源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
文章読本
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文章読本

谷崎潤一郎【著】
中央公論新社(中公文庫)刊
1975(昭和50)年1月発行
1996(平成8)年2月改版

「文章読本」の類は数多いですが、先日(7月24日)生誕130年を迎へた大谷崎による『文章読本』が、その嚆矢となります(たぶん)。
谷崎によると、読者には専門家を想定せず、なるたけ多くの人に読んでもらふ目的であるので、通俗を旨とする方針なのださうです。通俗......

章立ては「一 文章とは何か」「二 文章の上達法」「三 文章の要素」に分けられ、それぞれ細分化してゐます。
まづ「文章とは何か」。まづ言語の効用と限界を説きます。言葉は万能では無い。それどころか使ひ方によつては、有害ですらあると説明します。
そして有名なフレイズ「文章に実用的と藝術的との区別なし」。後年、色色な人が疑義を挟むのですが、まあ大文豪の御説だからいいでせう、てな感じですかね。
そして日本語を西洋の文章と比較して、日本語の語彙が貧弱なのは、我我国民が寡黙・沈黙を好んで来たからだとの説。これまた微苦笑を誘ひますが、本当ですか?

続く「文章の上達法」。冒頭でイキナリ言ひ放ちます。「文章の上達法については、既に述べたところで自(おのづか)ら明らかになつてゐる点が多いと思ひますから、こゝにくだくだしくは申しますまい」おいおい。大先生逃げたな。
で、この章では「文法に囚われないこと」「感覚を研くこと」の二点が挙げられてゐます。前者について丸谷才一氏は、この「文法」とは、「英文法」のことを念頭に書いてゐる筈だから、「英文法」と読み替へれば理解し易い、みたいなことを述べてゐました。
なるほど、主語があつて述語があつて目的語があつて......といふのは英文法。英語の普及の所為で、英文を直訳したやうな日本語が罷り通つてゐたのでせうね。

最後は「文章の要素」。要素には六つの面があると説きます。即ち「用語」「調子」「文体」「体裁」「品格」「含蓄」。
特に「含蓄」については、「この本は始めから終りまで、ほとんど含蓄の一事を説いてゐるのだと申してもよいのであります」。さうだつたのか! 迂闊にもわたくしには、とてもさうは思へなかつたので。特に、志賀直哉の文章(「城の崎にて」)を激賞した箇所は、解説の吉行淳之介氏の指摘を待つことなく、含蓄とは程遠いやうな気がします。

結論としては、たぶん本書を読んで名文家が誕生する可能性は低いと申せませう。その代り、まるで講演会で大谷崎が壇上から名人芸を披露してゐるやうな心持になります。聴衆はその名調子に陶然とするでありませう。さういへば井上ひさし氏も、谷崎読本は瑕だらけだが、読み進むうちにその瑕が次第に笑窪に変ると評してゐました。
文章上達を期待せずに読めば、実に面白い読み物であります。今後もロングセラアは続くでありませう。
ではまた。



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