源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
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夏目漱石【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1986(昭和61)年11月発行
2002(平成14)年11月改版

それから』の項で予想した通り、「朝日新聞」紙上では『』の再連載が始まつてゐます。
それはいいのですが、我が家で文庫版『門』を探したところ見つかりません。漱石作品は新潮文庫版で全て揃へた筈なのに。仕方なく集英社版『漱石全集』で再読したのであります。
全集版の良い所は、原文になるべく近い形で収録されてゐるところですね。正仮名・正漢字は勿論、漱石の得意な当て字や、時には誤字も注釈付きでそのまま再現されてゐます。文庫版では、現代人に広く読んで貰はうとの意図から、読み易く改変されてゐるので注意であります。
しかし全集版は大きく、重い。鞄に忍ばせて空き時間に読むとか、寝転がつて読むとか、憚りに持ち込んで読むとかには不向きで、机に向かつて読まざるを得ないのが不便ですな。

まあそんなことはどうでもよろしい。わたくしは『門』を再読して静かな感動を呼び起こされたところなのですから。
文学作品といふものは、その作品だけ単独で愉しめば良いと存じますが、『門』の場合はどうしても『それから』との関連が気になるところです。

『それから』の代助は、友人の妻・三千代と共に生きる事を決め、人としての道を外します。当時としては外道扱ひで、世間に顔向け出来ぬ境遇であります。
その設定を引き継ぐかのやうに、『門』の宗助は、友人安井から御米を奪ふ形で妻にしてゐます。安井はその後消息を絶ち、行方は知れません。御米とは相互に信頼し合ひ、夫婦の関係としては悪くありません。しかし常に安井の影が差すからか、心底明るく笑つたことがあるのか疑はしい。おそらく、まだ30歳前後と思はれるのに、すでに枯れた雰囲気を醸し出してゐます。良く言へば落ち着いてゐるが、悪く言へば覇気がない。子供には恵まれず、静かに暮らしてゐます。

宗助には小六といふ、歳の離れた弟がゐます。叔父夫婦に学資など面倒を見て貰つてゐたのですが、叔父が死んで叔母の代になつてから、小六の学資はまかなへないと通達され、宗助はその対応に苦慮します。もつとも傍目には余り苦慮してゐるやうには見えず、行動をずるずると先延ばしするため、当の小六からも鼎の軽重を問はれてゐさうな気配が。要するに兄を軽んずる傾向があるのです。

そんな中、大家の坂井といふ人と懇意になります。その坂井氏の弟(坂井氏曰く「冒険者=アドヴェンチュアラー」)が蒙古で放浪してゐたのだが、最近突然姿を現した、面白いから会つて話を聞いてみなさい、ついては安井といふ友人も一緒に呼んであるといふのです。
何と、御米を奪つた安井の消息が分かり、自分の眼前に現れるかもしれぬといふ恐怖が宗助を襲ふのであります。御米にも告げる事が出来ず、精神の安定を失ふ宗助。救ひを仏門に求めるのですが、さううまくいきますかどうか......

結局、安井は再び大陸へ渡り、宗助が心配するやうなことは起きず、小六の問題も坂井氏のお陰で解決しました。御米さんは春が来たことを悦びます。しかし宗助は「うん、然し又ぢき冬になるよ」と返すのでした。つまり、安井はいつ又眼前に現れないとも限らぬといふことでせう。

ドラマティックな展開は起きず、根本的な問題は何も解決せぬまま、物語は終つてしまひます。それを不満とする読者も多いと存じますが、この宗助の苦悩は、『こころ』の先生に引き継がれるのでせう。近代人の自我と我執。そんな地味な問題でも、小説として愉しめるやうになつてゐるのが良いのです。
要因は、登場人物の造形でせうか。宗助・御米・小六・坂井・宜道など、誰もが一度は出会つた事があるやうな人物ばかりではありませんか。個人的には御米さんが好みで、漱石作品に登場する女性の中では一番好きですな。特に小六と接する時の描写なんかは、息遣ひまで聞こえてきさうです。何だかどきどきするのでした。
派手な展開は見せませんが、門の前で何も出来ずに右往左往する宗助を一度御覧なさいと申し上げて、ここは去ることにいたします。

ぢや、さらば。



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