源氏川苦心の快楽書肆
古い本を探しては読みふけつてゐます。よければお付き合ひくださいな。
名古屋駅物語
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名古屋駅物語 明治・大正・昭和・平成~激動の130年

徳田耕一【著】
交通新聞社(交通新聞社新書)刊
2016(平成28)年4月発行

JR名古屋駅(名駅)が開業して、今年で130周年であります。駅構内に「ありがとう130周年」ののぼりが掲げられてゐるので、目にした人も多いでせう。
このタイミングで、『名古屋駅物語』が上梓されました。著者は東海地区の鉄道事情に関する著書多数の徳田耕一氏。徳田氏は自身が名駅界隈で生まれ、その成長ぶりを生で知る一人であります。これ以上の適任者はございますまい。

現在でこそ名駅は中部日本を代表するタアミナルですが、元来東西を結ぶ幹線鉄道は、中山道経由で建設される予定でした。即ち名古屋はメインルートから外れる運命にあつたと。それを当時の名古屋区長(現在の市長にあたるさうです)であつた吉田禄在が、中山道の山越えでは工期も資金も膨れ上がると主張、東海道本線の優位性を説きそれを実現させたとか。ほほう。吉田禄在氏は名古屋の大貢献者なのですね。

元元名古屋は城下町として栄えましたが、決して交通の要衝ではありませんでした。そんな名古屋のタアミナルは、西の外れ笹島に設けられたのであります。今から130年前、1886(明治19)の事でした。当初は名護屋駅と名乗りましたが、翌年名古屋駅に改称されてゐます。もつとも周囲の人々は「笹島ステンショ」と呼称したとか。
この初代名古屋駅は、僅か2面2線の小ぢんまりした規模で、現在とは比ぶべくもないものでした。しかし1891(明治24)年の濃尾地震で駅舎は倒壊、直ちに二代目駅舎が再建されました。規模こそ二倍になりましたが、施設としては2面3線と、特段に変化があつた訳ではありません。

そして1937(昭和12)年、客貨とも利用が膨大に増えた名古屋駅は、手狭な二代目から北北西に位置を移し、三代目駅舎の誕生を迎へます。ホーム4面13線となり、タアミナル駅としての風格も具へ、「東洋一」の規模と呼ばれました。
翌1938(昭和13)年には関西急行(近鉄の前身)名古屋駅が国鉄駅の地下に開業し、さらに1941(昭和16)年には、名鉄の新名古屋駅も開業。これは、北の押切町と南の神宮前で市内タアミナルが分断されてゐたのを、地下を介して直通させたもので、名古屋本線がここに全通したのでした。このあたりが戦前の名駅全盛期でせうか。

戦中戦後の最悪期を乗り越えた名駅は、1957(昭和32)年、念願の地下鉄が開業。同時に路面電車の衰退が始まります。
1964(昭和39)年は、ご存知東海道新幹線が開業。名古屋の新幹線駅は、在来線の西側に作られました。ドヤ街の立ち退き問題とかありましたが、この一大闇市はさう簡単に消滅しません。駅西の妖しい匂ひは、現在でもプンプンいたします。

一方国鉄は分割民営化といふ歴史的転換を迎へ、名駅はJR東海の顔として君臨します。1999(平成11)年には、新たなシンボルとなる超高層ツインビル「JRセントラルタワーズ」が開業。以後名駅周辺の高層ビル化が進むのであります。
次なるビッグプロジェクトは、何と言つてもリニア中央新幹線の名古屋駅開業でせう。如何なるスーパーターミナルとして生れ変るのか、目が離せぬところであります。

徳田氏は名駅の歴史を、自らの成長と重ね合はせながら、思ひ入れたつぷりに語ります。幼時、高嶺の花だつた「はとガール」との触れ合ひ。少年時代、名駅構内で写真を撮りまくつた日々。家出した母を名駅中央コンコースの待合室で発見したこと。“ばあちゃん”にせがんで乗せてもらつた「夢の超特急」の思ひ出。名鉄電車内で行つた、自身の結婚披露宴二次会(須田寛氏、宮脇俊三氏、種村直樹氏らも列席。スゴイ!)......
徳田氏の著書だけあつて、鉄分は相当高いですが、専門的な話は少ないため、一般人でも大丈夫。特に地元の方々には興味ある一冊となるのではありますまいか。

ぢやあまた。ご無礼します。



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