源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
きしゃ記者汽車
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きしゃ記者汽車 国鉄全線完乗まで―

種村直樹【著】
創隆社刊
1984(昭和59)年3月発行

故・種村直樹氏、3月7日で生誕80年を迎へました。それを機に、『きしゃ記者汽車』の登場です。
本書は種村氏がレイルウェイ・ライターとして軌道に乗り、当時の国鉄線を完乗するまでの軌跡を辿つた自叙伝でございます。この表題を見ると、日本語を学ぶ外国人が「貴社の記者は汽車で帰社した」などと、念仏の如く繰り返すのを思ひ出すのであります。それはどうでもいい話。

周知の如く、種村氏は毎日新聞社の記者から華麗なる転身を遂げた人。では、そもそもなぜ新聞記者を目指したのでせうか。それはまことに意外なきつかけでした。
戦後の混乱期に少年時代を過ごした種村氏は、将来は何と「闇屋」になりたいと思つてゐました。しかし、時代が落ち着くに連れ、何となく技術者を目指さうかと考へを変へたさうです。そんな時、普段は大して親しくもない(むしろ煙たい存在だつた)ある同級生が種村氏に話しかけてきました。そこで将来の進路の話になり、その同級生は「僕は新聞記者になるんだ」と熱く語つたのださうです。この一言に触発された種村氏は、自身も新聞記者志望に転換するのでした。

見事毎日新聞社に入社した種村氏は、高松を皮切りに、大阪⇒名古屋⇒東京と勤務地を変へながら、社内外の地位を高めてゆきます。『周遊券の旅』などの著書も出し、「鉄道の種村」の名声は全国に広がることになりました。あの須田寛氏さへも、種村氏には一目置いてゐたとか。
そんな彼に、「国会担当」の辞令が出ます。花形の部署でありますので、本来なら栄転です。しかし種村氏は拒否しました。それまでも場当たり的な人事異動に嫌気がさしてゐて、何度も辞めやうかと思つた事があつたのですが、何とか踏み止まつてきました。しかし今回こそ潮時、とばかりに遂に辞表を出したのであります。
安定した新聞社勤務をわざわざ捨てる(しかも栄転なのに)といふ行為は、周りからは理解されず、さぞかし変人扱ひされたことと想像します。フリーの鉄道記者になるなんて、一般的には「失業」と同義語でせう。
しかしフリー転向後の種村氏の活躍は、読者が一番良く知つてゐます。本邦初の「レイルウェイ・ライター」として、他の追随を許さぬ仕事ぶりを見せつけました。

本書で特筆されることの一つは、過去の悪事を告白したことですな。少年時代から、どうも手癖が悪かつたやうです。幼時は、親の金をくすねたり、万引きをしたり、切符売りのばあさんの金を失敬したり。
思春期にも、列車のプレート(サボのことか)を常習的に盗んでゐたと。そして大学生になつてまた、その癖が再発し、遂に発覚し御用となります。
かういふ記述は、ファンとしては読んでゐて辛いものがあります。こんなこと書かなきや良かつたのに。実際、批判も多かつたさうです。悪事そのものに対する批判よりも、カミングアウトしたことに対する批判。
しかし種村氏は「十代を語るとき避けて通れない大きな過失」として、敢へて書いたと説明してゐます。

宮脇俊三氏をして、「ただの鉄道の本ではない」と言はしめた本書。確かに、鉄道情報よりも、一人の男の熱い生き方が余すところなく開陳されてゐるのです。
新聞社を辞めると妻・由子さんに告げた時、由子さんはかう答へました。
あなたが、そう決めたのなら、いいでしょう。母娘三人、路頭に迷わさないでね
並の女房なら、猛反対し夫を罵り、貴方にはついていけません、実家に帰らせてもらひます、くらゐの事は言ひさうぢやありませんか。
この奥様の存在あればこその、種村氏の活躍であつたと申せませう。ではまた。





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