源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
133キロ怪速球
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133キロ怪速球

山本昌【著】
ベースボール・マガジン社(ベースボール・マガジン社新書)刊
2009(平成21)年9月発行

愛知県在住ですが、ドラゴンズファンではありません。ちよつと申し訳なく思ひます。
しかし山本昌投手については、同世代といふことで、以前から何となく応援してゐました。贔屓の燕ティームが負けると気分が悪いですが、山本昌投手にやられた場合は不思議と腹が立たないのであります。
どうでもいいが、登録名を「山本昌」にした時は、名古屋女優の「山田昌」さんを連想したものです。

その山本昌投手も、惜しまれつつ今季限りで遂に引退となり、それを機に『133キロ怪速球』を登場させるわたくしであります。本書は2009年に発表されたもので、たぶん200勝達成を記念して出版されたと思はれます。
200勝。現在のプロ野球では至難の業と申せませう。昔のエース投手は、とにかく投げまくりました。連投も当り前で、先発でもリリーフでも登場しました。中には、勝利をもぎ取るために、勝ちゲームの4回辺りから登板して、先発投手の勝利の権利を奪ふなんてえげつないことをした人もゐます。
しかし現在は、権藤権藤雨権藤の時代ではありません。「肩は消耗品」の思想が浸透し、十分な間隔を開け、球数も管理するのが当然となつてゐます。マー君こと田中将大投手が2013年、東北楽天ゴールデンイーグルス時代に、一年間ローテーションを守りながら無敗を誇つたのですが、それでも24勝止まりでした。

さて山本昌投手は、入団時(1983年)はドラフト5位指名といふことで、注目度は低かつたやうです。実際最初の五年間は鳴かず飛ばずで、いつ首になるかと怯える日々を過ごしたと言ひます。それがなぜ200勝投手になり、ノーヒットノーランを達成し、50歳まで第一線で活躍できたのでせうか。
1988年、山本昌投手は、その後語り草になる米国への野球留学に参加します。そこで生涯の代名詞となる「スクリューボール」を目の当たりにし、「自分にも投げられさうだ」と真似をしたのが始まりらしい。その手本となつたのが、スパグニョーロといふ無名の選手。しかも投手ではなく内野手らしい。

一流と呼ばれる選手の真似をするのは理にかなつてゐますが、実際には自らがどれだけ真剣に、先入感を捨てて学べるかがより重要と思はれます。あの落合博満氏も、ロッテ時代に土肥健二さんの「神主打法」を見て、良い打ち方だなと思ひ自らの打法に取り入れたと言ひます。一流選手だらうが、無名の選手だらうが、自分に合ふものなら真似をすれば良いのです。
結果は、如実に表れました。彼はスクリューを武器にして一軍のマウンドに伸し上がつてきたのですから、スパグニョーロは師匠であり恩人と申せませう。

わたくしの少年時代は、男の子は程度の差こそあれ、ほとんどが野球少年でありました。現在は野球以外のプロスポーツが擡頭し、少年たちの憧れも変化しつつあるのでせう。地上波のテレビ中継もめつきり減りました。しかし野球選手が男の子の憧れの存在でなくなるのは実に寂しいものです。
さう考へると、山本昌投手の引退は大きな意味を持つなあと勘考するところです。




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