源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
安土往還記
518KF00HRHL__SX343_BO1,204,203,200_

安土往還記

辻邦生【著】
新潮社(新潮文庫)刊
1972(昭和47)年4月発行

本作については、まづ新潮文庫カヴァーの紹介文を引用しませう。

争乱渦巻く戦国時代、宣教師を送りとどけるために渡来した外国の船員を語り手とし、争乱のさ中にあって、純粋にこの世の道理を求め、自己に課した掟に一貫して忠実であろうとする“尾張の大殿(シニョーレ)”織田信長の心と行動を描く。ゆたかな想像力と抑制のきいたストイックな文体で信長一代の栄華を鮮やかに定着させ、生の高貴さを追究した長編。文部省芸術選奨新人賞を受けた力作である。

ええ、以上であります。これで終つてもいいのですが、ちよつとだけ蛇足を。
冒頭で、本書が世に出た経緯を著者は書いてゐます。著名な蔵書家の書庫から発見された古写本に、かなり長い書簡の断片が別紙で綴ぢ込まれてゐたと。それを作者が翻訳を試みたと述べてゐます。なほ、原文はイタリア語であつたが、C・ロジェール氏の仏文試訳から翻訳を行つたといひます。

......ふふふ。中中手が込んでゐますな。イザヤ・ベンダサンか。まあいい。その書簡はイタリアの船乗りが書いたことになつてゐて、どうやら布教のため、宣教師を日本へ送り届ける役割を担つてゐたやうです。
その船乗りの名前は作中では明らかにされず、「私」といふ一人称で語られるのみであります。
その「私」が、戦国時代の日本で尾張の大殿(シニョーレ)と出会ひ、大殿の庇護の下で布教活動に勤しみます。そして大殿が本能寺で自害するまでを、友人に宛てた書簡といふ形式で叙述してゐるのです。大殿とは、むろん織田信長のことですが、実際には信長の「の」の字も出てきません。一貫して「大殿」と表現されます。

天下をほぼ平定したといつても、毛利氏との戦が続いてゐることもあり、大殿の表情には陰影が絶えません。戦場に於いては、容赦ない殲滅作戦を展開する大殿ですので、側近たちも戦戦兢兢として心休まらないやうです。
しかしながら「私」の眼に映る大殿は、ただひたすら「事が成る」ことを眼目に生き、徹底した合理主義を求める孤独なリーダーの姿でした。
腐敗した仏教界を嫌悪したり、その反動か宣教師たちに常識外れの厚遇をみせるのも、すべて「事が成る」ことを目指してゐたからだらうと。で、次のやうに理解を示すのであります。

私が彼の中にみるのは、自分の選んだ仕事において、完璧さの極限に達しようとする意志である。私はただこの素晴らしい意志をのみ─この虚空のなかに、ただ疾駆しつつ発光する流星のように、ひたすら虚無をつきぬけようとするこの素晴らしい意志をのみ─私はあえて人間の価値と呼びたい。

当時の信長の周辺で、かかる分析をした人はゐなかつただらうな、と思ふのですが、そこを海外から来た船乗りの目を通じた大殿といふことにして、不自然にならず実に新鮮な信長像を描き出したと申せませう。文章も無駄が無く、引き締つた文体で心地良い。
信長について、ある程度予備知識を有する人なら、更に愉しめるでせう。ぢやあ又。



スポンサーサイト
コメント
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL
http://genjigawa.blog.fc2.com/tb.php/644-7bb71db6
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバック