源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
命のビザ、遥かなる旅路
41QNVJxgBqL__SX307_BO1,204,203,200_

命のビザ、遥かなる旅路 杉原千畝を陰で支えた日本人たち

北出明【著】
交通新聞社(交通新聞社新書)刊
2012(平成24)年6月発行

杉原千畝氏の名声は、経年するほどに高まつてきてゐるやうな気がします。先達ても、杉原ビザで助かつた人やその子孫が多く住むイスラエルのネタニアに、「杉原千畝通り」が誕生したとのニュウスも聞きました。出身地の岐阜県八百津町でも、「おらが町の偉い人」としてその功績を讃へてゐます。

リトアニアで杉原ビザを手にしたユダヤ難民たちは、シベリア鉄道にて浦塩まで行き、そこから航路で福井県敦賀に一旦上陸、その後は国際港横浜や神戸に陸路移動し、目的地(主に米国)まで向かふといふルートが一般的だつたさうです。
しかしたとへビザがあつても、目的地までは遠い。その間に如何なる困難が待ち受けてゐるか、当の難民たちは道中、生きた心地はしなかつたのではないでせうか。

そんな彼らの逃避行を陰で支へた個人・集団にスポットを当てたのが本書『命のビザ、遥かなる旅路』であります。著者によると、千畝の人道的行為は称賛されてしかるべきであるが、「ただ、私が訴えたいのは、杉原の行為を人知れず陰で支えた人々の存在も忘れてはならないということであり、特に、杉原に恩義を感じているユダヤ人社会の人々にもそのことを知ってもらいたいと強く願うのである」(第1章より)といふ意図で本書を書いたとか。

JTBや日本郵船が果たした知られざる貢献、難民が一時滞在した敦賀や神戸の人人の対応などが、関係者への取材や当時の新聞記事で明らかになります。
特に長旅からやうやく上陸した敦賀は「天国のやうに感じた」と、述懐する難民が多かつたやうです。難民たちは見るからに疲弊しきつて、着衣も襤褸襤褸の状態。敦賀市民は歓迎こそしなかつたでせうが、偏見から排斥することもなく受け入れた民度の高さには感服であります。ある銭湯では、一日休業し、難民のために無料開放したとか。またある子どもは、「ユダヤ人は本来優秀な民族である。みすぼらしい服装をしてゐるからといつて、見かけで判断してはいけない」と大人に教へられたさうです。

本書の白眉は、第4章の「スギハラ・チルドレンを訪ねて」でせうか。著者は米国ヒューストン・ボストン・ニューヨーク・ワシントン・シカゴを訪問し、杉原ビザによつて救はれた人やその関係者を精力的に取材しました。
杉原ビザは約6000人分発給されたといはれますが、その子孫の広がりを考えへると、30万人の命を救つたとも伝へられます。
ユダヤ教の聖典「タルムード」には、「一つの命を救う者は世界を救う」とあるさうですが、杉原千畝の行動は、まさにそれを地で行くものだつたのですね。

著者は本職のノンフィクションライターではない為、ところどころで限界を感じさせる記述もございますが、新たな視点から書かれた杉原本として、労作であることには間違ひないでせう。

デハ今夜はこんなところで、ご無礼します。



スポンサーサイト
コメント
コメント
コメントの投稿
URL:
本文:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
トラックバック URL
http://genjigawa.blog.fc2.com/tb.php/645-933ab93b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
トラックバック