源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
枯れるように死にたい
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枯れるように死にたい 「老衰死」ができないわけ

田中奈保美【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2014(平成26)年5月発行

かつての日本人は、誕生時は自宅で産婆さんに出産を助けられ、最期は家族に看取られながら、やはり自宅で死を迎へるといふのが一般的でした。昔は三世代揃つた大家族が当り前だつたので、孫が祖父母の最期を送るといふことは、極極普通の事であつたと思はれます。それが自然と人間の死について学ぶ機会になつてゐたのでせう。
いつの頃からか、誕生も死亡も病院で、といふのが当然のやうになつてゐます。わたくしも、何となくそんなものだと思ひ込んで、理由について深く考へることはなかつたのであります。いやあ恥かしい。

本書『枯れるように死にたい 「老衰死」ができないわけ』では、著者の田中奈保美氏が、現実に姑が倒れてから最期を自宅で看取るまでをドキュメント風に記述しながら、その合間に各所で取材した「看取り」の現状をレポートしてゐます。
本書の成立については、著者の夫である佐藤順(すなお)氏の存在が大きい。佐藤氏は外科医を定年退職した後、老人ホームなどの施設に活躍の場を移します。
そこで佐藤氏は施設の現状を知り、怒るのであります。「病気でもないのに病院に送るとはなにごとだ!」「病院は病気を治すところであって、亡くなった年寄りを送るところじゃないでしょ」

つまり、施設では、死期が迫つた利用者を、(特に病気でもないのに)病院へ搬送するのが習はしであると。施設では看取りが出来る体制ではなく、誰も経験がない。で、病院で安らかな死を迎へられるのかといふと、必ずしもさうではなく、チューブを入れられたり胃ろうで生かされたりして、要するに延命処置が取られるのださうです。
人間も生物の一種ならば、食事をする力が失はれば、それは老衰死を意味するのですが、延命治療に躍起の病院では、とにかく生かさうとするのだとか。

本人の尊厳は侵され、苦痛のみ与へられ、家族の負担は重くのしかかる。一体誰のための措置なのでせうか。家族が「最期は自然に任せたい」と希望しても、医者から「見殺しにするのか」と迫られたら、素人は従つてしまひますよね。
著者の姑の場合は、夫君が先述の外科医であつたことから、何とか医者を説得して自宅へ連れ帰りました(それでも、若い医者は強烈に抵抗した。本当に自分の責任逃れと面子に拘つてゐるとしか思へないのです)。
世界に冠たる長寿大国の内実は、実はかういふことなのでせうか?

中には、「私のわがままかも」と自覚しながら、「とにかく母には長生きしてもらいたかった」思ひで、母親に胃ろうを希望したヨウコさんのやうなケースもありました。だから、著者もいふやうに、正解は無いのでせう。
リヴィングウィルを残す人がまだ少ない現状、家族全員の総意と、主治医の理解が必要なのだといふことですね。
政府も、医療費が何十兆円に膨らんだと騒ぐ前に、かかる問題をもつと真剣に取りあげていただきたいものであります。
因みに、わたくしもやはり枯れるやうに死にたいですな。まあ、普段の行ひが悪いので、ロクな死に方は出来ぬかもしれませんが。

デハデハ、また逢ふ日まで。


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