源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
変身
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変身

フランツ・カフカ【著】
高橋義孝【訳】
新潮社(新潮文庫)刊
1952(昭和27)年7月発行
1966(昭和41)年9月改版
1987(昭和62)年6月改版
2011(平成23)年4月改版

長年に亘つて、中高生を中心に読まれ続けてゐる(若しくは「売れ続けてゐる」)フランツ・カフカの代表作であります。初出が1915年。即ち丁度100年前。遠く離れた極東日本でもロングセラアとなつてゐる理由は何か。その一つに、実は本書の「薄さ」が関係してゐるのではないかとわたくしは想像します。それは何故か。

学生を苦しめ、読書の習慣を奪つてしまふ「読書感想文」といふのがあります。まづ、強制的に本を読ませるのが逆効果だし、義務感から読む読書は快楽どころか苦痛であり、読後に文章を書かねばならぬとの強迫観念が、本離れに拍車をかけるのであります。さうすると生徒たちも自衛措置が働き、なるべく早く読める薄い本を選び、簡単な粗筋を紹介し、「ボクも頑張らうと思ひます」などと殊勝かつ無難な感想を書いて片付けてしまへば良い。

そこで書店の文庫100選コオナァへ行く。ええと、一番薄い奴はと......うん、これかな。と、カフカの『変身』を手に取ります。どれどれ、巨大な毒虫だと、なにやら面白さうではないか。よし、これに決定。
彼はレヂのおねいさんに『変身』を差出し、カヴァーは要りません、などと告げ清算をすませ、帰宅するのでした。机に向かひ早速読み出した彼ですが、5分もせぬうちに、激しく後悔するのであります。ああ、こんなことなら見栄を張らずに『坊っちゃん』にしとけば良かつた......
かうして、『変身』は、今後も売れ続けることでせう。

主人公はグレゴール・ザムザといふ外交販売員(布地を売つてゐるやうだ)で、ある朝彼が目覚めると、自らが巨大な毒虫に変身してゐるのを発見します。そんな異常な体験をしたら、普通の人なら衝撃のあまり、パニックに陥るところでせう。
ところが我らがグレゴール・ザムザは、会社の上司からの叱責を恐れてゐたり、家族にこの姿を見せまいと苦心したり。さういふ心配をする前に、まづ「なぜこんなことになつた?」と疑問を呈するところではないでせうか。それが、「何だか困つたことになつたなあ」程度の反応であります。

グレゴールの奮闘むなしく、家族にその姿を見られてしまふ(当然だ)のですが、家族の反応もをかしいですな。確かに衝撃を受けて右往左往するさまは描かれてゐるのですが、グレゴール=毒虫といふ現実をあつさり受け入れてゐます。普通なら、グレゴールはこの毒虫にやられたのではないか?などと推理するのが下世話かつ常識的な線ではありますまいか。

父は怒り、母は目を背ける中、毒虫の世話は妹の役割となります。みんな迷惑さうです。しかし一番かはいさうなのは、当然グレゴールであります。彼は家で唯一の働き手として、嫌な仕事もこなしてきたのに、家族はそんな感謝は見せず、まあ面倒なことになつてくれたよとゲンナリしてゐます。誰が外部の人間に相談するでもなく、勝手に懊悩するのです。こんな扱ひぢやあ、グレゴールの前途は容易に想像つくではありませんか......

かかる不条理な物語ですが、取つ付き難いことはなく、ペイジを捲る手は止まらないのであります。これは試される家族愛の物語でせうか。それとも本質を見抜けない凡人を嘲笑つてゐるのでせうか。或は、日常の激務に疲弊したカフカ自身の変身願望の表れなのか。
まあ良く分かりませんけど、わたくしが言へるのは、小説としてまことに面白く、読む度に色色な妄想が湧いてきて愉快であるといふことです。例へば安部公房作品が好きな人には、お好みの一冊となり得ませう。いや、安部ファンならとつくに読んでゐますかね。



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