源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
朗読のススメ
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朗読のススメ

永井一郎【著】
新潮社(新潮文庫)刊
2009(平成21)年6月発行

昨年惜しまれつつ亡くなつた永井一郎さんが、朗読の意義について熱く語つてゐます。
「はじめに」の冒頭で、いきなり「ひどい世の中になりました」と、どきりとさせられる書き出しであります。老若男女、日本でも海外でも皆、心を失ひかけてゐると。そんな世の中におすすめなのが朗読なのださうです。無論朗読をすれば即、世直しに繋がる訳ではありますまいが、心のみならず身体にも好影響を与へる朗読といふものに、ちよつと注目してみませう。

現在の読書は、黙読が当り前と思はれてゐますが、それは近代以降のこと。明治大正期あたりは、大人でも音読をしてゐたさうです。時代が下がるに連れて、音読は子供が練習の為にするものと認識されるやうになり、大人が音読すると何となく恥ずかしくなつてきました。
これは、多分「振り仮名」とも関係してゐると存じます。昔の読物は、基本的に漢字に振り仮名が付いてゐました。お陰で子供でも、難しい漢字を読めたのであります。
現在の文章には、基本的に振り仮名が付いてゐませんね。遠慮せずに付ければ良いのに。さうすれば当用漢字とかは無意味になります。漢字の制限も愚策であります。まあ、ここではその話はいいけど。

「第1章 声について」では、良い声を出すにはどうするか。姿勢や呼吸法・声圧はどうかなどを論じてゐます。プレッシャーなど精神的な要素で、声は変つてしまふやうです。
「第2章 自分の朗読とは」で、声優として確固たる地位を築くきつかけとなつた仕事を振り返つてゐます。
「第3章 朗読の基礎的技術について」では、「形」を学ぶことの重要性を説きます。共通語の「形」、無声音や鼻濁音、それぞれに「形」があり、それらを軽視しては応用も効かぬやうです。
「第4章 技術とイメージのはざま」では、漢字の読み方ひとつでまるでイメエヂが違ふことが述べられてゐます。
私は「ワタシ」か「ワタクシ」か、日本は「ニホン」か「ニッポン」か。川端康成『雪国』の冒頭の単語は、コッキョウと読むのか、クニザカヒと読むのか。黙読では見過ごされてゐたことが、いざ音読をすると興味深いことが分はかつてきますね。
「第5章 解いておきたい誤解」。識者の中でも「女性の声は朗読に向かない」といふ愚論を述べる人がゐるさうです。そりや確かにひどい誤解ですな。
「第6章 技術を超えて」は、永井一郎氏が朗読を通じて世間に訴へたいことが伝はります。「間」についての考察は凄味さへ感じさせます。「個性」についての意見は、我が意を得たり、と嬉しくなります。本当に、無責任に「個性」といふ言葉が独り歩きしてゐます。人と違ふ、目立つたことをすることを即ち個性的だとする風潮にはうんざりするのであります。

本書を読み通すと、勿論朗読を試みたい人にとつて実に参考になる内容だと存じますが、それ以上に永井氏が「これだけは読者に伝へたい!」と、まるで遺言のやうに「心」に訴へる一冊と申せませう。

デハデハ、今夜はこれでご無礼します。



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