてゐました。その言葉通り、太宰作品は絢爛たるご馳走で、読者に至れり尽くせりのサーヴィスを提供します。
ところが『人間失格』においては、さういふ面はほとんど見せず、まるで遺書のやうに、自らの為に書かせてくれと言はんばかりの筆致であります。読んでゐて辛い場面が多いのに、目を背けることが出来ない迫力に満ちてゐるのです。巷間言はれるやうに、自己憐憫の文学ではない。
もしさうであるなら、死後67年を経た現在でも、若いファンが増え続けてゐる事実はありますまい。甘いですかな?



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