源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
アサッテの人
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アサッテの人

諏訪哲史【著】
講談社(講談社文庫)刊
2010(平成22)年7月発行

カタカナで「アサッテ」と書かれると、わたくしなんぞは、どうしても東海林さだおさんの漫画『アサッテ君』を連想してしまひます。無論本作とは無関係でありますが。
こちらの『アサッテの人』は、諏訪哲史氏のデビュウ作となる中篇小説。かなりヘンテコな小説だと聞いてゐたので、少し身構へながら読み始めたのであります。

読書前に世間での評価を知る事は邪魔になるので、普段はレヴューの類には目を通さぬのですが、本書についてはチラと天存の頁を覗いてみました。すると☆ひとつから☆五個まで、まんべんなく揃つてゐました。中中珍しい。益益気になるところであります。

さて、その内容は―
「私」の叔父が姿をくらましました。折しも叔父の住む団地が老朽化のため取り壊しとなるため、市の管理事務所から移動の督促をしたいのですが、その叔父本人と連絡が取れないといふことで、身元保証人たる父親の代理で「私」が部屋に残された物の後始末にやつて来たのであります。そこで発見したのが、三冊の大判ノート。叔父の、日々の日記とも所感ともいへぬ手記が記されてゐたのでした。謎の多い叔父の秘密を解かうと、「私」はノートを基に小説『アサッテの人』を執筆することを目論んだのですが―    
「あらすじ」を追ふことは余り意味をなさない小説ですね。叔父にとつての「アサッテ」とは、「凡庸」とか「月並」とかへの嫌悪が元になつた概念のやうです。吃音症だつた経験が原因だつたのか、或は妻の朋子さんの死がアサッテ化の加速に拍車をかけたのか。突然叫ぶ言葉「ポンパ」とは何か。「タポンテュー」とは何か。そしてエレベーター内で人知れず奇行を繰り返す「チューリップ男」への限りない共感。「彼を嗤う者は、その前に自分の、常識に溺れきった凡庸さを嗤え」(本文より)と言ひきるのであります。

ふむ。ここまでは良い。しかし叔父は、さらなる「アサッテ」の完成を目指しました。それには、まづ「アサッテ」が貫くべき「凡庸さ」を鍛へなくてはならないと考へました。
張りつめられた弓弦のないところに放たれる矢がありえないように、凡庸という張りつめられた定式がなければ反動としてのアサッテはありえない。ゆえにアサッテを先鋭化するには、まずもって凡庸の耐えられなさ、凡庸の強度を鍛えねばならない」(本文より)
いやあ、危険ですなあ。ここから叔父のアサッテは、いはば「計算された」アサッテとなり、矛盾を生ずるやうになるのでした。ここでは「思考上の転倒」と表現されてゐます。なるほど、叔父が失踪するべき理由はここでお膳立てされてゐるではありませんか......

結論から申しますと、実に面白く拝読しました。かなり実験的な手法を採用してゐるのに、物語としての体裁も整つてゐて、頁を捲る手が止まりません。おそらく作者自身の性癖思考が、登場人物の叔父さんに色濃く投影されてゐるのでせう、小説といふ文学形式が何となく定型化し、さらには形骸化することの(すでにしてゐる?)反抗のやうに見えます。さういへば同じ作者によるコラム集『スワ氏文集』でも、従来のコラムやエッセイとは決別しやうとの意図が感じられました。

読書子は一度読んでみることをお薦めします。しかし、この小説は読者を選ぶ側面もありますので、必ず満足しますよとは申しません。一読して「ナンダコリャ」と当惑する可能性もございますよ。



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